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福祉の現場で思いカタチ
~私が起業した理由わけ・トライした理由わけ

介護や福祉の現場で働く人たちはもちろん、異業種で働く人たちのなかにも、福祉の世界で自分の想いを形にしたいと思っている人は、実はたくさんいます。そして、今、それを実現できるのが福祉の世界です。超高齢社会を迎え、これからますます必要とされるこの世界では、さまざまな発想や理想のもとに起業していく先達が大勢いるのです。そんな先達たちは、気持ちだけでも、経営だけでも成り立たたないこの世界で、どんな思いで、どんな方法で起業・トライしてきたのか、一か月にわたって話を聞いていきます。行政への対応や資金集めなど、知られざる苦労にも耳を傾けながら、理想を形にしてきた彼らの姿を追います。


●インタビュー大募集
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までご連絡ください。折り返し、連絡させていただきます。

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花げし舎ホームページ:
http://hanagesisha.jimdo.com/

プロフィール久田恵の主宰する編集プロダクション「花げし舎」チームが、各地で取材を進めていきます。
久田 恵(ひさだ めぐみ)

北海道室蘭市生まれ。1990年『フイリッピーナを愛した男たち』(文藝春秋)で、第21回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。
著書に『ニッポン貧困最前線-ケースワーカーと呼ばれる人々』(文藝春秋・文庫)、『シクスティーズの日々』(朝日新聞社)など。現在、読売新聞「人生案内」の回答者、現在、産経新聞にてエッセイを連載中。

第65回①
神馬幸子さん スペースひだまり
40歳を過ぎて飛び込んだ介護の世界。
「根拠のある仕事」を意識することが、一人ひとりに合う支援になると知る。

神馬幸子さん
スペースひだまり
横浜市神奈川区六角橋2-30-2

神奈川県横浜市生まれ。2人の子どもが手を離れた40歳の頃、介護ヘルパー2級を取得。認知症専門のデイサービス勤務を経て、横浜市の地域ケアプラザに移る。52歳で独立。2019年、株式会社つながり代表取締役となり、認知症対応型通所介護「スペースひだまり」を開所する(現在は横浜市の六角橋と片倉の2か所を運営)。居宅介護支援事業所「ひだまり+」に加え、2023年には、地域に「屋根のない長屋つくり」を目指す「株式会社たぬきち商事」の立ち上げメンバーとなる。社会福祉士・介護支援専門員。

 取材・文:原口美香

―現在、横浜市の六角橋と片倉の地に認知症対応型通所介護「スペースひだまり」を運営している神馬さんですが、介護と関わるようになったきっかけから教えてください。

 学生の頃は福祉に触れたことがなく、祖父母も病気をしてちょっと寝込んだ後に亡くなってしまったので、介護に対するイメージもないまま大人になりました。
 横浜の商業高校を卒業した後、一般企業に就職して興味があったコンピュータ-を取り扱う部署で働いていたのですが、今の旦那さんと出会って早々に結婚退職しました。
 私は父と早くに生き別れていて、母が再婚を繰り返しているような家庭で育ったので、結構大変なことが多かったんです。だから自分の子どもには寂しい思いをさせたくないという気持ちが強くあたので、下の子どもが小学校6年生になるまでは在宅でできるPOPライターの仕事をしつつ、専業主婦でした。子どもと向かい合って丁寧に育ちあいたい、というのは私の中で大きな希望だったのです。

 子どもたちが高校生になって、しっかり働く時間ができてからはスーパーや、家電量販店でパートを始めました。ところが、その頃からリーマンショックなどの影響でだんだん景気が悪くなってきたのです。POPライターの仕事も好きで続けていたのですが、一番先に切られてしまうだろうと思いました。
 そんな時に横浜市主催で「介護ヘルパー2級の資格を取りませんか?」と講座の受講を大々的に募集していたのです。母が病気で入院していてトイレの介助が上手くできなかったこともあって、自分の技術のためにも、今後の仕事のためにも学んでおこうと思い講座を受けに行くことにしました。スーパーでのパートは続けながら、週1回学校に通いました。
 資格を取った後は、認知症専門のデイサービスでパートを始めました。最初は体力的にきつかったのですが、子どもたちもそれぞれ受験や部活を頑張っていたので、後押しされるようなところもあって何とか乗り切れました。

―お子さんの力というのは大きいですね。

 4年後には、知人が働いていた横浜市の地域ケアプラザにデイサービス生活相談員として就職しました。そこでは本当にいろいろ勉強させていただいて、ケアマネや社会福祉士の資格も取ることができ、デイサービスの管理者をやらせてもらったり、介護老人福祉施設のケアマネをやらせてもらったり、たくさんの経験を積ませてもらいました。

 その時の上司に「介護でも地域のことでも認知症のことでも全部、根拠のある仕事をしなさい」とアドバイスをいただいたのですが、それ以来何をするにも根拠を考えるようになりました。今自分がやっていることにどういう意味があるのか。認知症のケアの方法はもちろんですが、その人が普段どういう生活をしているのか、これまではどんな生活をして今があるとか、ちゃんと調べて、見たり聞いたり一緒に時間を過ごして感じたりということを一つ一つ大切にやっていかなければいけないなと。時間がかかることですが、その人が生きてきた道を大事にして初めて、その人に対しての行動や支援の仕方が変わるのだと知ったことは大きかったと思います。

―人それぞれに合う介護の仕方があるということですね。
 次回は独立までのことをお伺いしていきたいと思います。

六角橋「スペースひだまり」 増築したサンルーム(左)には燦燦と光が降り注ぐ。