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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

ソーシャル・メディア小括(2)

2 ソーシャル・ネットワークについて
 一つ目は、ソーシャル・メディアを通じて個人が多彩な言説の空間に開かれる点についてです。ここでは、所属する組織内の言説空間に閉ざされない自由を民衆が手にする意味のあることに留意しなければなりません。それは、言論の流通速度と多様性の点で紙媒体をはるかに凌駕しています。

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 たとえば、学校や職場のトップの権威や言説は、今や不断に相対化されています。首長・学校長に社長等の訓示や挨拶は、長いだけで内容がくだらないのであれば、以前のように限られた小集団の不満にとどまることなく、社会的な「つぶやき」として即座にネット空間の餌食にされています。特定の組織内言論は、ソーシャル・ネットワークの批判に対する応答性と説得力をもたない限り、社会的な力を喪失してしまうのです。

 組織の長や年配者の発言だからといって、とりあえず尊重しなければならないとする考え方はまったく通用しなくなりました。激しい時代変化の中では、先行世代の経験はすぐさま陳腐化しますし、ソーシャル・ネットワークの開かれた言説空間は、老若男女を問わない対等・平等性が貫かれるからです。

 そこで、組織内の会議内容や情報の積極的な開示は、必要不可欠なものとなりました。ある組織の長や行政機関の審議会・委員会における委員発言などは、関係者からのメーリング・リストを介し、そこかしこに出回っているのが今日の現実です。

 このようなソーシャル・ネットワークの運びを、権威主義的ヒエラルヒーや規則によって管理統制することは、児童生徒・保護者・障害のある人をはじめとする民衆や従業員をアンダーグラウンドの世界にもぐらせて不満を鬱積させるか、意欲・士気を低下させることに帰結するだけに終わります。

 したがって、学校、企業、役所、社会運動団体などのあらゆる組織において、20世紀型の従来の組織論は変更を余儀なくされています。自由な言説空間を介したソーシャル・ネットワークを踏まえた新しい組織論が、営利組織・非営利組織・行政機関・社会運動団体のいずれであるに拘らず、それぞれの存亡に直結するテーマとなりました。

 とくに、社会福祉領域の業界の中では、ソーシャル・ネットワークによる社会変化について無頓着な傾きが強いと感じます。少なくとも、中野勉著『ソーシャル・ネットワークと組織のダイナミクス』(2011年、有斐閣)は、参照していただきたいと考えます(ただし、私がこの本の内容に納得しているわけではありません)。ホームページを組織として立ち上げておきながら、つまらないスタッフ・ブログを放置し、更新を長期間していないなんていうのは論外です。それだけで社会的信用を無くしているといっていいでしょう。

 ある同業者から聞いたあるエピソードがあります。某大学では「大学の未来に危機感をもつ学長」が、全教職員に押しつけがましい内容のメール・マガジンをしばしば送りつけていたそうです。これはソーシャル・メディアの活用方途を根本から誤ったものですから、多くの教職員は、「学長のメール・マガジンを全く読むこともなく、ゴミ箱に直行させていた」と聞きました(大笑)。

 このようにして、社会と組織の構成は一元的原理では保てなくなるため、多元的な価値や原理を前提しない組織建てはもはや不可能な時代となりました。パターナリズムや権威主義のはびこる組織、一元的な価値にもとづく歴史と伝統を誇示する団体、がちがちの規則と上意下達を絶対化するような組織建てのすべては、もはや時代錯誤の何ものでもありません。

 しかし、それではどのようにして多元的な価値から組織戦略の一致点を明らかにできるのかについては、しばらく模索の時代が続くように思えます。地域活動や福祉の世界では、企業社会のアライアンス(企業体の連合)とは相対的に異なる社会的連合のあり方が、ソーシャル・ネットワークを通じて模索されていく運びとなるでしょう。

 二つ目は、ソーシャル・ネットワークの目的と機能の曖昧さについてです。
 ソーシャル・ネットワークは、20世紀にはあり得なかった人間の新しい交通様式を産みだしています。ここでは、親密圏と公共圏のあり方の変更を不可避とするため、家族・地域社会・社会組織(企業や社会福祉法人、役所、学校等のあらゆる組織)から国家に至るまで、歴史的転換の生じることは間違いないものと考えます。つまり、ビジネスと社会運動の両面を含む近代以降の社会秩序の枠組みを、根本から変革していく可能性を秘めているものと考えます。

 しかし、ソーシャル・ネットワークが「アラブの春」を産みだす力になった一方では、アメリカの医療保険制度の創設に反対する「ティー・パーティー」もソーシャル・ネットワークによって世論を高める戦略をとっていた事実を確認することができます。つまり、ソーシャル・メディアの発展によるソーシャル・ネットワークの創出がすなわち社会の発展をもたらすと考えることはできないのです。A.グラムシのいう「陣地戦」がソーシャル・メディアの言説空間にまで果てしなく広がったようにも思えますし、民衆にとって、ソーシャル・メディアと既存のマスメディアの望ましい関係性や棲み分けの確かな方向性が、未だ見えてこないのも事実です。

 新聞や雑誌の売り上げ低迷の続く中で、米ニューズ・ウィーク誌の電子版への完全移行はわが国でも大きく取り上げられました。多くの雑誌が「同じ運命をたどるだろう」とする予測もあるようですが、そう単純な運びとはならないでしょう。

 紙媒体のものは、書き手と編集者が手間暇かけて取材と内容の掘り下げを行ったもの、まとまった理論書に代表されるように様々なページを開き顧みつつ読み進まなければならないものは残るように思います。内田樹さんが『街場のメディア論』(2010年、光文社新書)で指摘するように、本棚に置けるという存在様式そのものに書物の意味がある点(たとえば、今すぐには読めないのだが、いつか必ず「読みたい書物」として本棚に置いておく意味があるなど)も看過できません。しかし、高齢化の進展を考慮すれば、自由に文字を拡大できる電子書籍のニーズは、どのような内容のものであれ高まっていくのも必然です。

 出版社は、企画と編集に理論的見識・市民的良識・独自性の三拍子が揃い、かつ創造すべき社会文化的価値への確信と自覚の鮮明さがなければ、生き残りの可能性が著しく低下していくでしょう。消費文化的価値(資格ものや仕事術ものはこれに該当します)への偏重は、「売れ筋」にこだわる旧来のビジネスモデルに過ぎない戦略であることを肝に銘じるべきです。

 この間、私がゾクッとし、さまざまなところで取り上げられた出版企画の中に、たとえば集英社の『戦争×文学』(全20巻、別巻1)コレクションがあります。「少年ジャンプ」や「週刊プレイボーイ」をも発行している出版社の奥行きの深さに対し、感心さと天晴れな思いが込み上げてきます。時代認識を明確にした上で幅広い読者のニーズを知悉し、新たな文化的提案のできる力が出版社の企業戦略の要にあることを提示しているように思います。

 たとえば、「中高年ジャンプ」「週間高齢者プレイボーイ&ガール」という週刊誌を出しながら、『高度経済成長×社会福祉コレクション全20巻』、『戦争×社会事業・厚生事業コレクション全20巻』、『厚生官僚の良識×政治家の堕落コレクション全20巻』なんて企画が書店やアマゾンに並べば、飛ぶように売れると思うのですが…。

 少なくとも、速報性の求められるテーマや記事については、紙媒体の生き残りは相当難しいのではないでしょうか。国際的な学会誌や大学の研究紀要の多くがすでに電子化されていることを考慮すれば、研究成果の迅速な流通と活用が求められる単独論文の電子化の流れは不可避です。法制度の新たな成立や改正による法文・解説書の分野でも、すでにソーシャル・メディアによる流通革命が起こりつつありますし、ここに価格革命(低価格化)が加われば、紙媒体のビジネスモデルは可及的速やかに終わることでしょう。

 新聞も大幅な変革を余儀なくされます。通信社の配信記事や記者クラブに胡坐をかいたまま、独自の取材と手間暇かけた議論をじっくり掘り下げる組織的プロセスを喪失しがちであれば、これからの20年に新聞メディアが続くことはないでしょう。3年前に話題となった官房機密費の新聞記者への流れさえ掘り下げることのできないマスメディアの存在理由は、すでに地に堕ちているのではないでしょうか。

 昨今のスポーツ報道を吟味すると、ワールドカップやオリンピックはむろん、プロ野球やJリーグでさえ、新聞報道の意味はほとんどなくなっているのです。学生にヒアリングをしてみれば、スポーツ報道で新聞を主たる情報源とするのは皆無に等しい現実であることが分かります。スポーツの報道紙面は、オジサン世代の喫茶店の暇つぶしに活用されている程度に過ぎません。

スポーツ領域は、テレビとソーシャル・メディアによる速報性とリアルな動画情報に、紙媒体が太刀打ちできないのは明白です。インターネット情報で事足りるテレビ番組欄の廃止を含め、新聞ならではの情報価値の追求とソーシャル・メディアとの棲み分けを明確な戦略とする以外、新聞が生き残る未来はありません。新聞社の現在は、小売業における百貨店のような位置にあるのでしょう。

 ソーシャル・メディアには、人間の自由と連帯に関する未来への可能性が存在します。今の私に明確な体系的議論を提示することはとてもできないのですが、少なくとも個人主義思想にもとづく従来の自由(財産権や経済活動の自由を核とするもの)にとどまるものではなく、新しい型の社会的自由を希求しているように思えます。いうなら、自由と連帯の新しいあり方が、歴史的に創出される潜在的可能性があると考えています。

 障害者の権利条約第12条に基づく成年後見制度のあり方の抜本的刷新は、まさにこのような志向性と通底するものではないでしょうか。障害者の権利条約を実質化する課題にしても、20世紀型の「日比谷公園に何人集まったか」というスタイルの社会運動はさほど大きな意味をもたなくなり、ソーシャル・メディアを介したソーシャル・ネットワークの力を如何に創出し結集しえたかの度合いに応じて、新しい型の国家と社会の責任が民衆的な自覚をもって明らかにされながら、未来に接近していくのではないかと考えます。

 皆さんにお知らせです。ここで、この間の激務から解放していただき、少なくとも3月末まで、このブログをお休みすることにしました。4月からまた皆さんにお会いできればと願っています。


コメント


前回に引き続いて、メディアに関するブログだったのですが、今回はメディアと社会との関係性について述べられていたように感じました。私が特に気になったのは、ソーシャル・メディアについて述べられたその2の話題についてです。私も、メディアの発達による新聞や雑誌の衰退には目を見張るものがありました。でも、私が最近思うのは、そういった何かの発達による何かの衰退というのは、悪いことではなく、新しい伝統の始まりだということです。


投稿者: オリンピア | 2013年01月20日 17:14

今回もソーシャル・メディアについてのお話ですが、新聞の衰退は私も感じています。今は、インターネット上で多くの情報を得ることが出来ますし、若い人たちの中では新聞を読むという習慣がない人が多いのではないでしょうか。わざわざ新聞を購入して読まなくても、他に新聞よりも速く、多くの情報を知ることが出来るので、新聞に相当の魅力がなければ購入する必要がありません。なので、新聞ならではの情報価値の追求とソーシャル・メディアとの棲み分けを明確な戦略とする以外、新聞が生き残る未来はないということはまさしくその通りだと思います。


投稿者: サセム | 2013年01月23日 13:46

ソーシャル・ネットワークの台頭がめざましいというのは自分自身の生活の中でもよく感じます。現に私はここ最近、必要な情報はほとんどインターネット上で入手します。自分が必要だと思ったとき必要な情報を得られるというのはとても便利で魅力的なものです。また、掲示板等にはさまざまな人の意見が書かれていますが、それと比べて従来のマスメディアは特定の視点からのみの報道が多いので民衆の意見をコントロールできるという意味で非常に危険です。このような理由からも現時点ではソーシャル・ネットワークが優勢と感じます。


投稿者: ウガンダ | 2013年01月25日 02:46

ソーシャルメディアの利便性については疑う余地がありませんが、今現在それを使いこなせている人間が少なすぎるように感じます。新聞や書籍の代わりにソーシャルメディアから情報を得ることに関しては、紙の媒体に比べて安価で簡単な方法であることは確かですが、その反面情報提供の責任が比較的軽くなるので情報が不確実である場合があり、また一度に大量の情報が得られるため、その中から情報の取捨選択をするのは情報を受け取る側の仕事になってきます。これほどメディアリテラシーが叫ばれているにもかかわらず、ネットの情報をすべてそのまま鵜呑みにしてしまう人があまりにも多いように思います。また情報を発信する側にしても、ブログにあった「大学の未来に危機感をもつ学長」の話のように、一般の人間が発信する場合は単に自己満足や暇つぶしに終始してしまうことが多く、情報発信の場としてソーシャルメディアを有意義に利用するのは難しいことだと思います。これからソーシャルメディアはますます普及し、一般化されていくことと思いますが、きちんと弊害を考慮し、良い面だけを利用していきたいものです。


投稿者: 子龍 | 2013年01月25日 13:10

『ソーシャル・ネットワークの開かれた言説空間は、老若男女を問わない対等・平等性が貫かれる』
この部分がとても印象に残りました。ネットの世界と社会のありかたに矛盾があるのは、学校教育現場の方針と社会の在り方に矛盾があるのと関係しているのかもしれません。とりあえず目上の発言を尊重しようという若い世代が少ないのはそのようなネット社会の影響かもしれませんが、必ずしも悪いことではないと私は思います。


投稿者: t | 2013年01月25日 14:23

私がこの記事を読んで共感したのは、2の紙媒体の衰退についてです。新聞雑誌等の紙媒体の衰退は近年大きくみられ、テレビなどのメディアでも大きく取り上げられているのをよく目にします。海外の学校は図書館の書物を電子化したり、医学を専攻する大学生にiPadなどの電子タブレットを支給し講義を行っているという実践も聞いたことがあります。このような変化をみても、情報や知識を共有する媒体(手段)が変わりつつあるという事実は避けられないことであり、新たなステージに踏み込んだということを周りの環境からも実感します。


投稿者: ma | 2013年01月25日 16:00

私もソーシャルネットワークの台頭がめざましいと感じています。そして、紙媒体の衰退も感じています。特に今の時代、紙媒体がなくてもパソコンやスマートフォンを持っていれば、すぐに情報を得ることができる社会になったと感じています。実際に、このブログを読めているのもネットが繋がっているからです。昔ならば、紙を配布しなければなりませんでした。これからのことから、ソーシャルネットワークの台頭と紙媒体の衰退は平行して起こるものだということにも納得します。


投稿者: 0301 | 2013年07月17日 12:32

今回は主にソーシャルメディアとそれにまつわる新聞などの紙媒体について論じられていましたが、もうひとつの具体例として図書館とWikipediaなどのネット辞書の関係が挙げられるのではないでしょうか。もちろんネットと比べて流通速度や利便性には劣ります。ですが、地域社会における交流の場として人間関係の形成に大きく関わるなど、ネット上では見られない多くの優位性を持っています。今後さらにソーシャルネットワークの発達が見込まれますが、紙媒体がそれ自身の長所を伸ばしていくというのも一つの共存の有り方なのではないでしょうか。


投稿者: ハリー | 2013年07月23日 22:07

ソーシャルメディアと紙媒体について…私は、需要がある限り紙媒体はなくならないと思います。いくら写真の技術が向上したからと言っても、フィギュアのコレクターがフィギュアの写真で満足しないのと同様に、実際に物として存在することに価値がある場合もあるからです。しかし、新聞やビジネス書などにおいては多少分が悪いとは思います。私はニュースはネットで見るのですが、ネットでは当たり前にニュースになっていることもテレビや新聞では報道されていないこともあります。そういったメディアの衰退にはそれらにたいする疑心などもあるのかなと思いました。


投稿者: フレンチレンチ | 2013年07月24日 08:37

ソーシャルメディアと紙媒体について…私は、需要がある限り紙媒体はなくならないと思います。いくら写真の技術が向上したからと言っても、フィギュアのコレクターがフィギュアの写真で満足しないのと同様に、実際に物として存在することに価値がある場合もあるからです。しかし、新聞やビジネス書などにおいては多少分が悪いとは思います。私はニュースはネットで見るのですが、ネットでは当たり前にニュースになっていることもテレビや新聞では報道されていないこともあります。そういったメディアの衰退にはそれらにたいする疑心などもあるのかなと思いました。


投稿者: フレンチレンチ | 2013年07月24日 09:44

 確かに、ソーシャルネットワークの発展は従来より権威や伝統の名の下にまかり通ってきた悪しき慣習の廃止に貢献していると思います。特に3.11の東北大震災以降、TVや新聞のメディアとしての衰退と腐敗が明らかになったのではないでしょうか。
 ある意味、人類の歴史は権威化と腐敗、それに対するアンチテーゼの登場と台頭というサイクルなのかもしれません。そう考えればソーシャルネットワークの登場により、今まで権威に胡坐をかいてきた媒体がその権威を失うのは当然のように思われます。


投稿者: 13PB908 大矢 佳樹 | 2013年07月24日 11:16

ソーシャル・ネットワークが流行してる事実はもはや今疑う余地がないほど明白していると思う。テレビでよく見れるCMの後、必ずインタネットで捜索するキーワードを提示する。新聞で載っている記事もたまに著者のブログのアドレスを書いてある。特に'facebook'や'twitter'のようなソーシャル・ネットワークを利用する人数は毎年増えることは紛らない事実である。これからインタネットの時代に入ると思う人も多いと思う。そこで皆が自由に安全で利用できるため、ルールを作ればならない。言い換えれば、権利を持っている同時にそれに対する義務も持っていること。インタネット安全保障は今後の課題になると思う。


投稿者: Goll | 2013年07月24日 14:08

ソーシャルネットワークという言葉は最近生活をしている上でよく聞きます。そして自分もツイッターやFacebookなどのソーシャルネットワークを使っています。一度に多くの人に情報を発信することができる、このツールはとても便利に思いますが、多くの危険が情報世界にはあると思うので、使い方を気を付けてルールなどを見直し、有効に利用していきたいと思いました。


投稿者: キュロス | 2013年07月25日 12:21

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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