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和田行男の婆さんとともに

和田 行男 (和田 行男)

「大逆転の痴呆ケア」でお馴染みの和田行男(大起エンゼルヘルプ)がけあサポに登場!
全国の人々と接する中で感じたこと、和田さんならではの語り口でお伝えします。

プロフィール和田 行男 (わだ ゆきお)

高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。
特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は株式会社大起エンゼルヘルプ地域密着・地域包括事業部 入居・通所事業部部長。介護福祉士。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

「まさこ」と呼んで


 ご質問が届きました。よく受ける質問です。
 デイサービスで、利用者さんを「○○ちゃん」と呼んでいました。○○ちゃん、じいちゃん、ばあちゃん…。問うと、その利用者が「そう呼んでほしい」と言ったみたいなのです。

そのことを議論すると、入所施設はそこが「家」だから、本人が○○ちゃんと呼んでほしいのなら、それはそれでよいのかもしれないが、デイサービスは家ではないため、呼び方は改めたほうがよいのではないかという意見があがりました。

 人自分は、一緒にいる他の利用者さんが不快に思うのなら辞めたほうがいい気がしますし、不快に思う利用者さんに説明して理解を得られれば良いとも思うし、和田さんはどう思われますか。

 まず「呼び名」と「呼ばれ名」を区分けして考えてみましょう。
 僕が言う「呼び名」は、本人が決めた「名」ではなく、周りが決める「名」を指します。

 おそらく出会った当初は「名字にさんづけ」で呼ぶことが一般的でしょうが、これも関係が深まってなお「名字にさんづけ」で呼んでいるとなると、本人が承知した「呼ばれ名」と言えるでしょう。

 実際には関係が深まってくると、本人のほうから「和田さんじゃなく和田でいいよ」とか「先生は止めてくれないか」とか、酒の席で「わーちゃん」と呼ばれて「それ、ええな。これからはわーちゃんで、よろしくね!」なんていうように、「呼ばれ名」をチェンジしてもらいますが、それもこれも自分の意思に基づきますね。

 あわせて「社長と社員」の関係でも、仕事を離れたときは「ハマちゃん」「スーさん」なんて呼び合いますものね(映画「釣りバカ日誌」より)。

 大事なことは「本人の意思や気持ち(本意)」が、呼ぶ名前に込められていることで、それが僕の言う「呼ばれ名」です。

 こうして整理していくと「介護事業はサービス業だから、お客様のことはどなたに対しても『様』づけで呼ぶように」という事業者があると聞きますが、これは「本人の意思や気持ち」とは無関係に呼ぶ側が決めている機械的な呼び方で、差し障りがなくマイナス評価を受けることはないでしょうが、ものごとの基本が間違っていると僕は思います。

 では僕のところではどうしているかと言うと、入居系であろうが通所系の事業所であろうが、「どう呼んでもらいたいか(呼ばれ名)」を最初に本人に聞くようにしています(アセスメントですね)。

 本人が言えない場合は家族など周りの者から聞きますし、身寄りがいなくて周りから聞けない場合は、一般的な「名字にさんづけ」でスタートします。

 例えば、○○みつこさんは入居前面接時に「みっちゃんと呼んでいただこうかしら、ずっとそうでしたから」と言われましたので「みっちゃん」と呼ばせていただいたし、△△まさこさんは「まさこと呼んでください」と言われましたが、こちらから提案して「まさこさん」で折り合っていただき、責任者である僕だけが「まさこと呼び捨てにしていい」と本人と家族から同意を得ていましたので、その時々に応じて「まさこー」と呼んでいました。

 こうして決めた「呼ばれ名」(アセスメントをして決めたケアプランですね。しかも説明と同意済み)を職員に周知して実施していきます。

 ところが当初決めた「呼ばれ名」がいつまでも有効かと言えばそうではなく、認知症の原因疾患は進行性ですから当初決めた「呼ばれ名」が通じなくなったりします(モニタリングですね)。

 そうすると、再びアセスメントを行います。
 例えば、和田行男さんは「わださん」が当初の「呼ばれ名」だったのですが、そう呼んでも反応が薄くなってきたので「ゆきおさん」と呼んでみたり、家族から昔のことを聞き出し、かつて後輩たちから呼ばれていた「わだやん」を試してみるなど、どの呼び方に反応するかを探ります。

 こうして最も反応が良い呼び方が「わだやん」だったら、これが今の和田さんにとっての「呼ばれ名」だとして、それを家族等の同意を得て(ケアプランの変更)職員間で共有し、以降はそのように呼ばせていただくという流れです。

 うちのある事業所の実地指導で「入居者のことをちゃんづけで呼ぶのは不適切」と行政マンから指摘を受けましたが、ここに書いた理由を説明すると「なるほど」と言っていただけました。

 つまり軸は「本人がどう呼ばれたいか」であり、僕らが「どう呼ぶか」ではないということで、それは「場所」や「事業種別」の問題ではないということです。

 こういう風に言うと「事務的で嫌だ」と言ったように、情緒的な感想が返ってきたりしますが、人は誰もがこうして生きているでしょ?

 誰もが人として自分以外の人間との共存関係において、こうして生きているってことなんですが、そこに専門性をもたせた言い方をしているのと、専門職のすることですから「安定化策」を加えているだけなんですね。

 質問者の事業者・事業所では、利用者をどう呼ぶかについて専門職集団を率いる側の考え方が曖昧で、職員個々人に委ねているようですが、実は一番大事な「入口の考え方」を職員の主観に委ねているってことですから、危ういですね。

 というのも、職員は「個々の利用者に対する個々の感情」を込めて呼ぶようになりやすく、そこに実は自分が利用者に対して「選別」していることに気づけません。

 実際にあった事例でいえば、和田行男さんの呼ばれ名は「和田さん」、佐藤よねさん(仮名)の呼ばれ名は「佐藤さん」、鈴木源蔵さん(仮名)の呼ばれ名は「鈴木さん」と決まっていたにもかかわらず、時が経つといつの間にかスタッフルームで職員が話すときに、和田さんは「わだ」、佐藤さんは「よねちゃん」、鈴木さんは「鈴木さん」と呼ぶようになっていました。

 そこで僕が「なんで和田さんはわだ、佐藤さんはよねちゃん、鈴木さんは変わらず鈴木さんって呼ぶの」って職員に問うたのですが、その場にいた誰も答えられませんでした。いや、答えなかったのでしょう。

 だから僕が代わりに答えるように、「和田さんにはマイナスの感情をもち、佐藤さんにはプラスの感情をもち、鈴木さんには感情が動いていないんじゃないの。名前の呼び方を変えているのは、自分の感情のままなんでしょ。それって選別だよ。わかってやってますか」って投げかけました。

 呼び名の危ういところは「呼ぶ側の感情(主観)に左右されやすい」ことで、それが「選別=虐待」だとは思えないことです。あわせて、質問者が言うように「他の利用者の反応で左右する」というのもおかしな話で、どなたに対しても利用前に、ここでは「こういう理由で、こうしている」ってことを利用者や家族に周知徹底することのひとつが「呼ばれ名」であり、その「こういう理由で」の説明に専門性を感じてもらえるかどうかではないでしょうか。

 皆さんで「これ」を基に議論してみてください。

追伸

 僕の次男坊は本名以外の呼ばれ方をしています。
というのも長男坊とは年子で、次男坊が生まれたときは14か月だったのですが、次男坊が「あー、あー」と声を出すのを見て「あーたん」「あーちゃん」と呼ぶので、僕らも「あーちゃん」と呼んでいました。

 これは本人の意思とは関係のない「呼び名」ですね。
 次男坊が四歳になったある日、あーちゃんと呼ぶと「あーちゃんじゃない」と拒み始めました。

 訳を聞くと「ちゃんがつくのは女で、自分は男だから嫌だ」と言うのです。そこで僕らは本名に近い別の呼び名を使いだすのですが、それから2年たった今は再び「あーちゃん」と呼んでいますし、本人も自分のことを「あーちゃんはね…」と言います。
 四歳の出来事を経た今は、本人が承知の上での「あーちゃん」ですから、立派な「呼ばれ名」になったってことですね。

写真

 まさこと呼んでください。
 そういわれた事前面接時の顔は、こんなステキなおどけた顔ではなく「不安げに強張った顔」でした。
 僕だけは、家族の前であろうが見学者がいようが、時に応じて「まさこぉー」って呼んでいましたが、そのたんびに大きな声で「はぁーい」って応えてくださいました。

 那覇の街並みを彩る街路樹。
 よく見ると、半分は葉っぱのままで半分にピンクの花が。
 前日の北海道が5度で翌々日の沖縄は29度。日本は広いね!