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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

車いすのディープな世界

 秋空の下、「介護の日」の11月11日に、私の授業では車いす介助について学ぶ機会を設けました。

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キャンパスの中で移動に支障をきたす箇所を体験的に探る

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 車いすは眼に触れる機会の多い福祉用具の一つで、福祉関係の支援者だけでなく、高齢化が急速に進展するわが国にあっては、多くの人たちが自分自身や身近な人の課題として受けとめ考えてみることが大切です。
 教育学部の学生は介護等体験実習が必修ですから、もっともポピュラーな福祉用具である車いすを用いた介助は、体験的に慣れ親しんでおくことが必要でしょう。

 さて、この車いすは、突き詰めて考え出すとなかなかディープな世界です。介助者が後方のグリップを握ってただ前に押せばいいというものではありません。まずは移動のツールである前に椅子であることへの注目、段差を乗り越える際のティッピングレバーの使い方等、車いすの移動支援に必要なイロハにはじまり、障害当事者の方とのコミュニケーションや間柄についての注目なども含め、多様な論点があることに体験的に気付くことを主眼にしました。
 つまり、介助のノウハウもさることながら、移動支援の中で考えるべき視点や介助者の所作を学ぶという点を重視したものです。

 教材には、木之瀬隆編著『これであなたも車いす介助のプロに!』(中央法規出版、2008年)を用いました。福祉関係の支援者ですでに車いす介助に慣れておられる方にも、改めてこれまでの介助経験を点検・整理するために大変有意義な書物としてお薦めします

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 この書物に「簡単にできる車いすメンテナンス」という章があるのは、とても気に入っています。
 車いすのタイヤの構造はほぼ自転車と同じです。そこで、タイヤの空気圧をときどき点検し、エアーポンプで空気を入れることや、虫ゴム(空気が漏れないようにするためのゴム部品)の交換が必要です。
 ところが、前期の授業で「虫ゴムの交換」と私が話すと、受講者の多くは「こいつは何をしゃべっているのか?」というような不思議な顔つきをしました。そこで、「自転車の虫ゴムを交換したことのある人」に挙手を求めると手は一つも挙がりません。止むを得ず質問を変更し、「虫ゴムを知っている人」に挙手を求めると反応は皆無です。ちなみに、S市の自治体職員に尋ねてみると30代半ばあたりにも「何それ、まったく分かりません」という方がいました。

 これらのことは、私の世代の自転車を使う人たちにとって常識ですから、いささか驚きました。授業でオジサンの常識をおしつけても無意味ですから、私は即座に「虫ゴム交換の実際」まで実演して見せました。

 その他、この書には「車いすの事故防止」や「介護保険制度と車いす」の章があり、車いす介助の方法をコアにしつつも車いすの全体像を学ぶには打ってつけの書でしょう。


コメント


自分が高校生であったころ、車いすに乗っていた友人がいたので、今回の記事にはとても興味をひかれた。


投稿者: YUKI.N | 2010年11月16日 21:20

 井上雄彦作の「リアル」というマンガがあります。車イスバスケを題材にしたもので、主人公たちは車イスを武器として使い、健常者のプレーヤーを圧倒する動きを見せる事もあります。
 そのマンガでは簡単に扱っているように見えますが、車いすを自 自由自在に操作するというのがどのような感じなのか、ぜひ体感してみたいものです。


投稿者: こめつぶ | 2010年11月24日 01:28

 私も今まで、虫ゴムという言葉を知りませんでした。
 祖母なども年を取り、車イスが身近な存在になってきました。本を読んだり、体験してみたりして、車イスについて学びたいと思いました。


投稿者: じゃがりこ | 2010年11月24日 12:51

 私はこの文を読むまで車いすについての知識が全くと言っていいほどなかったので、大変興味深いものでした。
 確かに自分が車いすに世話になることもあるかもしれないのだから、介護の世界にもっと興味を持ち、コミュニケーションをしっかり取っていくことが大事なのだと感じました。


投稿者: irakan.39 | 2010年11月30日 23:04

 先日、電車に乗っていた時に見た光景なのですが、車いすに乗った方が電車から降りようとした際、駅員の方が、持ち運びが可能な簡易スロープのようなものを持ってきて、降りやすいように補助していました。
 バリアフリーの進展により、ノンステップ車やスロープの増加など、車いすの方にも生活しやすい環境に近づいていると感じます。しかしまだ、私たちが気づかないところで不自由さを感じている方がいるかもしれません。
 大切なのは、駅員の方のような思いやりを一人一人が持ち、社会全体で支えるという意識を持つことだと思います。


投稿者: 黒やぎ | 2010年12月08日 23:17

 タイヤの空気を入れたことがあっても虫ゴムまでは交換したことがないという方が多いようですね。
 今後車いすを押す機会が増えるのであれば、自転車の知識もあると便利な気がしました。


投稿者: LTD.EXP | 2010年12月15日 13:43

 小学生の頃、空き缶に付いているプルタブを集めれば車椅子と交換できる、というボランティア活動があったことを思い出しました。プルタブが車椅子になるなんて!と衝撃を受けた覚えがあります。
 しかし、それからずっと車椅子とは無縁の生活を送ってきました。もちろん虫ゴムのことも知りませんでした。
 高齢化がさらに進んでいけば、車椅子は私たちにもより身近に感じられるようになっていくと思います。ただ人を乗せて押すだけではない、利用者のこころも乗せている車椅子について、もっと勉強したいと思いました。


投稿者: CAROL | 2010年12月15日 15:39

高校生のときに、実際に車椅子を体験する機会がありましたが、
こんなの余裕だろうと思っていたら、予想外に苦労した覚えがあります。

この記事を読んで、
今後さらに高齢社会となっていくのは間違いない日本では、
車椅子の扱い方は国民全員が習得する必要があるのではと思いました。


投稿者: RASURA | 2010年12月22日 03:17

 この文章を読んで車いすに対する印象が変わりました。私は初め、車いすは押せばいいだけだと思っていましたがこれは間違いだったと気が付きました。
 今日では身近にある車いすに対して、このような考えをもってしまうということはそれだけ関心がない証拠だと思います。なのでもっと身のまわりのことに目を向けていきたいです。
 また、体験しなければ気付かないこともあると思うのでこれを機に多くのことに触れていきたいと思います。


投稿者: にーせ | 2010年12月31日 14:11

 僕は小・中学校と車いすの体験学習がありました。その中で、健常者では気付かないようなあらゆる困難があったことを覚えています。この記事を読んで、改めて介護について考えることができました。


投稿者: ひろ | 2011年01月06日 01:36

このブログに興味を持ちコメントさせていただきます、北九州市立大学のものです。
車椅子は小学生のころ乗る側として体験したし、高校生の時には押す側として体験しました。車椅子を押す移動支援者はただ単純に押すだけではなく、患者への安全や、快適さ、スピードなどいろんなことを配慮しなければなかったことを思い出しました。また、段差では車椅子を少し引いて慎重に進んでいたこともあったなと、懐かしい気持ちになりました。 

最近では私の通う大学の本館前には車椅子用のスロープのようなものができており、普段なら全然気にせずにいたと思いますが、大学で社会福祉の講義を受け、わずかながらも障害を持つ人への配慮や意識を持てるようになったおかげで、スロープの存在にこれは助かるだろうなぁという気持ちを持てました。
大学には私の気づいてない色々なバリアフリーがあるのだと思います。何も考えず校内を歩いていますが、そうではなく、歩きながらも何気なくスロープや手すりなどのバリアフリーの存在を見つけていくのも面白いのではないかと思いました。


投稿者: キングベヒーモス | 2011年01月07日 23:08

 小学生のころ、総合学習で車椅子について調べたことがあったのでこの記事にはとても興味を惹かれました。そのとき、実際に街で車椅子に乗り、歩道と道路の小さな段差や点字ブロックなどで様々なところで苦労した記憶があります(私の乗り方によるところもあったと思いますが・・・)。
 全ての人にとって住みよい環境を作るのは簡単なことではないと思います。しかし、バリアフリーも増えてくる中で、周囲の人々の思いやりや心遣いがあってこそ、障害を持つ方にとっても住みよい環境というのができてくるのかなと思いました。


投稿者: みかん | 2011年01月11日 23:03

 小学生の頃、福祉体験で車椅子に乗ったことがあるのですが、一人で乗る場合は、車両を動かすので腕が疲れるし、後ろの人に押してもらうときは意思の疎通が上手くできなくて精神的に疲れたという経験があります。

 車椅子は大変だと知っているので、これからは車椅子を使っている人に奉仕していこうと思います。


投稿者: うどん | 2011年01月12日 12:49

 車椅子体験は私も小学生の時に実際にやったことがあります。車椅子を押す側は力加減や段差、椅子の動きを考えて行動しなければならず、乗っている側も車椅子に合わせて静と動を分けないとならず、見た目以上に大変だった記憶があります。介護者は車椅子乗者の視点を考えるという事にとても共感を持ちました。


投稿者: キラ@ZAFT | 2011年01月12日 12:54

 私の姉は福祉系の仕事をしており車いすを使う機会があるようで、やはり不便を感じることが多いようです。また逆に、そういったことに特化している場所があるとものすごく便利さを感じるようです。
 私たちの周りで当たり前のことが当たり前でなくなる世界を感じることはものすごくいい体験であり、自分自身の価値観を変えてくれる絶好な機会だと私は感じます。


投稿者: グラストラッカー | 2011年01月12日 18:25

 小学校、中学校と福祉体験で車いすについて学んだことがあります。
 実際に人を乗せて移動したり、自分が乗ってほかの人に動かしてもらいました。
 車いすを押すのにも最初は加減が分からず、思うように椅子を動かすこともできませんでした。
 そして、初めて乗った車いすは決して乗り心地のいいものではなく、椅子を動かしてくれる人との疎通がうまくいかないと非常にストレスのたまるものでした。
日頃気にしないような段差や障害が思った以上に大きなものに感じました。
 また、自分一人だけで車いすで移動するのも大変でした。
 ゆるやかなはずのスループを登るのも一苦労で、車いす利用者の方が気持ちよく過ごせる環境作りが必要だと改めて思いました。

 街を歩いていても、至るところにバリアフリーを設けていると感じます。
 しかし、実際障害を持つ方にとって、それだけでは足りない部分が多くあるのではないでしょうか。
 そういった場面で私たちが手助けできるように、福祉体験の機会を増やすなど彼らの目線を知ることができたらもっと改善されると思います。


投稿者: ハミングバード | 2011年01月13日 02:41

 私は、身近に車いすを使用している知人もいないですし、これまでの学校教育の中で車いすに触れるような授業も受けたことがないので、車いすの使用方法やその注意点などをまったく知りませんでした。だからこのブログで紹介されている本は非常に興味深いと思いますし、車いすを使って実際に使い方を覚えたいと思いました。
 また、教育学部の人は車いすを用いた介助に慣れ親しむべきとのことでしたが、教育学部に限らず誰もがそのような介助に慣れておく必要があり、学校教育でもそのような機会を設けるべきではないかと思いました。


投稿者: ぷー | 2011年01月13日 12:03

 最近ある道を通ろうとしたらなかなか大規模な工事をやっていました。いったい何の工事をしてるのかなと疑問に思い、数日経ってまた行ってみると工事は終わっており、道がかなり綺麗に舗装されて段差もなくなっていました。

 車椅子は小さい頃に数回体験かなにかで乗らせてもらったことがありますが、道の細かなでこぼこや段差でも乗っている側としてはかなりの振動がきたのを覚えています。そのとき、道もう少しどうにかならないかなと思った記憶があります。

 バリアフリーには多額のお金や時間などが必要だと思いますが、精力的に行い、住みやすくすることは車椅子を使う人にとって本当に助けになるものであり、喜ばしいことではないかと思いました。


投稿者: グッセマン | 2011年01月13日 21:42

 自分も幼い頃に車椅子を使用した経験があります。
 普段は気にも留めないような段差や傾斜に、思いがけず苦労したのを覚えています。
 その立場になってみないと分からないようなこともあるので、車椅子介助について学ぶ機会は必要だと思います。


投稿者: Arc | 2011年01月13日 21:57

 僕は中学の授業で車イスを使ったことがありますが、その時は遊び半分で車イスを操作していました。
 このブログを読んで、もう少し真面目に取り組んでいたらなぁと思いました。


投稿者: ハーツ | 2011年01月14日 10:40

 この文章を読んで、私は国枝慎吾さんという方のことが頭に浮かびました。その方は車いすテニスのプロの方で、2008年北京パラリンピックで優勝し、現在も世界ランク1位といった、凄い実力の持ち主です。私はその方の試合の映像を見て、本当にこれが車いすのスピードなのかと、大変驚きました。小学生のころに、車いすの体験学習をしたのですが、自分の思った方向に行くことができず、腕がすごく疲れ、苦労した記憶があります。ところが、国枝さんの場合は、車いすがもう自分の体の一部のようになっていて、自由自在に使いこなしていました。
 しかし、国枝さんのように凄い運動神経を持っていたとしても、一人でバスの乗り降りや、段差をあがったりすることはできません。だから、不自由なく生活できるように、もっとバリアフリーを増やしていかなければならないと感じました。


投稿者: たろう | 2011年01月14日 23:46

今回の授業で、初めて駅付近などの点字ブロックが看板などに邪魔されて十分に効果を発揮していないということをしりました。さらに、浦和駅など身近なところにもあることⅡ驚きました。  ユニバーサルデザインへの理解を広めて、バリアフリー化が進めて行く必要があると思いました。


投稿者: × | 2011年01月14日 23:51

私は車イスを使ったことがありません。身近な人にも使ったことのある人がいなく、正直まだ縁遠いものだと思えてしまいます。しかし、車イス生活が不便でありそうなのは感じとれます。この感覚を大事にして、困っている人がいたら手助けしようと心がけています。


投稿者: アジサイ | 2011年01月15日 13:15

私は妹に脳性まひがあり、車イスを使用しています。小さい頃は親や自分が抱いて行動できたのですが、おおきくなるそれは無理になってきました。現在妹は小学校4年生ですが、行動するときは、必ず車イスです。妹が大きくなるに連れ親は衰えていきますし、車イスというのは私の家族には無くてはならないものです。しかし成長期なので買い替えが多く必要になります。私が覚えている限り、5台は買い換えました。金額はきいていませんが、採寸や妹が喜ぶデザインなどを考えればかなりの額になったと思います。私たちが交通手段として自転車を買うのとはわけが違います。ここまで書いてみて、他の方と車イスのとらえ方がずいぶん違うな・・・と感じます。実際に経験してみる事が物の見方を変えるのだな思いました。


投稿者: ホプキンス | 2011年01月15日 18:22

まず始めに、車いすという言葉で連想されることは、車いすの利用者に少しでも住みやすい生活をしてほしい、楽しく生活してほしいという我々の理想がある。しかし、実際はどうだろう。バリアフリーといってもまだまだ改善の余地が必要な個所はある。たとえば、バスである。バスの段差はどう考えても車いすには高すぎる。電車やモノレールでは、駅員さんが介助しているが、バスではそれが見られない。車いすではバスが利用できないのである。身の回りにある不便な個所を知るためにも、車いすに触れる機会を作ることはとても大切だと思う。我々が経験することによって、車いすの利用者にとって本当に暮らしやすい理想の環境を作ることができるのではないだろうか。また、介助をする立場になっても、何も知らない人では、かえって車いすの利用者に不安感や不快感を与えるかもしれない。だから、まずは、自分で車いすについて知ることが大切であると思う。


投稿者: かにぱん | 2011年01月15日 19:57

 こんにちは、北九州市立大学の者です。先日は特別講義ありがとうございました。
 私は小学生のときに車いすに乗る体験をしたことがあります。その時車いすを動かすことは見た目以上に難しく、大変だと感じました。自分で動かす際には、タイヤを回すのに腕の力が必要だし、段差や坂があるところでは一人で通るには困難がありました。また、自分が後ろから車いすを押す立場になると、段差での衝撃を少なくするなど、乗っている人への気配りや思いやりも必要であると思いました。車いすの人の目線というのは自分が思っていたものとは大分違うことに気付きました。
 近年、バリアフリーの施設は増えています。しかし、車いすで生活している人にとって過ごしにくいと感じる場所はまだまだ残っているのではないでしょうか。車いすの人が暮らしやすいと感じる街にするためには、車いすの人の目線で物事を考えることや私たち一人一人の気遣いが大切であると思います。


投稿者: ハニートースト | 2011年01月16日 16:29

 私は車いすに乗ったことはありませんが、従妹が生まれつきの病気により歩きことができず、車いすを使用しています。そのため、しばしば車いすを押したりするのですが、少しの段差や小石によってなかなかスムーズに進むことができません。
 今では車いすに機械が付いており、ボタンを押せば本人でも操作することができるのですが、そのスピードは速いとは言えず、実際に街中で使用することはできないでしょう。それは、車いすにはあまりにも大きな障害がたくさんあるからです。
 最近では道路の段差も減りつつあり、バリアフリーは進んでいます。しかし、その場を移動する人々は減りません。健常な人には何気ない人の波でも、車いすの人にしたら大きな壁なのです。私たちは車いすの人たちに気を使うというよりも、気を使わせないようにするべきなのだと思います。


投稿者: とげまる | 2011年01月16日 23:00

 私は今大学生なのですが、高校生のときに福祉について調べる機会がありました。そのなかで、車いすについても調べたのですが、「虫ゴム」という名称をこの記事を読んで初めて聞きました。それに毎日の登校でも自転車を使っています。宗澤先生の年代の方々にとっては常識なのに、私たちの年代ではほとんどの人が知らないのはなぜだろうと思いました。

 話は変わりますが、私の実家がある町はなかなかの田舎です。バス自体あまり通っていないのですが低床バスは一台も見かけたことがなく、古い建物が多いためスロープがある店も限られています。そのため一向にバリアフリーが進んでいるように思えません。都心などでは低床バスやスロープを見かける機会が増えているように思われますが、実際に車いすを利用している人にとって特に地方ではまだまだ不便な街ばかりなのではないかと感じています。


投稿者: さっちゃんず | 2011年01月16日 23:25

 車いす体験をしたとき、思ったように動かすことができず、体力的にも大変だった印象が残っています。乗ってみてわかったことですが、普段何気なく歩いていてるレンガが敷きつめてある歩道では、車いすではデコボコと振動が伝わってきて、障害になっていたことに気づきました。介助者の立場だけではわからないことでした。
 また最近は、街の中で一人で車いすを動かしている人を見かけます。車いすは、その方の身体の一部になっているのだと感じます。私たちが街を歩きやすいように、車いすに乗っている人も動きやすいように、街の中の環境を整えることが必要だと思います。
 ここ数年、バリアフリー化が進み、障害のある人が暮らしやすい街になっています。人々の意識も変わりつつありますが、後付けのバリアフリーも目立つのが現状で、そういったところを改善していけたらよいと思いました。


投稿者: ちびもす | 2011年01月17日 01:00

 私は、中学生の時に学園祭で車いすを体験できるコーナーを担当したことがあります。実際に使ってみて、車いすはただ座って押すだけじゃないのだと思ったことを鮮明に覚えています。その時に初めて段差を乗り越えるためにあるティッピングレバーの存在を知りました。
 また、安全性の面から当日は行いませんでしたが、このコーナーを担当した生徒は専門の方の指導のもとで車いすに人を乗せて階段の上り下りをするという体験をさせていただきました。安全にバランスをとりながら運ばなければならないため、とても苦労をしたのを覚えています。
 私も車いすに乗り、自らこいでみたり、他の人に押してもらったりしましたが、普段歩いている時とは景色が違い、新たな発見もできました。近年、バリアフリーが進んできてはいますが私はまだまだ不十分だと思います。車いすに乗っている方がより安全に暮らせる環境づくりが行われることを期待します。


投稿者: 白黒熊 | 2011年01月17日 19:14

 私が小学生のとき、同じクラスに生まれつき足の不自由な女の子がいました。私は彼女と家が近いこともあり、仲良くしていたのですが、今思い出してみると、彼女と遊んだのはほとんどが家の中でした。それに、彼女はいつも学校まで車で送ってもらっていました。今考えてみると、それほど外の環境というものが車いす生活の彼女にとって不便な場所であったということなのですね。
 その後学校で車いす体験をし、改めて彼女の不便さを思い知りました。ただトイレにいくにしても、車いす用の設備がなされていないトイレではなかなかうまくいきません。ただ買い物に行くだけでも、バリアフリーでない環境ではとても難しいですが、現在まだそういった課題の残る場所はたくさんあります。私たちはその課題をクリアするために、思うだけでなく行動しなくてはならないと強く感じました。


投稿者: かえる | 2011年01月18日 00:01

 高校までは、あまり車椅子に乗っている人が身近におらず、バリアフリーについて、そこまで気にかけることはありませんでした。しかし、大学で車椅子の学生を見かけるようになって、また、学内のスロープを作る工事が進むにつれて、身の回りの階段やちょっとした段差が気になるようになりました。今では、工事もだいぶ進み、車椅子の学生も学内を動きやすくなったのではないかと思います。大学までの移動手段であるモノレールも、改札階と地上階にエレベーターがついたり、改札の幅が広くなったりと、私が入学したころに比べバリアフリー化はとても進んでいるようです。
 私は、車椅子の学生が大学に入学する前にバリアフリー化を進めていたら、今よりもっと車椅子の学生は自由に行動できたのではないか、と感じました。しかし、その学生がきっかけで、学内や周りの環境のバリアフリーが進んだことはとてもいいことだと思います。


投稿者: ジジ | 2011年01月18日 15:46

 私の小学校と中学校には、手と足に障害を持った子がいました。その子はできるだけ自分の足で歩くように努力していましたが、小学校低学年のころから車いすに乗ることが多くなりました。校内にはスロープがなかったため、その子はとても不便そうにしていました。しかし高学年になるころには校内にスロープができ、その子にとってとても環境がよくなったと思います。
 また、車いすを初めておしたとき、自分が思っている以上に難しく感じました。今考えると、車いすをおすのに精一杯で、おしている間は会話がなかったような気がします。その子はとても退屈だっただろうな、悪いことしたな、と今さら後悔しています。
 この子に出会えたおかげで、普通の人には当たり前のことでも、障害を持った人にとってはそのことが難しい、ということを学ぶことができました。


投稿者: アンパンマン | 2011年01月18日 18:41

 車椅子は私にとって最も身近な福祉用具で、骨折した時はお世話になりました。
 乗る前までは「楽そう」というのが第一印象だったのですが、実際に乗ってみると自分一人の力で動かすにはとても腕力がいる上に、思うように動かず、ちょっとした段差でも進むことができずと、大変な思いをした覚えがあります。
 友人に押してもらってもスピードが速すぎたり、段差を越える際に車椅子が揺れすぎたりと、先生が述べたように介護者の知識と技術、信頼関係がとても重要だなと感じました。
 また、車椅子バスケットボールを初めて見た時の迫力は今でも忘れられません。まるで生き物のように自由自在に車椅子を操る姿はとてもリスクを抱えている姿には見えず、健常者でも車椅子バスケットボールに参加する魅力が分かりました。
 車椅子は福祉用具であるとともに、障害者にスポーツという新たな可能性や希望を与えてくれる可能性を秘めた道具であることを改めて実感しました。


投稿者: ナミ | 2011年01月18日 20:06

 私も祖母が車いすに乗るようになって、初めて車いすを押したのですが、ただ押すということだけなのに、こんなにも気を使うものなのだと感じました。
 車いすは少し押すだけではスルスルと進んでくれません。ある程度、安定した力が必要です。曲がる時も思い通りに曲がらず、最初は苦戦しました。それだけではなく、やはり一番は乗っている人のことを考えなければならないと思いました。段差にぶつかって衝撃を与えてしまったり、スピードが速すぎたり、傾けすぎたり、乗っている方にとっては怖いという気持ちにさせてしまうだろうと思います。
 私はまだ車いすに乗ったことがないので、乗っている人の気持ちを少しでも実感できるように体験してみたいです。また、何かに引っかかったりして困っている人がいれば、さっと行って気の使える人になりたいと思います。


投稿者: いも | 2011年01月18日 23:22

 小学校のときから学校にいる車椅子に乗っている友人達のお手伝いをしたり、祖父が10年前から車椅子生活をしているので、車椅子の扱いに関してはある程度知識があるつもりでしたが、「虫ゴム」という言葉は初めて知りました。
 もちろん車椅子のメンテナンスについて考えたこともなかったので、少し衝撃を受けました。
 これから社会に出て行くなかで、私が知っておかなくてはならない体が不自由な方に関する事柄はたくさんあると改めて感じ、たくさんの人にもっと周りにいる体が不自由に方々に関心を持って欲しいなと思いました。
 そうすれば、みんなが住みやすい日本になっていくと思います。


投稿者: くろぶた | 2011年01月18日 23:24

 私の父は、私が中学生の頃から車いすを使用しているので、車いすというものがわりと身近に感じられることもあります。父が乗っているは介助式の車いすなのですが、何度か私も乗って押してもらいました。その時感じたのは、やはり自分で動かすのではなく、誰かに動かしてもらうということは、最初は何かしらの不安が生じてしまうのではないか、ということです。実際、私が乗った時は母に押してもらったのですが、自分は何もしていないのに動いている、ということに違和感を覚えました。
 その時の経験から、車いすを押す側は、ただ道や段差に気をつけるのではなく、利用者の心境にも気を配り、コミュニケーションを図りながら押していくことが大切であると実感しました。また、乗っている側と押している側とでは、ものの見え方や、速さの感じ方などに違いがあることも忘れてはならない、と思いました。


投稿者: ゆらら | 2011年01月19日 00:24

 私は、小学生の時に授業で車椅子を体験し、中学生の時に、車椅子バスケットボールの競技用の車椅子を体験させてもらったことがあります。見ている限りでは、操作は簡単そうだと思っていました。しかし、実際に自分が車椅子に乗って操作をしようとすると、腕の力がとても必要でかなり難しく、少しの段差でも一人だとなかなか上れず、とても苦労しました。
 また、車椅子を押すのもとても難しかったです。押している側からすればなんでもないことでも、乗っている側からすると少しの振動でも怖かったり驚いたり、押している側の配慮が大切だな、と思いました。
 現在、さまざまなところでバリアフリーは進んではいると思いますが、まだまだだと思うところも多いです。私の大学内を見て回るだけでも、エレベーターやスロープなどをいくつか設置してありますが、階段しかない場所やせまい場所など、改善していくべきところもあることに気付きました。


投稿者: ねぎ星人 | 2011年01月19日 11:56

 私は小中学生の頃に、授業の一環として車いすに乗る体験をしました。足が不自由、障害のある人が、どのような苦労をしているのか、またどんな恐怖を味わっているのか身をもってほんの少しだけだとしても知ることが出来ました。
 今はどんどんバリアフリーの考え方が浸透して、車いすで移動するのも楽にはなってきています。しかし、昔を考えてみると、車いすというものが存在していないこと、障害があるというだけで偏見の目に晒されていました。能力主義というか、普通というものが重要だったのでしょう。少し他人と違うこと、それだけで差別して良いわけがないです。
 私ももし足が不自由だったら、今と同じように生活をしたり何かすることは出来ないかもしれません。しかし、出来ないからこそ別の方法で、つまり、車いすという第二の足を使って生活していくのだと思います。ただ、何か行動する時に私たちよりも少しだけ障害が多く感じるのでしょう。
 今後、困っている人を見つけたら声をかけ助けたり支えてあげたいです。これからの社会が、もっと障害を持った人に優しい社会に変わっていくと良いなと思います。


投稿者: pumipe- | 2011年01月19日 14:15

 こんにちは、北九州市立大学の者です。先日は特別講義ありがとうございました。

 私は中学の時に授業で車いすに乗る体験をしたことがあります。
 実際に自分で車いすに乗ってみて、なかなか思いどうりに動いてはくれず、一人での操作に限界があり、段差や坂道なんかは介助者にすべてをゆだねるのでとても怖いなと感じました。
からだを自由に動かせる私たちでも怖いと感じたということは、車いすを利用している方にとっては私たち以上に怖さを感じていると思いました。

 現在、私は大学の実習というかたちで、車いすを使用している方々とかかわる機会があります。

 車いすの介助をする際には、乗っている人への気配りや思いやりも必要であると思いましたが、自分の経験を生かし、車いすの人に不安を与えないようにすることが大切だと思います。


 それ以前に、車いすで生活している人にとって過ごしにくいと感じる場所はまだまだ残っているので、不自由なく、車いすで生活しやすい街にする必要があるということを考えさせられました。


投稿者: ハニカミ | 2011年01月19日 15:41

 私は以前、脚を怪我し手術、入院していた時期がありました。そのため、術後数日は車椅子での生活を余儀なくされていました。私自身その時に初めて車椅子に乗ったのですがその不便具合は予想だにしないものでした。トイレ一つ行くのにも多大な労力を要し、普段何気なく視界の端で捉えるのみだった車椅子使用者の感じている社会での不便さを体感しました。私の入院していた病院は古めの建造物だったため増築等の繰り返しによるつなぎの箇所での振動はとても強く感じるものでした。
 それ以後、街を歩いていてそれまで気にもならなかった些細な段差にでさえ注意を払うようになり、そういった社会の無関心具合を痛感しそれまでの私を恥じる思いです。
 特別視をするのではなく、バリアフリーを本当に必要としている人も他の大多数の一般の人と遜色なく生活することのできる社会を作り上げていく必要性を強く感じています。


投稿者: neo | 2011年01月19日 20:44

 中学生のときに授業で初めて車いすを使いました。進みたい方向へただ押していけばいいだけだと思っていましたが、実際には力をいれないとうまく前には進めませんでした。段差のあるところも前輪を持ち上げるのに苦労した記憶があります。
 また、課外学習でグループホームを訪れたときは入居している車いすの方を散歩につれていくという機会がありました。学校の授業では生徒同士がペアになって車いすに乗っていたのであまり不安なことはなかったのですが、グループホームの入居者の方の場合は車いすを押すスピードや段差のある場所を進むときなど、細心の注意を払っていました。自分の操作ミスでけがを負わせてしまわないだろうかと心配もしました。
 現在ではバリアフリー化は進んでいますが、すべての場所でというわけではありません。車いすに乗っている方や介助する人が不安を感じることがないような環境にはまだ十分ではないのだと感じました。


投稿者: ぷらは | 2011年01月19日 22:05

 わたしは小学校の時に総合学習で、自分のまちのバリアフリーについて考える授業がありました。その時に、地域の福祉センターの方にインタビューをして驚いたことがあります。それは“点字ブロックはとても便利なものだけど、車椅子を使う人にとってはでこぼこしていて進みにくいんだよ”という話をきいたことです。
 当時のわたしにとっては、点字ブロックも車椅子もバリアフリーの面から考えればとてもいいものだとばかり思っていたので、それらが不便な時があると知ってとてもショックを受けたことを今でも覚えています。その話をきいて、学習のまとめとして「道路がみんな、点字ブロックもあって、車椅子も通れるような広さになればいい」と発表しました。
 現在、日本中の道路が全てわたしの考えたような広さにはなっていませんが、バリアフリーの意識を持つことは今でも必要とされていると思います。どうして点字ブロックがあるのか、それを考えればブロックの上に自転車を停めることはないです。わたし自身も車椅子について、あまり知識はないので学んでいく必要があると感じました。


投稿者: わおん | 2011年01月19日 22:30

 このブログを読んで、中学の頃に車いすの体験をしたことを思い出しました。
 実際に乗る前は車いすというのは結構スムーズに乗れるものと思っていました。しかし、実際に乗ってみると腕の力をすごく使わなければならないということに気が付きました。普通に平坦な道でも長時間だと疲れるのに、ちょっとした坂や、段差などがあるともっと力がいります。負担は車いすに乗っている人だけでなく、車いすを押す人にもあると思います。
 車いすを押す体験もしたのですが、予想以上に押すのには力がいるなと思いました。曲がるときなどとても大変でした。今の車いすは電動のものがあるようですが、それでもやはり移動する上では坂や段差だけでなく人の波など多くのバリアがあると思います。
 そこで必要なのは車いすを使う人にも使わないひとにも、両者にとって利用しやすい施設、道等を作ることだと考えます。誰かが特別でなくてみんなにとって住みやすい街づくりが重要だと思います。


投稿者: べっぺりあ | 2011年01月19日 23:24

 社会から段差が消えたら、車椅子に乗る人は、もはや不自由ではない。社会構造が変われば、障害は障害でなくなるのだ。
 私は中学生の頃、先生から障害の捉え方についてこのように教わった記憶がある。医療モデルではなく、社会モデルとしての捉え方であろう。
 幼いながらに「そんなはずがあるか!」と思っていた。今現在、社会モデルで障害を捉えなおそうという試みが進んでいると聞くが、僕はそれが思いやりの欠けた考え方に思えて仕方がない。
 実際に体験してみなければわからないことはたくさんあって、身体的な不自由は、その根底から解決することはできない。そこには胸からあふれるほど様々な思いがあるはずだ。それを、「段差がなくなれば車椅子は自由と変わらない」とするのは間違っていると思うのである。

 今回の投稿を読んで、ふとそんなことを思い出した。


投稿者: Mr.Brain | 2011年01月20日 00:18

 私は小学校高学年のときに1度だけ車いすに触れる機会があったのですが、自分の身体が小さいこともあり操作がとても難しかったように記憶しています。しかも人が座っているものを動かすわけですから、気を使って身体に変な力が入ってしまいました。
 しかし、座っている人と声を掛け合うことでだんだん身体がほぐれていって、「ああ、こういうふうにしてしまうと座っている人は怖いんだな」とか「こっちのほうが安心して座っていられるんだ」などというように、座っている人の気持ちを酌む余裕もでてきました。
 昔のことを思い出しつつ書いてきましたが、この体験の本質も障害当事者と介助者とのコミュニケーションにあったような気がします。両者間でのコミュニケーションが成り立った上にさらに信頼が生まれれば、よりよい介助が実現されるのではないかと思いました。


投稿者: こまこ | 2011年01月20日 01:21

 私は中学生の時に、授業の一環として車いすを体験しました。当時は「バリアフリー」という言葉が広く知られはじめた頃で、普段わたしたちが何気なく歩いている場所でも、車いすを使う人にとっては困難な場所があることを実際に経験しました。
 車いすを押す側のときには身体的な疲労を覚えるだけでしたが、私が車いすに乗る側になったときには精神的な疲労を感じました。段差や坂道を下る際に、体が前に倒れそうになるなどの不安から来たものです。この時に、車いすを介助する時には、乗っている人を安心させることも重要だと感じました。
 最近ではニュースで、空港における車いすの問題が取り上げられていました。金属を使用している車いすで身体チェックを受けると、機械の審査に必ず引っ掛かってしまい時間がかかる、という問題でした。しかし、その問題に対して材料全てを「竹」で作った車いすが発案され、実際に空港に配備されているそうです。
 これから先、少しずつでもいいから、不自由を感じてしまう場合が世の中から減っていけたらいいなと思いました。


投稿者: おにぎり | 2011年01月20日 20:45

 北九州市立大学のものです。先日は特別講義ありがとうございました。車椅子のエピソードで一つ私も経験したことがあります。
 それは、先日私のバイト先での話ですが先日車椅子のお客様がお見えになったのですが私のバイト先は、階段があり車椅子の方がご利用するには誠にやさしくないのです。そこは、私ともう一人と車椅子を抱えて階段を上がったのですが私は、車椅子の不便さと反面「ありがとう」といってくれた車椅子のお客様の満面の笑みが忘れられません。
 昨今バリアフリーは、色々な施設や機関で実行または、考えられてきていますがまだまだ足りないと思います。障害がある人が笑っていられるような社会を作り上げていくのは、それに関わる人だけではなくもっと広範にその考えがひろがってほしいと思います。それには、まず私がもっと深く考えていかなければならないと思いました。


投稿者: 999マー坊 | 2011年01月20日 20:50

 私は実際車いすに乗ったことはないのですが、車いす乗っている人と一緒に旅行をしたことがあります。その時の主な移動手段が電車だったのですが、とても大変そうだったなあという記憶があります。電車に乗るときはいちいち駅員さんに降りる駅を連絡し、電車と駅の間に小さな簡易的な橋をつけてもらったりなど、とても不便そうでした。また、車いすを補助している人も大変そうでした。
 私も車いすの補助を少しだけさせてもらったことがあります。あれはとってもむずかしいですね。コンクリートなどの平らな道だったらまだいいのですが、タイルのでこぼこした道になるとまっすぐ進むことすら難しくてたいへんです。
 バリアフリーなどが進んでいる今、車いすの人たちがもっと快適にくらせるようどんどん発展していってほしい限りです。


投稿者: かめこ | 2011年01月20日 21:41

 この記事を読んで自分が小学校のころ小学校の隣にパレット館という、障害者が働いているところがありました。そこで市が主催する地元の祭りや小学校の祭りのときにそこの職員の人(?)がテントを出していて車いす体験をさせてもらったことを思い出しました。
 車いす体験にはおそらく興味本位で参加したのですが、車いすを動かすにはものすごい力を持続させなければならなかったことを覚えています。
 近年ではバリアフリーという言葉がよく飛び交っていますが、そのまえに記事にも述べてあった「虫ゴム」のように、「扱う人にはわかるが普通に知らない」という意識(障害者にとっては当然のこと)を知るべきだと思いました。


投稿者: Eノック | 2011年01月20日 22:17

 私は車いすを実際に使ってみた経験がないので、正確には分かりませんが、車いすを生活での移動手段として使用することは簡単なことではないし、今の日本は車いす使用者にとって暮らしやすい場所であるとは決して言えないと思います。
 現代では科学技術もどんどん進歩して、性能のいい車いすなどが開発されてきていると聞きますが、機械を変えていくだけではなく、バリアフリーを用いた場所を増やすなど車いす使用者の暮らしやすい国に変えていってほしいと私は思います。


投稿者: チロルチョコ | 2011年01月20日 22:28

 北九州市立大学のものです。先日は特別講義ありがとうございました。
 私は、昔、足を怪我して、それ以降しばしば車いすで生活する機会があったのですが、やはり、自分が車いすを使っていなかった時には感じなかった不便さを感じる機会が多々ありました。特に学校生活では、階段が登れないため、教室になかなか辿りつけず苦労したのを覚えています。
 なので、このように車いすを体験する機会を様々な人が得られて、車いすを使わない生活では感じる事の出来ない様な不便さに気づける事は、素晴らしいことだと思います。
 また、車いすを使う機会はあったにもかかわらず、わたしは「虫ゴム」の存在を知らなかったので、そういうメンテナンスに関わる部分から、使い方、不便な点まで、より多くの人が、広く車いすのことについて知っていける環境が整っていくといいなと思います。また、私たちが積極的に知ろうとしていかなければならないなと思いました。


投稿者: かっぱ | 2011年01月20日 23:39

 小学生の頃、車椅子の体験学習をしたことがあります。車椅子を静止した状態から手のみで動かすことは、想像以上を力を必要としました。直線だと比較的少ない力でも進むのですが、カーブや坂道などはより多くの力と、コツが必要だったのを覚えています。小さな段差でも、車椅子を扱い慣れていない私は越えられませんでした。
 自分の足で歩くことが出来る人にとっては、普段気にも留めない段差でも、車椅子を使用している人にとっては障害物になるのだと実感しました。

 歩道いっぱいに広げて停められている自転車でも、大きな障害物になります。私たちの何気ない行動が車椅子を使用している人たちの生活の妨害に繋がっているかもしれないということを念頭に置くべきだと思います。
 健常者と障害を持つ人が互いに理解をし合い、助け合い、そして干渉しすぎない関係を築きあげることができたら、よりよい世の中になるではないでしょうか?


投稿者: まる | 2011年01月21日 02:02

 私の周りには、車いすを使う人がいないので、このブログを読むまで車いすについて、深く考えたことはありませんでした。しかし、よく考えてみると、最近、バリアフリーという言葉がよく出ていますが、実際、まだまだ車いすに乗る人たちにとっては、不便な事が多くあると思いました。
 そう思ったのは、私がバスに乗っていた時に、車いすの男の子がバスに乗るために、バスの運転手に手伝ってもらって、やっとバスに乗れ、また、バスに車いす用のスペースがあらかじめ作ってあったので、何時のバスに乗るか、前もってバス会社に連絡をしていたのだということが分かったからです。
 この場面を見て、もっと車いすの人たちが、一人でバスに乗り込んで、降りられるようなバスが普及していけばいいなと思いました。また、バスに限らず、車いすの人たちが快適に日常を送れる環境づくりが進んでいけばいいなと思いました。


投稿者: ちむ | 2011年01月21日 03:00

 記事を読んでそういえばと記憶を辿ってみましたが、どうやら私は車椅子に乗った経験がないようです。社会福祉の授業を受けている者として、ぜひこれから機会があれば体験してみたいと思いました。
 確かに、車椅子は私たちが眼にすることの多い福祉用具ですね。特に難しそうにもみえていなかったので深く考えたことはありませんでしたが、見た目よりはるかに操作は困難で大変なのだろうなと感じました。介助者がテクニックを要するならば、自身で移動させるのは尚のことだろうなと思います。
 また、近年バリアフリー化が進んだとはいえ、まだまだ不便な場所はあります。たとえば、マンションのエントランス。オートロック式で鍵を差込み開ける仕組みが多いですが、鍵穴やボタンの操作は車椅子に乗っていては困難です。
 スロープの設置など、「下」のバリアフリーは着々と進んでいますが「上」、さらには360度、多様な目線を身につけなければなりませんね。


投稿者: さんたろう | 2011年01月21日 03:20

 高校生のころに、車いすに乗った弁護士のエッセイを読んだことがあります。その人の本を読んでみると、車いすから見た今の街は、まだまだ不便な所が多いなと感じます。
 大きな町では、道路も広いですよね。片側三車線の道路を、車いすの人々が2・3分程度で渡るのは、相当な体力を必要とすると思います。
 私の大学にあるサークルの部室が集まる建物は、4階建てです。車いすに乗る学生も出入りします。なのに、エレベーターはおろか、障害者用のトイレすらありません。一応取り付けてあるスロープも拙いもの。車いすの学生さんたちはいつもいつも出入りに時間がかかります。たまに手伝ったりもするのですが、その人はたいてい自力で車いすを動かすのです。
 これから、車いすの人たちが、外に出たくなるような街づくりをしていくためにも、街の建物や道路整備は必要と感じます。それに、わたしたち自身も、少しでも車いすの人たちを手伝ってあげられるように、もっと勉強しなきゃな、って思いました。


投稿者: みぽりん | 2011年01月21日 08:29

 私も小学生のときに車いすを使用した体験学習をやった事があります。車いすを押すのも乗るのも体験しましたが、どちらも自分が思っていたよりも難しいと感じました。
 押す方は、ただ押すだけでなく、車いすに乗っている人の安全を考えなければならないし、乗る方は押す方に自分の身体を委ねているので、ちょっとした段差でもとても怖いと思いました。一度車いすに乗ってみるとその怖さがわかり、押すときに乗っている人の事をきちんと考えながらようになりました。車いすは、押す人の車いすに対する理解が非常に重要だと感じました。

 自分で実際に体験しないと気づかないことがたくさんあり、私が気づいていないだけで大変なおもいをしている人がいる。それに気づいて、手を差し伸べることができるようにしていきたいと思いました。


投稿者: AKT723 | 2011年01月21日 10:38

 今まで車椅子とは無縁でした。しかし、今回の講義やブログを見ると車椅子で生活している方々はとても苦労されているということでした。これからは少しでも助けになれるようにしたいと思います。


投稿者: クロスボーン・バンガード | 2011年01月21日 13:27

 記事を読んで先日訪問した介護施設のことを思い出しました。
 訪問先で施設利用者の方々はみな車いすを利用していました。それまでは車いすとは無縁の生活を送っていたためあまり関心がなくよく知りませんでした。しかし利用者さんの車いすを押して散歩していた時、普段は気がつかない障害物がたくさんあることに気づきました。
 介護体験をする機会がなければ、正直気がつかなかったと思います。
 もっと多くの人が関心を持つ世の中になったらな、と思います。


投稿者: パンプキン | 2011年01月21日 21:29

 介護体験を通じて、車いすを押す機会がありました。たしかに介助者もただ押すのではなく、どのように押せばいいのかなどの説明はあると良いのではないでしょうか。車いすに障害者は命を預けているわけですから、この車いすが壊れてしまうなどしてしまうと障害者の信用がなくなってしまうわけです。そのため、車いすのメンテナンスは必要であると思います。


投稿者: DD | 2011年01月22日 11:28

 わたしが小学生の頃、車いすについて調べたのをこの記事を読んで思い出しました。
 わたしは、実際に車いすに乗って生活したことはないので、日々の生活の中でどのような困難や不便なことがあるのか分かりません。しかし、ちょっとした段差や手を伸ばさないと届かないところにあるボタンなど気にかけてみれば、様々なものが浮かびます。
 わたしが通学の際、利用する駅ではトイレがバリアフリー化しました。現在は階段をバリアフリー化するための工事が行われています。このように町のいたるところで、人々が不自由なく生活できる環境が整っていけばいいです。そのためにも、一人一人が福祉に関心を持つことが重要なのだと思いました。


投稿者: きなこもち | 2011年01月22日 22:22

 私は車いすではないのですが、目隠しをして全盲者の体験(表記の仕方が悪いかもしれませんが)をしたことがあります。
 その体験をする前までは、全盲て大変だろうな、と漠然と思ってたのですが、実際には想像もしなかったところでつまずいたりして、予想していたよりもはるかに不便を感じました。目隠しをしていない友達が手助けをしてくれたのですが、その子がよかれと思ってやってくれたことも、逆に苦労に感じたりして、健常者の思わないところにたくさんの障害が転がっているんだなと気付かされました。
 このことは車いすも同様だと思います。バリアフリーを考える上で、想像だけで介護したり、設計したりするのでなく、実際に体験してみてどんなことが苦労に思え、どんなことが快適に思えるかを理解することが大事だと思います。
 これは福祉に関わる人たちだけでなく、全員が体験すべきことだと思います。最近、小、中学校で救命活動の学習が取り入れられてきていますが、このような体験も学習のひとつに取り入れるべき項目だと思います。


投稿者: ぶどう果汁 | 2011年01月22日 23:02

 これまで車いすに乗ったり押したりするという経験をしてこなかったため車いすについての知識はほとんどありません。しかし、この記事を読み私たちの国にとって車いすとは身近なものであることを認識し車いすについての知識を身につけていく必要があると思いました。機会があれば実際に車いすを体験してみたいと思いました。


投稿者: 少年S | 2011年01月23日 00:07

 私は、最近駅で車椅子に乗っている人を良く見かけるような気がします。電車に乗るときに駅員さんが板のようなものを持ってきて、橋渡しにし、ご案内をしている光景です。
 車椅子は自分ひとりでも動かせるようにできていますが、私たちは気づきもしないような隙間や段差に大変な思いをしていることが発見できました。

バリアフリーが一層進んで多くの人が快適に過ごせる環境は、いつになったら完成するんだろうか。


投稿者: 彩羽 | 2011年01月23日 14:57

 私も去年の夏に足を怪我し、車いすを使いました。また、今年介護実習にも行き、車いすに一層関心を持ちました。
 まず、思ったことは私たちが普段感じているよりも段差が多いということです。道路と歩道の少しの段差や階段がとても多いです。歩いていればまたぐことができるためだと思いました。また、乗ってみて初めて分かったのが、目の不自由な人のための点字ブロックが車いすを乗る時には障害になるということです。このようなことから、設計の時などから注意が必要であると思います。設計者は車いすや盲目を体験するなどした方が良いと思います。また、社会的にもバリアフリーをより詳しい視点から、広めていくべきだと思います。


投稿者: アップルティー | 2011年01月23日 22:01

 私も『虫ゴム』を知りませんでした。
 小学校や中学校の授業で、車いす体験の機会がありましたが、乗ってみてどうだったか、という感想の方が記憶に残っています。
 介助者として気をつけたいことや扱い方の方がむしろ重要なはずなのに、と気づきました。


投稿者: しぃちゃん | 2011年01月23日 22:19

 私も小・中学校時代に、車椅子体験をした経験があります。実際に車椅子に乗った時に、車椅子で生活するのは大変だと感じたことを覚えています。ただ、実際街でどこでどのように車椅子が不便で、車椅子を用いる時にどのくらい道の広さが必要なのかなどの点を、明確に具体的に考えることはほとんどありませんでした。
 またこの記事を読んで、「虫ゴム」すらわからなかった時に、もっと地域に積極的に密着し、介助の仕方などを学んでいく必要があると思いました。さらに例えば、街にある点字ブロックの上に障害物が平然と置いてある状況をなくすには、どうしたらよいのか?という問題も、自己の問題として考えていかねばなりません。障がいなどの様々な個性をもった人々が社会で差別なく共存していくためには欠かせない点です。そして自らが障がいをもって生きていくことになる可能性が十分あるということも決して忘れてはいけないと思いました。


投稿者: ちょこどーなつ | 2011年01月24日 09:15

 電車やモノレールでよく車椅子に乗った方の為に駅員の方が足場をつくったりエレベーターまで案内しているところを見ると公共機関でのバリアフリーのシステムは完成されつつあるなと感じました。しかし、駅から出てすぐの町ではそうはありません。やはり段差は目立ちます。

 そんなことを考えていながら先日、私の住んでいる町の歩道橋が撤去されることになりました。なんでもバリアフリー化の為に歩道橋をなくしその道路に横断歩道を作るとのことでした。『三十年間ありがとう○○橋』という幕に哀愁を感じながら、バリアフリーに変わる町を歓迎し暖かい気持ちになるという変な気持ちでした。

 どんどんバリアフリー化は進めてほしいのとしみじみ感じました。


投稿者: ペルレ | 2011年01月24日 10:19

 恥ずかしながら私もこの文章を読ませていただいて初めて虫ゴムの意味を知りました。車イスの問題は自分が高齢になるにつれ現実味を帯びてくる問題だと思います。今はまだバリアフリー化の問題に客観的な自分がいますが、自分の親から自分の子の先までずっと関わる問題なのでこれから少しずつでも学んでいけたらと思います。
 車イス体験はしたことがあるので、車いすの大変さは分かっているつもりでした。これからは客観的な一市民ではなく、地域社会に働きかけられる人間になりたいと思っています。


投稿者: ハッピーボーイ | 2011年01月24日 11:19

 私も小学校の時に、車いすの体験をする授業を経験しました。学校内では車いすにとって不便なところがたくさんありました。今ではバリアフリーが増えているとは思いますが、実際はまだまだだと思います。私の最寄り駅周辺では歩道も狭く、車いすだととても不便だと感じました。
 普段は車いす利用者のことを考えることはなかったので、とても勉強になりました。これからもっとバリアフリーが進んでいけばいいと思います。


投稿者: YAMATO | 2011年01月24日 11:21

 自分が通っていた小学校に車イスが必要な友人がいました。毎日、その子の母親が車で送り迎えをしていました。校内では車イスが使えないような環境だったので、主に足を固定して支えるブーツのようなものを履いて行動していました。
 歩く時は先生やクラスで近くにいる誰かしらが手をつないで支えていましたが、階段などでは大変そうでした。バリアフリーがもっと広がるといいなと思いました。


投稿者: コムコム520 | 2011年01月25日 12:47

 車いすに関しての知識はあまりなかったので、今回の内容を読んで、いくつか驚くとともに初めて知ることがあり、とても勉強になりました。

 車いすひとつをとっても多くの知っておかなければならないことやノウハウがあり、今後車いすに関わる機会のためにも、様々なことを考えていかなくてはならないと感じました。


投稿者: トムソン | 2011年01月25日 16:30

 私は車いすの人を電車などで見かけると手助けをしたくなりますが、車いすを使っている人から見たら、自分をそういう目で見てほしくはないのかなと考えてしまいます。同じ人間なのだから普通にしててほしいのかどうなのでしょうか。
 お年寄りが年寄り扱いを嫌う人がいるように、障害者もそういう扱いを嫌うものなのでしょうか。これは自分が障害者にならないと分からない感情なのかもしれませんが、私はこれからも親切に接していけたらいいなと思います。


投稿者: n | 2011年01月25日 19:45

 高校生の時、車いすの体験授業をしたことがあります。自力で段差を越えることが大変だったので、とても印象にのこっています。乗り手の気持ちを考える大切さを学びました。


投稿者: ネガッピー | 2011年01月25日 20:30

 私は中学生の時に一度、福祉体験として車椅子を使う機会があったのですが、自分が思う以上に難しいものだと感じました。
 車椅子はお年寄りの方や体の不自由な方、けがをしている方などさまざまな人が使います。しかし、実際に車椅子に触れる機会はあまりに少ないように感じています。公共の場でのバリアフリー化が進んでいるなか、私たち自身も福祉体験の機会をもっと多く持つべきであると思います。


投稿者: ほびっと | 2011年01月25日 20:56

 私は小学生の時、車いす体験をしました。その時は正直、実際に使っている人の気持ちになるというより、楽しんでいる気持ちが強かったです。そう思っていた人は、私だけではなかったと思います。
 最近ひざの手術をして、車いすに乗る機会がありました。病院のなかだったので、外よりも行動しやすいはずですが、それでも不便なことも多かったです。手を洗う時、シンクが高かったり、トイレに入る時90度曲がらなければいけなくて何回もやりなおしたり、大変でした。
 また、私は片足はつけたので、危なかったら片足で立てましたが、両足ともつけない人はもっともっと大変でしょう。
 今よりももっと生活しやすい環境をつくっていく必要があると思います。


投稿者: PON | 2011年01月25日 23:08

 自分も小学校の時骨折したときや他のみなさんと同じような車いす体験で車いすに乗る機会がありました。実際に乗ってみると想像以上に不便な場所が多く感じたのを覚えています。高齢化社会が進んでいる中で今後車いすを使用する人は増えると思うのでまだまだバリアフリー・福祉社会を広げていくべきだと思いました。
 またこのブログを読むまで虫ゴムの存在を全く知らなかったので知ることができてよかったです。


投稿者: Dimebag Darrell | 2011年01月26日 01:46

 中学校の時に車いす体験をしました。
 車いすは乗る機会がないので操作が難しかった。普段使うことがないので難しいと思うのは当り前のことなんですが、自分が将来車いすを使うようになったら今は何とも思わない段差が障害になると考えると生活しづらくなるなと思います。
 そう考えるとバリアフリーは、大切ですね。


投稿者: せきば | 2011年01月26日 03:15

 私は高校生の頃足首を靭帯損傷しために、一時的ではありますが車椅子を借りて生活することがありました。足をかばっているせいもあるためか手にも力が入らずなかなかうまくコントロールすることができませんでした。トイレに動くのでさえ苦痛に思うこともありました。
 また正常の時にはかんじなかった、例えば自動販売機で上のほうにあるペットボトルまで手が届かない等々、弊害がたくさんあったことを覚えています。
 高齢化社会が進む中で車椅子を使う機会が増えていくことは間違いないと思います。自分が体験した経験を生かしていきたいと思います。


投稿者: シンジ碇 | 2011年01月26日 10:41

 私は教育学部に1年で、来年には介護実習があります。それなのに、車いすの操作がそんなに難しいとは知りませんでした。(虫ゴムも知りませんでした)
 今のまま行っても何の役にも立たないまま終わっていたと思います。
 実習の前にはしっかりと予習をして、迷惑だけはかけないようにしたいと思います。


投稿者: hiroshi | 2011年01月26日 11:23

 小学校のときに車いすの体験をしたとき、まず思ったことは段差が非常につらいということでした。健常者が一歩で越えられるなんともない段差が、車いすに乗ったとたんただの段差じゃなくなったことがすごく思い出に残っています。
 恒常的にそういった障害物と向き合わなければいけないひとと同じ目線に立たなければ、バリアフリーなんて実現できないと感じます。健常者が障害者のために「してやってる」という考えを捨てていく必要があると私は思います。


投稿者: Q.E.D | 2011年01月26日 12:35

 ブログの中にもあるように、車いすは最もポピュラーな福祉用具だと私も思います。
 しかし、私をはじめ多くの人は車いすについての知識があまりないと思います。
 現在、車いすを利用して生活している方が多くいます。車いすを利用している方々と私たちが同じ社会の中で共に生活していくために、車いすの知識をしっかりと持つことが大切だと思いました。


投稿者: ysk | 2011年01月26日 14:27

 最近、どこに行っても階段の近くにスロープがあったり、車いす用のトイレなどがあるのを目にします。バリアフリーが浸透してきた結果だと思います。
 私も、中学生のときに車いすに乗ったことがあります。足を骨折していたにも関わらず家族で東京旅行に行ったときに、あまりにも歩けないために係りの方が車いすを用意してくれました。当時は、車いすに乗れることが楽しくてはしゃいでいましたが、街中が段差やでこぼこした道が多く、車いすで進むことがとても大変だった記憶があります。
 スロープにしたからといってすいすい進めるわけではありません。傾斜が低くても車いすにとっては物凄く大きな坂道に見えることをその時感じました。
 車いすの使い方も実際にやってみないとわからないし、暮らしやすい街も、実際に車いすで生活してみないとわからない。もっと、私たちの身近になるように、お互いに協力していくことが必要だと感じました。


投稿者: ゆうかな | 2011年01月27日 02:01

 突然ですが、自分は一度も車いすに乗ったことがありません。小学校の時とかに体験した人が多いようですが、そういった事をやった記憶もありません。なので、電車で駅員にスロープのようなものを敷かれて車いすで乗り込む人を見てもなんとも思わなかったもですが、この記事を見て車いすの大変さや我々の考え方を変えないといけないと感じました。
 自分もいつ急に車いすが必要になるか分からないので、その時になって苦しまないように自分も考えを改め、世間には車いすを使う人にとっても過ごしやすい世の中になって欲しいと思います。


投稿者: ダイドー | 2011年01月28日 11:13

 授業で車いすを実際に使ってみたのは中学生の時が最後です。 その時はただ友達と楽しみながら何も考えずアトラクションのように押したり、乗ったりしていました。大学生である今、もう一度基礎を知りたいと思えました。


投稿者: もっちりーの | 2011年01月31日 08:45

 小学生の時に、実際に車椅子を体験する機会があり、当時はアトラクション感覚で友達と競争したり、ふざけていた記憶がこのブログを見て蘇りました。今思うと、車いす利用者へ配慮が足りなく、なんと軽率な行動だったと思わずにはいられません。心の底から申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 車椅子をはじめて乗ったとき、とても新鮮で楽しかったですが、しだいに腕が疲れてきて、嫌になったことと、機敏な動作ができないことに対して不満をもらしたことを覚えています。また車椅子を押す側として、押すスピードや安全面など様々なことに配慮しなければいけなかったことを思い出し、懐かしい気持ちになりました。
 
 年末、私が近所のスーパーに行ったとき、そのスーパーは大変な混みようで、ある個所では私も身動きがとれない状態でした。その現場に車椅子利用者とその支援者がいたのですが、周りの人はその二人に配慮も見せず、それを見ていた私は少し嫌な気分になりました。
 それに気がついた私も周りの人達になんらかの声をかけていれば、もう少し状況は違っていたと思うのですが、いま一つ勇気が出ず、見て見ぬふりをしてしまいました。今思うと、何の行動も出来なかった自分が恥ずかしいです。

 このブログを読んでから、福祉に対する意識の持ちようが変わり、至るところにバリアフリーが設けてあることに気づきはじめました。しかし、車椅子利用者からすれば、まだまだ足りない部分が数多くあるのではないでしょうか。
 また、ますます高齢化社会になる日本で車椅子利用者の増加は必然であるので、皆が配慮できる社会にするために福祉体験の機会を増やす必要があると思います。そうすることで、本当の意味で住みやすい街づくりが形成されていくと思います。


投稿者: 栃木のストライカー | 2011年01月31日 15:19

 自分は車いすに乗るという体験をしたことがありません。なので、車いすに乗ることの大変が分からなかったのですが、先日電車で駅員にスロープを敷いてもらって乗り込む姿を見たときにその苦労が少し分かりました。
 自分も、いつ車いすに乗ることになってもいいように考え方を改める必要があると感じました。


投稿者: shshsh | 2011年02月01日 16:02

 人生で初めて車いすに触れたのは、曾祖父の介護を手伝った小学生の時でした。その時、「なんでもっとなめらかに動いてくれないのだろうか」「なんで段差ばかりあるのだろう」など、車いすに関する問題にリアルに直面した記憶があります。
 その時はあたふたしてばかりだったけど、成長して多少知識はついたぞと思っていましたが、まだまだ自分の知らないことがたくさんあることに気付きました。ブログを読むことができよかったです。今後はさらに知識をつけて、自分が車いすに関わるときのために備えたいと思います。


投稿者: ギ―太 | 2011年02月02日 00:55

 私は車いすに乗ったことは一度もありません。しかし、祖母が車いすで生活しているため、車いすと全くの無縁というわけでもありませんでした。
 祖母の車いすを押すことが何度もあったので、押す時にはどういったことに注意を払うべきかは知っていたつもりでしたが、車いすに乗って感じる世界はまったく知りませんでした。
 これからは乗っている側の視点まで考えた補助をしてあげたいとこの記事を読んで感じました。


投稿者: 7342 | 2011年02月02日 08:30

 私は中学生のとき実際に車椅子を押すことを体験しましたがとても大変でした。
 車椅子自体がとても重く、さらに人が乗るので、角を曲がるのにも一苦労でした。特に下り坂では、車椅子がどんどん進んでしまわないように踏ん張らなければいけないのですが、何せ重いのでとてもきつかったのが印象的です。
 押すのがそれだけ大変なので、乗っている本人が自分で車椅子を動かそうとするには相当な体力が必要だと思います。
 ぜひとも日本の技術力で誰でも簡単に操作できる車椅子を開発していただきたいものです。


投稿者: まめこ | 2011年02月02日 10:32

 駅で乗車時に駅員さんが車いすの人のために簡易スロープのような板を用意してくれるのよく目にします。しかし、大学の近くの道は道幅が狭く、車いすの人が通りづらく、まだまだバリアフリー化への道は遠いなぁと思いました。


投稿者: 王国民 | 2011年02月02日 12:35

 よく帰りの電車の途中で駅員さんが2人ほどで車両とホームの間を埋めるスロープを取り付けている作業を見かけます。電動車いすも普及していて1人で車いすにのっている方もたびたび見かけます。ほかに私たちにできることはないだろうかと思いました。


投稿者: 鬼武者 | 2011年02月02日 14:03

 工学部の者です。
 車いすで生活をした体験があるので、車いすで生活している人の気持ちが少しは分かります。もっとこの国は健常者だけでなく障害をもつ人も生きやすい社会にしなければならないと思います。


投稿者: たく | 2011年02月02日 14:12

 今見てみると、なかなか思い出深い写真ですね(笑)

 私は、以前に祖父の車いすを押して、病院を連れ出してはあたりをぐるぐる回り、暴走していたことがありました。

 そして今回は、逆に乗る側に回り暴走されると、、、とても怖いことがわかりました。

 祖父にはとてもスリリングな経験になったのではないかと思います。

 「当事者の目になってみる」ことをしてみないと見れない世界があるということを実感できた時間になりました。


投稿者: ぼうしメガネ | 2011年02月06日 15:46

車いすを見ただけで「あぁ…」というような目を向ける人が多いと日頃から感じています。
自分もそうですが、車いすの人とそうでない人に声をかけられたら反応に差が出る…。
それは車いすについての知識がないからだと思います。しかし次第に時代が変わっているのも確かで、電車・タクシー・バス等で車いす利用者へのさまざまな補助の工夫がされているのを目にします。
また、違う角度で見てみると、車いすの価格改善や軽量化も利用者を助けるのではないでしょうか。
健常者とだけでなく、何かと障がい者の中にもランクをつける傾向がありますが、政府は障がいの重さに関係なく、負担を軽くするような支援をすべきだと思います。


投稿者: ko-shi | 2011年06月12日 21:31

私は今まで車椅子に乗ったことがありません。
実際に車椅子に乗ったり、車椅子の人と接することによって、私が普段の生活で気づけていない車椅子の人にとっての不便な点を知ることができ、私も日常生活で車椅子の人に会ったときになんらかの配慮ができるのではないかと思いました。
車椅子に触れる機会というのはとてもいいことだと思います。
 
このブログを読んで、私が小学生だったとき、私の小学校に車いすの子が入学することになり、学校にエレベーターが設置されたり、スロープがつくられたり、渡り廊下が段差のないものに作りかえられたことを思い出しました。

これから日本は高齢社会で車椅子の方は増えてくると思うので、バリアフリー化を進めることは非常に大切だと思います。
また、設備だけでなく、私たちも気づいたことを実際に行動に移してサポートしていくことが必要だと思いました。


投稿者: りんごあめ | 2011年06月26日 15:36

 私は老人ホームへ体験実習に行ったとき、利用者の方の車いすを何の注意もなく押したら担当者に注意されてしまった。脚がちゃんと台に乗っているか、腕がはみ出ていないか等をしっかり確認しなければならなかったのだ。日常よく目にする車いすのことはなんとなくわかっているような気がするが、実際は知識が浅いということをまず認識すべきである。そして一人一人が正しい知識を身につけておくことが大切だと感じた。


投稿者: いちごホイップ | 2011年06月29日 22:38

 車いすは、人間が人生のどこかでお世話になるものではないか、と思う。私自身はまだ体験学習でしか使ったことはないが、歩けないくらいの大けがをした友人(今は完治している)や、足腰を悪くした祖母など、身近なところで使われているのをみると、車いすの便利さを感じた反面、まだまだ変えていかなければならないものが多くあるのでは、と思う。
 バリアフリーのために、例えば駅などでは、エレベーターの設置がどんどん進められていたり(北浦和駅も現在進行中だ)、車いすを乗せることのできるバスがほとんどになっていたりするし、スロープや段差の少ない(ほとんどない)場所も増えている。
 しかし、例えば埼玉大学の構内をとってみても、あんなに道がでこぼこしているのをみると、この上を車いすが通ったらどれだけ振動がくるのだろうかなどと考えてしまう。昔、体験の時に感じた、でこぼこした道の上を通った時の怖い感じを思い出す。
 バリアフリーに関しては、車いすの問題に限らず、どれも一時的(というか表面的)の問題解決のようにしかいまのところ感じられない。エレベーターなど、それがあることで助かる部分もあるが、それでもまだ多くの点でバリアフリーを感じられない人々も多いのではないか、と思う。都市計画などから見直す点もあるのだろうが、はやく、どんな人も気軽に外に出ることのできるような社会になればいいな、と思った。


投稿者: setsu | 2011年07月11日 00:00

僕の祖父は足が悪く、一昨年ついに自分の足で歩くことが出来なくなってしまいました。祖父は人に車椅子を押してもらうことを嫌い、自分一人で押そうとします。車椅子は、自分で押すことが出来る人の足となり、行動範囲を広げ、自分で押すことが出来ない人でも人の補助を得れば移動手段になりえます。自力で立って歩くことが出来なくなってしまった人でも人に補助されることを嫌がる人はいるので、そうした人の自尊心を傷つけない福祉用具として、今後ますます重要になると思いました。


投稿者: のも | 2011年07月11日 21:20

僕の祖父は足が悪く、一昨年ついに自分の足で歩くことが出来なくなってしまいました。祖父は人に車椅子を押してもらうことを嫌い、自分一人で押そうとします。車椅子は、自分で押すことが出来る人の足となり、行動範囲を広げ、自分で押すことが出来ない人でも人の補助を得れば移動手段になりえます。自力で立って歩くことが出来なくなってしまった人でも人に補助されることを嫌がる人はいるので、そうした人の自尊心を傷つけない福祉用具として、今後ますます重要になると思いました。


投稿者: のも | 2011年07月12日 01:35

車いすというものに小学生の頃お世話になった。足を複雑骨折したためだ。その当時、一人個室で毎日を過ごしていた。私は、さみしくて仕方なかったが一日に一回だけ看護師さんが車いすに乗せてくれた。毎日、ほんの十数分屋上をまわるのだが申し訳なさでいっぱいだった私は少しぶっきらぼうに会話を交わしていた。
しかし、ゆっくりゆっくり一言一言丁寧に話しかけてくれたあの看護師さんの心遣いは今でも思い出すだけでグッとくる。介助の道具でありコミュニケーションの道具でもある車いすというものをもっと皆が素敵な目で見ることができたならいいなぁーと思う。


投稿者: dapo | 2011年07月12日 16:59

 学校の授業で、車いすを利用する人々の話を聴いたり、実際に車いすの体験をしたりすることがあった。その体験で、車いすの操縦は、見た目よりもずっと複雑なものであり、乗っている人には、多くの負担がかかるということがわかった。また、押してもらう場合でも、押す人に多大な負担がかかることも分かった。現在、バリアフリー化が進んでいるが、このことが、車いす利用者の助けになればいいと思う。


投稿者: ジジ | 2011年07月12日 23:06

 車椅子というのは最も身近で、昔からある大事な介護道具の一つですが、実際に車椅子に乗ったり、車椅子に乗っている人を介護する側になったりというのを経験しないと、分からないことが意外に多いものであると感じます。私も初めてティッピングレバーを使わなければならなかった時はよくわからず焦ったことがありました。
 また車椅子の機能も進化していて、どんどん乗っている人だけでいろんな所に行けるようになっています。それ故に、一人で車椅子を操り、出掛ける人を街中や施設内で見かけることも自然と多くなるでしょうから、周りの注意も より必要になってくる気がします。 いざというときに適切な車椅子の使い方、車椅子の方のケアの仕方が出来るように、今のうちから少しでもそれについて知っておきたいです。


投稿者: i34i | 2011年07月13日 09:58

 私の祖父は脳梗塞の後遺症で左半身マヒを抱えています。リハビリの結果、介助なしでほとんどの日常動作は可能になりましたが、長距離を歩く必要があるときは車いすを利用します。自分は家族旅行の時、祖父の車いすを押す機会が多々あり、その時に感じたことがいくつかあります。
 沖縄旅行に行った時のことです。首里城へ向かっていました。伝統的な価値のある建物は改築が難しくて、バリアフリーにはなっておらず、車いすでは無理かなあと予想していたのですが、着いてびっくり、そこには車いす専用のコースが用意されており、専用の昇降機がたくさんあったのです。おかげで祖父と一緒に首里城のほとんどをまわることができました。
 首里城でさえバリアフリーにできるのだから、他のどんな場所でもバリアフリーにすることができるのではないかと、未来への希望を持ちました。


投稿者: どらやき | 2011年12月27日 22:37

 先日、京都の金閣を見に行く機会がありました。金閣の周りにはコースのような小さな道があっていろいろな角度から金閣を眺めることができるようになっています。しかしそれは健常者だけでした。坂や階段、狭い道が多く、車椅子の人は1か所からしか見ることができないような造りでした。看板にも、車椅子の方は引き返すようにと書いてありました(見ることはできます)。
 金閣自体は美しく感動したのですが、車椅子だからといって同じように見ることができない人がいるというのは残念でした。記事にあるような介助の体験などが広く学校教育の中で行われ、福祉やバリアフリーに対する理解が広まることが必要だとます。


投稿者: Kosuke | 2012年01月09日 23:33

僕はこのブログを読むまでは車椅子を押すときはお年寄りなどのコミュニケーションが大事だと思っていましたが、その前にしっかりとした車椅子の知識ももっておくべきだと思いました。僕はちっちゃいころおじいちゃんの車椅子をよく押していたけれど、お父さんにも危ないと怒られた事があるのを思い出しました。まずは安全であることで、プラスコミュニケーションをとることで車椅子に乗ってる人にとって、いいのだと思いました。


投稿者: abc48 | 2012年01月24日 19:26

 私はつい先日、介護等実習で特別養護老人ホームへ行ってきました。そこでは9割以上の方が車椅子を利用していました。今まで車椅子というと高齢者というよりも障害や怪我の為に使うという印象が強くありました。しかし、それは自分の偏見だったということに気付くことができました。
 体験することにより、普段では気にかけないような小さな段差や傾斜も、ひとつの障害であるのだと再認識しました。小学校や中学校の現場でも車椅子介助やシニア体験が行われ、こうした体験などを通じて、バリアフリーについて考えることの必要性を強く感じます。


投稿者: ぽんた | 2012年01月25日 01:46

私もここにコメントしている多くの人たちと同じく車椅子体験をしたことがある。その時は車椅子での日常生活を体験したのだが、説明を受けながらぎこちないながらも車椅子で会場になった施設のあちこちを周り、思っていた以上の車椅子の性能に驚いた覚えがある。

バリアフリーをうたい社会にハンディキャップのある人を受け入れていく意識があるならば、ハンディキャップのある人が日常的に用いる道具に関しての知識を一人一人が持つ必要があるとおもった。


投稿者: しばたんく | 2012年07月25日 06:21

私は高校でたくさんの
ボランティアをやってきて
足が不自由だったりで車いすに乗ってる人とかなり身近な存在だったので興味を引きました。


投稿者: わーお☆ | 2012年11月20日 00:53

このブログを読んだのは、車椅子というのが、わたしたちにとってすごくみじかで、入り込みやすかったからです。そして、わたさにとって、車椅子は、高校生での障がい者に対するボランティア活動や、就職体験での看護関係のなかでふれあってきたことだったので、興味を持ち、読ませていただきました。ブログにもかいているとおり、車椅子というのは障がい者だけではなく、年をとった方にもみじかなもので、それは未来の自分にも関係あるのです。ブログにかいていることでは、車椅子は複雑ということで、種類がいろいろあるのかなとおもいました。いまは、自動でうごくものなどもあるのでかなりべんりになってきたとおもいます。タイヤの空気圧、無視ゴムの交換などは、ふつうのボランティア活動では体験しないかとおもいます。学校などで、そんな講義があったらいいのかなとおもいました。車椅子も、自転車も、飛行機も、そして人間も、みんないっしょだとおもいます。宗澤先生講義ありがとうございました。


投稿者: イカそうめん | 2012年11月30日 13:16

車いすというのは自分にあまりなじみのない移動手段でありました。しかし、介護体験を経てより身近になった感じがします。介護される側の立場になって車いすを利用すると危険に感じるものが増えたり、スピードが速いと感じたりすることが何回もありました。介護される側の気持ちを知る教材としてはうってつけなのかなと思います。
ただ、自分も虫ゴムに関しては知りませんでした。車いすがもっと一般になじみのあるものになって、空気を入れたことがある人が増え、虫ゴムの話題を話せるようになればうれしいですね。


投稿者: レモンウォーター | 2014年01月22日 12:46

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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