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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

だいじょうぶ!


 「1億総活躍」とか「介護離職ゼロ」が打ち出されて久しいが、一方でそれを下支えする「待機児童の課題」や「介護職の人員不足」が国家的課題となっている。

 結婚をして出産。子育てしながら働きたくても、社会的に子どもを育む仕組みの量が不足していて復職できない人たちがたくさんいるようだが、身近にもいる。

 子どもが生まれて六カ月になり、何とか保育園に入ることができた。ところが、子どもが不慣れな環境で泣きやまず、保育の専門職から「泣きやまない子どもだと預かれない」と言われ、復職できない職員がいる。

 また僕らの業界でも、親が認知症になり、路頭に迷った配偶者や子が、やっとの思いで介護保険の申請・介護事業にたどり着き、藁にもすがる気持ちで委ねたものの、自宅から他の場所に移された認知症の状態にある親にとっては何が何だかわからない中で、声を出したり粗暴になったり、ひどく混乱したり、家に帰ると行動したりとなり、「これでは利用していただくことはできません」と介護事業者から言われた話を聞く。

 こういう状況下でこそ大事なことは、子どもを保育園に委ねた親、要介護状態の親を委ねた子に、保育や介護の専門職が、どうやったら「不適応を速やかに適応した状態にもっていけるか」の視点から共に考え模索する言葉かけをすることで、どうしていいかわからず困っている人を突き放すような言葉をかけることではないはずだ。

 僕の子は託児所に通わせたが、そこでも泣き続ける子どもがいて、その子の親にしてみれば「子どもに申し訳ない」とは思いつつも働かねばならない状況で、そんなとき子どもを託児所に送り届けるたびに、保育士から「大丈夫よ」と言ってもらっていたことが心の支えとなったと話していたし、事実その子も時間の経過とともに適応した。

 単に親の気を晴らすために「大丈夫」と言っていたのではなく、きっと保育の専門職としての見識・見通しがあったからこそ「大丈夫」と言葉かけしたのだろう。

 医師は「治療にのらない」と言い、介護職は「サービスにのらない」と言い、保母は「保育にならない」と簡単に言うが、「のるようにする・なるようにする」のが素人とは違う専門性をもった専門職で、ひとまずは困惑している親や子など家族に対して「大丈夫ですよ」と言葉かけできるようになることが専門職としての入口・プライドではないか。

 まだ認知症が世の中でよく知られていないとき、自分の配偶者(旦那さん)が認知症になった方が、配偶者を連れて全国の名だたる病院を渡り歩いたが心休まらず、地元の保健師に相談に行き、僕にたどり着いた。
 会いに行くと、部屋の中をウロウロして箪笥の引き出しを開けたり閉めたりする旦那さんの横で、やるせない気持ちを涙ながらに吐き出してくれた母ちゃんの横で、じっと聞いた。
 ひととおり話を聞いた後で「何があっても大丈夫ですから」と言葉をかけデイサービスに通っていただくことになったが、数年後に「その言葉で自分は救われた」と妻が家族の会で話してくれた。

 一番目に関わる専門職の言葉は重く、専門職が専門職としての仕事を果たさねば、国が大上段に掲げた目指すべき姿は遠く、活躍したくても活躍できない、離職したくなくても離職するしか道がない社会で留まってしまうだろう。

写真

 街に出ると面白いものや事に出くわします。
 僕は建物や乗り物が好きなだけに、そこに目を向けるしカメラも向けてしまいます。
 畳半分の幅のお店、「この中はどうなっているのかな?入ってみたいな、開いてないならまた来てみたいな」なんて思いを巡らすだけでワクワクします。

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