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介護職に就いた私の理由(わけ)

さまざまな事情で介護の仕事に就いた方々の人生経緯と、介護の仕事で体験したエピソードを紹介していきます。「介護の仕事に就くことで、こんなふうに人生が変わった」といった視点からご紹介することで、さまざまな経験を経た介護職が現場には必要であること、そして、それが大変意味のあることだということを、あらためて考えていただく機会としたいと考えています。
たとえば、「介護の仕事をするしかないか・・」などと消極的な気持ちでいる方がいたとしても、この連載で紹介される「介護の仕事にこそ自分を活かす術があった・・」というさまざまな事例を通して、「介護の仕事をやってみよう!」などと積極的に受け止める人が増えることを願っています。そのような介護の仕事の大変さ、面白さ、社会的意義を多くの方に理解していただけるインタビュー連載に取り組んでいきます。


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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第20回 亡くなった息子の介護経験から介護職へ 
あの当時の私に出会えるなら、「それでいいんだよ。よく頑張っているね」と伝えたい

萩原光子さん(59歳)
K港ステーション 介護福祉士(東京・港区)

取材:石川未紀

息子の介護をきっかけに

 1998年の夏でした。息子が海難事故に遭ったんです。病院へ駆けつけたときには、人工呼吸器をつけていて、「低酸素性虚血性脳症」と診断され、いわゆる「植物状態」となりました。その後、気管切開をして、胃ろうをつけ、在宅での介護が始まりました。青森でしたので、「介護は家族がするもの」という雰囲気がまだありましたが、訪問看護ステーションの看護師さんは総合病院からわざわざ「在宅支援がしたい」とこの世界に飛び込んできた人だったので、当時はヘルパーではまったくやれなかった気管切開の吸引や摘便なども、「家族と看護師だけでは絶対に無理、お母さんが倒れてしまいますよ」ということで市役所や病院に掛け合ってくれて、その看護師さんがヘルパーさんに研修してくださったんです。夜間も吸引のためにヘルパーさんに入ってもらったり、本当によくしてくださいました。

 それでも、母親である私は息子のことで精いっぱい。だんなとの擦れ違いがどんどん顕著になっていました。たぶん、お互い気持ちはわかるけれど、そこまで思いやる余裕がなかったのでしょう。息子は2002年に亡くなりましたが、一周忌を待たずして、私たちは離婚しました。息子の墓がある青森から離れたくはなかったのですが、ある日、勤め先の屋根の雪下ろしをしているときに、腰を疲労骨折してしまって。気も弱っていたんでしょうが、「私、ここにいる意味があるのかな」って思ったんです。それで、先に東京にいた娘に相談したら、「それなら出ておいでよ」と背中を押されて、一念発起。2006年、50歳のとき、東京に出てきたのです。

 東京タワー近くにあるいとこの家に居候しながら、ハローワークに通い、そのときにヘルパーの資格もとりました。でも、そのときは、ヘルパーになろうなんて考えてもいませんでした。あるとき、いとこに「私、何の仕事をしたらいいかな」と言ったら、「息子さんがしっかりと道筋をつけてくれているじゃない」って言うんです。「なんで介護の仕事をしないの?」って。ああ、そういうことなのかなと思って、近所のヘルパーステーションを受けたらそこで採用になって、そこからいくつか事業所を変わって、今のところが3社目です。

 重度の介護には慣れているはずでしたが、やはり家族とそうでない方では、全く違います。まず、気持ち、責任感がやっぱり全然違う。それに同じ気管切開の人でもやり方も違うし、最初はものすごく緊張しましたね。今でも初めてのお宅はとても緊張します。

相手の気持ちを考えて仕事をする

 実は、訪問先の方が亡くなっていたという経験をしたことがあります。苦しまれた形跡もありました。そのとき、私は「ああ、選ばれちゃったな」って。そう思ったら急に冷静になって、社長に連絡し、その後、警察の方もいらっしゃいました。事務所の人が来るまでの15分間、私は昨晩から替えていなかっただろう、おむつを替えたんです。あまりにひどい状態だったので。でも、亡くなっている方に警察が来る前に触れてはいけないこともわかっていました。交換している最中も「社長に怒られるかな」とか、「警察に何か言われるかな」と考えていました。それでも亡くなった方がこんな状態でいるのはいたたまれなくて。警察の方にも正直にお話ししましたが、何も咎められることはありませんでした。訪問介護をしていれば、いつかこういうことが起きるかもと思っていましたが、今でも時々思い出す光景です。

 でも、訪問介護の仕事をやめたいとは思いませんでした。それに変わっていると言われるのですが、私は重度の方の身体介護をするほうが、家事援助などより好きなんです。分刻みで、テキパキと仕事をこなしていくよりも、じっくりとご利用者の方と向き合いながら介護したいんです。息子に対してやり足りなかったところを埋めたい、そんな思いが当初はあったと思うんですが、今は違います。あの当時の私に出会えるなら、「それでいいんだよ。よく頑張っているね」と伝えたいくらい。認知症の方やほとんど意思疎通ができない方でも、じっと目を見て、ゆっくり話しかけたりお世話をしていると、ふと「いつもありがとう」と言ってくださったり、優しい目で微笑みかけてくださる。大変な仕事だけれどやっていてよかったなと思う瞬間(とき)ですね。

 前の事業所で、先輩ヘルパーさんについていったときのこと。仕事の早い方で予定されていた家事などが終わっても時間が余ってしまったんですね。それでどうするのかと思えば、ご利用者の方の背後にずっと立って、時間がくるのを黙って待っているんです。ご利用者の方も落ち着かないだろうなと。訪問先はいろいろな方がいて、家事なんかいいからおしゃべりしたいというような方もいます。そんな方とは、家事をしながらお話をします。ヘルパーの仕事は大体やることは決まっていて、それはやらなければならないけれど、お宅に一人で訪問するということは、現場で考えて判断しなければならないこともたくさんあります。決められた仕事をこなしながら、相手の方がどうしてほしいのかという気持ちを汲んでする訪問介護のほうが、私は好きだし、合っているなと思います。

 あと、家族で介護されている中にはあまり大事にされていないなと感じることもあります。私は幼い頃に両親が離婚して、父方に引き取られ、そこにいたおばに虐待を受けていた経験があるんです。だから、目つきとか態度とかで、「ああ、この人は大事にされていないんだな」とわかってしまう。下着とかの清潔さでもわかります。家族の方も家で介護をされているくらいですから、想う気持ちは絶対にあるんです。でも、疲れが溜まれば誰でも虐待とまではいかなくても、苛立ってしまうことも多々あると思うんです。だからこそ、私たちのような者が入ることも大事なのかなって思いますね。

 以前、息子を介護していたとき、先の看護師さんが「私たちが来ているときは、隣の部屋で寝ていてもいいし、友だちとランチしていてもいいのよ。そういう時間をつくるために来ているんだから」と言ってくださって、ずいぶんと気が楽になりました。私もそんな存在になれたらいいなと。

一つひとつの出会いを大切にしながら

 今の事業所は3社目なんですが、いい意味でゆるいところが気に入っています。私たちヘルパーが提案したことを積極的に採用してくれますし、ご利用者の方のイレギュラーなお願いも四苦八苦しながら、何とか入れるように頑張ってスケジュールを組み直したりなど。人情味があるっていう感じでしょうか。人情味と言えば、何度か辞めたいと思ったとき、部長が「お昼でも食べに行かない?」と声をかけてきたんですね。いろいろと話を聞いてもらっているうちに、なぜか「よし、ここでまた頑張るか」って気分にさせられてしまう。聞き出し上手、あれは「魔法」ですね(笑)。

 2011年に介護福祉士の資格を取りました。あるとき、介護のことで介護福祉士の方とお話ししていたら、自分の知識量がなくて悔しい思いをして、それで一念発起して取ったんです。「あのときのひたむきさが学生のときにあれば」と思うくらい必死で勉強しました。やはり、知っていたほうがよかった、ということがたくさんありました。以来、「学び癖」がついて(笑)、介護職員等による喀痰吸引、胃ろう又は腸ろうによる経管栄養等行為の基礎研修、同行援護従事者養成研修応用課程、 認知症ライフパートナー基礎検定と受けて、それぞれ合格しています。事業所も後押ししてくれて、費用も持ってくれました。

 ヘルパーさんというと大変な仕事って思われがちだけれど、どんな仕事も大変なことはあるわけで。若い人にももっとチャレンジしてほしいなと思います。私は重度の人の身体介護が向いていると思っているけれど、人はそれぞれ得意分野があるはず。ご利用者の方もおしゃべりなどせずにテキパキ動いてくれる人がいい人もいるし、そういうところの配分は事業所が考えてくれること。だからあれこれ考えすぎないで飛び込んできてほしいですね。ご利用者の方には「早く死にたい」という方もいるんです。でも、そういう方には、「長く生きてくださったから、この出会いがあった。この出会いに感謝している」と伝えています。誰かが言っていた言葉ですが、いいなって。そんな気持ちでご利用者の方とお付き合いしているんです。

痰吸引をしている萩原さん

インタビュー感想

 とにかく仕事がプロフェッショナル。自分を律することを常に忘れない姿勢、どんな職業でも大事なことだなと痛感…。たくさんのご苦労をされてきていますが、すべてを受け入れて、呑み込んで、前に向かって生きていこうとする姿には、心の底から敬服します。仕事でもプライベートでも、チャレンジしていく姿勢は見習わなければ!

【久田恵の眼】
 家族を介護した方が、その後、介護のプロフェッショナルとして生きていく。そういう方がたくさんいます。家族介護は、身内だからこその独特な葛藤があります。介護を終えた後、多くの人が自分はちゃんとやれたのだろうか、という思いに苦しんだりもします。でも、その葛藤をくぐり抜けたからわかる、身をもって体験したからわかる、そんな世界でもあるわけです。相手の気持ちに寄り沿うようにして向き合う、萩原さんの言葉は、深いですね。