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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

いつ止めるか、それぞれでしょ!

 だらしのないスモーカーだと、これまでの私はやや呆れ気味に自覚してきました。しかし、この4月中旬から、ついに禁煙に挑んでいます。以来、何と1本も吸うことなく、どうもこのままタバコとは永遠の別れになりそうだと、われながら驚いています。
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喫煙の代償行為のための草々

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 タバコを止める決意を私にもたらしたのは、「健康のため」ではありません。この点もないではないのですが、副次的な要因に過ぎません。昨年まとまった本の原稿を書きながら不愉快で苦痛の極みだと感じたのは、タバコに対するアディクションであり、タバコに支配された喫煙習慣から解放されて自由になりたい気持ちに駆られるようになりました。

 たとえば、原稿執筆に伴う喫煙です。私は、原稿を書き始めてしまえば、1日平均20枚(8000字)程度のスピードで書き進めることができます。ところが、この途中で理論的考察に行き詰ったり、文章の構成そのものを大きく修正する必要に迫られると、どうもいけません。チェーン・スモーカー状態に陥ります。

 また、日常生活のあらゆる行動の節目で、一服吸わなければ次の行動に移れなくなっていた点は重症でした。朝起きて顔を洗う前にまず一服、朝食を食べてはまた一服、外出のために着替えをしては一服、車に乗り込んでは一服…、こんな状態が寝るまでの間延々と続き、毎日の習慣になってしまっていたのです。

 新幹線や飛行機の乗り降りの前後では、まず喫煙できるところを探してしまいます。勝手知ったる駅や空港ターミナルビルならともかく、不案内なところでは、かなりの時間をかけてでもまずは一服できるところを探索し、何としてでも辿りつこうとするのです。

 このような行動様式は客観的にみて不合理であるのはむろんですが、出張の多くなった私自身の主観でも時間と労力の無駄であると感じ入るようになりました。この冬に秋田や苫小牧に行ったとき、駅のホームでタバコを吸おうとしたら、長いホームの端っこに喫煙コーナーが設けられているのです。-5℃を下回る外気の中でも、タバコを吸うために雪の降りしきる長いホームの端まで行こうとする自分を、心底アホらしく思いました。

 ここで冷静に振り返ってみると、一服が「至福のひと時」をもたらすと感じる「間」はほとんどないことに気づかされます。大昔の宣伝文句にあったような「今日も元気だ、タバコがうまい!」心境など水平線の遥か彼方に追いやられ、タバコを強迫的に吸い続ける習慣だけが続いていることにうんざりします。

 これはまさにアディクションであり、ニコチン依存からタバコに支配されてしまった日常を表わしています。どうせ依存して支配されるのなら、「たば子」じゃなくて「悦子」とか「洋子」「典子」「幸子」etc.の方がよほどいいだろうと、タバコからの解放と自由の実現に固い決意を持つに至りました。

 そしてまず、禁煙のスケジュールをたてました。初期段階はできるだけ仕事上の負荷のかからない連休に当たるように考慮して、禁煙外来に臨みました。噂には聞いていましたが、現在の禁煙服用薬は効果てきめんです。

 この薬は、脳内のニコチン受容体(タバコを吸ってニコチンが体内に入ると気持ちいいと感じる部分)に蓋をしてしまうため、最初に1錠呑んで30分ほど経ってタバコを吸ってみると、まずくて仕方なく感じるようになっています。これが先ほどまで吸っていたタバコと同じものなのかと疑うくらい、「タバコのまずさ」が際立ちます。

 服用から最初の1週間はタバコを吸ってもいいのですが、2週目からは禁煙しなければなりません。この辺りのステージにおける試練は、私の場合次のようでした。

 一つ目は、喫煙欲求はこれまで通りなのに、タバコを吸ってみると本当にまずいのですから、大袈裟に言えば「前門の虎、後門の狼」のようなジレンマに陥る点です。もう一つは、ニコチン切れによる軽い離人症のようなものに直面したことです。

 後者は、目で見る光景や耳にする音などが、薄いレースのカーテンを一枚挟んでいるようなリアリティのなさを感じる症状です。これは、以前に禁煙チャレンジした時にも経験しましたし、禁煙に挑んだ私の友人も同じようなことを訴えていましたので、「想定内」のことでした。

 私の離人症的な問題に限れば、遠感覚(聴覚・視覚)のチャンネルでリアリティを減退させていますから、その分を近感覚(触覚・味覚)のリアリティで取り戻したい欲求に駆られる傾向がみられました。平たくいえば、食い気に走るとか、膝枕が欲しいとかの感覚が強くなりました。

 ところが、禁煙薬を服用しながら喫煙の代償行為でごまかしている内に、2週目の3日目(タバコを止めてわずか3日目)から「タバコに囚われなくなっている自分」がいることに気づくのです。それ以降、喫煙欲求それ自体がますます低減するようになり、ガムや飴玉で口の寂しさをごまかすような悪あがきも減少していきます。

 今の私の状態は、仁丹とパイポによる代償行動さえとれば不自由をほとんど感じることがなくなり、タバコから解放されつつある自分に心地よさと自由を実感しているところです。原稿執筆を含む仕事と日常生活行為のすべてから、タバコへの未練が消え去ろうとしています。講演の前後でさえタバコを吸いたいと思わなくなった自分には、正直言って、びっくりしました。体調や顔色のうんと良くなる点も、禁煙継続への意志と快感を強化します。

 ドクターからは、「飲み会を向こう3ヶ月間はできる限り避けて下さい」と申し渡されました。そりゃそうです、旨い焼き鳥でビールを飲んでいる目前で美味しそうにタバコを吸われようものなら、喫煙の誘惑に乗ってしまうリスクは高くなるでしょうからね。

 さて、喫煙と禁煙の両面で、人それぞれの事情と心の運びは多様な姿をとるものと考えます。この点の個別具体性を考慮せずに、タバコを「絶対悪」と措定して、「健康に悪いから」「癌になるから」などと周囲から強迫的に禁煙を説得することには強い疑問を抱きます。このよう説得が禁煙を促進すると考えるのは、筋違いではないでしょうか。あまり勉強のできない子どもに、親が毎日「勉強しなさい」と言い続けることの無意味さと似ています。

 スモーカーだからと言って、今日でも一部に残る根拠のないタバコ擁護論にしがみついているわけではありません。私もタバコの有害さは自覚していました。しかし、スモーカーの多くは「健康に悪いから止める」という因果律で行動を改めることはしません(できません)。喫煙の是非とは別に、それぞれ人にとっての喫煙の意味ができ上がっているからです。

 多様な意味を持つ喫煙が、ニコチン依存と強い習慣性によって日常化し、それがさらにタバコの歴史性・文化性によって強化されているのですから、禁煙に向うためには、それぞれの人にとっての「タバコを止める理由」をはっきりさせる丹念な作業が必要不可欠なのではないでしょうか。

 R.D.トリソン編(逸見謙三監訳)『喫煙と社会―よりバランスのとれた評価に向けて』(平凡社、1987年)は、喫煙問題を医学、生理学、統計学、心理学、哲学、法律学、社会学、経済学の各点から学際的に掘り下げ、「禁止するだけでは解決しない喫煙問題」を「市場経済システムと民主主義の根本に関する問題」であることを明らかにした労作です(喫煙か禁煙のいずれかを単純に擁護しようとする意図のない本です)。

 同書が「タバコは健康に明らかに悪いのだから禁煙するのが当然だ」とするような単純でステレオタイプのアプローチの限界を明示する点は、私もまったく同意します。現在では、一方で、禁煙薬の服用によってニコチン依存を断ち切りながら、他方では、人それぞれの意味を持つ喫煙習慣からの離脱と解放を支援する個別支援のあり方が問われていると考えます。

 ちなみに、私が禁煙を決意した直接の契機の一つは、私から見ても相当にだらしのない身近なスモーカーが3人も禁煙外来に通って禁煙を成就させたことでした。さらに、禁煙をはじめて以降に気持ちを強めたのは、私の主治医がもともとヘビースモーカーであることを知り、喫煙と禁煙の不思議で難しい関係について大いに話が盛り上がった出来事でした。これらは、ちょっとしたセルフ・ヘルプグループ的な機能があったと言えるでしょう。

 私のようなだらしのないスモーカーでも禁煙できそうだ―この事実に触発されて、禁煙に取り組んでみようとお考えになる方が一人でも居れば幸いです。高知のMさんや某出版社のI課長もそろそろ如何です? とてもいい気分になりますよ。


コメント


僕の父と母もかなり煙草を吸っていて、僕も小さい頃から副流煙にまみれた生活を送っておりました。二人ともリビングで吸うものですから洗濯物等々がいつも煙草くさくて、よくクラスのみんなから「煙草臭い」と言われたものでした。(今もたまに言われます。)そして教授の発言にもありました通り、二人とも煙草が体に悪いことを自覚して吸っているものですから「煙草やめたら?」とでも言おうものなら「うるせえ!こっちは好きで吸ってるんだ、好きなもの我慢して長生きなんかしたくねぇ!!」と怒り出す始末。それが反面教師となったのか、僕は「煙草なんて絶対吸うもんか」と幼いながらに心に誓ったのを覚えています。そんな両親だったのですが、今は昔ほど吸わなくなりました。僕が見ていた限りでは二人の間に確固たる禁煙の決意というものは見受けられませんでした。考えられます要因といたしましては二つあります。一つは健康診断の結果。もう一つは夫婦間の仲の良さであると考えます。僕の両親はかなり仲が良いです。だいぶ前に健康診断の結果が返ってきた時に、おそらく何らかの話し合いがもたれたのでしょう。それからというもの、父は粗食に励むようになり、今では夜に炭水化物を食べなくなりました。また、僕の家は亭主関白な家なので、父がそのようなことを始めるのに合わせて、母も食事の用意に今まで以上に気を使うようになったように思います。そのかいあってか、つい先日、健康診断の結果が良くなってたと二人で喜んでいたのを覚えています。なので、それに付随する形で喫煙の量が減少したのだと思います。一人ならば大変なことでも二人ならば乗り越えられるといったところでしょうか。人と人との関係…特に家族や友人や結婚相手との関係は禁煙やそれ以外の人生における重大な決断をするときに重要な役割を果たすに足りえるものであるなぁと改めて認識するとともに、僕自身も決断をする時の手助けとなってくれるような人間関係を創っていかなければと身が引き締まる思いです。すべての出会いに感謝を込めて。


投稿者: BridgeBook | 2013年05月08日 15:33

自分はタバコを吸いたいとは思わないし、タバコをすって損はあっても得なことは何もないと思っています。
自分の周りにもタバコを吸っている人はたくさんいて、その人たちもタバコの害については自覚しているし実際に体力が落ちていたりすぐ息切れをしてしまうようです。
このことからも、タバコには害があるからやめたほうがいい、というのはタバコをやめる理由にはならないのだなと思いました。
教授の言うように本人が何かの理由で本気でやめようと思わないとやめることはできないのだなと思いました。
個人的にはタバコを吸うのは人の自由だと思うし、たばこ税などもあり国の財源にもなっていると思うので今のタバコを排除しようとする社会の流れに少し疑問を感じます。吸いたい人は吸ったらいいと思いました。


投稿者: 魚男 | 2013年07月17日 16:04

わたしの家族はたばこを吸わないし、もちろん私もたばこを吸わないので、私はたばこに対して抵抗があります。今まではなぜ自分の体を痛めつけるようなことを自らし、他人の体にも害を及ぼすことをするのだろうと、喫煙者を見るたびに思っていました。
でも、そのことを自覚しながら吸っている人は少ないし、依存してしまっている人が体に悪いからと言われて禁煙に成功できるのはなかなか難しい話なのだと実感しました。
この記事を読んで、先生のようにたばこを吸わないとなにもできない、たばこに生かされてる状態に苦しんでいる喫煙者もいるんだなと思いました。
喫煙者に体に悪いから禁煙するように勧めることに疑問を抱く先生の意見には納得です。一人一人の心情や状況に合わせてたばこをやめる理由を見つける、私もこれが的確に禁煙に近づく一歩だと思います。


投稿者: ヒヤシンス | 2013年07月23日 00:36

私の兄は昔煙草を吸っていました。私自身は煙草は吸わないのですが兄の煙草を吸っている姿は様になっていてすこしかっこいいと思っていました。
そんな兄が煙草を突然吸わなくなりました。理由は婚約者の方との結婚するときの約束だそうです。兄は以前から禁煙をちょくちょくしてはいましたが長続きしたためしはありませんでした。しかし、結婚を機に禁煙を始めたところ禁煙が成功したようです。
喫煙者にとって禁煙はとても大変なものと聞いておりますが、なにがきっかけで禁煙できるようになるかはわからないものなのだと思いました。


投稿者: やぎ | 2013年07月24日 03:50

喫煙者に対し「体に悪いからやめたら」と諭すことの効力の少なさに納得させられました。幸いなことに(?)私の家族には喫煙者はいません。しかし未来の私の家族が吸わないとは決して言えません。もし相手のことを本当に心配して禁煙を促すことになった際には教授のこの論調を思い出し、たばこの害悪だけを際立てた諭し方にならないように気を付けたいと思います。やめたいのにやめられない、自分を変えなきゃいけないとわかっていても変えられない、といったことは現実に多く見受けられます。彼らに対し通り一遍の措置をとるというのは事態を収束させるどころか、悪化させてしまうこともあると思います。相手の個別的事情を十分に加味しながら、本当の意味で相手に寄り添いながら措置を取れるような人間になりたいです


投稿者: kiko | 2013年07月24日 09:19

私の父はタバコを何十年吸っていました。でも、家にいる時、私と母は受動喫煙しないために、父がいつもベランダかトイレに吸っていました。タバコを止めようと何百回話して、やってみましたが、体重が増えて、口に炎症も起こって、諦めました。去年、父の一番仲良い友達が肺癌になりました。病院から見舞って帰って、次の日は「タバコを止めます」って、母と私に告白しました。私と母は「今回、多分1ヶ月ぐらい続けられる」と思っていました。だが意外に、父は本気にやりました。私は日本にいるですけど、母は中国の家のソファーにロリポップを見つけました。母は父に「これはなんですか」と聞いて、父は恥ずかしくて何も言わないですが、夜も堂々にロリポップをしゃぶって、テレビを見ていました。現在、父も永遠にタバコと別れました。目の前に起こらない悲劇は悲劇ではないという考え方は、悲劇が起こることの原因だと思います。


投稿者: C.R. | 2013年07月24日 11:43

「健康のため」ではなく「解放されたいから」という理由なのが先生らしいなあと思いました。今までそんな風に禁煙のことを考えたことはなかったので、すごく納得しました。この文句で禁煙を訴えると多分禁煙しようと思う人も増えると思います。(笑)
でも、先生の禁煙中の症状を読んで、喫煙は本当に体に悪いし怖いものなんだなあと改めて知りました。
今の時代、喫煙者は本当に肩身が狭くなってきていますね。本人の自由ではありますが、たばこを吸わない私からすると、ただ、必要のないものなのではないか、と感じるばかりです。


投稿者: アニー | 2014年01月28日 19:36

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

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