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介護福祉士のしごと体験記

介護福祉士を取得し、これから新たに働くという方、もう働いているけれども有資格者として新たな1歩を踏み出すという方。
それぞれにいろいろな不安があると思います。


そこで、みなさんよりも一足早く介護福祉士になられて現場で活躍されている/キャリアアップされた方々にお話を伺いました。
ここでのお話を参考に、新たな職場・キャリアでのイメージを膨らまし、不安解消に役立てていただければと思います!


サービス提供責任者の仕事で感じた、大変さと「やりがい」

 代表的な居宅サービスである訪問介護では、介護福祉士の資格があれば、訪問介護計画の作成など重責を担う「サービス提供責任者(サ責)」の役目を担うこともできます。

 しかし、中には「介護福祉士の資格を取得しただけで突然サ責の役割を任されてしまった」と困惑している方も多いはず。
 今回は広島県で訪問介護事業を展開されている株式会社ASUの代表取締役、脇坂さんにお話を伺いました。

 実際の「サ責」の仕事の様子について、脳性麻痺で癌を患っていらっしゃったSさんという利用者さんへの印象的なエピソードとともに伝えてくださっています。

脇坂 卓さん

「サービス提供責任者という仕事」

 私の現在の仕事であるサービス提供責任者は、介護福祉士もしくは、介護職員実務者研修修了者であれば、就くことができる仕事です。
 責任者というと、大変な仕事と思われるかもしれません。確かに、楽な仕事ではありませんが、多くの方の「できるだけ自分の家で生活したい」という思いを支えるためにも、訪問介護はとても必要とされるサービスだと思っています。

 日々の主な仕事は、訪問介護員(ヘルパー)の調整や、利用される方の個別援助計画を立てることです。
 介護施設での仕事の経験とは違い、利用される方の自宅で、できる支援を考えることは簡単なことではありません。そのため、利用される方に関わる担当ケアマネジャーをはじめ、他事業所とも密に連携をとることを心がけています。

 そして、たくさんの利用される方々との出会いが、時には失敗する私を成長させてくれていると思っています。
 そんな私が成長するきっかけとなったSさんについてお話したいと思います。

Sさんとの出会い

「とにかく自由に自分の人生を楽しみたい」

 サービス提供責任者となった私にとって、今でも思い出に残っているSさん。
 Sさんは、脳性麻痺のため、四肢・体幹機能障害、言語障害があり、出会ったときにはすでに癌を患っていました。A事業所のB相談員から、当事業所に連絡があり、施設から在宅での生活を希望されているとのことでした。

 初めて会った時、Sさんは緊張している私に、明るく「はいよ!」と元気に答えてくれる方でした。言語障害があるため聞き取りが難しく何度も聞き返す私に、不満な表情一つされずお話をしてくれました。

 そんなSさんにとって、「とにかく自由に自分の人生を楽しみたい!」という思いは、癌を患ったことで「残りの人生を自分らしく生きたい」、「やりたかったことをやってみたい」という強い思いがあったのかもしれません。
 その思いを支えるために、担当ケアマネジャーと当事業所、他事業所を含め24時間365日、不安なく生活できる環境づくりに取り組むための計画作成が始まりました。これが居宅サービス計画(ケアプラン)です。

 ケアマネジャーが作成したケアプランに沿って、当事業所も訪問介護計画を作成します。
この訪問介護計画書の作成が私の仕事の一番の専門性であり、やりがいの一つです。

Sさんの生活の支援のために行うこと

 訪問介護事業所では、利用される方の生活を支えるために訪問介護員がいます。
 Sさんの生活を支えるには、当事業所の訪問介護員だけでは難しいため、急募したり、登録している訪問介護員を探すところから準備がはじまりました。これも大変な仕事ですが、介護職を長年続けていることで知り合いづてで情報がくることで、相談を受けてから10日後には訪問介護員を派遣できる環境が整いました。

 B相談員に連絡し、Sさんを担当する訪問介護員たちと事前の打ち合わせも始まります。その際、多くの質問が出ました。
 さすが訪問介護員、この質問に的確に答えることも私の仕事です。そのためサービス利用が開始する前に、Sさん宅を訪問し、訪問介護員から出た質問をさせていただきました。

 サービス利用開始前のこうしたやりとりは、お互いの信頼関係を築いていくうえで、とても大切なことだと思っています。
 ここでの情報も連携する事業所間で共有することで、サービス開始後の生活の質が悪くなるようなことがないよう努めています。

Sさんへの支援開始

「楽しくて痛みがまぎれることがあるんだねぇ」

 Sさんにとって、初めての一人暮らし。緊張されながらも、訪問介護員の支援が始まりました。
 実際にサービスが始まると、事前の打ち合わせとは違うことが出てきます。その都度、訪問介護員が共有ノートに記入します。私自身も週1回は訪問介護員として支援に入ります。
 実際に訪問介護員が何に困っているのか、何が難しいのかを理解し、共有し合うためにも必要なことだと思っています。

 当事業所の支援によって、利用開始当初、病院への通院が外出の基本だったSさんの生活は、

「〇〇のお店のコーヒーが人気みたい」
「〇〇のスイーツが美味しい」

 など、好きなことへの情報交換となりました。

 そして、数か月後には我慢ができなくなったのか、「明日食べに行こう!」「来月はスイーツ行こう!」など、訪問介護員に積極的にしたいことを言われるようになりました。

 あまり体力がないSさん、私的な外出は月に1~2回と決められていましたが、気づけば1週間に1度はスイーツ巡りや大好きな家電製品を見に出かけるようしなっていました。「楽しくて痛みがまぎれることがあるんだねぇ」と、満面な笑みで言われたSさんの笑顔、今でも忘れられません。

Sさんへの支援の変化

 そんなSさんがサービス開始から10か月後、癌の進行による体調不良が続き、入院を余儀なくされました。制度上、Sさんは病院でも訪問介護員を利用することができます。

 Sさんは障害の状態から、検査をするための機械(CTやMRI)に入れなかったことや、抗がん剤治療が受けられない等、さまざまな要因が重なり、緩和治療を勧められました。
 訪問介護員が行くと、痛みを緩和するための特殊な治療のため、「痛い、痛い」と頻回に訴えられ、苦痛な表情をされることが多くなりました。
 食事量も減り、日に日に痩せていくSさん。病室から見えるお城を写真に撮って見てもらったり、好きなものを買ってきたりと、少しでも痛みが和らぐにために何ができるのか、訪問介護員たちと考える日々でした。

 そして、入院してから20日後、Sさんは家族に守られながら息を引き取られました。
後日、ご家族から、「いいヘルパーさんに囲まれて良かったです。私たちも嬉しく思います」とお言葉をいただきました。

サービス責任者としての役割

 訪問介護では、利用される方の生活に、訪問介護員が関わり、よりよい生活を自宅で過ごすことができるよう支援していきます。
 出会った一人ひとりの方には、それまでの人生があり、こだわりも好みも違います。そのため「介護」には、正解や不正解はないものだと思っています。

 だからこそ、「これからをどうしたいか」という思いを引き出すことが、私の重要な役割だと思っています。
 そのような大切な思いを話してくださるには、話やすい雰囲気づくりや関わり方を身につけなければならないと常日頃から考えています。

 また、支援のなかでは、利用者さんからの苦情もあれば、訪問介護員からの苦情もあります。人間ですから、「性格が合わない」などといった苦情がくることもあります。
 サービス提供責任者になったばかりの頃は、これらの対応にどうしたものかと悩むこともありました。そのとき、未熟な自分だからこそ、何度も話し合うことを繰り返し、目の前にいる相手を理解しようと努力することの大切さを学びました。

ASUの訪問介護員たち(左から二番目が脇坂)

 そうした関わりが、訪問介護員との信頼関係につながっているのかもしれません。

 そして、今では、周囲から「脇坂さんに頼んだらどうにかしてくれると思った」と言われるようになりました。一見なげやりに聞こえる言葉ですが、私にとっては任せてもらっていると感じられる嬉しい言葉です。

これからのわたし

「最後まで家で暮らしたい」

 サービスを利用される多くの方から、この言葉を聞きます。ですが、現在訪問介護員に就職する人が少ない現状があります。施設での介護も大切ですが、その人の生活を在宅で支える訪問介護の仕事には魅力がたくさん詰まっています。その魅力を伝えることが、まずは私がこれからおこなっていきたいことでもあります。

 またサービス提供責任者という仕事は、多岐にわたり、多くの対応をする仕事でもあります。そのため、制度のことなど勉強していかなくてはいけません。
 現在、私の事業所を利用されている方、そしてこれから出会い、利用されるであろう方たちに、よりよいサービスが提供できるよう、日々妥協せず、その方が望む暮らしを追求していきたいと思っています。

「脇坂さんに頼んでよかったわ」、そう言われ続けるサービス提供責任者を目指しています。

株式会社 ASU 
代表取締役 脇坂 卓
(所属・肩書は取材当時のものです)