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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

ロールペーパーをはずしてしまう知的障害者施設

 先日、成人した知的障害の子を持つ親御さんたちと議論する機会がありました。その場で出された深刻な問題の中に、トイレのロールペーパーをはずしたままにする(もちろん、ちり紙も置かない)生活施設があるという指摘がありました。

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管理優先の施設の事情
 ロールペーパーをトイレからはずしてしまう施設の事情は、およそ次のとおりです。
 知的障害のある施設利用者の一部にこだわりの強い人がいて、その人がロールペーパー辺りに何らかの執着を持って、ロールペーパーを丸ごと便器に突っ込んでしまう、ロールペーパーを全部引き出してしまう、あるいは、ロールペーパーホルダーを壊すなどの行動を繰り返すことがあります。
 便器にロールペーパーの塊が詰まってしまうと、それを取り除くのに30~40分は職員の手が取られるために、ただでさえ利用者支援に多忙で手の足りない施設には大きな負担がかかります。しかも、浄化槽の施設であれば、積もりつもって浄化槽の修理に至ることを心配する向きもあるでしょう。
 夜勤の職員が仮眠をとっているさなかに、トイレから「カラカラ、カラカラカラ」とロールペーパーを引き出す音が聞こえてくると、思わず「天を仰ぐような」心境に陥るという施設職員の話を伺ったこともあります。ホルダーを壊されては新調するのも「骨折り損のくたびれもうけ」のように思えてくるのでしょう。
 ただし、入所施設の予算規模からいえば、ロールペーパーやホルダーの金額自体は微々たるものに過ぎません。
 しかし、このようなことを繰り返されるのであれば、いっそのことトイレからロールペーパーをはずし、用を足したい人はその都度職員に申し出てロールペーパーを出してもらう「ルール」にしようと、一部の施設は考えてしまうのです。
 これで管理は楽になるでしょうが、弊害はまことに大きい。

問題解決どころか……
 まず、このような問題のある行動を繰り返す利用者は多くとも何人かに限定できるはずなのに、その他大勢の何も問題を起こしていない人たちは、トイレで用を足そうとするたびに不自由を強いられてしまいます。夜中に用を足そうとすれば、仮眠中の職員をたたき起こし、やっとの思いでロールペーパーをもらえるなんて馬鹿げています。「今にも出そうな感じ」で我慢の限界に達しているときでさえ「ロールペーパーを下さい」と申し出なければならないというのですから、耐え難い忍従を強いていることは間違いありません。

 次に、用を足すたびに「申し出る」というルールを活用できるのは、言語的コミュニケーションの面であまり困難のない人に限られます。言語表現に困難の高い人や、ましてやロールペーパーをめぐる問題を起こすような利用者にとっては、「その都度申し出る」ことはできないのですから、用を足したままの状態(お尻を拭くこともない状態)で放置される現実が出てきてしまうのです。
 つまり、このような「ルール」には問題解決のためのいかなる合理性もありません。それどころか、「トイレで用を足す」という生理的生存水準の保障(古典的貧困に対する救貧法的水準!)さえ自分たちの果たすべき仕事と捉えきれておらず、重大な人権侵害行為(障害者虐待防止法からいえば、明白なネグレクトに該当する)を作りだしている施設とさえいえるでしょう。
 では、なぜこのような基本的人権の侵害が施設に出来するのでしょうか。

支援のプロとして
 一つは、施設と施設職員が、暮らしの中の人権を具体的な生活内容と合理的配慮のあり方として理解しきれていない致命的な問題を指摘できます。
 今日的なディーセント・ライフ(人たるに値する現代的生活水準)を基準として暮らしのあり方と支援を考慮するのであれば、トイレに入ってロールペーパーがないという事態を「合理的なルール」と考える「支援者主体の施設」がいかに倒錯しているかを理解できないわけがないでしょう。
 もう一つは、このような現状にある施設にしばしば見受けられるパターンで、「貧しい施設の条件の下で頑張っている」のだが「そこまでは手が回らない」などという考え方に陥りがちな点です。所与の条件の下であれ、必要な知恵と工夫を編み出していかなければならないという課題が、いつの間にか放置される問題です。
 先に述べた「今日的なディーセント・ライフ」の保障が自分たちの職責だという自覚が真に持てているのなら、それを実現するための知恵と工夫を施設利用者の現状にふさわしく創造できなければならないのです。これは、プロとして引き受けなければならない最低限度の責任です。
 たとえば、ロールペーパーをめぐって問題を繰り返す利用者が一部の人に特定できるのであれば、行動障害に関する知見を学び尽くした上で、その人たちへの個別支援計画を重点的に検討し、最適な方針を出し直せばいいのです。あるいはまた、下の画像にあるように、不特定多数の人たちのさまざまな乱暴な使い方を想定して設計された高速道路のSAのトイレ設備からヒントを得て、壊されにくく、かつ、問題行動を引き起こさない合理的配慮(環境調整)のあり方を突き詰めて考えてみるべきです。

宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」2012年4月2日
壁埋め込み式ホルダー-高速道路SAトイレで


暮らしの達人としての「知恵と工夫」―支援者の「知」のあり方
 生活支援に必要不可欠な知恵と工夫とは、ディーセント・ライフを構成する非定型と定型のそれぞれの生活部面に、利用者ごとの個別具体的な障害特性に関する専門的吟味を加えて編み出されていくものです。この複雑な考えの運びを個別支援計画に結実させるためには、支援者自身がある意味では暮らしの達人として「暮らしの中で生きる知」を不断に追究し、支援者間でそのような知をゆたかに交換しあっていることが基本です。ここにいう「知恵と工夫」を編み出す課題は、資格養成のカリキュラムや発達心理学に収まるような「知」のあり方だけでは、とても太刀打ちできるものではありません。
 このような支援者の仕事の実現を深めていくことに喜びを見出せるような職場を創造することなく、支援の創造という仕事のやりがいと手本を幹部・中堅職員が若い職員に提示できないまま、客観条件の貧しさを言い訳の材料にしてきた面がありはしませんか。それはまさに、貧しい福祉文化です。支援者と支援事業者には、実践の内包の充実に立脚して制度の外延的拡大がはじめて実現できるという命題を、今だからこそ受けとめ直す必要があると思えてなりません。


コメント


いつも楽しく読ませてもらっています。今回のお話は施設で働く人たちの陥りやすい思考回路がロールペーパーの事として書かれていました。
「支援」ではなく「管理」になってしまい、管理が出来ない人たちを問題行動のある人と位置付ける短絡的(要は自分たちの力の無さのせいにできない)な考えになってしまいます。施設はこの考え方を変える事によって、この悪循環をいい加減断ち切らなければなりません。
まずは先生の書いてある通り人権侵害になっていないかの点検をする事。それからその人のその行動だけではなく、何に困っているのかを見る事が重要なのかなと思います。
とまあ、偉そうに書いてますが実はかなりの反省があって、言葉を発することができない人たちの願いが理解できず苦しい思いをさせてしまった経験から書いています。基本に戻って人らしく接する方法を地道に考える事や、自分たちの都合で利用者を見ない事や、普通の生活をするためには特殊な専門的アプローチが必要な事を理解しなければと再確認しました。プロとしての自覚。足りないかもしれないなあ。


投稿者: アール・B | 2012年04月25日 17:54

わたしは埼玉大学の教育学部の学生です。先日介護実習で特別老人ホーム(普通の老人ホームではなく、体や言語、知能など様々な障害を持つ方々がいるところでした)に五日間実習に行ってきたのですが、そこでもこの記事と同じようにトイレにトイレットペーパーは設置されておらず、鍵がかかっているトイレの用具入れに常備され、紙が必要になったら職員さんに一声かけて取ってもらうという制度がありました。知能障害が重度の方はトイレの度に職員さんにオムツを変えてもらうようで、全ての人がペーパーが必要な訳ではないのは分かりますが、それでもペーパーを使える人の人権は二の次に考えた制度だと感じました。介護の職場はどこも人が足りず大変なのは分かるのですが、それでも利用者さんの尊厳を第一に考えていかなければいけないのではないかと思います。


投稿者: coco | 2012年05月23日 14:44

金環食のブログからたどり着きました。私も障害者施設に勤めています。行動障害の方が、何に困ったいるのかを推測することが出来ない自分の力量のなさを痛感しています。目の前の現象に振り回されているなと思います。行動のなぜ?を考え続けることの必要性を再確認しました。そあいて「生活の達人」になりたいです。


投稿者: Anonymous | 2012年05月24日 22:02

「障害者に対して、適切な社会支援がなされていない」ということを身をもって体験したので、この記事にコメントさせていただきます。
5月の中旬頃だったのですが、普段通りに電車に乗り、たまたま優先席の近くに立っていた私に話しかけてきたご老人がいました。
私は、よく道を聞かれたりするので今回もその類だと思っていたところ、そのご老人は「ペースメーカーを心臓に入れているので、携帯の電源を切ってほしい」とのことでした。電車内では、基本的にマナーモードにしているのですが優先席の近くであっても電源を切ることまではしていなかったので、その言葉を聞いてからすぐに電源を切りました。
次の駅から乗車してきた人たちも、私のようにマナーモードだけの人が多いと自覚していたそのご老人は、人が乗車してくるたびに、「電源を切ってほしい」と言い続けていました。
私は、大宮駅で途中下車しましたが、その方の行先は、「平塚」だったようで、平塚まで、毎度大勢の人にお願いするのは、とっても大変そうだと思いました。
具体的な対策を考えるのは、難しいのですが、ペースメーカーをつけている人は、普通乗車券でグリーン車に乗ることができるなど(実現可能かは別として)
今よりは、もっとよい社会支援ができるはずだと思いました。



投稿者: rose | 2012年05月27日 01:18

ホルダーを高速道路のSAのような設備に変えるという案はとても良いと思いますが、施設のトイレを全て変えるとなると、結構な費用がかかると思います。ですから私は、問題行動を起こしてしまう利用者を1人でトイレに行かせない、などといった体制をとると良いのではないかと思います。そうすれば、問題行動を未然に防いだり、被害を最小限に抑えたりすることが出来るのではないでしょうか。これは職員のちょっとした努力で出来ることだと思います。
私は支援する側の人間が、自分が楽になる解決方法を選んではいけないと思います。職員などは、問題行動を起こす側の人間の気持ちを1番よく理解していると思うので、彼らの気持ちも考えつつも、他の人への配慮を忘れずに、解決方法を考えるべきです。大変なことですが支援をする側の仕事についている以上はそのようなことを考えるということは大切なことだと思います。


投稿者: おーちゃん | 2012年06月27日 22:36

ロールペーパーのブログを読ませていただきました。このような現状があることを知らなかったので大変驚いています。ブログの内容、コメント欄を見て、利用者の権限が二の次になってしまっているとの意見が多いですね。私もそう思います。しかし、介護施設の職員の方々の気持ちになってみると間違いではないとは言い難いですが、仕方ない処置であったのではないかとも思いました。ブログにあったようなS.A.のような形式のロールペーパーにしてみるなどの工夫があると減るのでいいと思います。


投稿者: ドラシエル | 2012年06月29日 15:14

確かに管理する施設の側に立ってみればロールペーパーは外してしまうほうがあくまで"管理"という視点では楽であるかもしれない。というより、確実にラクになる。しかし、そのような理由から、金銭的な理由から、利用者さんの日常として当たり前に起こる生理現象の疎外をしてよいものなのか、これは少し誇張した言い回しとなるが、一種の人権の蹂躙でもあるのではないかとこのブログを読み少し考えさせられました。施設職員はこうした仕事に携わるうえで、「プロ」なのであるから、利用者のためをきちんと見直すべきであると考える。また、このような事例から、私たちがいかに経済、効率主義に乗っ取られ、人の生活、権利面を見過ごしているかと考えると末恐ろしく思う。人権、人たるに値する生活とはなにか、もう一度自身に問うてみたいと感じた


投稿者: なっちょ | 2012年07月03日 09:00

ロールペーパーをはずしてしまう方がいるからと、わざわざ職員に紙をもらいにいくのは言語に障害のある方にとって大変な重労働になると思った。ある問題の解決は別の問題を引き起こすことになる場合もある。プロの支援者として、相対的な解決策を考える必要を感じた。具体的に良い解決策が見つかっていないのは、施設の職員がマニュアル的に物事を考えすぎているのではないかと思った。障害のある人々に寄り添った解決策を考える必要を感じた。


投稿者: voult | 2012年07月03日 19:21

 自分は先日介護体験で特別支援学校に行った。主に知的障害の生徒が多く、中学2,3年クラスを担当した。クラスのなかにはトイレに一人で行くことが出来ず、先生に「トイレ行く?」と尋ねられ一緒にトイレに行く光景がよく見られた。この施設でもトイレットペーパーを外してしまうような方がわかるのであれば(最低でも誰なのかを知っておくのは施設側の義務だと思うが)そのような声かけ一つでかなり状態は改善されるのではないかと、考える。
 施設利用者も障害者である前にひとりの人間だ。このままでは障害者には人間として尊重されるべき個人の意思や尊厳も奪われてしまうような感じがする。
 施設側の管理が大変というのもよく理解できるが、それ以前に人間として、そのような行為はどうなのかもう一度考えてみるべきだと考える。


投稿者: 杉並区民 | 2012年07月03日 21:05

 普段さまざまな仕事に追われている職員の方々が、ロールペーパーの問題が起こるたびに対応するのはとても難しく、ロールペーパーを外してしまいたくなる気持ちもわかるような気がします。お互いのために、トイレを高速道路のSAのトイレのようにすることは必要なことなのではないかと思います。
トイレをSAのように変えれば、利用者の方の人権も守られ、職員の方が今までロールペーパーの問題に費やしてきた時間を、別のことに使うことができます。
その時間を利用者の方々のために使うことができれば、福祉サービスの質の向上にもつながるのではないかと思います。


投稿者: SW | 2012年07月03日 22:18

ロールペーパーにこだわりのある人がいるからロールペーパーごと外してしまおうというのは施設利用者が不便するのはもちろんのこと、職員にとっても逆に負担になってしまいのではないかと思いました。施設利用者の大多数がロールペーパーを外す行為をとるとなれば別ですが、そうでないのなら、ロールペーパーを外す行為をとる人たちを特定し、その人がお手洗いに行く時だけ誰かが付いて行ってあげた方がいいのではないかと思いました。それなら施設利用者がお手洗いに行くときに毎回職員に声をかける必要もないし、職員も仮眠の間に声をかけられ睡眠時間が減ることもないんじゃないかと思いました。


投稿者: moyashi | 2012年07月03日 22:56

時に知的障害者は予想をはるかに超える行動を起こします。施設で労働している人は、その予想をはるかに超える行動にきちんと対応しなければならない。そして、トイレットペーパーホルダーを壊してしまう、ペーパーをトイレに詰まらせてしまうなどの問題が起きたとき冷静に対応し、だれもが賛成する改善方法を考慮する必要があります。ですが、トイレットペーパーを支給制にする改善法は、急にトイレに行きたくなった人がトイレットペーパーをもらうために時間をかけ、我慢しなくてはならなくなるので反対です。ホルダーを壊してしまう人への対処はSAように埋め込み式のホルダーの使用、ペーパーをトイレに詰まらせてしまう人への対処はボタンを押さないとペーパーがでてこないなどの性能のあるトイレットペーパーホルダーにすればいいと私は考えます。障害者のための施設なのだから、それくらいの設備は整えるのが当たり前だと思います。


投稿者: えりーぬ | 2012年07月04日 14:59

施設利用者の一部の人たちによってロールペーパーやその周辺の装置を壊されてしまう→だからロールペーパーを外してしまおう、という考えは余りにも短絡的なものだと私も思いました。
本来、一般家庭の生活よりも便利なものであるべき知的障害者用の施設もこれではあまり意味を成さないのではないでしょうか。
同じような問題が起こったとしても同じような対応をするのであれば、生活支援者に必要不可欠である知恵と工夫が編み出される機会も無くなっていき、ルールのみで管理されてしまうものになり兼ねません。
この管理体制を見直し、工夫を考えていくことが施設の改善につながる一歩だと思います。


投稿者: あげす | 2012年07月04日 15:24

一部の利用者に合わせて多くの利用者が不便な思いをすることを強いられ、それが職員の手間や知恵と工夫の足りなさで改善できないままにしてあるということはとても悲しいと感じた。職員も大変であるということはわかるが、家庭で過ごすには不便が生じるので、仕方なしに施設に来ている利用者も多いのに、施設で人権侵害のようなことが行われていてはいけないと思う。高速道路のSAのトイレットペーパーホルダーがそのように考えられて作られていることに驚いた。


投稿者: yz14 | 2012年07月05日 21:35

私は職員―利用者の両側の立場も理解でき、極端に異なる意見をどのように合致させるかがこの問題の要であると思います。そこで、私は少し手間のかかる法案ですが、知的障害者専用のトイレを作り、そのトイレの管理人を雇用し頻繁に管理することを考えました。しかし、この法案も財政的問題等があって根本的な解決にはなりません。これからどのように両者の意見の差を縮め、対策を図るかが残された課題であると思います。


投稿者: りんりん | 2012年07月07日 22:19

この文章を読み、ロールペーパーを外してしまうのが一部の人だけの行為であるのに、それに対しすべてのトイレからペーパーを外すことで他の利用者にも影響が出てしまうような対応をしていることに疑問を感じました。おそらく私の知りえない施設側の事情があり、そうせざるを得ない事態ではあったのだと思いますが、他の利用者への配慮がかけていると感じました。自分一人で排泄ができる人にとって、トイレの度にロールペーパーを職員にもらいに行くのは面倒であるし、トイレという日常生活の一部を施設側に管理されるというのは利用者の自立にも影響が出てしまうと思います。ロールペーパーにこだわりを持つ人とそうでない人とで対応を分けるなど、利用者に応じた対策が必要だと思います。


投稿者: もやし | 2012年07月09日 13:43

私は職員がロールペーパーを取り外したくなる気持ちは理解できます。ただその為に講じた「用を足す度にロールペーパーをもらう」という対策はまずいと思います。宗澤先生が指摘した問題点も然り、職員の人たちも仮眠中にトイレに行きたいと申し出る度に起きるのではかなり効率が悪いです。ただすべての施設が金銭面的に裕福であるとは限らないので、すべてのトイレをSAのようなものに取り換えることができない場合を想定して考えてみると、これがなかなか良いアイデアが出てきませんでした。そうしてみると宗澤先生が言う生活支援のおける「知恵と工夫」の重要性を、身を持って痛感したのと同時に、生活支援における質の良い「知恵と工夫」の養成が求められているのだろうと思わずにはいられませんでした。


投稿者: まるたそ | 2012年07月09日 23:05

障害者が現代社会で、一社会人として経済活動を行うためには、やはり周りの理解が必要だと思う。どうしても世間には障害者は健常者と同じ業務をこなせないという先入観があり、企業の利益にも影響するといった不安があるのではないだろうか。まだまだ障害者雇用の問題は山積みで、まずは社会が障害者を理解し、受け入れる環境・体制を整えていくことが必要なのではないだろうか。


投稿者: ぶち | 2012年07月10日 10:22

福祉施設であるにもかかわらず、このような問題がおきていることが非常に残念です。施設利用者の抱える障害はさまざまで、職員の柔軟な対応が求められます。それは大変なことだというのもよく分かるのですが、今回の問題のように、職員がロールペーパーを外して、用をたすのにいちいち許可をとらないといけないのは、少し極端だと思いました。


投稿者: スナフキン | 2012年07月13日 13:52

 私は、障害者施設にロールペーパーを置かないのは人権侵害だと思います。
 確かに、知的障害を持つ一部の利用者がロールペーパーホルダーを壊すなどの行為を繰り返してしまうことにいちいち対処するのが難しいという現状はわかります。
 しかし、ロールペーパーを置かないことによって施設を利用するほかの方々の人権は侵害されてしまうのです。自分が当たり前にできることができない状況になっていることは、とても悲しいことだと思います。
 何らかの対策をとって、施設のほかの方々の人権を守れるようになればよいと思いました。
 


投稿者: Anne | 2012年07月16日 09:44

支援と管理の違いを再認識した。トイレットペーパーを外してある施設の理由として、トイレットペーパーに過剰な意識が向いて壊してしまう人がいるということが挙げられるが、普通にトイレットペーパーが使える多数の人まで一声かけなければ使えない状況にしてしまうのは、人権にも関わってくるのではないかと感じた。対応としてはトイレットペーパーがうまく使えない人に対して支援していくことではないかと考える。


投稿者: きのこ | 2012年07月16日 16:30

 私の通っていた小学校でも似たようなことがあった。おそらく児童の誰かがトイレにロールペーパーを便器に突っ込んだのだろう。発見した教員が大変そうに片づけていたのを覚えている。
 確かにこの作業は大変だろうと思う。しかし、福祉施設である以上、職員は自分の都合を後回しにするべきだと思う。施設の目的は職員ではないのだから。どうしてもその作業によってほかの作業が滞るようであるならば、例にもあった埋め込み式にするなど、利用者のことを考慮に入れた案を提案していくことが大切であると思う。利用者の障害にならないことがまず第一である。


投稿者: テキサス | 2012年07月18日 01:48

ロールペーパーをあえて常備しておかないことが、障害者に対するある種のネグレクトであるということを、施設の職員は気付いているのかな?と少し思いました。私は正直この記事を読むまで、「虐待」という言葉は浮かびませんでした。施設の職員の方々は、さまざまな他の仕事が忙しくて、そこまでかまっている暇がないというのが本音なのかもしれません。しかし、障害者の人権についてさまざまな意見が叫ばれている昨今、細かな点においても気付くのがプロというものでしょう。職員の不足というものが、そもそもの原因でもあると思うので、そういった人事的な点についても、まだまだ問題が山積みなのだなと思いました。


投稿者: luna | 2012年07月18日 12:24

こんにちは。講義を受けているものです。
確かに職員の方々は、多くの人のケアをいなければいけなくて大変だから、その数人にかける時間を減らしたいと思ってしまうのは仕方のない部分ではあるかもしれません。でもすべての人が平等に生活をするために、そのような制度はなくすべきだし、ロールペーパーをだめにしてしまう人たちの根本的なケアになっていなく、一向に解決できないと思います。
福祉においていろんな人の立場のなって、解決策を考え、工夫してみんながよりよく生活していけるような環境づくりが望ましいのではないかと思いました。


投稿者: まっすー | 2012年07月18日 12:46

障害者に対してまず最初に求められることが“一人の人としての生活”であると考える。確かにトイレットペーパーを片づけるという問題解決もあるかもしれない。しかし、それは何かを犠牲にして初めて成り立っているのではないだろうか。今回は自分たちの仕事の軽減を得て、生理的生存水準の保障を犠牲にしている。これは支援のプロとしてどうだろうか。他にも問題解決の方法は多く存在するであろう。それを考えることも仕事の一つであるなら、これらに責任を持っているプロである以上、他に道を考えるべきであると思う。


投稿者: エド | 2012年07月23日 13:37

はじめまして。北九州市立大学で特別講義を受けた者です。「福祉」や「虐待」など、個人的に難しく(難しい問題ではあるのですが)、縁遠い様に感じていましたが、ロールペーパーという身近なモノが話題に挙げられていたので、非常にわかりやすく且つすんなりと入っていく事ができました。他の方も書いております、「支援でなく管理」になってしまう事実には、支援者に対して被支援者の割合が多すぎる等、支援する側の物理的・身体的・精神的な余裕の無さ、「面倒だから効率化してしまおう」という安直な考えに至らざるを得ない状況に置かれている事も原因に挙げられるかもしれませんね。

講義では、虐待の発生しうる要因について、様々な方向からわかりやすい過程、論理を経て読み解いており、聞いている側としては興味を惹かれて聞くことができました。自分では想像もできない解釈や、理論の進め方をされていて、専門分野の方の研究は計り知れないなと感じました。


投稿者: はーめす | 2012年11月26日 23:22

初めまして。私は先日に北九州市立大学で開かれた講義に参加していたものです。「社会福祉原論」の授業の特別講義という形で開かれたものでしたが、一見難しそうな内容を例を出しながら分かりやすく説明して下さったので、自分も少しは理解できたのではないかと思っています。私は虐待とは暴力などによる残虐なものだとばかり思っていたので、「不適切な扱いも虐待の1つ」という言葉は非常に印象に残りました。そのような扱いを受けた者のそのときの心情やその後の行動を考えると納得させられるものがありました。わざわざ遠い所から講義をしに来て下さってありがとうございました。

ブログの内容についてですが、私も施設職員の行動には賛成できません。何の罪もない人たちにまで支障をきたすのは不公平だと思いますし、わざわざトイレットペーパーをもらいに行くのも恥ずかしくもあり、何より手間がかかります。施設職員が少ないというのは先日の講義や色々なブログの記事から分かるのですが、知恵を出し合って施設の人たち全員のよりよい生活を作っていってほしいと思います。


投稿者: kazuki | 2012年11月28日 13:38

この記事を読んで、障害を持っている方の支援をする施設が、人権を侵害しているということに驚きました。職員が管理を楽にするために、施設の利用者の人権を侵害するようなルールを作るというのは少なくないことなのでしょうか?
私は、このような問題を解決するためには、施設のあり方を見直すということも重要だと考えます。基本的人権を侵害してまで、利用者を管理しなければならないほど、人手が足りないというところに問題があるのではないかと感じました。どのような条件下であっても、職員が利用者が生活しやすいように知恵をしぼり、努力するのは当然だと思います。しかし、職員が増えることで、一人の利用者とじっくり向き合う時間が増え、よりよいサービスができるのではないでしょうか。
高速道路のSAのトイレが、壊れにくいように考えられて設計されているということに驚きました。このように施設内だけで考えるのではなく、多くの方々の知恵も借りながら、施設利用者が快適な生活ができるようになったらよいと思います。


投稿者: いちごみるく | 2012年11月29日 19:21

このような問題もあるのだと、この記事で学ぶ事が出来ました。私は、知的障害者支援施設の実態や、知的障害を負っている人達の症状を詳しく知らないため、簡単に意見できる立場ではありませんが、すべて管理し、誰もが自由にトイレを使えない状況は、改善すべきだと思いました。確かに、トイレをつまらせるなどと、トイレットペーパーを設置しておく事で、避ける事ができる手間が発生するのかもしれません。しかし、それは、トイレを自由に使うことができないことを、関係無い人に我慢させる理由にはならないと思います。例えば、トイレットペーパーに特別な感情を持っている人達がトイレを利用する際には、係りの人がついて行くようにしたり、一部のトイレだけをトイレットペーパー無しにして、該当する人達だけ申告してトイレットペーパーを貰える制度にする、または、該当する人には、一回分くらいのトイレットペーパーを渡しておく、などと、試行錯誤してみるべきだと思いました。支援施設は、「支援する側が楽に仕事をするか」ではなく、「いかに支援される側と親身になって接することができるか」に重点をおくことが大切ではないかと思いました。


投稿者: えだまめ | 2012年11月30日 11:22

初めてコメントさせていただきます。北九州市立大学で先生の講義を受けさせていただいた者です。
 利用者の支援が支援ではない施設もあるというようなお話は以前聞いたことがあります。ロールペーパの事例からそのことを具体的に自分の中では理解できました。この事例では誰のための施設なのかという考え方が欠落してしまっていると感じました。確かに福祉施設では利用者に対して職員の人数は少なく一人一人にかかる負担が大きいため、このような短絡的な対応になってしまっているのかと思います。しかしその場しのぎのような対応のせいで他の利用者に不自由を強いるなどの新たな問題が生まれているのでは意味がありません。人を支援するということはとても難しく、かなりの労力が必要とされるためちゃんとした対策を考える余裕というものがなかったのかもしれませんが、何のための施設なのか、誰のための支援なのかという意識を持っていればもう少し利用者の立場にたった対策が考えられたのではないかと思いました。ただでさえ支援者と利用者は支配関係に陥りやすいと聞きますし、支援する人は常に利用者の人権や主体性を意識していなければいけないと思います。


投稿者: サラダ | 2012年11月30日 12:10

1週間前に特別支援学校に2日間実習に行ってきました。知的障害のある子どもたちと接して、子どもたちそれぞれに強いこだわりを持っていることや1人ではトイレで用を足せないという現状を見てきました。職員さんは知的障害がある方から目を離すことができないと思うので、体力的にも精神的にも負担が大きいというのも少し分かった気がします。しかし、記事を読んで、ロールペーパーを正しく使うことが出来る利用者さんもいるのに、最初から外してしまうというのは私はあまり賛成できないと思いました。できる方は、障害のない人と同じ生活をしたいと思います。やはり、ロールペーパーにこだわりがある方には個人的に対策をとるべきだと感じました。


投稿者: のの | 2012年12月11日 22:49

 職員の効率性を第一に考えて、利用者の不便を強いるような施設はありえないと思った。ましてや、「ロールペーパーを外してしまう」などもってのほかである。「トイレで用を足す」という生活に必要な行為でさえ、十分にできなくさせるのである。先生のブログを読んで、本来の施設は身体の不自由な人の生活を助ける場所であるはずなのにその逆になっていることを知った。このような施設は、今後増やしてはならないと思う。
 これを改善するために、自治体がもっと地域の施設をチェックするべきだと思う。利用者の話も聞き、施設の中をしっかり見て、不適切な対応をしている施設はすぐに営業停止にするべきだ。そうすれば、理不尽な生活を強いられる利用者もいなくなるだろう。
 多少、予算がかかったとしても、職員ではなく利用者主体の施設でなければおかしいと思う。


投稿者: ぎおん | 2012年12月24日 15:23

この記事を読んで驚いた。用を足すたびに施設職員を呼ばなければならないなんて、人権の侵害である。

確かに何度も便器からロールペーパーを取り除くのは骨が折れるし、費用もかかる。本人に伝えても上手く伝わらないこともあるのだろう。
しかしこの対策は、完全に管理する側からのみの目線で、問題解決とは言えない。
ロールペーパーをなくすのではなく、一回に使う紙ごとに切っていくつか配置するなどの措置を取れば、トイレの修理より楽で、かつ施設利用者の権利も守られるのではないか。

生活施設職員は、様々な理由で施設に入所している利用者が人間らしい生活をするためのサポートをする役目があるのだから、利用者の目線に立つことを忘れないでほしい。


投稿者: おむすび | 2013年01月03日 19:25

知的障害者生活施設で働く職員の負担はとても大きい。人手の足りない中、次から次へと発生する仕事に手を焼き、ストレスを感じることも多い。しかし、彼らは仕事の手を休めることはできないのである。利用者の方は確固たる人権を持った「人」であるためである。記事のようなケースでは職員の方の意見も理解することはできる。しかし、支援のプロとして妥協は許されないのである。しかし、今のままの過酷な労働を強いられるとなると職員の方の負担は甚大なものとなる。また、この道を志す者も減るかもしれない。障害を持った方が支援を受けるのも当然の権利ではあるが、支援する側の事を考えるべきだと感じた。このような障害者支援施設はいわゆる「3K」の職場である。職場の人間が労働の環境改善を求めるのは当然の権利ではあるが、こういった福祉施設ではそれが見落とされている傾向にあるように思う。働く職員もまた「人」であるのだから権利を行使するのは当然のことである。当然、利用者の方を第一に考えなければならないが、職員の方をサポートする制度も整備されるべきである。また、これは障害者の方を支援する制度と同じぐらい重要なことであると考える。


投稿者: ゆう4869 | 2013年01月07日 05:08

私は先日特別養護老人ホームへ行ってきました。ここに書かれているトイレットペーパーのホルダーを壊す人はいませんでしたが、トイレットペーパーを盗んでしまう人がいる為に、そこの施設では2つあるうちの一つのトイレでペーパーが置かれていませんでした。このブログに書かれているように支援者は利用者のことを考えなくてはいけないとありますが、根本的にその施設は人手不足でした。支援者さんの話を聞くたびにでてくるのは、トイレに並んでいる利用者さんの列を見るたびに倒れそうになる、という言葉でした。日本のこの介護制度が果たして正しいものなのか、私はそこも疑問を覚えました。


投稿者: pandaman | 2013年01月09日 00:13

用を足す際に不可欠なトイレットペーパーを取り払ってしまうというのは、衝撃的で、少々浅はかさを感じてしまいます。いくら損害がでるからといって一部の人たちに対する対策をその他の人々にも強いるのは、かしこい問題解決ではないと感じました。知的障害者施設ならば、ビジネスの面を考慮しての対応よりも、人びとを支援するような方法を考えてほしいです。こうした、対応を取る職員がほかのものごとについて、しっかりとした支援体制をとれるのでしょうか。問題解決にかける時間と、かかる費用の額を気にして多くの事がないがしろになっているような印象を受けます。社会福祉に対する考えやどうあるべきかをこれからもっと多くの人に、また深い理解を示せる社会がくることに期待したいです。


投稿者: CELERY | 2013年01月20日 17:42

わたしは、夏にインターンシップで高齢者施設に行きました。痴呆症や足腰の弱りなど、多くの人が生活に何らかの不便を持っていました。その施設では、職員の皆さんが利用者さんのことを深く理解し、お互いの信頼のもとで様々なお世話をしていました。障害者支援において難しいことは、どの程度手助けするかだと思います。手伝いすぎても、その人の個性を奪ってしまうことになってしまいます。大切なのは、支援の形態や程度を1人1人個別に変化させ、その人に1番適したやり方を見つけることです。ですから、このロールペーパーの件に関してはもっと別の対応が必要だと思います。


投稿者: みさと | 2013年01月24日 08:12

障がい者には、健常者には想像もつかないような生活上での不自由がたくさんあるだろう。障がい者施設にはそんな彼らにとっても過ごしやすい場であることが求められる。しかし、ロールペーパーを外すことによって、彼らはここでも「不自由」を感じることになるのだ。私たちの住む街は、残念なことにまだまだバリアフリーが行き届いているとは言い難い。ならばせめて施設の中だけでも彼らには快適に暮らしてもらいたい。施設側には、ロールペーパーを取り出しにくい構造にするなどの工夫を施し、「トラブルを減らすこと」と「利用者の人権を守ること」の両立をはかってくれればと切に願う。


投稿者: あかべこ | 2013年01月25日 00:17

 私は昨年の夏に、授業の一環で障がい者の人たちの就労支援をしている団体にお世話になり、障がいのある人たちが働く工場見学やパン販売に同行させてもらった。そこでわかったことは、障がいのある人もみんなそれぞれの個性があり、性格も、持っている特別な拘りも様々であることであった。そこでお世話や指揮している人は、そのそれぞれの人に対して個性や性格を理解した上で違う接し方をしていて、私たちの人間関係においても、例えば友人が2人いたとして、同じ接し方はしないなと納得した。
 支援者として必要なのは、1つの全体に対するルールを決めてみんなを管理するのではなく、個々の性格を理解し、個性を尊重してそれぞれに合った接し方、支援を行っていくことだと考える。だから今回のロールペーパーの件においても、ホルダーの設置に費用が掛かるというのであれば、まずはカットタイプのトイレットペーパーを置くなどの方法があるのではないかと考える。
 
 


投稿者: しか | 2013年01月25日 10:31

私は以前5日間介護等体験として特別養護老人ホームで体験をさせていただいたことがあります。たった5日間でしたが、不自由な方を支援することは容易ではないことを身をもって感じることができました。ここではロールペーパーをめぐる問題が例にあがっていましたが、この解決としてとった方法はまさに支援する側を主体に考えた「管理」であり、利用者主体の「支援」ではないと強く思いました。介護などの支援をめぐる環境が厳しいことはよく耳にしますが、それを理由に支援する側として当然のことを忘れてはいけないと感じました。これは施設での職員だけの話ではなく、どんな職にも言えると考え、常に主体と自分の本当の役割を考える心を持ち続ける必要があると思いました。


投稿者: m-kou | 2013年01月25日 11:22


知的障害者施設で働いている者です。
私の施設でもトイレペーパーの設置は
していないです。

私の施設では、現状管理できる人は個人でのトイレペーパーの管理。それ以外は必要な時に紙をもらいにくる。確認がとれたら職員が紙を渡すという方法です。
利用者の方の権利を主張するのは、分かります。しかし、内容によっては修理会社を呼ばないといけない程のレベルが多いです。そしたら、そのトイレは下手したら2〜3日使えなくなります。その間に他のトイレも詰まってしまったら、他の利用者の方にも迷惑がかかります。紙がないよりも、トイレが詰まっていない状態の方がよいのでは?と私は思います。

私の施設でも、来月から設置に向けて動き出します。私が中心になり始めるので、いろいろと調べてみましたが、正しくないの意見だけでどのサイトにも解決策は書いてありませんでした。

正しくないのは、職員もよく分かっています。それでも、解決策が見つかっていないのが現状です。皆様は、どう思われますか?


投稿者: ssa | 2013年05月19日 23:51

初めてコメントさせていただきます。施設の職員の方々の手間がかかるのも直接拝見したわけではありませんが察しがつきます。しかし、ロールペーパーを外さない多くの人が利用する施設である以上、ごく少数の方々のことを考えて設置しないのは非合理的だと考えます。また、外してしまう方々への対策の例として、ブログにもS.A.のホルダーが掲載されていましたが、鍵付きのホルダーなどもあるそうです。費用はかかるかもしれませんが、多くの人がより良く使うためにはこのような配慮が必要なのではないかと思います。参考: http://hokkaido-scott.com/product/


投稿者: tkppn | 2013年06月20日 02:55

トイレのホルダーを壊してしまうからという理由でトイレのホルダーをはずずというのは問題だと思います。私は知的障害施設で働いているわけではないので、職員の方々の苦労は分かりません。トイレットペーパーをはずし必要に応じて職員を呼ぶという行為は適切ではないように思います。三大欲求のひとつである排泄を虐げられてしまうというのは、重大な問題だと思います。そのため、高速道路にあるようなトイレを導入するべきだと思います。


投稿者: anpanmodoki | 2013年06月29日 14:25

施設職員にとってロールペーパーを外してしまったり壊してしまったりする行為は仕事を増やしたという風に映るかもしれません。しかし利用者にとって施設が生活の場であってその生活の場が居心地の良いものであってほしいと思います。職員でよく話し合った結果の措置だと思いますが、もっとほかの方法を考えられたらと思いました。それには人手不足と経費の問題も考えなければならないと思いました。


投稿者: とびまる | 2013年07月03日 01:06

はじめまして。
たどり着きました、やっと。

知的障害者の施設で生活支援員をしていました。

トイレットペーパーはいっさいありません。
手渡しです。
それも2点線でカットしたものを1枚。
大便の時は言うと何枚かもらえるそうです。
私の排便の場合ですが、
私は前もって言えるかどうかわからない時もあります。ひどい話です。
因みに私は女で、女性利用者の場合をお話してます。
女性がトイレットペーパー2点線だけの紙で
足りるわけないじゃないですか。

そんな生活を強いている多くの支援員はどうなの?
疑問にも感じないほど麻痺してるの?って思う。

私は逃げ出しました。


投稿者: 春はあけぼの | 2013年07月03日 18:19

初めまして。私は、本日北九州市立大学で開かれた講義に参加していたものです。講義では『障害者虐待』についてお話してくださり、今まで障害者虐待について知識が少なかった私にとって、とてもためになる講義でした。後半の内容で、障害者を持つきょうだいについてのお話があり、その中で8割以上の人が、実家から出て他の地域の大学に行き、就職まで行うのが現状であるということを知り、正直驚きました。私には4歳年上の知的障害を持つ兄がいますが、今までそのような考えを持ったことがありませんでしたし、家族や兄弟が一生兄を世話していくのが「あたりまえ」のように感じていました。でも、今回の講義では、そうではなく、グループホーム等といった多様な親密圏の創出による地域社会の自立も必要で、かつ障害のある人の成年文化の創出も必要であることを知り、これまでの自分の考え方や価値観を変える機会になり、とても実りのある講義でした。
 ブログの内容は、この施設は、利用者主体ではなく施設主体の考え方で施設運営をしていると強く感じました。ブログでも書かれていたように、ロールペーパーを外すことで、少数の問題行動は解決するかもしれませんが、その他多数の利用者にとっては、生活するための“新たな問題”が出てきたことに違いはありません。施設側の「その場しのぎの対応」にしか過ぎず、なぜそのような施設があるのか、私には理解しがたいものでした。私は今、障害者領域に興味があり勉強をしています。その一つに障害者の個別的配慮として「視覚的支援」について勉強しました。トイレの仕方を口頭で伝えるのではなく、カードや写真で示すことで、それまで理解できなかったことを理解しやすくするのです。やはり、個別に対応するのは時間も労力もかかると思います。しかし、その人が、視覚的支援を受けることで生活しやすくなるならば、時間をかけてでも利用する必要があると思うのです。その配慮を施設や家庭で行うことが、その人らしい生活を営み、当の役割を果たすのではないかと思いました。


投稿者: ゆかひょん | 2013年07月16日 17:05

こんにちは。私は先日北九州市立大学で行われた特別講義を受けた者です。講義を受けて、障がい者虐待に対する考えが深まりました。平成22年度の児童虐待の相談件数が10年前の約5倍になっているという事実や、虐待対応に追われて防止策にまで取り組めていないという現実はとても衝撃的でした。講義の中で特に印象深かったのは、障がい者虐待は長期的な関係のもつれがあり、共依存の関係にあるということです。講義で取り上げた例では明らかに関係がもつれているのに、それでも互いに離れたくないという二人の心境が理解できませんでした。強制的にでも二人を引き離し、冷静にさせるしか方法がないのだなと思いました。また、家庭の中で障がいのある子に注意が向き、そのきょうだいが父親代わりになったり母親の手下のような存在になったりして、親から愛されることを剥奪されがちになるという事実に驚きました。つい障がいのある子に注目しがちですが、そのきょうだいにも子どもとして愛情を受ける権利があり、きちんとケアをしてあげることが必要だと思いました。
記事については、施設の職員の対応に納得できないと思いました。講義の中でも取り上げられたコミュニケーションの上での不平等が、顕著に現れてしまうと思います。言語的コミュニケーションが出来ない人にとっては実に不便な環境であり、権利を剥奪されているように思います。確かに、現在施設の人員不足は問題になっており、施設職員はたくさんの仕事に追われていると思います。しかし、職員は施設利用者にとって住み良い環境をつくる努力をすべきであり、対等なコミュニケーションが出来る場を作っていくべきではないでしょうか。限られた条件の中でも、知恵を出し合い工夫を凝らすことで、良い環境は作られていくと思います。


投稿者: みい | 2013年07月18日 01:05

タイトルが気になり、読ませていただきました。職員の方にとってはロールペーパーを外してしまうという対策が一番楽かもしれませんが、知的障害を持つ人にトイレに行くたびにペーパーを取りに行かせるのは確かに大変だと思います。管理する側よりも、管理される側(知的障害者の方々)を重視した対策が必要だと感じました。施設で働く職員の方なら、きっともっと適切な対策を考えられるはずだと思います。


投稿者: マイガール | 2013年07月23日 23:39

知的障害者入所施設で働いています。
私の施設も現在トイレの紙が置けない状況で、いろいろ情報を仕入れるため、ここにたどり着きました。
紙が置けない理由は
①トイレットペーパーをすべて巻き取ってしまう。
②トイレットペーパーは置けないので、一回分に切ってある落とし紙を設置するも、すべて流してしまう。
③トイレットペーパーホルダーで、一定の長さで固定し、巻き取りを予防するのホルダーをつけても、利用者さんが使えない。
個人で紙を所持している利用者さんもいますが、紙がなくなっても言えなかったり、紙を使う習慣がなかったり、いろいろあります。
対応としては、もうトイレに一人職員が常駐して紙を渡す。自分で拭けない人は拭き取りの支援をするしかないのかなと思うことがあります。
もちろん、現実的にはそんなところに人を割ける余裕はありませんが。

トイレの紙対策で成功した事例があったら、ぜひ参考にさせていただきたいです。


投稿者: エーデルワイス | 2013年07月27日 22:55

私は、この度初めて投稿させていただきます。
私は先日、北九州市立大学の方で講義を受けたものです。先日はありがとうございました。私は、講義を受けてみて、まず初めに虐待の相談対応件数が、年々増加傾向にあり、平成11年に比べて、平成22年が4.8倍に膨れ上がっているという事実に驚きを隠せませんでした。私は勝手な偏見で、昔の方が虐待は多いと勘違いしていました。また、虐待は身体的な暴力でけに限らず、社会的虐待といった、障害を持っている人や男女内での差別なども存在していることを初めて今回の授業を受けて認識することができました。今の時代、私たちが虐待の加害者となることは、必ずしもないとは言い切れないと思います。そのため、今回の講義で学んだ虐待の実態や形をしっかりと心にとめ、生活をしていきたいと思いました。

この記事を読んでみて感じたことは、人は思いやりが大切だなということです。この施設の方々は、自分たちの都合に合わせての行動しかしていないと思います。私の地元の駅にも、理由はさぞわからないが、トイレットペーパーを置かず、売店式になっている所があります。でも、私たち利用者からすれば、少しめんどくさいかつ、不便に感じました。だが、今回のこの施設は、申請をしなければもらえず、コミュニケーションが苦手な人にとっては人権的問題であります。ここで、考えなければならないことは、人間は、自分の嫌なことはすぐに解決したがります。でも、これは自分だけの問題であり、問題を起こしていない人にまで迷惑してしまいます。だから、自分だけと思って行動するが、しっかりと、周りの気持ちも考えつつ行動に移すことが、大切だと思いました。


投稿者: RAITO | 2013年07月29日 22:46

 このケースでは施設設置者は施設利用者の自立や生活水準改善を願っているのにもかかわらず,気がついたら一部の人の行動を制限するために全体の生活水準の低下を招き,さらには人権を踏みにじるような真似をしています。さらには、「『貧しい施設の条件の下で頑張っている』のだが『そこまでは手が回らない』」という考えは自らに甘んじて思考を止め,更なる向上・発展へ向けた努力を怠っているようにも受け止められます。
 障害を持っている人たちは時に想像のはるか先を行くような突飛な行動をすることもあります。一見防ぎようもないようなことに思えますが,「行動」自体は予測できなくてもこの「突飛な行動」が起こりうることは事前に予測できるのです。その突飛な行動を起こさせないようにする,その予防策に力を注ぐことで職員側の手間を省き,利用者が快適に生活する空間を想像することができるのではないでしょうか。
 「○○がないから」「○○になってしまうから」は単なる言い訳に過ぎません。少しの工夫と努力で状況はいくらでも変化し問題の解決に近づきます。思考し続けることが社会に生きるすべての人の快適さにつながると考えます。


投稿者: ハリネズミ | 2014年01月06日 23:57

私は教育学部生で、2か月前介護実習にいきました。私が行ったところは社会福祉施設ホームで(普通の老人や成人ではなく、体や言語、知能など様々な障害を持つ方々がいるところでした)、そこでもこの記事と同じようにトイレにトイレットペーパーは設置されておらず、鍵がかかっているトイレの用具入れに常備され、紙が必要になったら職員さんに一声かけて取ってもらうという制度がありました。知能障害が重度の方はトイレの度に職員さんにオムツを変えてもらうようで、全ての人がペーパーが必要な訳ではないのは分かりますが、それでもペーパーを使える人の人権はなくなったと感じました。介護の皆様の忙しさと大変さは、今回の介護実習でかなり感じましたが、知能障害が重度ではない方に対して、トイレペーパを準備しておかないんのは利用者の人権を尊敬してないと感じている。障害者でも尊敬あると思います。


投稿者: きき | 2014年01月15日 12:49

記事を読んで、このような問題があるからこそ個別支援が必要になってくるのだと感じた。施設利用者の一部の方がロールペーパーをはずしてしまうということで、施設全体で共通の対策をとるのではなく、その一部の人に合った対策を行っていくべきではないかと思った。確かに、施設職員の負担は大きくなってしまうかもしれないが、支援のプロとして知的障害など、個人の特性を理解した上で、施設利用者の人権を尊重していかなければならないと感じた。そして、施設職員は、個人に対応した対策を考え、支援をしていくべきであると思う。


投稿者: どんぐり | 2014年01月21日 22:17

施設内の全てのトイレのペーパーホルダーを壁埋め込み式にするのには費用もかかりますし、工事のために一時的にトイレが利用できなくなってしまうと利用者の方に負担を強いることにもなるからです。いつもの場所で用が足せないとなると、利用者の方には大変なストレスになるでしょう。困った現状があるのなら環境を変える必要がありますが、その変更を押し付けるのでは良くありません。ここで論じられている「ロールペーパーを置かない」という施設の選択はまさに押し付けに過ぎません。利用者側と施設側との対話を通じてよりよい環境をつくることが、この知的障碍者施設だけでなく社会全体の福祉にとって欠かせないことです。


投稿者: ろくろ | 2014年01月28日 20:42

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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