大阪ネグレクト子ども死亡ケース
先月の30日に大阪市西区のマンションで2人の幼児が遺体で発見されて以来、この「虐待事件」をめぐる報道が続いています。ここでは、子どもを死に至らしめた母親への非難が異常なまでに強迫的なメッセージに彩られ、虐待研究の端くれに身を置く私としては、あまりにも俗悪な内容を看過することができません。とりわけ、テレビのワイドショーの「コメンテーター」には怒りを通り越して、この「母親」への人権侵害に限りなく近い発言さえ散見されました。
この事件の現在(8月11日)は、この母親が殺人容疑で再逮捕され、大阪府警は「確定的殺意」を抱いていた可能性が高いと判断していると報じられています。この間の、母親を非難するメッセージ性に著しく傾斜したマスコミの取り上げ方を経て、「確定的殺意があったとみて殺人容疑で再逮捕した」と大阪府警記者クラブの発表をそのまま報道するのですから、母親に対する非難をますます高めることにマスコミは加担しているだけです。
かつて秋田で発生した「彩香ちゃん事件」のときも、テレビ局各社のカメラが母親を追いかけ回し、そのしつこさに苛立ちをつのらせて振り向いた母親の顔をアップで切り取り、いかにも「鬼のような母親」である「画」をつくりあげました。私には、テレビ局のクルーこそ「鬼畜生」にみえますが。
端的に言えば、マスコミは「刑事事件」としてこの母親を「犯人扱い」しているだけで、「子ども虐待」をまったく報じてはいないのです。あらゆる虐待研究が示しているように、「子どもとその養育者が支援を要する状態」が「子ども虐待」の議論の出発点です。それは高齢者虐待や障害者虐待も同様です。
今回のケースは子どもが死亡していますから、「刑事事件」としての一面を間違いなく持つとしても、「この母親と子どもたちは支援を必要とする状態であったのに、なぜ支援が行き届かなかったのか」という「虐待ケース」にふさわしい起点から報道されることはまずありません。平成に入ってから40倍以上の激増をみせている「子ども虐待」を前に、もはや虐待が日本の普遍的現象にまで拡大した事態を直視し、社会的に克服することに資する報道からは、あまりにもかけ離れた姿勢ではないでしょうか。
その結果、児童相談所に対しても「なぜいち早く介入しなかったのか」というような、「事件発生に速やかな対応をすべき警察」と同じような印象を世間に作り上げてしまっています。いうまでもなく、児童相談所は支援を実施する福祉の機関ですから、職権があるとはいえ、まずは母親と子どもたちに介入後の支援がスムースに運ぶような信頼関係を結ぶことに心を砕く職責をもつところです。それこそ「ワーカー・スピリット」でしょう。この当たり前の観点がマスコミ報道から消失するのは、「鬼のような母親」を作り上げ前提することによって、「鬼から子どもを守るのは児童相談所の責任だ」「鬼がいることをいち早く通報するのが近隣住民の役割だ」と描くからです。
大阪のネグレクトケースでは、これまでの新聞報道からは少なくとも、次のことが確認されます。母親の生い立ちの貧しさ(実家を離れて高校の先生に育てられた)、非行から立ち直って進学を果たしちゃんと就職したこと、結婚をして出産後には無上の幸福を感じながら子育てをしていたこと、「幸せ願望」を人一倍強く抱いていたところが離婚を契機に大阪に移り住み風俗で働くようになったこと、そしてネグレクトがはじまった…。
経済的困窮に追い込まれ、身内からも孤立し、不案内な土地に移り住み、まともな働き口にも恵まれない局面で、これまでのタイトな人生で努力し頑張り抜いてきた母親の中の「張り詰めた糸」のすべてがぷつんと切れたように感じます。
「それでも、彼女は子育てに無上の幸せを感じていたときには、育児書にも眼を通していた」と一部報道は伝えています。あたかも育児書に目を通していた段階の彼女は普通の母親だったかのようです。
家族は本来、親密圏のユニットです。具体的な生への配慮・関心をメディア(媒介項)として、互いに慈しみあい育みあうという親密で持続的な関係性を紡ぎだすところです。そこでは、職場や学校等の「課題」「ノルマ」等から解放され、ほっと一息つきながら、相互のわがままや欲求を受けとめ合うことも含めた安心と安全が期待されます。
ところが、現代の子育ては多くの親にとって「課題」「ノルマ」になっているのではないでしょうか?
親が自然体で「親になりゆく」ことに著しい困難があるからこそ、「育児書」や「育児雑誌」に眼を通すようになっているのです。「婚活」の一環として、育児能力や家事能力を獲得するための「教室」に通う20代が増えている現象は、親密圏を構成するパートナーを見出すためには、一定の「課題」「ノルマ」を達成しなければならない事態にあることを意味します。そしてさらに、結婚し出産すれば、「保活」(受け入れ可能な保育所を探す活動のこと)の「ノルマ」が待っています。
このような事態は、子育て期にとどまりません。親と自分の生活習慣病や介護予防の取り組み、退職後の過ごし方と趣味を考えて身につけることに至るまで、家族という親密圏の内部にありとあらゆる「課題」「ノルマ」が持ち込まれているのです。日々の生活と人生において、一体どこでホッとできるというのでしょう。
「課題」や「ノルマ」から解放されるところが親密圏であるはずなのに、子育てや家事をめぐって親密圏の内部に「課題」と「ノルマ」が充満し、「こうあらねばならない」との強迫性に彩られてしまっています。
その結果、身近な人たちが互いに「慈しみあい育みあうユニット」としての家族機能は解体され、家族を通して「慈しみあい育みあう能力」を世代間で継承することは消失していきます。身近な人との親密な間柄(「愛情」といってもいいでしょう)を紡ぎだす資質を引き継いでいくユニットとして、家族は機能しなくなっているのです。そのことがまた、「自然体では親になりゆけない」困難を次世代に増幅し、育児書をさらに読まなければならないような「ノルマ」を拡大・敷衍していく。
このような悪循環の中で、貧困と孤立の極限に追い込まれて子育てをギブアップし、子どもにネグレクトをした彼女を「鬼のような母親」扱いするのは、決して「虐待の視点」ではありません。現代に生きる万人が、彼女のように追い込まれかねない土壌と生活構造の中で、息苦しさ・生き辛さを共有していると考えます。
あるテレビ番組では、この母親に対して「母性がない」と言い切る女性のコメンテーターがいました。「母性」という言葉を用いるカビの生えたようなアナクロもさることながら、「自分はこのような母親とは違う女性なのだ」という傲慢さには心底辟易します。
「母性」という言葉が世間で通用したのは、身近な人と親密な間柄を培う資質が家族を通じて世代間継承され、自然体のままでも女性が母親になりゆくことができる条件のあった時代までのことです。
何がこの「母親」をここまで追いやったのか? 私たちには何ができるのか? これらを明らかにするための事実を伝えることに、講読者数や視聴率を言訳にすることなく、マスコミは自らの使命を果たすべきです。











コメント
専業主婦、核家族で2才の子どもを育てているのですが、自我の発達するこの時期、毎日子どものイヤイヤと格闘しています。
虐待、他人事ではないです。私は児童虐待について学ぶ機会もあり、福祉の現場では子育てに困難を抱える方々を支援する機会もあったのですが、だから自分は大丈夫ということには決してならないです。いろいろな条件が重なればいつだって自分も虐待する可能性があります。
でも自分が現場にいた頃は「子育て大変ですね」と言いながら親を支援したり支援につなげたりする中で、やはりどこか親側を責める気持ちがありました。子どもがかわいそう・・と。
有能なソーシャルワーカーは実際に自分が子育てをしていなくても、想像力を働かせたり客観的にそのケースを評価したりして、親を責めても何にもならないことがわかるのでしょうが、私は自分が経験してみてやっと親側の心情がわかったところです。
子育ては確かに「ノルマ」に追われていますね。まわりでは2才頃から習い事や早期教育、プレ幼稚園等に通い出す子が多く、今は年少での入園にむけて幼稚園・保育園選びの各種情報が飛び交っています。育児法もテレビで○○式と取り上げられれば飛びついてみる・・
のんびり子育てしたいと思っていても、情報だけはあふれ、とにかく乗り遅れてはいけない!という雰囲気の中では、常に追い立てられている気分になってしまいます。
失礼ながら僕は宗澤先生の講義を受けるまで虐待についての実態を知りませんでした。メディアの報道に振り回されていた側です。
しかし、実態を知れば知るほど今までの自分が恥ずかしくなってきます。
今までは客観的というか、他人事のように考えていました。自分は大丈夫、関係ないという感じでした。
この考え方を改め、虐待に対しての正しい知識を身につけていきたいと思います。
いぬさんのコメントも読ませていただきましたが、現在の主婦の大変さというものがひしひしと伝わってきました。
僕は絶対的な育児法は存在しない、それぞれの個性にあった育て方が必要であると考えています。
それなのにメディアはこれが正しいといった流行を作り上げています。
情報があふれた現代の中で子供を育てていくというのは、昔とは違った難しさがあるのだと考えさせられました。
講義を受講しているものです。
自分の意見としては、どんなに貧困だろう、ストレスが溜ろうとも親は虐待するべきではないし、もし育児を放棄する危険性があるなら子供を生むなと憤りをおぼえます。
むしろ、子供を生むなら、親は責任を持って育てろと言ってやりたいくらいです。
まだ、未婚の自分には親の気持ちになるのは無理だが、親になったとき虐待はしない。
そう決意しました。
マスコミに関しては、仕事上仕方ないと思います。
マスコミには、マスコミの事情があるわけですし。
講義を受講している者です。
事件を「分りやすく」説明する現代のマスコミの報道姿勢には大きな問題がありますが、その槍玉に挙げられてしまった母親とそれを取り巻く環境についてのみ感想を書いていこうと思います。
子育てがノルマと化している現状、これについてはその通りであるように思えます。
資本主義体制が進み、努力を積み重ねた末にその結果が残ることが当然とされているような今の社会ですが、子育てですら「将来達成されるべきノルマをクリアできる素質を作り上げる」ノルマに変化してきているのかもしれないということを感じました。
1日24時間、毎日毎日、年から年中ノルマに縛り付けられていたら、そのノルマに押しつぶされるのは当然でしょう。
みな自分に課せられたノルマを達成することだけに集中しだし、次第に周りまで手が回らなくなってくる。「よそはよそ、うちはうち」という言葉を盾に、他の家庭とコミュニケーションをとることを拒絶してしまう。それがいつの間にか「悪いことをした人は悪い人だ」という思考から「あそこの親(子)は…」という評判に摩り替わり、いつの間にかその当事者が絶対悪になってしまう、という図式ができてしまっているのではないか。
そしてその姿勢は虐待を「虐待」する環境の進行へとつながり、今回の報道にも少なからずつながっているのではないか、とも考えました。
後期の宗澤先生の講義をとっています。
少子化が進んでいるのにも関わらず、待機児童の数は増え続けていて、さらに、核家族であるために子供の面倒を見てくれる人もなく、ますます育児がしにくい社会になっていると思います。
四六時中『課題・ノルマ』に追われながらの子育ては、本当に苦しいものだと思います。そういった生活環境や親のバックグラウンドを全く無視し、子供をネグレクトしたという表面だけの報道をするマスコミばかりが目立ったように感じました。
一方的に子供がかわいそうと決めつけるのではなく、母親の立場を理解し擁護するような意見も報道すべきだったのではと思います。
後期の宗澤先生の授業を受講しています。
今まで自分の生きてきた中で"虐待"というものは無縁であり、テレビで流れる虐待のニュースを見ても『こういう虐待事件があったんだ…』としか思っていませんでした。流れてくる情報をただ受け止めているだけでした。
しかし今、この授業を通して虐待の実態、虐待をする側のこと、虐待をされる側のこと、虐待をした・されたその後のことなどを学び、様々なビデオを通して、『虐待は自分の身近にあるものだったんだ…』ということも認識し始めました。
この記事を読み、マスコミの報道を鵜呑みにしていた自分が恥ずかしくなりました。そして、"虐待をした側"についてもっと知る必要があると感じました。また、マスコミはもっと虐待の背景を伝えていかなければ、児童虐待は減らないのではないか、と感じました。
前のコメントにもありますが、自分も一方的に子どもは被害者だと決め付けていました。しかし、そこに至るまでには虐待をする側にも『何かあったんじゃないか』と自分でも考えられるようになりたいです。自分も将来、虐待をする可能性はあるし、周りにいる誰かが虐待をする可能性も十分あることを改めて実感しました。
私は、宗澤先生の講義を後期に受けてから、この大阪のネグレクト子供死亡の事件やその他の虐待による子供の死亡事件に対する考え方がかなり変わりました。
私自身、メディアの報道にはいつも疑って情報を聞くようにしてますが、虐待による死亡の事件に関しては一方的に虐待者が許せないという認識を持つだけでした。
しかし、先生の講義を受けてから、虐待者に対する認識がだいぶ変わり、その感情も人として理解できるものだと感じました。私自身、身近な存在である家族を大切にしようとは思いながらも、どうしても家族を傷つけてしまうこともあります。
きっと、この大阪のケースもこのようなことだったのだろうと思います。いくら子供がすきでも虐待をしてしまう親のことを、私は先生の講義で少しでも気づくことができて本当に良かった思います。また、周りの積極的なヘルプも必要だと思いました。
講義を受講しています。
間違っていたら申し訳ないですが、教授は虐待の根本原因は支援をできなかった周辺環境にあると考えているように思えます。確かに、今回の事件の母親は経済的、精神的にも厳しい状態にあり、それを支援できなかった行政側などにも改善すべき点はあると思いますが、やはり一番の原因は母親その人自身にあるのでは、と自分は考えます。
不景気で、人との関係性が希薄になった日本で虐待は非常に頻繁に報道されています。しかしその裏には、同じように厳しい状況にありながら、子育てを一生懸命頑張る親がいると思います。そのような人が虐待を周辺環境のせいと言われたら、それは「甘え」と思うのではないでしょうか。
自分は家庭を持ったことがありませんし、明日の食料に困るという生活も経験がありません。そんな自分が教授のような教育の専門家に反論して申し訳ないですが、やはり私は幼児虐待の根本原因は虐待する側その人自身にあると考えます。
ここ10年で虐待が急増している(明るみに出ている)ことは間違いないが、にもかかわらず、世間全体で考えたときに、まだまだ虐待への関心が低いと個人的には感じます。メディアの虐待の扱いから見ても、どこか他人事のように感じます。
いくら虐待の根本的な原因を考え、議論したところで、世間の関心が低いようではあまり意味をなさなくなってしまう。そのためにも、メディアの役割は非常に大きいと考えます。もちろん虐待に限ったことではありませんが。
虐待したくてしている母親はいない
講義で先生がおっしゃていた言葉だと思います。
私もそう思います。虐待が、したくないと思えばしないでにすむものなら、件数が20年で40倍以上に増えていないだろうし、子どもが死亡するまでにもなっていないだろうし…。
講義を受けながら、私なりにどうしたら虐待がなくなるのだろうと考えました。報道では、児童相談所の早期対応が虐待防止につながるという見方が主流だけれど、私はそのことには少し懐疑的です。相談所がいくら虐待を不確かでもいいから通報してくれといっても限度があると思うからです。地域住民との関わりが希薄になっている今、ご近所だからと言って通報できる人はいるのかなと思ってしまいます。
だから、単純かもしれないけれど、やはり大切なのは祖父母や夫との良い関係だと思っています。子育てに行き詰ったら祖父母に助言を、夫に手助けを求められる関係がでなければ、課題・ノルマにいやでも追われる現代社会において、子どもを育てることは難しすぎます。母親が一人で抱え込まずにすむ環境になれば良いと思うけれど、やっぱり理想かな…。本当に難しい問題だと思います。
こんにちは。先生の講義を受けて虐待について深く考えさせられました。
講義、およびこの記事を読んで、誰しもが虐待をしてしまう可能性があり、そしてそれは周りの事情に大きく影響されることがわかりました。この大阪のネグレクトのケースではまさにそれを物語っており、こんな事態になってしまった原因はなにか考えてみました。
親が悪い。と言ってしまえばそれまでのように思いますが、このケースは親だけに原因があるとは思えません。過去に育児に幸せを抱いているからです。そんな彼女がネグレクトを行ってしまったということは、やはり子育ては想像以上に大変ということが私にもよくわかります。確かにこのケースでは母親だけで幼い2人を育てるという負担が大きすぎたのも原因だと思います。しかし、この状況に追い込んだ環境にも原因があるように思います。
子育てをするのが彼女しかいなく、安らぐこともできず精神的に病んでいたのではないでしょうか。家の近所の関係も希薄化している現在では、子育てを手伝ってもらうということは無理難題のようにも感じます。そのような人達を支援する育児施設を国が率先して作り推奨するべきではないのか。と私は思いました。
少し話が変わりますが、マスコミは本当に嫌なところしか映さないように思います。真実を歪めたり隠したりして、ただ単に視聴率を稼ぐのは間違っていると私は思います。本当の事実を伝え、今後どうするべきか。どんなことができるのかを私たちに伝えるべきではないでしょうか。私もマスコミの報道を鵜呑みしないように気をつけたいと思います。
最後に、子どもは親を選ぶことはできません。それゆえに子どもの人生は親にかかっているといっても過言ではないと思います。私が親になったとき、虐待は絶対にしないと心に留めて家庭円満な生活ができたらいいなと思いました。
講義を受講しています。自分が口よりも手が先に出るタイプであることもあり、虐待は人事ではないと感じていました。
就職活動が視野に入ってきた今、都会に働きに出ることに対して、強い不安を覚えるようになりました。そこで家庭をもった場合、親戚の援助なしに完全に一人で子育て(と仕事と家事)を行わなければならなくなる可能性が非常に高くなるからです。子供には、幸せな子供時代をおくってもらいたい。それなりに習い事もさせて、大学までやって……。もしかしたらその頃には、文理問わずに大学院が当たり前になっているかもしれません。
この虐待ケースでは、母親は結婚か出産を機に仕事をやめていたのではないかと思われます。「ただの母親」が、子育てをしながら家庭をひとつ支えるだけの職を見つけなおすことは、本当に難しいことです。
育児書を読んでいたならば、そこに書かれているレベルでの子育てに必要な時間とお金と、現実に自分が割ける量を比較して、愕然としたことでしょう。
この母親と同じ状況になっても虐待をしない親もいるでしょう。しかし、綱わたりをしてたまたま向こう側まで渡れた人がいたからといって、たまたま渡れなかった人を非難するようなことをしてもいいのでしょうか。
私は、同じ状況での子育てなど、考えたくもありません。でもいつか、練習なしに綱渡りを強制されることがあるのかもしれないと思います。
まだ大学に入学していなかった頃の私は、児童虐待についての報道があった際に、言葉は悪いですが、「虐待を行った両親=最低の人間」と思っていました。虐待の裏に隠れた家庭内の背景まで考えたことがなかったからです。
しかし、福祉の勉強を始めるにつれて、考え方は変わっていきました。ネグレクトなどの虐待は決して許されることではありませんが、なぜこのような事態に陥ってしまったか原因について考えることが重要であると知りました。
マスコミはいかに視聴者の目を引くことができるかということを重点とした報道をするため、人々はこれらの問題に対して昔の私のように、悪い先入観を持ちます。報道ひとつ変えることで、自分の近所の家庭に目を向け社会的支援の手助けができたり、自分の家庭についてもう一度見つめ直したりと、事前に虐待を防ぐことができるきっかけが増えるはずです。
他人事だと思わずに、虐待をさせない社会を一人一人が考えていくべきだと思います。
私は、このブログを読んでとても共感したところがあります。それはマスコミの報道のやり方についてです。
ブログにも書かれているように、私も母親のたまたま見せた一瞬の怖い表情を切り取り、国民に誤解を生むような報道の仕方良くないと思います。確かに虐待をし、その結果小さな子どもの命が亡くなってしまうことは許されることのない重い罪であることには間違いありません。
しかし、母親にも人権はあります。犯罪を犯したからといって、人権はなくなるものではありません。だから、私はマスコミの報道の仕方には疑問を抱く時があります。
また、容疑者のことばかり報道するのではなく、もっと他に報道し伝えるべきことがあるのではないかと思います。それは虐待を疑うような家族がいたら、どこへ相談し、どのような行動をとるべきかなどの正しい知識おもっと伝えるべきです。
私はもっと、そのような報道をするべきであると思います。
今回のブログを拝見して私がまず感じたのは、報道に関する怒りでもなく、また母親に対する怒りでもなく、コメンテーターやメディアと国や地域の子育て環境の未整備に対する失望でした。
今回の事件で問題だと私が思ったことは二つあり、まず世間一般の認識です。今回の報道を見る限り、母親が子供を放置した結果、死亡に至ったという事実を母親だけが悪いように伝えていることはわかります。
そのような報道を行うからこそ世間の認識として、「あの母親が悪いんだ。」「虐待を行う人間はまともな人間でない」などの母親に対する認識が生まれる。またメディアで、「この母親は近所付き合いが悪かった」など報道されてしまえば、やっぱり近所の人ともうまく付き合えないような人が虐待をするんだ。という認識が生まれる。
そんな報道をするのではなく、母親を支える環境が少なかったことを伝えてあげることが出来たのならば状況は変わってきたのではないだろうかと考えます。メディアは世間の認識をコントロールするほど大きい力を持っているのだから、一方的な見方ではなく、ワイドな目線で事件を取り上げてほしいと感じました。
次に二つ目の問題ですが、子育ての環境に対する国や任所の対応についてです。子育てはストレスがたまるものだが今回の事件の母親はそのストレスを誰かに相談できたのでしょうか。また子育てに関する助言をしてくれる人はいたのでしょうか。核家族が増えている現在、祖父母などに子育てを頼る母親が減っているのも事実でしょう。
そこで必要になってくるのこそが国や地域の支えでです。また母親が近所付き合いが悪いなら、それを個性として受け入れ接することが必要であると私は思います。国も金銭の支援も必要であるが子育てする親に対するメンタル的な支援をする法律も必要なのではないでしょうか。
これらが自分が考えたことです。私もこれから広い見方で周りの物事を見ていきたいと思います。
こんばんは。
宗澤先生の講義を受講しているものです。
私は、この記事を読んで、マスコミは、事件の結果を世の中の人が興味を示すように伝えるという方針を変えるべきであると思いました。
また、結果(殺人や育児放棄などの事件)には、必ずそこまでに至った容疑者の心境や状況などのプロセス(背景)があるはずで、私は、マスコミは、世の中の人が今よりも、容疑者の気持ちも考えられるように、その事件に至るまでの容疑者のプロセス(背景)を重視して伝えなければならないと思いました。
この事件のように、結果ばかりを世の中の人に伝えても、世間の人は容疑者を責めたてるだけで終わってしまうが、事件の背景を重点的に報道することで、世間の人は、容疑者に同情することができ、その結果として、同じような事件が減ったり、その事件の裏側に潜む問題について考えてみる時間ができるような気がします。
今回このブログを読ませていただいて、私は、マスコミに対しての宗澤先生の意見に納得するとともに、虐待についての自分の考え方の甘さに改めて反省させられました。
今まで私は、児童虐待の報道を見ると、犯人の事情などまったく知らないのにもかかわらず、マスコミと同様にただ暴力を働いた人が悪いのだとばかり決めつけていました。
しかし、今回の大阪の事件のように、母親の家庭の様子や生い立ちなどを考えると、一概に母親だけが悪いとは言えないということがよくわかりました。この母親の生い立ちなどを見ると、普通の人とは比べ物にならないくらいつらい過去を背負ってきたということがよくわかります。
確かに、何の罪もない子どもが傷つけられてしまうのは、決して許されることではありません。しかし、それを、事実を伝えるべきマスコミまでもが、母親だけが一方的に悪いと報道するのはあまりに理不尽なことであると思います。
現在の日本国民にとって、マスコミの影響力はとても大きいものです。その分、マスコミは報道という形で、一部の事実だけでなく、小さな部分まで広く発信していかなければなりません。
そうすることで、私たち国民の犯人に対する誤解が減るとともに、支援を必要とする家庭を救うために必要な道も少なからず見えてくるのではと思います。
私は子どもの虐待の報道があるたびに胸が絞めつけられ、その母親に対してなんとも言えない怒りがこみ上げてきます。「そんなことをするくらいなら子どもなんて産まなければよかったのに」とか「人間として最低だ」などと感じていました。
しかし、そんなことはきれい事であり、こういった問題に対してしっかり向き合っていない自分に気づかされました。母親だってきちんと人間らしく悩み、苦しんでいてその結果がたまたま虐待につながってしまい、このようなことは誰にでも起こりうることであると私は感じました。
虐待してしまう人としない人の差は、周りの環境がどうかで決まってくるのだとブログを読んでそう解釈しました。私たちがすべきことは、子どものことばかり守るのではなく母親という立場も守っていかなければ、この問題は絶対に終わらないと思います。
私も、虐待のニュースを見るたびに、「どうして自分の子供にこんなにひどいことができるのだろうか」と、その親に対して怒りの感情を持っていたように感じます。マスコミの報道を自分で消化せず、そのまま鵜呑みにして母親が悪いと決め付けていた自分が恥ずかしいです。
先生のブログを読み、改めて虐待事件について深く考えさせられました。子育てにノルマが課せられている、というのに深く納得しました。今では幼児期からの習い事はあたりまえになっているような話も報道などで良く聞きます。その母親も、そうした周りの流れに必死に追いつこうとして精神的に追い詰められてしまったのだろうと思います。
ポスターなどを見ていると、「子どものSOSに気づいて」という感じのものがよく見受けられますが、それではまた他で新たな問題が生まれるだけになって虐待のような問題をなくすには根本的な解決にはならないと感じます。本当に必要なのは、周囲が支えあえるような環境づくりであるのではと思いました。
宗像先生の講義を聴き、さらにブログを読ませていただき、「虐待」に対する考え方が変わりました。宗像先生のおっしゃる通り、マスコミは虐待事件を「刑事事件」として報じているだけで、「子ども虐待」をまったく報じてはいないということに気づかされました。
講義を聴いて、虐待をしてしまう親の背景には何らかの理由があるということを考えさせられました。「子育ての義務感」に襲われて周りが見えなくなってしまうことは稀なケースではないと思いました。親が離婚していたり、祖父母がなくなっていたり、収入も少ない場合は、頼れる人がいなく、子どもを保育園などに見てもらうことができません。その場合は一人で子どもの面倒をみなければならないでしょう。そういった環境を改善しない限り虐待はなくならないと思いました。
国が子育てのしやすい環境を作ることが大切であると感じました。
講義を受講しているものです。
先生の講義を受講するまで、私は虐待についてメディアの報道を鵜呑みにし、一方的に、母親が悪いと思い込んでいました。
しかし、先生の講義を受けて、その背景にある家庭の経済的な問題などについて、もっと目を向けるべきなのではないかと思いました。
虐待に関して、様々な人が正しい情報を共有できるような社会づくりを進めて欲しいと思いました。
後期の講義を受講している者です。
わたしも朝の情報番組でよく虐待の特集を見てきました。その内容は確かに子どもを擁護するものばかりで、親は悪い者扱いをされているように見えます。しかし、その親にも育った家庭環境があり、そこでは虐待が当たり前に行われていたのかもしれません。それが、その親にとって当然のものであり、他の家庭でもやっているものとして捉えているかもしれません。
以前先生の講義で虐待のビデオを見た時、子どもの虐待の跡が映った場面で思わず目を覆ってしまい、その後の内容をあまり見ることができませんでした。
このような家庭を少なくするために私たちに何ができるのかを考えなくてはならないと思いました。少しでも子どもの笑顔が多くなるように。
このネグレクト事件に関しての教授の意見、母親に対するコメンテーターの発言や、家族という親密件の内部に「課題」と「ノルマ」が持ち込まれ、その悪循環の中で子供にネグレクトをした母親にひどい扱いをするのは虐待の視点ではないという虐待ケースにふさわしい起点から報道がなされてないことは確かにその通りだと思います。
子供が死んだという事実があるためにこのような報道になったのではないかと考えます。彼女の人生や背景にどんな理由があったとしても人が死んだという事実に上回ることはありません。もし、子供が死んでいなければ「虐待」として、教授のいうような報道内容になっていたかもしれません。
また、幼い子供が親を殺すという逆のケースだったら、子供を「殺人犯」と表現するのではなく、どうして子供が親を殺さなければならなかったのかという報道になるのではないかと考えました。子どもの人権が大人の人権よりも尊重され、大人は「大人」「おや」としての責任が求められる、それも母親が「殺人犯」と責め立てられる要因でもあるのではないでしょうか。
この事件について考えていて思ったことは、「殺人」という言葉が「虐待」という言葉を二の次にしてしまうということです。「殺人」である前に「虐待」であり、それには一概に母親を責め立てることができない背景があるということは、私自身、講義を受けるまで考えたことがありませんでした。「殺人犯」という言葉が先に出るのは、専門的な知識がないからではないかと思います。
だから、母親をここまで追いやった理由、私たちに何ができるのかを明らかにするための報道をマスコミに求めるだけでなく、私たち自身もメディアからの情報を主観的かつ批判的・多面的に読み取る必要があると思います。
私は大学で虐待について学んで、先ず考えさせられたのが宗澤先生がおっしゃるように虐待の背景にある環境でした。
私も大学で虐待について学ぶ前は、虐待のニュースをテレビなどで見た時、親に対して「酷い」と激しく思っていました。
しかし、今は理由のない虐待などは起こらないと思います。
背景にあるその人の苦しい環境を先ず問題視する必要があります。
確かに、子供に罪はなく虐待という行為はあってはならないことですが、だれしも親になってみると虐待を行う可能性はゼロではないような気がしました。
もし、自分が頼るあてもなく経済的にもおいやられどうしていいかわからなくなったら、子育てという「ノルマ」をこなし続けるのは大変難しいのではないかと思います。
頼るあてのない親たちが気軽にSOSを出せる社会にしていくことが、虐待の減少につながると考えさせられました。
虐待の背景に親の抱える心理状態の不安定さがあるということはこの問題について勉強している人ならば誰もが知っている知識だと思います。しかし、心理的に不安定な状態にある親が必ずしも虐待をしてしまうわけではない。統計的に見てその割合(心理的に不安定な状況において虐待をするか、しないかの割合)がどうであるのか私はまだ知りませんが、私はその両者にある差の理由が知りたいと思っています。
また、コメントでも多くの人が「マスコミは子供目線で語るけど、親の心情を考えるべきだ」と主張していますが、近年主張され始めたその意見に皆の考えが偏ってしまって、今度は子供側の心情が軽視されてきているように感じます。虐待の一番の被害者は子供のはずです。私は虐待問題については、親と子供、両方の心情を踏まえて考えていくべきだと思います。
私は今まで児童虐待の報道を見ると、責任感の無い親が悪い、自分が産んだ子供なのだから、自分の子供をちゃんと育てるのは親として当たり前だと考えていました。しかし、大学の講義や、宗澤先生の記事を見て、そのような私の考えは変わりました。
私は、育児が大変だということは頭では分かっていたけど、心のどこかで、みんなが育児をちゃんとできているのだから育児をするのは当たり前のことだと考えていました。多分、この記事に挙げられているコメンテーターの方もそのような考えを持っているのではないかと思います。
しかし、講義を通じて、育児というのは当たり前にできるものではなく、様々な悩みや困難と向き合って行っていくものであるということに気づきました。それと同時に、虐待をするには至ってないけど子育てに悩みを持っている方が大勢いるだろうと思いました。そのような人々のために、心理的ケアなどの社会的支援が必要だと講義を通じて考えさせられました。
後期の講義を受講しています。
私はこれまで虐待に関するニュースなどで、マスコミなどの母親を非難する報道を鵜呑みにしていました。しかし先生の講義を聞いて、全てが正しいわけではなく、虐待は環境によるものであるという考えを知りました。
確かに悪意を持って自分の子供を虐待する親はいないと思いました。虐待は「している」のではなく「してしまっている」のだと考えます。なので、できるだけ母親をサポートするような家族や社会の支援が必要だと感じます。また、子育てがノルマではなく、生きていくうえで自然な行為になることも必要だと思います。
これからは様々なニュースで報道を鵜呑みにせず、その原因や背景にあるものなどを考えて、自分の考えを持っていきたいと思います。
私は、このブログを読んでメディアで取り上げられている虐待のニュースは「親が子供を虐待して殺害した」ということしか伝えていないということに気付かされました。実際一番伝えなければならないことは、虐待が起こった背景です。このことに気付いていない人はまだたくさんいると思います。だから、虐待が無くならないのだと思います。
虐待を無くすためには、虐待をその家族の問題とし捉えるのではなく、社会全体の問題とすることです。つまり、家族の問題は、現在の社会の問題から発展したものだと思います。だから、その時は社会が変化をして家族を救うべきです。
子育てに困らない社会を作ることが、虐待を無くことにつながるはずです。そんな社会を作るためにも、メディアには虐待が起こった背景や、自分には出来ることが分かるような報道をしてほしいです。
講義を聞くまで私は虐待をする親を完全に悪だと思っていました。しかしそのように親を非難しているだけでは虐待というものを真剣に理解しようとしているとは言えず、他人事だと思っているだけだと思いました。虐待をしたという事実だけに眼を向けるのではなくなぜ虐待がおこってしまったのかを考えることにより初めて虐待というものを理解していけると思います。
虐待は子どもを育てているすべての人に起こりうることだと思います。虐待はしたくしてするのではないです。自分は絶対の虐待をしないと思っている人でも、その時の生活環境によりいくらでも心情は変化してしまうと考えられます。
こうした状況で虐待を防いでいくための一歩として、虐待を本当の意味で理解して、それを防ぐために子供、親にどういった支援が必要で、その支援をするためにはどうすればよいかなどを考えていく必要があると思います。
現在のようなマスコミが変わっていくのは難しいと思いますが、虐待をされる側はもちろん虐待をしてしまう側の事も考え守っていく、そのような報道をして欲しいと思います。
後期の講義を受講しています。
私はこの講義をとるまで虐待についてまったく考えてきませんでした。というのも、
自分はぜったいしない、自分の周りの友達でもこんなことをしそうなヒトは居ない、だから関係ないと思っていました。(今思うと、この講義で家族や家庭、虐待について話を聞き、考えることができて本当によかったと思います。知って大人になるのと知らないでなるのには、やはり結婚観や子育て時の心の構えが違うと思いました。)
しかし講義やブログを見て少しずつ考えるようになりました。善悪が判断できても、心にゆとりがあるときは大丈夫、しかし彼女のように“経済的困窮に追い込まれ、身内からも孤立し、不案内な土地に移り住み、まともな働き口にも恵まれない局面で、努力し頑張り抜いてきたとしたら・・・”(本文引用)。子供と向き合えば、「こんなに面倒見てあげているのにどうして言うことを聞かないの、勝手なことばっかりするの?自分だけの時間がほしいからしずかにしてよ。」と手を挙げてしまうことはないとは言えません。
ですが、それがエスカレートして虐待になるのは、仕方のないことでは済まされません。身内や隣人に頼ることのできない状況だとしても、母親は自ら児童相談所に相談をするべきであると思うし、隣人の通報で子供相談センターの職員が訪問しても故意に出なかったとしたら、それは自分が虐待をしていると認めていることになると思います。ですから、よくある“しつけのつもりで”は通用しません。
また児童相談所の職員は、子供は宅急便の荷物ではないのですから、親と連絡が取れるまで会うまで精一杯努力するべきです。最大限の努力ができれば、子供を救うことはできたはずだと思いますが、児童相談所職員の権限は確かに子供の親の権限より低いです。この仕組みを変えなければいつまでたっても子供を虐待から救うことは難しいと考えます。
自分はこれからの将来のためにも、もっと世の中で起きている出来事に関心を持たなければと思いました。それを気づかせてくれた授業だったと思います。
虐待は身体的虐待・性的虐待・ネグレクト・心理的虐待の4つに分けられることが多いようですが、どれをとっても影響は大きく、特に子ども虐待の問題は深刻な状況にあると思います。
今回の報道から「育児放棄したことで2人の幼児を死亡させたひどい母親」と思った人が多っかたのではないでしょうか。私もこの虐待に関するメディアの報道に振り回された1人でした。しかし、シングルマザーとなった母親が味わう大変さに世間の人は理解してないのが現実のような気がします。
確かにシングルマザーで頑張っている人はたくさんいます。でも、この母親の場合は何らかの理由で心身が疲れ、我が子を「かわいい」「いとおしい」という思いがなくなったのだと思いました。「ネグレクトをする親は、自分もネグレクトされていた可能性が高い」と言われているように、母親の状況に周囲がもっと早く気付いていたらと思いました。
核家族が進み、周囲にサポートしてくれる親族や友人もいない人も多く、育児に不安を抱く人も多いのだと思います。このような悲しい事件を起こさないためにも、周囲の人々が子育てに協力していかなければならないと考えました。
上記のブログ記事を読んで、まず、マスコミ報道の問題点を再認識しました。普段から、マスコミ報道にそういった「演出(のようなものの入った報道)」があることは理解しているつもりですが、だんだんと慣れが出てきてしまい、そういったことは忘れがちです。
私たちは報道しか情報の入手手段がないので、与えられた情報以上の情報は入手しようがありません。故にそういった報道でもそれを信じるか、全く信じないで情報がない状態になるしかないわけです。
この中間である、正しい情報を入手すること、が難しいのだと、改めて思いました。
また、育児に関することでは、親の周囲との不協和や育児の押しつけも育児放棄などを引き起こす問題であると思った。
こうした問題に対し、男性の育児休暇などが流行(?)しているという事実は、少しでも育児放棄をなくすのに効果的だと思った。
私にはまだ子どもはいませんが、将来子どもを育てることになるかもしれない立場にあり、児童虐待のニュースはとても気になります。ここ数年で私たちが児童虐待のニュースに触れる機会はとても多くなったように思います。テレビや新聞の報道では虐待の全てを正確に伝えることは難しく、私も誤って捉えている事例もいくつかあるかもしれません。
私は「彩香ちゃん事件」の報道を当時のニュースを見ていてやりすぎではないかと思ったこともあり、とても印象深い事件になっています。連日、母親を追いかけまわしたテレビ局の報道の仕方は間違っていたのではないでしょうか。しかし、私自身も事件が報道された当初は映像で見る母親の印象をあまりよく思わなかったことも事実です。
児童虐待は様々な要因から起こる、非常に難しい問題であると思いますが、児童虐待を減らす努力を社会全体で行わなければならないと思います。
私も現代のマスコミには疑問を感じています。事実が脚色なしにきちんと伝えられているのか、視聴率を得るためも報道になっているのではないかと。しかし、この大阪の虐待事件においてはそのようなことを考えることはありませんでした。それはマスコミの報道に誘導され、「子供が被害者、母親が犯人」としか見ていなかったからです。本質を知らなかった私は、この虐待事件を改めて考えるきっかけになりました。
「課題」と「ノルマ」のお話ですが、私は育児書に眼を通すという行為には賛成です。「親になりゆく」ことが著しく困難ということは否定はできません。ですが困難という現実を受け止め、努力していることは認めるべきだと思います。また、その努力は学校の「課題」や「ノルマ」とは違い、「愛情」が含まれているはずです。この愛情があれば、たとえ日々の人生で「課題」「ノルマ」が持ち込まれていても家族という親密圏の状態は良好なのではないでしょうか。
まだ社会に出ていない大学生の意見だと、聞き流していただいても結構です。生意気を言って申し訳ありませんでした。
今日も虐待のニュースが掲載されていた。これらの記事を読むと、虐待する側が「叩いたらグッタリなってしまった」という言葉を発することが少なくないことに気づく。
からだの小さな子どもに対し、どの位の力を加えるとダメージがどれ位になるかを想像できていない。もちろん手をあげるうちにエスカレートし、加減が判らなくなることはあるであろう。かつてのように悪がきが集まって、けんかをしながらコロコロと遊ぶ中で学んでいた、様々なことが失われてしまっている。
このことは、その中の一つではないだろうか。むろん、それが全てゲームやネットなどに起因すると言っているのではない。私自身これらの情報端末の恩恵に浴している。ただ、子どもたちが成長する時期に合わせ、それらをどのように活用させるかを、充分考慮することが重要ではないだろうか。
この子どもたちがやがて成長し、おとなとなって子育てをするのである。いろいろな意味で、バーチャル世界と実体世界の乖離を理解できなくなることは、新たな不幸な事態を生み出す恐れを孕んでいると感じる。
私も、講義でこの国の福祉の実態を知るまで、虐待をする母親はおかしい、どうかしてるんじゃないかと思っていました。ただそれは、このブログ記事で先生がおっしゃっているように、マスコミによる母親の「鬼扱い」に惑わされていたからなのではないかと感じます。
虐待をされている子どもたちの多くが、亡くなって初めて事件として取り上げられます。それまで何の助けもなく、ただ苦しみに耐え続けているのです。その親もまた、生活に苦しむ被害者であるのに、なぜ国の援助がないのか、そこに悪があるにも関わらず、マスコミはそこに注目しません。私にはただ、報道者たちが虐待をする母親を人間じゃないとか残忍だとか、まるで不思議なものをみるかのように面白がっているとしか思えないのです。
以前の私以外にも、虐待の事実を知らずに、勘違いしている人がまだまだたくさんいると思います。そういう人のためにも、マスコミは報道の仕方を改めなければならないし、私たち自身が訴え続けなければならないと実感しました。
私は、大学で先生方の講義をきいて初めて、虐待は周りにも大きな責任があるのだと考えることができました。それまでは、どんなことがあろうと、自分の子どもに暴力をふるったり、餓死をさせたりする親がすべて悪いのだと決めつけていました。つまり、メディアが伝える通りのことしか感じ取っていませんでした。
大阪でのケースのときも、最初は母親が信じられず、母親を責める気持ちしか浮かんできませんでした。しかし、先生方の講義をきいた今では、彼女の力になってあげることのできた人間がいなかったことがなによりも悔しく思います。彼女はそれまでに一人で頑張りすぎてしまったのでしょう。育児が大変な人への手助けが行き届いていない、この国に問題があるのに、彼女だけ責めるのは、あたかも自分たちの罪を彼女一人に押し付けているような気がします。
これからはそういった、日本の福祉の行き届いていないところを十分に反省し、実行にうつして、二度と同じようなことが起きないことを願うばかりです。
私は、この記事を読むまでメディアが放送するままそのすべてを鵜呑みにしていました。そして、育児放棄をするなんて母親失格だなどと勝手に思っていました。ですが、母親を追いつめた状況とは何なのか、現代の家庭の家事がノルマ化しつつあるという意見を拝見し、被害者は子どもだけでなく母親もまたそうなのだと感じました。
この事件の母親は育児支援が必要な状況だったのにも関わらず、支援がない、またノルマ化された「こうでなければならない」家事に追いつめられ限界だったのではないのか。家族の支えもないこの女性はメディアに一概に非難されるにはあまりにも非情のような気がしました。この女性は確かに罪を犯しました。ですが、それを過剰に報道する前に国の制度を見直し、このような事件がなくなるように働きかけるべきであると思います。
そのためにもメディアが良い情報提供をし、私たち国民の一人一人がこの現状に気づくことが大事だと思いました。
私は最近マスコミが気持ちの良い報道、気持ちの良くない報道ともに過剰にとらえている印象をもちます。
その一つとして児童虐待は、背後にある社会支援の不備を後回しにして私たちはマスコミの報道をうのみにしていると思いました。私もどうしても子供の死という一点にとらわれがちで、母親を非難する気持ちになってしまいます。しかし、可哀相や非難は誰にでも思うことで、本当は虐待に至るまでの経緯や社会背景をもっと考えなければこの問題は繰り返され、そのたびにますます非難されると思いました。
又、私は子育てを課題ととらえる環境という一文が気になりました。親が自然体でなくこうでなければという環境に身をおく状況は確実に、母親の負担を増やしていると思います。やはり家族の存在が大きく虐待に至る家庭は家庭環境が不安定な状況があると思います。家族の存在意義をもっと真剣に考えなければということを虐待問題は教えてくれているように思います。
ニュースなどの報道は、私たちにとって大切な情報源であることは間違いないと思います。だから、どの情報が正しくて、どの情報が間違っているのかを判断することが大事だと思います。
私も、毎日のように報道される虐待のニュースは母親がとても悪く報道されすぎているのではないかと思っていました。確かに、人を傷つけたり、命を奪ったりすることは、いけないことです。
だけど、その母親は子どもを授かった時は、とても幸せで誰よりも子どもが大切な存在だったと思います。それは、どこの母親も同じでまさか虐待をしたり、命を奪ったりしていまったりするなんて考えてもみなかったと思います。この様な事件は、虐待などをしてしまう過程に問題があると思います。母親も人なのだから、一人で抱え込んだり、誰の支えもない状態で子育てをしていると辛くなるのもしょうがないのかなと少し思ったりします。その時に、「大丈夫?」「相談にのるよ」など周囲の人々の一声やちょっとした支えがあるかないかで、虐待も防いでいけるのではないのかと思います。
虐待は、母親と子どもだけの問題ではなく、周囲の人も一緒に考えるべき問題なのではないかと思います。
「現代の子育ては多くの親にとって『課題』『ノルマ』になっている」という言葉になんだかハッとさせられました。「いい子」になるように育てなくてはならないというプレッシャーが親、特に母親にはのしかかってしまうのでしょう。悩んで悩んで、それでも一生懸命子育てをする。その子育ての過程でどうしようもなくなってしまったときに虐待という形になってしまったのかもしれません。
誰も自ら進んで虐待をするわけではないはずです。何らかの理由があったのだと思います。そこを理解しようともせずにただ悪だと報道し、騒ぎ立てるマスコミはおかしいいし、何の改善につながりません。私達は育児のあり方、その現場、さらには今の社会全体も見つめなおしていかなければならないと思います。
虐待はそうめったにあることではないとなんとなく思っていましたが、他人事ではすまされないし、なんとなくなんて言っていられないと思いました。
宗澤先生の後期の講義をとっています。今回の記事を読んで、虐待についての映像を見た時のことを思い出しました。
映像に出ていた子どもたちの体につけられた傷跡や悲しい過去を語る姿を、わたしは正直に言うと直視できませんでした。おとなに傷つけられてしまった子どもたち、子どもを傷つけてしまったおとなたち、両方の苦しみや悲しみをわたしなりに知っていこうと思っていたのですが、映像の途中から辛くなってしまいました。しかしあの映像を見たことで、虐待の実態を少しだけ知れたような気がします。子どもたちを守っていくことと同じくらいに、子育てをしているおとなたちもたすけていくべき存在であることを感じました。
マスコミが伝えることは真実の一部であるにも関わらず、多くの人がそれを信じてしまっています。虐待について、本当のことを知る機会がもっとあればいいと思います。子育ては親として、そしてもっと大きな目で関わっていくものとして、誰しもがいずれしていきます。自分には関係ないことだと思わずに、多くの人が正しい情報を求めていくようになっていくことが必要だと思いました。
宗澤さんの講義を受けた者です。
講義を受ける前までは、恥ずかしいことにニュースでこのような幼児虐待の報道を見ると、なぜ親なのにこんなひどいことができるのかと一方的に、このような事件が起きてしまった原因を親という存在だけに絞り込んでいました。
しかし、講義を受け、親に虐待をさせてしまう背景を知りました。その背景にはいくつもの現代社会の問題が複雑に入り混じっていて”虐待はいけないこと”では済まされる問題ではないと感じました。虐待問題の根底には社会問題が存在しているのですから、社会全体で問題と向き合うべきだと私は考えます。しかし、実際そのようなことは難しいと思います。
そんな中、メディアが虐待の裏に隠されている事実を報道せず一方的な見解を流すということがどれほど重大なことなのかということをもっと考えてほしいです。
虐待を受けた子どもの生々しい傷跡の映像を見た時の衝撃が今も忘れられない。また、幼少期に受けた虐待が原因で多重人格になってしまった少女も衝撃的だった。見ているのが辛かった。
ある母親が、子どもを可愛く思う時もあるのに自分でもなぜ虐待をやめることができないのかわからないと言っていた。感情的になり、つい手が出たといった軽いものではないのだと思う。母子家庭だから…とそこを問題にするのは間違っていて、国が解決を諮るべきなのだと思った。
マスコミは母親ばかり悪者にするという。しかし、国や自治体と母子の間では母親は被害者になり得るけれど母子の間では絶対的に加害者であるわけで、私はそこまで母親を擁護する気にはなれない。近所付き合いもなかなか少なく核家族が広がっている中、頼れる人など近くにいなくとも、この時代だからこそネット上などで子育ての悩みを相談できたのではないかと思う。事実、子育てでなくともネット上の見知らぬ相手だからこそ色々なことを話せるということもある。
子育ても介護も相手に生活を合わせなければならず、心身共に疲れるだろう。講義の中で、子どもに虐待をしない自信がある人はいますかと聞かれた際に、私は手を挙げることができなかった。私にはまだ先のことだと思っているが不安になった。計画性のある子作りと言っては語弊が生まれそうだが、妊娠、出産という行為に伴ってくる責任の重さをよく知るべきなのだと思う。それは女性だけでなく男性ももちろんのことである。
児童虐待に関するニュースをよく耳にします。テレビなどで報道されているのを見ると、虐待をした親を批判する言葉や虐待された子どもたちの保護に関することしか言われていないように思います。
確かに、虐待された子どもの保護はとても大切なことです。しかし、同じように虐待をしてしまった親の保護やカウンセリングも大切なのではないでしょうか。親にも何か理由があったのかもしれません。虐待を自分の子どもにすることで、私たちにSOSを出しているのかもしれません。私たちは、虐待をした親を批判することよりも話を聞いてあげることを優先するべきだと思います。
インターネットを見ていると、子育て相談に関するサイトや取り組みをよく目にします。このような取り組みが増えることで、育児に悩む親たちは助けられ、それが虐待問題を減らすことにつながるかもしれないと思いました。
私は大学に入って虐待についての講義を聞くまでは、マスコミの報道を疑うことなくそのまま受け入れていました。彩香ちゃん事件で報道されていた母親の態度を見ましたが、この記事を読むまで「鬼のような母親」という印象を持っていました。
マスコミの報道の中には、マスコミが誘導して出た行動があるようですが、多くの人はそれが虐待した人の普段の姿であると思っているのではないでしょうか。
今のマスコミがやっているような表面的な「刑事事件」としての報道だけでなく、育児現場での問題や虐待問題の根底にあるものを報道しなければ虐待問題の解決にはほとんど役に立たないのだと思います。私もマスコミには「虐待問題」としての報道を期待しています。
昨今ネグレクト、虐待のニュースはよく耳にするようになり私は、社会不安によるものが大きいと考えています。ここでいう社会不安は、不景気による経済の低迷を背景におこる不具合の結果であると思います。虐待しかり、メディアの一方的による報道しかりです。
経済の上向きの兆しがまだない今一人一人全体が自分の考えを持ち、一つの事例と思わず社会問題であると認識しなければならないと考えています。それを踏まえこの問題を私なりに思ったこというとまず当時このニュースを聞いて、一個人が集団リンチにでもあっているような印象を受けました。
母親がかわいそうだとかというまでは至っていませんが、マスコミの報道の仕方をみると個人は組織にかかっては矮小な存在でしかないという悲しさと、人の考え方に影響するマスコミが中立な立場をとりこの事例から社会問題であるのだからみんなで解決しようという考えに至らず一面性しか報道しないでエンターテイメント性を重視している点への怒りがありました。
私は、こんな報道している間は、社会問題として取り組むこともできないのでまずはそこを解決してほしいと考えます。
私は、大学に入るまで虐待やネグレクトについて勉強したことがなかったので、最初はメディアの掌の上で踊らされていました。虐待をするような母親は鬼のような血も涙もない人間だと認識していました。しかし、社会福祉の世界に足を入れ虐待についても知るようになって、今までの考えは正しくないということを学ぶことができました。
一番印象に残ったのは、「母親が虐待をするのは母親だけの責任ではない。」ということです。母親が虐待してしまうのはその人に複雑な背景があるからであって、何も知らないのにむやみに非難すべきではないという言葉に衝撃をうけました。
よく、バイト先の上司が「虐待をする奴はどうしようもない人間だ。」ということをよく言っているのを聞いて、メディアは本当に母親を非難するためだけの番組を作っているんだなぁととても腹ただしく思いました。
最近では、毎日のように児童虐待のニュースが流れています。マスコミの報道の仕方は、虐待にあった子供がどれだけ可哀想なのかを訴えているようにしか聞こえません。また、宗澤先生のおっしゃっているように、母親を「犯人扱い」して、どれだけ悪い母親なのかを訴えているようにしか聞こえません。
マスコミは、こういった虐待がなぜ起こったのかと同時に、これからも増えていくであろう虐待問題防ぐにはどうすべきかを報道しなければならないと思います。
また、私はたまに、あの事件って今はどうなっているんだろうと思うことがあります。宗澤先生がこの記事で取り上げておられる、大阪市西区のマンションで2人の幼児の遺体が発見された事件も、今からたった半年しか経っていないのに、この事件のその後は全く報道されていません。
私たち視聴者は、マスコミの一時の過熱的な報道におどらされることなく、たくさんの情報のなかで何が本当に正しいのかを見極めることも必要だと思います。
教授が書かれていることに私も賛同いたします。
マスコミの報道の過熱ぶりは、事件の結果でしか報道されず、私たち視聴者はその事に誘導されるかのように、信じ込んでしまいます。
その背景にある原因・要因・対策などが、ある意味、想像の身勝手な世界で語られることもありますが、真の内容は、これまで家庭で育まれた家族の絆こそが、大変重要であると思います。
私は、母親というのは、誰しも自分の子どもは本当に可愛いと思っていることを信じています。それは、本人自身が苦しい思いをして、自分の分身をこの世に生を授けさせた強い力があるからです。
ごくごく自然体で愛情を注げば、そこには確かな家族の絆が芽生えるものだと信じて疑いません。
どこでこの様な分岐が生じたのか、その原因を探り、早くその対策を実施する、この事実を報道し、世間に知らせることがマスコミの重要なポイントではないかと思います。
確かに、近年のテレビや新聞などのメディアは視聴者の注目を集めることに固執し、その事柄の背景や核心にはあまり深入りしていないように感じます。
社会福祉について学ぶ以前は「虐待」という言葉をテレビで見る度に、心無い人がいるものだと簡単に思っていました。なぜ自分の子どもを虐待するのか、親の性格に何かしら問題があるのではないか、と考えるだけに留まり、虐待をした親は悪であると思い込んでいました。
子どもに虐待をする者の多くは母親だと知って驚きましたが、子育ての大半以上を母親に任せきりな今の世の中では頷けます。育児のノルマに追われて健やかな子育てをすることができなければ、養育者のストレスが溜まってゆくだけです。周囲との繋がりや支援の機会を多く与え、育児に対する負担を軽減させてゆくことが、子どもへの虐待を無くすことの第一歩ではないかと考えました。
児童虐待についての問題は考えれば考えるほど解決が困難な問題だと感じます。
子育てにおいて現在の社会は、子育てを行う親にたいしての支援を十分におこなっているとは思えません。昔のような近所付き合いが乏しくなっている現状では、子育てにおけるストレスを親、特に母親が一身に背負うことになってしまっています。
そのような状況では、母親は困難にぶつかったときに、助けを求めることが出来ず、自分の子どもに対してネグレクトや虐待を行ってしまいます。先生が例に取り上げている大阪のネグレクトの件に関して、マスコミが母親ばかりを非難の対象としているケースには呆れざるをえません。
本来マスコミというものは事実を伝えるべきものであって、記者側の感情にのっとって事件を報道するべきではありません。母親にたいする非難を過激化させる以前に、なぜ虐待が起こるのかを現在の社会制度の問題点を指摘して国民に伝えていくべきだと考えます。
宗澤先生の講義やホームページを見て、幼児虐待について考えるようになりました。以前は、マスコミの取り上げるままに、何の疑いも持たずに、虐待をする親を一方的に悪い、ひどいという感情しか持てませんでした。
しかし、もっと幼児虐待について考えていくと、マスコミは、刑事事件の面からしか幼児虐待について報道しておらず、子ども虐待については、まったく報道していないことがわかりました。また、幼児虐待をする親の貧困と孤立に追い込まれた立場に自分がたってみると、私も将来、子どもに対して虐待する可能性があるのだと思って、とても怖くなりました。
現在は、女性が自然体のままでも、母親になりゆくことができる条件のある時代ではないので、これからの時代のために、何が親を精神的に追い込み、私たちにできることが何かないかを知るための報道をマスコミにしてほしいと私も思いました。
私自身、児童虐待という行為は赦されるものではないと思っています。しかし、このブログを読んで、問題があるのはこういう事件を報道するマスコミだと改めて感じました。
私たちはテレビや新聞等からしか情報を得ることが出来ません。それは誇張された情報であり、100%事実であるとは言い切れないと思います。私たちはこれらのメディアが伝える通りに事柄を把握し、思案します。虐待の報道の場合、親の過去や環境よりも、子をどのように痛めつけたか、子がどのような状態で保護されたかなど、親の非道な様を大々的に取り上げます。きっと今回の例で、母親の不遇な過去を主に報道していたら、世間は母親に同情を寄せていたのでしょう。
私たちはマスコミによって考え方を操作され、ある意味洗脳されてしまっているのだと思います。全ての情報を鵜呑みにせず、その裏にある”事実”を読み取ることが大切だと思いました。
私はこれまで、虐待やネグレクトなどを受けたことがなくメディアなどから得られる情報によって、虐待やネグレクトを知りました。メディアから得られる情報は大概の場合、親が虐待をしていて完全に親が悪いといったことが伝わるようなことがほとんどで、自分自身ひどい話だなぁなどと考えていました。
しかし、このブログの記事を読んで、表面的でしかも親のした罪にばかり着目されているということに気づくことができました。確かに虐待やネグレクトといったことは許されるものだとは思いませんが、そのようなことが起きてしまった背景や、現在の子育てに関する現状などといったところに着目し、偏りのない報道をしてほしいと思いました。
そして、メディアにはより多くの情報をたくさんの人に伝える力があると思うので、それを生かして現代における子育ての実情などをより多くの人に伝えてほしいです。
この大阪での事件についての報道は私も多く目にしました。先生の指摘のとおり、TVをはじめとしたメディアの報道はどれも、子供を虐待し、死に至らしめた残酷な母親、というイメージを強く押し出したものであったように思います。メディアの報道は一方的に、虐待の問題は加害者のみが悪い、といった風潮を作り上げていくものであったと思います。
母親も社会福祉の対象であり、なぜ、援助がいきとどかなかったのか、など考え、改善すべき点を浮き彫りにし、啓発を促す報道をすべきだと思います。苦しい生活を送っていたから、ネグレクトになっても仕方がない、虐待しても仕方がないというような同情的な報道ではなくて
母親も福祉の対象であり、まだまだ社会福祉支援が不十分であるという認識を持たせる報道が必要だと思います。
そして、私たち自身も、そのような視点を持つ必要があると思いました。
国は母親が子育てしやすい環境を早急に、整えてほしいと思います。また、私たちにも何かできることはないか考えたいです。
私はこの事件に関しては、残酷な事件ではあると思います。「彩香ちゃん事件」に対しても同様です。幼い子が数少ない依りどころである母親によって殺されてしまうということは、非常に悲しいことだと思います。私自身の偏見もあるでしょうが、やはり同情することはできません。
しかし、マスコミの無責任な報道の仕方については私も憤りを感じます。ありのままを報道するのではなくてゆがめられた事実をあたかも真実かのように報道することは論外です。ましてや今回の事件ならもっと児童虐待について詳しく報道するチャンスがあったはずです。現在のマスコミは自身の持つ影響力と伝達範囲を理解していないんじゃないかと思います。
私は、このブログの記事を読むまで、虐待が起こるのは、児童相談所の組織の問題、近隣住民が地域社会に協力しない事、母親を取り巻く環境が原因だと思ってました。
しかし、ただ、母親を加害者だと報じ、悪人に仕立て上げるマスコミも、虐待が起こる原因になっていると思います。むしろ、母親は、そんなマスコミから、社会的制裁を受ける被害者に見えました。
私たちに必要なのは、母親がなぜ虐待をしたのか、なぜ虐待をしなければならなかったのかを知り、理解することだと思います。
理解することが、虐待を減らすことに繋がると、信じています。
しかし、テレビや新聞などを見ていると、マスコミが報道するのは、刑事事件としての虐待ばかりです。
その情報だけにとらわれず、もっと虐待の現状を知り、虐待をとめる側の人になりたいと思いました。
先日、宗澤先生の講義を受講した者です。
自分は将来、福祉関係の仕事に就きたいと考えており、福祉の現場に立ち、活躍されている方の話を聞いたり、勉強会に参加したりしていたので、虐待やネグレクトといったことに関しては理解しているつもりでいました。
しかし、先生の講義を受けてからは、「理解しているつもり」ということがどれだけ恐ろしいことなのかを痛感させられました。先生の講義を受けるまで知らなかったこともあり、講義を受けて良かったと思っています。講義を受けてからは少しだけではありますが、視点を変えてニュースを見ることができるようになりました。
メディアで取り上げられている部分だけを見ると、母親が悪いというふうに仕立てあげられていて、その母親を取り巻く環境、社会の現状などには全く触れられておらず、ただのネタとして扱われていることに腹立たしさを感じます。
上辺だけでなく、根本的な問題に目を向けるべきではないかと考えます。
私はテレビで子どもへの虐待のニュースを見るたびに虐待をした親などに激しい嫌悪感を覚え、テレビに映る虐待者をただ単純に絶対悪だと思ってきました。この大阪市の母親の件でもそうです。
けれど私もしくは私達はその虐待の裏側に隠れている虐待者の子どもへの愛情の存在をひた隠しにして、その恐ろしいまでの虐待行動のみに目が行きがちで、それでは私達は事件の本質にまったくせまれていない事がこのコラムを読んで分かりました。
子ども虐待に追い込んだ親の周辺状況・今の社会状況にまで目を向けなくては何の解決策も生まれない。先生がおっしゃるとおり、「子どもとその養育者が支援を要する状態」が「子ども虐待」の議論の出発点であるということを深く感じました。
私はテレビで児童虐待のニュースを見るたびに、「子どもがかわいそうだ、虐待する親は何てひどいんだろう」と思っていました。そのような親には厳罰を科すべきだとも考えていました。
しかし、大学に入り福祉の講義を受ける中で、虐待を行う親にこそ支援が必要で、福祉の手が差し伸べられなければならないという話を聞き、はっとしました。
私は虐待という行為やその結果にばかり目が向いていて、なぜ虐待が行われてしまったのかという原因について考えていませんでした。それはやはりマスコミの報道の仕方によるところも大きいかもしれません。
虐待を行う親は悪人であり、血も涙もないまさに「鬼のような」人間だと報道されます。これは虐待事件だけに関わらず、他の事件でも「加害者」はそのような報道の仕方をされることが多いように感じます。事実を伝えることがメディアの役目だと思います。
確かに残虐な行為も事実です。しかし、なぜそのような行為を行うに至ったのかということもまた事実であるはずです。それを報道することは事件について我々がその本質を理解するためにも重要なことだと思います。マスコミはその使命についてもっと考え、それを果たすべきだと私も思います。
私は虐待する親について、加害者・犯罪者のようなものと考えていました。虐待などの事実は大きな問題ではありますが、なぜそうなったかを考えなければならないことに気づかされました。
親の育ち方、現在の生活環境、精神状態などさまざまな要因から現在の行動がなされます。そこを理解、改善することなく犯した事実だけを憎むのでは、永遠に同じ結末しか生まれません。これは子育てに限った話ではなさそうです。虐待などを減らすには、親の精神面のケアが重要だと感じました。
「育児をしなければならないが仕事は休めない」「金がなくてまともな生活ができない」「会社も負担なのに家に帰っても育児が負担」などの要素をできる限り減らし、落ち着いた精神状態で育児に専念できるような環境をつくる必要があると思います。
記事にも書かれている通り、虐待について報じていつテレビ番組で虐待の原因について母性に欠けていると言っていたことを目にしたことがあります。さらに、最近そういった人が増えている、と言っていました。
社会の風潮を形成することに最も影響を与えているだろうマスメディア、特にテレビが何故「最近の母親」の事情に批判するようなことが言えるのか・・・不思議でなりませんでした。子育てにノルマが課せられるようになった現状を作ったことに一役買っているのがマスメディアなのだから、その責任を負うべきもマスメディアではないでしょうか。
後期で先生の授業を履修している者です。
先生の講義で、虐待 について改めて見つめなおさせられています。
自分は、今まで、虐待と聞いて、深く考えるのは高齢者や障害者などの介護の苦労、辛さの末に起きてしまう悲しい虐待についてしか考えていなかったように思います。
それ以外に起きている虐待事件は、メディア等でとりあげられたときに、『なんてひどい…!』と、悲しみ、非難はしても、自発的に考えたことはありませんでした。
ですが、先生の講義を受け、考えさせられていくにつれ、それだけでなく、虐待の本質から学ぶことができ、その哀しみについて、日々考えさせられています。
こんにちは。わたしは、後期で先生の講義を受講しています。
このブログの内容を読み、とても考え深いものであるので、コメントしたいと思います。
虐待は、行ってしまう本人の問題もありますが、虐待を行ってしまう本人が育ってきた環境や、現在の周囲の環境も大きくかかわっていると、私は思います。虐待を行ってしまう本人も、心に大きな問題を抱えているのであり、それに寄り添ってくれる存在が必要なのではないかな、と感じます。
わたしも20年間生きてきて、さまざまな人と出会ってきました。その中には、かなり大きな闇を心に抱えていて、心を閉ざしてしまっている人もいます。そんな人たちと出会い、わたしは、他人に頼るのが怖い、わからないという人たちにも自ら寄り添い、お互い信頼しあえる仲を作ろうと、日々努力することが大事だ、ということを教えてもらいました。
虐待についても同じことがいえると思うので、夫婦間の協力、地域の交流など、人と人とのつながりをみんなが大事にしていけたらな、と思います。
私は後期で先生の講義を受講しています。
数年前、母親に子育てで大変だったことについて聞く機会があり、『自分の時間が確保できない』『家事もこなさなければならない』というストレスが溜ってイライラすることが多かったと教えてもらいました。また、『母親(祖母)は経験者だからいろいろなことを教えてくれたり、家事を手伝ってくれたりしてとても助かった』とも言っていました。虐待に関する講義の中でこの話を思い出し、その人を取り巻く環境や周囲の協力の大切さを改めて感じました。また、 虐待の問題を改善していくには、互いに支え合うというコミュニケーション能力をつけていかなければならないのだと思いました。
私は、人に頼るというのは言葉で言う以上に大変なことだと思っています。相手のことを考えすぎてどこまで頼っていいのかわからない人もいれば、逆に甘えすぎてしまう人もいます。しかし、互いに支え合うには、押したり引いたりを繰り返しながら手探りでちょうどいいバランスを探していく必要があると思います。その関係をうまく築いていけるようなコミュニケーション能力を身につけていける社会になったらいいなと思います。
講義を受講している者です。
私は、先生の授業を受けてから虐待についての考え方が変わりました。
今までは、虐待をするのはその親一人の責任であり、どんな理由があろうと虐待をした親だけが悪いと考えていました。
しかし、確かに虐待をすることはあってはならないことだけど、虐待を考えるということは、虐待をした親をただ悪いと言っているだけでは何の意味もなく、その親が育ってきた環境など、虐待に至るまでの背景や、家族の親密圏の中にまで「ノルマ、課題」が入り込んできてしまっている現在の社会のあり方など、さまざまなことまで考えることが大切なのだということが分かりました。
虐待の問題は複雑で簡単には解決できる問題ではないけど、もっと多くの人が虐待について表面的ではなく本質的に考えられるようになったらいいなと思います。
またそのためには、人々の考えを大きく左右するマスメディアも変わっていく必要があると思います。
今回、先生の授業を受講して虐待についてとても多くのことを学ぶことができました。これからも自分にも関わりのある問題であることを忘れずに、考えていきたいと思います。
この事件の中で一つ母子家庭というのが私の中でキーワードになっています。中学生頃から私の家は母子家庭になりましたが、母はかなりの負担を強いられていたと思います。事実何度か体を壊しています。そういった母親を見てきたなかでこういった事件で母親が悪者扱いされているとかなりの憤りを感じます。
そのような虐待の起きる家庭では子供を育てなければいけないという責任感の上に、仕事と育児の完璧な両立を求められているということが親の心に重くのしかかっているのではないでしょうか。
今までの社会では例えば父親が仕事、母親が育児。また祖父母に育児をまかせて仕事に行くといった家庭が多く、そこまで育児と仕事の両立を求められる社会ではありませんでした。しかし今の社会は主に核家族が主流であり、親は育児と仕事の両立を求められることが多くなっています。それなのに上手く両立できないことからまず責任を果たせない自分はだめな親だという考えに始まり、子供がいなければという考えにつながるのだと思います。
社会全体としてはこうした家庭の仕事の負担の軽減、つまりは収入の補助、保育所などの整備による育児の負担の軽減にもっと積極的に取り組むべきであるはずです。
私は、宗澤先生の講義を聴くまで、虐待をする親は、鬼とは思わないまでも、少なくともひどい親だ、子どもがかわいそうというように感じていました。しかし、講義を通し、メディアによって隠れていた親の「辛い、本当は虐待などしたくない」SOSの声が、少しは聞こえてきたように思います。その声に耳を傾けられる人が、どれだけいるでしょうか。
子育てのストレスを相談できる人や、何でも話せる友人なんかがいれば虐待が殺人に発展してしまうことを避けることはできたかもしれません。周りに話せずに抱え込んでしまうことの辛さを思うと、自分が親になったときに絶対に虐待をしないといえるだろうか、と一抹の不安を感じます。
キレる子ども、キレる親が増える現代で悲惨な虐待がこれ以上増えないよう、治療では治らない親へのメンタルケアが大事だと考えました。誰しもが抱えている、しかし大体の人がどこかで解消している子育てストレスのケアを、もう一度見つめ直す必要があると思います。
講義を受講しているものです。
私は子育てこそしたことがありませんが、私と12こ年のはなれた弟の世話している親を近い距離でみていて、やはり子育てはものすごくエネルギーをつかうものだと感じました。
特に母親のほうは専業主婦ではなく仕事に就いていたので、弟がまだ0~2歳ぐらいの時には手がかかるせいか、イライラしているのが顔に出るくらいストレスをため込んでいるようでした。
このように表情や行動に異変を感じた周りの人が「どうしたの?」と声をかけてあげることが大切だと思います。誰か一人に育児のストレスが集中しないような工夫や配慮が虐待の防止につながるのではないでしょうか。
宗澤先生の講義を受けて一番変わったのは、わたしの虐待する親に対する意識です。
今まではマスコミの先導にのせられるまま、虐待する親は血も涙もないんだ、なんてことを思っていました。
そして世の中の大半の人はそう思っているのではないでしょうか。
そういった世の中でますます追い詰められていく家庭があると思うと、苦しくなります。
虐待する親を責めることは、何の解決にもならないのだということ、理解・協力によって解決の糸口が見えてくることを、まずマスコミ業界が知らなくてはならないのでは、と思います。
大衆がのりやすい意見で、世の中を沸騰させるだけが、マスコミの仕事ではないはずです。
わたしはこれから、北欧の福祉制度や教育について勉強したいと思います。
先生の講義は大変有意義なものでした。ありがとうございました。
後期の講義を受講している者です。
母親を悪者へとしたてあげたマスコミは酷い、そういった意見が多いように思いますが、どんな理由があれやはり虐待はよくない。子供には何の罪もないのです。母親のおかれた環境が悪かったから虐待が起こってしまった、そんな風に一言で片づけられることではないと思います。マスコミが母親を非難し、それを視聴者が見ることで啓発され少しでも虐待が減少するならば、それは間違ったことではないように思うのです。虐待を少しでも減少させる方法があるならば、それは実行されるべきであると思います。
ネグレクト、その言葉自体は前にも聞いたことがあったが、知識として身についたのは講義を受けてからだった。
事実マスメディアは、政策に関して育児の大変さや補助の必要性は過度に主張しているが、そうした中で生まれている現状については、この記事にも書いてあるようにほとんど知らされていない。
この事件が起こった時期は、あまりメディアに触れていないというのもあったが、特に興味関心も持たず、ただ単に「また虐待か」と流して、現状を把握しようとはしていなかった。
人のことを言える立場ではないが、メディアには国民を動かす力があるからこそ、物事というのを俯瞰的に捕らえなければいけない存在である。
そういった意味で今回の事件は物事の一面しか捉えていないのは、もともと日本のメディアが「悪」を強調するのもあるからこそであるが、国民の現状の生活に対する知識が古いのではとも思う。そもそも育児におけるネグレクトを知る機会が与えられていないことのが多いのではないのだろうか。
教育学の講義では確かに扱われたことがあったが、今回の講義では知識から理解に変わったような気もした。
「悪」を強調すれば確かに目を引く。それは共通の敵を作ることであり、共通の敵はは人を導くのにも効果的でもある。しかしそれは一種の操作であることは否定もできない。
しかし、少なくとも私は、講義を通して、今までもったいなかった知識を通して虐待のニュースや出来事を考えていきたい。
宗澤先生の虐待についての講義を受け、また今回のこのブログを見て、今まで自分が考えていた虐待はメディアが報道するものと同じように「虐待をする悪い親」という視線からしか見ておらず、「虐待の視線」から見ていなかったことに気付かされた。
現代の子育てでは「ノルマ」・「課題」が課され、またコミュニティーの希薄による孤立化や貧困などによる原因からのストレスによって虐待が起こっているという現状あるということは考えたことがなかった。、私の友達でも片親で子育てをしており、ストレスから少し手をだしてしまったという人もいる。
そのようなことから、私たちは、なぜ親がそのような状況に至ったのか・何ができるのかを考え、「虐待」に至らないように友達でも家族でもまたその他でも、孤立させないように、ストレスを軽減できるように、よい環境・コミュニティーをつくることが大切だと思う。
そしてメディアは虐待をただ非難するのではなく、虐待に至る経緯やそのような状況を改善する方法を発信するべきだと思った。
講義を受けて、虐待の問題と共に親の負担についても考えなくてはならないと思いました。
子育てをするということは、とてもエネルギーを使うことです。ですので親の負担を減らすこと、手助けをする人が必要だと思います。手助けをするといっても、相談相手になるだけでも大きな効果があるはずです。少しでも負担を減らせれば、防げる虐待は多くあると思います。
しかし家族や友人など、親しい人以外でこの様な助けするのはとても困難なのが現実ではないでしょうか。近所の人などが発見したとしても、児童相談所などに連絡するしかすべがないと思います。児童相談所は専門家であるとはいえ万能ではありません。発見した人たちで虐待の悪化を防ぐ必要もあります。そういった意味で、地域の交流なども非常に重要だと思いました。
講義を受講しています。
私は末っ子なため、自分以外の子供の世話をしている母の姿を見たことがありません。どれくらい子育てが大変かという話も、たとえ母が私の幼い頃の話をしている時でも出てきません。すべて楽しい思い出や、あっても笑い話程度になっています。そのため、「子育ては大変だ」と聞いても、薄っぺらく実感のないことのようにしか感じられません。(これが良いことなのか悪いことなのかの判断は、自分ではつきませんが。)私も自分の子供を持てば、きっと自分なりの考えを抱くのでしょう。
身内に頼ることができないということは、(困っている互いの)経済的困窮はもちろん、核家族化や希薄な近所付き合いなどとも結び付いているのではないか、そして面倒だと投げ出したことのつけのようなものが回っているのではないかと考えます。
今、再び親密圏の在り方について、それぞれが考え、必要があれば改善のために行動することが必要なのではないでしょうか。面倒なことを乗り越えないと、何も得られないと思うので。
講義を受講しているものです。
「虐待」とは親が悪いの一言では済ませられない、難しい問題なのだと知りました。
私はいつもマスコミの情報をそのまま受け取るだけでした。テレビでニュースを見るとどうしてもそれが世間一般の「正論」に思えてしまいます。
しかし、本当はそこから何が原因なのか考えることが一番大事なのだと感じました。
ただ、考えることはできても自分は何ができるのか分かりません。子どもがかわいそうだと思うことしかできず、悔しくなります。
社会の環境がこれから良くなっていくとはとても思えません。そんな中で私にできることはあるのでしょうか?
子どもたちがみんな安心して暮らせる社会がくることを願っています。
数年前までは、私はマスコミの報道に振り回されていました。もちろん虐待に関する報道についてもです。しかし、兄弟が精神面での病を患ってしまい、そこから考え方が変わってきています。家庭内で似たような状況下に置かれたことがない人にとっては中々伝わりきらないのですが、「本当にしんどい」です。実情を伝えていただけるのは事件の予防や対策という面から考えてもとてもありがたいです。
私は、この問題の根幹にあるのは各家庭における親戚間や社会との閉塞的なかかわり方だと考えています。しかし、日本人の気質や現代の風潮から考えるとこの問題を解決するのはかなり難しいでしょう。そのために、各個人レベルで行えるとりあえずの対策が必要になります。
その1つとして「正確な情報を集める」ことが挙げられます。特に民報は視聴率が大切なこともあり、センセーショナルな報道になってしまいます。また、時間の制限もあるので多角的な意見は公には中々報道されません。しかし、そのような情報を整理してから初めて自らの意見が持てるものです。(名前は忘れましたが)NHKの深夜の番組では1つの話題を深く掘り下げているものもありますが、そのような情報発信源はもっと増えるべきです。
社会との閉塞的なかかわりについて先に触れましたが、逆にそれを用いてこのような問題に取り組むことも考えられます。インターネットの匿名性は、社会とのつながりのハードルを下げる役割も果たしており、それを有効活用しているものもいくつか見られます。時代に沿った問題はその時代に沿って解決する必要があるということでしょうか。もちろん「人と人とのつながり」に関する原則に基づいてですが。
私は今まで、児童虐待やネグレクトのニュースを見ても「ひどい親だ」くらいにしか捉えていなかったのですが、先生の講義やこのブログを読んで、そうした問題の背景にこそ私たちは注目すべきだということがわかりました。
子育てに無上の愛情を感じていた母親が虐待などの行為に走ってしまう前に、周囲がサポートできる環境を整えることが大事だと思いました。
そもそもマスコミ、または世間一般の人は、母親や父親が虐待をしたくてしている訳ではないということを知らないのだと思います。それにもかかわらず、虐待に対して、無知であるコメンテーターが出鱈目をあたかもまっとうな意見かのようにぬかし、テレビの前の人々が信じ込んでしまうのでしょう。私も講義を受ける前までは、虐待とはどうしておきてしまうのだろうと疑問に思う節がありました。
しかし講義の話や >「子どもとその養育者が支援を要する状態」が「子ども虐待」の議論の出発点です。 を聴いて、読んで、まさにその通りだと納得させられました。
この事件だけにとどまりませんが、おっしゃる通りの社会背景が深く関係しているように思います。
私もまずはマスコミのあり方の改善が必要だと感じました。
私は宗澤先生の授業を聞くまでは、親が子を虐待するというのは単に親の精神年齢が低かったりしてイライラを我慢できないでいるだけだと思っていました。
だけど親もせっかく生んだ我が子を好んで虐待しているわけではなく、それまでの親自身の背景などが強く関連していることを知りました。夫婦間や近所などからの心のケアが大事なんじゃないかなと思います。
「彩香ちゃん事件」は私も記憶にありますが母親を悪者のように写したニュースを見て、私も母親が悪いという印象をもってしまい、メディアに操られないようにメディアをしっかり吟味しなければいけないと感じました。
メディアはこのように偏った印象を視聴者に植え付けてしまう面があります。しかし、反対に自動虐待の真実を報道できれば、多くの命を救えることもできると思います。
バラエティー番組など失くして、こうした問題を正しく伝える番組をもっと放送すべきだと思います。
私は学生の身であるため、まだ結婚や子育てについてをれほど積極的な関心はありませんが、長男としての立場上、家を継がなくてはならないという意識が物心ついたときから存在し、それが結婚や子育てをノルマとして扱う要因となってしまうのではないかと少し不安になりました。
マスメディアというものはどうしても受け身ならざるを得ないものです。その情報が真実か、仮に真実だとしても誇張されたり、偏った見方をされているかどうかを瞬時に判断することは私たちには難しい。その報道の仕方の問題についても、私たち自身がその様に報道されるのを望んでいるからではないかと思うことがあります。
現在では、この様にネットも普及していますし、諸大学での講演会なども学生の立場になってよく耳にします。自分たちが情報に対して能動的に触れる環境と認識を作ることが大切なのではないかと私は思います。テレビを疑って、非難するだけでは結局のところ何も変わりはしません。自分たちの社会を作る権利と義務は自分たち自身にあるのだと私は思います。
学生の私には子育てや結婚の大変さはわかりませんし、想像したことも、ほとんどありません。ですから、以前はこのようなニュースを聞くと、なんてひどい親なんだろう、とメディアの伝えることを鵜呑みにしていました。
しかし、母親の生まれた環境や、事件当時の状況などを知り、メディアに対して、不信感を抱き、物事の背景に注目して、自分自身で考えることも必要だと感じました。一人ひとりがそうすることで、このような事件が起きない環境を作っていくことにつながると思います。
私が将来母親になったら子どもをしっかりと育てられるのかと言われると正直自信がないです。 私は子どもは両親が責任を持って育てるものだと思っています。しかしそのためには、一世代の親子間だけではなく、親の両親の協力や、隣人などの協力が必要だと思います。
しかし今の日本の社会ではそれらの助けがとても受けにくい状態にあると言えます。核家族化、地域の交流の希薄はによって、悩みを打ち明けられる機会は限られているでしょう。子育ては狭い親子間だけでの問題であるという考え方が変化していかない限り、日本の児童虐待の発生を防ぐことは難しいのではないかと感じています。
マスコミの傾斜した報道というものには、私も疑問を感じずにはいられません。
日常生活の中では知りえない遠方の出来事を「知る権利」を私たちは保証されていますが、「いかに視聴者の興味を引くか。そのためなら多少事実とかけ離れたことを報道しても良いだろう。いっそ視聴者が喜ぶ報道をしよう。視聴者を喜ばせるのが私たちの仕事だ。」といった姿勢が、現在のマスコミからは見受けられるように思えます。
「知る」というよりは「知らされている」といった現在の状況では、この母親のような人間が増えたほうが、視聴者が喜ぶ、というような、まったくもっておかしな仕組みになってしまいます。いえ、なっているといっても過言ではないのかもしれません。この記事を読むことによって改めて痛感しました。視聴者の人たちに、この記事を広く知ってもらいたいものです。
受講前は「虐待=親が悪い」ものだと思っていました。でも、先生の講義を受け、このブログを読んで、それはマスコミの報道によって勝手に思い込んだイメージだったのだと分かりました。
虐待をしてしまう親にも生い立ちや経済状況に事情があり、一概に親だけが悪いとは言えない。
そして、子育てには周りの協力が必要なのだと感じました。この事件のように虐待してしまう親には協力者である親族などが居ないことも事実だとは思います。だからこそ、近隣住民や保育施設、ひいては行政によるなんらかの手助けが必要なのだと思いました。
私は去年の夏、この事件をテレビでみてとてもショックを受けました。真夏の締め切った部屋のなかで飲食も排泄もできずに亡くなっていった2人の幼い姉弟、私にもまだ幼い弟妹がいるので、すこし重ねてしまったのだと思います。
先生が記事でとりあげているように、マスコミのやりすぎな面は、日本人はもっと問題視すべきであると思います。わたしたちの考えはマスコミにうまく操られているといっても過言ではないと思います。子育ては母親に課せられた絶対的なノルマなのであろうか・・・、いつか母親になるであろうわたし自身に問いたい問題だと思います。まだまだ時間をかけて考えなければならないと思いました。
先生の講義を受け、このブログを読んで、恥ずかしながら私もメディアに振りまわされていたのだと気が付きました。確かに、コメンテーターに限らず、マスコミに関わるどれほどの人々が「虐待」という問題を正しく理解し、考えているのでしょうか。
そして、どれほどの人々が報道を鵜呑みにしているのでしょうか。過激な報道の裏で苦しむ人がいると思うと心苦しく思います。このような状況の中で私たちに必要なのは、どうして虐待が起こったのかその本質をしっかり理解することではないかと思います。これからは、虐待という問題を身近な問題としてとらえ、向き合っていきたいです。
私は、「虐待を100%母親のせいにするのは間違っている、そこに至るまでに支援ができたはず」という考えに理解は示しながらも、だからといって精神的や実質的に生活困難な状況に対する怒りや不安、悲しみなどを何の罪もない子どもに向けるのは間違っているからやっぱり母親には十分な罪があると思っていました。今もその考えはあまり変わりません。
しかしこのブログ記事を読んで、確かにマスコミの報道の仕方やコメンテーターの言葉はおかしいと思いました。先生が述べられているように、今日の日本では虐待が普遍的現象となってしまい、人々の考えにも“慣れ(この言葉で良いのか分かりませんが)”のようなものが出てきてしまっている感じがします。だから報道でも、虐待発生→要因確認→憐み・母親非難というたんぱくなものになってしまっているのではないでしょうか。
また、育児が課題やノルマになってしまっているというのにも賛同できました。おそらく昔は今のようにたくさんの育児書などはなく、それぞれの母親が自分自身の考えで育児を行っていたのではないかと思います。現代の母親は育児書や情報に頼りすぎているために、自ら育児を課題・ノルマにしてしまい、息苦しくなってしまっている気がします。
私は、育児書に書いてあるものだけが正しい育児だとは思いません。そんなに簡単なことではないかもしれませんが、もっと自分自身の考えを持ち、自分なりに育児を楽しめるようになれば防げる虐待も多いのではないかと思います。
講義を受講している者です。
文章の最後にある、「何がこの『母親』をここまで追いやったのか?」という問いに対して未熟ではありますが自分なりの意見を述べようと思います。
こうした虐待を含め現代の虐待の多くは、家族の中だけで起こることではなく、様々な社会、学校などの関係で起こることだと思うのです。
特に私が特徴的だと考えるのは、虐待の総数に占めるネグレクトの多さ(厚生労働省雇用均等・児童家庭局資料参照)、虐待死亡事件の通報数の少なさ(2009.5.27読売新聞参照)です。
この二つの情報から、現代の人間の不干渉さ、他人への無関心さ、自分のノルマに手いっぱいで他人を無視するような風潮がうかがえます。
暴力はしないが世話をせず子どもを死なせる、また周りの人間もそれに薄々気付きながらも通報をしない、どこか似ている気がします。
この「母親」もそうした周りの社会や人間に頼れず、ネグレクトをするに至ったのではないでしょうか。
私たちにできることは簡単なことではないと思いますが、もっと「母親」を経済的、精神的にサポートするシステムを作る、つまり、社会制度から変えていかないことには問題は解決しないのではないかと私は考えます。
たしかに今の社会には「課題」「ノルマ」が溢れているように感じられます。しかし、そこから解放される術があるかと聞かれたら、私は「ない」と答えてしまうような気がします。もちろん、この事実を誰もが直視し、考え直す必要はありますが、「どう変えるか」「どう受け止め消化していくか」という視点で見ていかなくては、いつまで経っても母親のノルマは減らず、虐待も減ることはないのではないでしょうか?
先生の講義を受講している者です。
マスコミの影響力の強さ、その恐ろしさを考えさせられました。この記事を読むまで、私もマスコミの思う方向に誘導されていただけのように思えます。しかし、先生の意見を読ませていただき、マスコミの一面に改めて気づかされました。
昨今の震災の被災地の報道にも非難が見受けられましたが、それはこの記事が書かれた1年前からマスコミが何も変わっていないということでしょう。そして(マスコミがいうには)刑事事件であるこの大阪のケースと、震災という違うカテゴリーの報道から、同じ傾向が見受けられるということは、マスコミ全体がそういった「視聴者の興味を引くことに必死」という一面を持っていることの証明であると思います。
そしてこのマスコミの態度も、虐待について「親が100%悪い」というイメージを植え付けるのに一役買っています。社会が親子を支える、その一環として、社会全体に大きな影響を与えうるマスコミが事件・ケースを報じる態度を変えなければ、虐待問題は永遠に解決しないと思いました。
確かに虐待にはいろいろな理由があり、親だって子供に対する愛情がないわけではないと思います。親の育ってきた環境やおかれている状況、いろいろなことの積み重なりで虐待がおこってしまうのは現実世界ではしかたがないのかもしれません。
しかし私は、児童虐待は「しかたがない」で片づけてはいけない問題だと思います。児童虐待を減らすためには、周りの支援も必要ですが一番はやっぱり親の責任だと思います。自分たちが望んで子供をつくって産んで、でもいろいろ大変だから虐待してしまう。こんな理不尽な話が許されてはいけないと思います。虐待したくて虐待しているわけではないという人もいるでしょうがそれだって自分の意思が弱いだけのように感じてしまいます。
私は両親に無条件に愛され今まで生きてきたと思っています。本当は違うかもしれないし、もしかしたら私の両親も育児放棄したくなった時期があったのかもしれません。
しかし私は自分が愛されていないと感じたことはありません。それが親の強さで、本来あるべき姿だと信じています。自分が親になった時、子供が「自分は親から絶対的に愛されているのだ」と自信を持って言えるような子育てをしたいと思いました。
虐待について、大きな誤解が世の中に流布していることは事実です。悲しいながらその「マイナー」である正しい見解を、全てのマスコミ関係者が理解すべきというのは現実問題難しいと思います。マスコミがすべきであるのは、特にこのようなとてもデリケートな問題であるからこそ、きちんとその専門家からの見解に耳を傾けることで軽はずみな報道を避けることであると思います。虐待という問題が決して「特別」なことでないからこそ、自分が親になったときが今からとても不安です。人が安心して親になれるような、連帯のある社会づくりをしていくことが大切であるのだと思います。
講義を受講しているものです。
私は子どもを虐待する親に関して最近思うことは、親たちは自分の子どもを頑張って自分なりにわが子を育てようとして、一人で育児の問題を全部抱えてしまい、それがストレスとなって虐待につながっているのではないかということです。
今回のケースも最初から親は子どもを虐待していたのではありません。育児問題を一人でかかえているような親たちに対してサポートできる社会福祉のサービスを充実させていくことがこれからの課題なのではないのだろうか。
このブログを読み、ハッとさせられました。
今回のような幼児虐待事件はさまざまなところで取り上げられています。その度になんとなく「こんな事件があったのか」と思うだけでした。しかし、この文章を読み、確かにひどい母親だと強調するだけで、実際の問題である増え続ける子どもの虐待については何も報道されてないに近い状態だと思いました。ただ、漠然と報道を見ていた自分が恥ずかしくなりました。もっとその事件の本質的な部分に目を向けなければならないと強く思いました。
講義で虐待に関する映像を見て、なにか原因があるからこそ虐待をしてしまったのであり、母親も子どもと同じように苦しんでいるということを学びました。メディアがそのことなど何も考えず、子どもを傷つける「鬼のような母親」と騒ぎ立てるのは我慢できません。そして世間が虐待をする親なんてとんでもない、と思わされてしまうことも問題だと思います。
悲しいことですが、虐待の火種はいたるところにあるのでしょう。虐待の件数や内容ではなく、どのようにして虐待が起こってしまったのかという過程をもみなが知り、みなが批判だけでなく問題意識を抱くようになれば、虐待により悲しむ親子を減らすことができるのではないでしょうか。
子育のノルマ、課題を果たさなくてはいけないのは、母親だけではなく、虐待がおきたときに、母親を著しく非難することは間違っている。マスコミは事実をつたえその使命を果たす必要があると私も思うが、商売でやっているわけだから、世間がくいついてくれるような報道をすることは仕方がないのかもしれない。ということは、マスコミに考えを支配されずに、自分たちで真実を見抜く力を身につけなくてはいけない。
虐待はしてはいけないって思っているだけでなく、どうして虐待をしてしまうのかなどを考えなくては、虐待をとめることはできない。
去年の夏のこの事件のことはよく覚えています。テレビをつければ、情報番組ではいつも報道されていたように思います。それだけこの事件はショックなものでした。真夏の暑い密室のなかで母親を待ちつづけたふたりのことを思うと胸が締め付けられる思いがしました。
わたしには子育てのつらさ、大変さはわかりません。しかし、決して楽で、楽しいばかりのものではないことはわかります。だから、どんな人でも何かきっかけがあれば虐待・ネグレクトをしてしまう可能性はあるのではないでしょうか。
まして、片親で周りに頼れる人もいなければ、極限状態になっていたのかもしれません。ふたりの子どもを死なせたということは決して許されることではありません。
しかし、メディアがそれを鬼のような、普通じゃない人間が起こした事件だと報道し続けることでは、問題は解決しないと思います。なぜなら、それでは 報道する側も受け取る側も他人事のように思ってしまうからです。実際、私も先生の授業を受けたり、記事を読んだりする前まではメディアのいうことを鵜呑みにしてしまっていたと思います。
これに限らず、最近の報道というものは一方的に意見を押し付けているように感じます。虐待・ネグレクトという繊細な問題ですが、これを改善するためには周りの人間が正しい知識を持つということも重要ですよね。
なかなかこういった報道体制や地域住民の意識を変えるのは難しいと思いますが、少しづつでも解決されていくことを願います。そして、私自身もしっかりと情報を分別する力を身に着けたいと思いました。
私は子供の虐待についてのマスコミの報道を見て、「なんて最悪な親なんだ」と思っていた。しかし、このブログを読んで、考え方が少し変わった。
子供を殺してしまったことは、確かに許すことはできない。ただ、どうしてそうなったのか、親はどんな気持ちでそうしたのかなどを考える必要があると思う。離婚して、一人で子育てをするのは、とても大変なことだと思う。わがままな子供の世話をしてストレスがたまっても、頼る相手がいない。子供にあたってしまう気持ちもわからなくもない。
虐待が多くなっている今、「最低な親だ」で終わらしてはいけない。どうして虐待が起きるのかを十分に考え、マスコミも的確な報道をしてゆくべきだと思う。
講義を受講している者です。
この事件を初めて知った時、恥ずかしながらメディア同様に「親が悪い」、「親の責任だ」という意見を持ちました。しかしながらそれは、事件の表面だけを見て考えた無責任な意見であり、このブログを読んでみて、母親の生い立ちや、虐待が発生した当時の家庭環境については全く考えていなかったなと深く反省しました。
また、メディアの影響力の強さや怖さを改めて感じる事件でもありました。メディアは、今回のような事件では必ず「悪いもの探し」をするのが慣例のようになっており、それに該当した人は徹底的に叩かれるのが現実です。
このブログの内容のように、虐待についてほぼ無知な人たちが、公共の電波を使って世間に広めていくことに関しては非常に憤りを感じ、今一度マスコミのあり方について再考する必要があると思いました。それと同時に、私たちはこういった事実を知ったからこそ、正しい情報を冷静に取捨選択し、虐待の本質や現在の社会環境について深く考えることが求められていると思いました。
先生の講義を受け、はじめて虐待をする親たちを一方的に責めてはいけないと思うようになりました。
自分の子供を虐待すると思っている親はいないだろう。ただ、親はいつでも自分の子供と子育てに対して理想像を持っており、しかし育てる過程の中で自分の理想と反することが多く、経済や生活環境などの変化によって、子育ての大変さに負けてしまい、結局様々な虐待が生じてしまいます。
確かに子どもを虐待することは許し難いですが、先生が述べられた通り、親たちは様々な事情があって、子供の虐待になってしまいます。大阪のその母親も事情があるのでしょう。子供を死なせて、おそらくその母親は誰より悲しいでしょう。
現在の人々は精神の強さが弱まっており、様々な問題に直面する時、自分の力で解決着なくなっています。そこで、求められているのは福祉社会の健全化です。社会が虐待を抑え、事件になる前に、解決していくべきだと思います。虐待は社会の問題で、虐待する親を責めても、虐待は消えません。責める前に、事件の根本的な原因を考えて欲しいです。
マスコミの虐待事件の扱い方には、私も以前から疑問を抱いていました。たしかに、わが子を殺したことは大きな罪です。それを非難する気持ちは、報道を聞いたほとんどの人が抱くと思います。しかし、報道は国民の意見や心情を代弁するだけでは決してありません。
我々国民に、虐待について日本が抱えている現状、虐待による子供の未来にまで及ぶ被害、親が子に虐待をしてしまうまでの経緯など、我々がまだ知らない「虐待」のことを伝えるのが、マスコミの使命なのではないでしょうか。私自身も、講義を受講して初めて「虐待」の悲惨さ、実態、それによる障害について知りました。
報道に振り回されない、そんな心構えの大切さを改めて痛感しました。
虐待についての講演を聴かせていただきました。虐待=加害者側が悪いという考えに陥り易いですが、将来福祉関係の現場で働こうと考える私たちは加害者の背景も考えて行かなければいけないなと思いました。大阪の子どもへのネグレクト死亡ケースは、当時私も、母親の背景はメディアを通して全く聞こえてきませんでした。今の私は虐待なんて考えられない、私は絶対にしないと言えます。
しかし、私は出産も子育ての経験もありません。結局人は自分が経験しないと本当にその気持ちは分からないと思います。だからと言って、相手の気持ちを理解できない、偏った考えばかりでは虐待問題をはじめ様々な問題は解決に向かいません。メディアの取り上げ方や、国の方針もそうですが、これからはもっと、虐待を受けた人、虐待行為者への支援よりも虐待発生そのものの根絶を目標にしていかないといけないなと改めて思いました。
マスコミによる考えの植え付けは、本当に恐ろしいものであると感じた。実際私も、虐待事件が起こるたびに暴力を与えた親を非常な人間だと思ってひたすら軽蔑していた。こんなことになるのなら、何故子供を持とうと考えたのだろう、という疑問まで持っていた。
しかし、虐待の問題というのは、日本の社会制度の問題もはらんだもっと複雑なものであった。虐待の裏にある親の激しい苦しみをまず知り、理解することが私たちのなすべきことである。この問題を解決するには社会の変化が必要なのだと思う。
この事件の母親において虐待の原因に経済的な問題が含まれているようだが私はその根底に日本人の曲がった観念があるように思う。私たち日本人は何かと他人と比較したがる傾向が強い。もし自分の家庭が隣近所に比べ家庭環境が悪ければ強い羞恥心を抱き、まわりとの交流を拒絶するようになってしまう。周りと同じ水準で生活したいと思っても今の経済問題がそれを邪魔する。よって最終的に家族が孤立し母親一人がさまざまな問題を抱え込み虐待に走ってしまったという側面もあるように思う。
児童虐待の報道を見ていると、容疑者のほとんどが経済的に困窮している方々であり、マスコミは容疑者を叩くことに熱を入れますが、叩かれるべきは一向に改善できない経済格差を生んでいる政府だと思います。発生を未然に防ぐには官民が一体になって、児童虐待に取り組まなければならない。そのためにもマスコミの容疑者批判に偏向した報道をやめなければならないと思います。
ネグレクトとはまた違うのですが、私の弟が家族から無視されていると感じているようなのです。私たちは弟の進路を心配して、勉強しろと強めの口調で言ったりしていたのです。それがどうやら自分の意思を無視されているように感じたのか、次第に心を閉ざすようになりました。最近は統合失調症の親を持つ友達と関わるようになって、以前よりも悪化し目も合わせないようになりました。ネグレクトは全く違うものだけれど、家族内での孤立という点においては「親密圏」の確立が出来ていないのだと驚愕しました。「親密圏」の崩壊が他人事ではないこと、家族間のコミュニケーションの取り方をこの機に見直すべきだと感じた。
この事件の報道は、母親が鬼であり許されないものである、というものとなっていますが、やはりマスコミが鬼であると私も考えます。テレビというものは、視覚と聴覚から訴えるものであり、やはり影響力が大きいにもかかわらず、脅迫的に親の責任を押し付けることにより、親はそこにストレスを感じるのだと思います。親を責めるのは確かに一理あります。しかし根本的な解決を図れないことをする意味はほとんどないと思います。
先日の講演を聞き、先生がおっしゃった「虐待の当事者だけを悪者にしても虐待は改善できないし、なくすこともできない」という言葉が一番心に残りました。
私は以前、児童虐待について調べたことがあったので、虐待についてはなんとなく理解して、自分なりの意見を持っていたつもりでいました。しかし私の中で、「虐待=児童虐待」という公式の様なものが成り立っていて、「障害者に対する虐待」を考えてみたことがなかったので、先生の講義では、はっとすることや、児童虐待との重複部分を知ることが出来、虐待についてより深く考えなおすことが出来たと感じています。
この記事にもあるように、マスコミの報道の仕方にも色々と考えることや改善すべき点があると思います。また、日本では、何か問題が発生してから、その問題や事件に対する再発防止の取り組みを強化する傾向が少なからずあると感じています。虐待に関する措置についても、きまりなどは定められていても、うまく働いていないのが現状だと思います。
私生活への介入など、難しいことは多いかもしれませんが、ひとつの命、多くの命を救うために多少の強制措置があってもいいのではと私は考えています。親が悪い、ひどい親だと当事者を非難するだけではなく、子どもを育てる親の不安が解消されるような環境作りもまた、私たちが取り組むべきひとつの課題なのではと考えました。
授業を受けているものです。
今まで子供や恋人に対する虐待についてのニュースなどいくつか見てきたが、思ってみると虐待した側に立ってコメントしている報道を聞いたことがないことに気づいた。
自分も虐待はする人が悪いとすべて決め付けてきた。それは報道がすべて虐待される側になってコメントしていたからというのも一理ある。
改めて考えてみると、虐待をしたくてしているわけではなく、それに至るまでに様々な理由や葛藤があったと思います。
それを無視して虐待について考えるのは間違いだと気づいた。
これを読んだり講義を聴いたりして、虐待に関して違う立場から考えられる視点を持てた。
これからは、どちらが悪いと決めるのではなく、両者の立場から虐待を考えるようにしたいと思った。
誰でも虐待をするかもしれない、もちろん自分かもしれないし、自分の結婚相手かもしれない。
このことを頭において、育児、虐待というものに関して考え直してみようと思った。
昨今の女性は結婚までに女子力を高めるために様々な習い事をするという。
結婚し、子供もできて…という円満な生活をするために、である。
「ハイレベルな私は結婚に子育てに頑張らなければ」という重圧が年を追うごとに強くなっている風に感じる。女子力を高めた私が子どもをコントロールできない、その重圧のはけ口となるのが子どもであり、虐待につながるのではないか。
晩婚化による女性への条件は年々厳しくなり、また女性はそれに応えようとする。そして、応えきれずストレスがたまる。そんな悪循環がこの昨今の日本に起こっていると私は考える。
虐待の加害者である親を悪者にしてひたすら非難するというような報道は見直されるべきだと思います。発生要因や周囲の環境や支援の効果など、虐待に関するそれらの事柄をさまざまな視点から見つめる必要があります。
家族という親密圏に内在する、子育てや家事をめぐる「課題」や「ノルマ」が親に重くのしかかってネグレクトに繋がってしまうという現状。どんな家庭にも虐待の発生要因が潜んでいるのではないかと思いました。誰にとっても身近な問題です。
報道は世間の人々の行動に多少なりとも影響を与えます。その影響力を、地域社会の支援を充実させるために、人々の意識を高めるために、活用できるのではないだろうかと考えました。
虐待の責任は虐待をしている人だけにあるのではないということ、それは今までの講義の中でよく考えさせられました。家族という親密圏の内部にある「課題」や「ノルマ」が母親にとって大きな負担となっていることを知り、より夫婦間での絆や親族、地域のつながりを大切にして、少しでも一人の苦痛や負担を減らす対策が必要だと思います。しかし、親の行う児童虐待に関して、私はやはり父親、母親は何があっても子どもを守っていかなければいけないのではという考えを持ってしまいます。子どもたちにとって最終的に頼りにできる存在はやはり父親、母親なのだと思います。もちろん、「何か虐待に走ってしまう理由があったのではないか」と、その虐待の背景を考えてみるのは必要不可欠ですが、自分の子どもを守ることができなければ、その人たちは親とは言えないのではないかと思います。親だけに責任を押し付けるのではありません。しかし、家庭を持ったこともなく家庭を持つことの大変さも知らない浅はかな考え方かもしれませんが、どんなにつらくとも親は子どもたちのいのちを守る砦にならなければいけないのではないかと、私は考えます。
宗澤先生の講義を受け、またこのブログを読んで、今までの自分の考え方を改めて考えさせられました。このブログを読み始めた時点では、罪のない子どもを殺してしまったという母親への軽蔑と怒りを最も大きく感じてしまったというのが実際のところでした。しかし、宗澤先生の考え方を知るうちに、虐待という問題には、必ず暴力をふるってしまった加害者にもそのような状況になってしまった原因というものが存在して、それに対して私たちや社会がどのように受け止め、対応できるのか、またこの事件の真の問題をどれだけの人が気付くことができるのかということが見直されてくると感じました。
確かに、マスコミは事件の問題に対する視点が偏り気味なことは多々見受けられると思います。本来なら、こういった虐待が起こった背景を見ながら、ここまで追い詰められてしまった母親の心理状況や子どもたちの様子を社会は考えなければなりません。しかし、正しい知識もなく、マスコミという情報源だけを頼りに主観的に一方的な考えを持ってこの事件を見てしまうと、ただ単に鬼のようなひどい母親という側面だけしか見えなくなってしまいます。
虐待が増えている今、私たちに必要なものは、虐待を受けている側だけでなく、犯してしまった人の心情や状況を客観的に見つめること、そして本当に考えていかなければならない真の問題を見抜く力を身につけることだと感じました。
確かに、近年のマスコミは様々な点で問題を抱えていると自分も思います。実際、自分も虐待の本質や発生する背景などをよく理解できていません。そのような人が今回のような報道を見ると、それが間違った見解であるにも関わらず、虐待はこのように起こるのだ、この母親に原因がある、といった一方的な印象を受けてしまうと思います。自分は、教育の現場で虐待を理解する機会をもっと増やすべきだと思います。そうすることで虐待への関心も高まり、解決の糸口も見えてくるのではないかと思います。
今まで私は、児童虐待についての報道を見ても「その親が一方的に悪い」としか感じてきませんでした。虐待の原因となった家庭事情まで考えが及ばなかったからです。
しかし、宗澤先生の講義を受けて、考え方は変わっていきました。虐待は決して許されることではありませんが、なぜこのような事態に陥ってしまったか原因について考えることが重要であると考えるようになりました。
マスコミは視聴者を満足させるために事件をセンセーショナルに報じますが、それを鵜呑みにせず、一人一人が虐待に対して真摯に向き合うことが大事であると思います。
宗澤先生の意見を読んだ上で私の意見を書かせていただきます。
まず、現代の家族内で様々なものが「ノルマ」化してきたとありますが、昔から家族内には長男を生まなければならないというような「ノルマ」は存在していたはずです。
よって私は「ノルマ」が虐待の原因とは思いません。私の考える原因は、核家族が増え子育てと仕事を両立させざるを得ない女性が増えたことだと思います。やはり自分を育ててくれた親が同じ屋根の下にいて、何かあった時にすぐ頼り、共に子育てができる環境を作ることが解決策だと思います。
社会では、虐待をした者だけが一方的に悪者にされてしまいがちだと思います。虐待をしている人は過去に自分も虐待をされていたケースが多く、その辛さを誰かに知ってもらいたい為に、自分自身も虐待をしてしまう、という事を以前に学びました。
そうだとしたら、虐待をされた側を助けるのはもちろんの事、虐待した側の援助や手助けも重要であると考えます。それは、政府が政策を立てるだけでなく、社会に生きるわたしたちもそれらの問題に関心を持ち、身近な人に悩みを持っている人がいたら、声をかけることで心の拠り所を作ってあげられるような勇気を持ちたいです。それが、何よりも虐待を防ぐことに繋がるのではないかと考えます。
ネグレクトと正反対の虐待として過保護がある。過保護はあらゆる結果を生み出す。子どもの自立を阻害、過保護によるプレッシャーなどなど。何よりも、親に自分の過度な愛情が子どもを苦しめている自覚がない。そして、そのことを認めようとしないことが難点だ。中東で収穫されるトマトは実に甘く水々しいらしい。
その秘訣は水を最低限しか与えないこと。少量の水しか与えられないトマトはなんとかして水分を保持しようとする。それゆえ、ギュッと水分を果肉の中に留め、おいしいトマトになるらしい。
一方、植物は水や栄養を過度に与えると腐ってしまう。実に人間に似ている。もちろん、親が自分の子に愛情を抱くことはよいことだ。しかし、その全てを注ぎ込むのはいかがものだろうか。また、そのような親に対して子どもが苦しんでいることを誰が伝えることは学校の先生であり、地域の人の責任である。が、それを受け入れない親に対してどう対処していくべきか正直私にはわからない。強制的に子と親を引き離しても、親にとっては不条理なことであろう。これから学校教育等を学んでいく上でこのことについても熟慮していきたい。
宗澤先生の講義を受講しているものです。今まで虐待は単純に悪としか考えていなかった。しかし虐待に至った過程は人それぞれにしろ必ずあるはずであるが、彩香ちゃん事件をはじめとした様々な虐待事件、とくに子供が死亡したケースを報道するときマスコミは子供が死亡したという事実を強調し、それに至る家庭環境や親の生い立ちなどは軽く流してしまっているように思う。
マスコミは虐待の加害者を非難することに躍起になっているように思う。虐待に関する報道を鵜呑みにするのではなく虐待に対して個々人が真剣に考えていかなければならないと思う。
私はブログを読ませていただいて、先生は、このような虐待は起こる前に防げたのではないか、という考えを強くもっていると感じました。
そして、私たちがこのブログを読み、これから虐待の問題にどのように向き合うべきであるかを考えさせられました。
虐待問題を知り、あってはならないことである、子どもがかわいそう、ひどい親だ、というような感情は誰でも抱くものです。マスコミもこのような感情をあおっていると思います。
しかし、それでは問題は解決しません。
大事なことは、問題が起こった原因をもっと知ることです。親がどうしてそのような行動をとったのか、背景にどのような環境や人生があったのか、それらを知り解決策を模索することが、これから私たちが虐待問題を考える上で持つべき視点であると先生のブログを読み強く感じました。
このブログを読んだことによって、自分のマスコミに対する価値観が変わりました。
このような虐待の殺人事件という一面だけの報道が行われていたのでは、女性コメンテーターのように、「こんな酷いことを自分はしないだろう。」と思う人が多くいるに決まっています。(自分もそのひとりでしたが。)
虐待の温床となる社会構造について、もっと学んでいかなければいけないと思いました。
虐待をする親の気持ちはわからないと思っていたけれど、よく考えてみると、私は自分が疲れている時に近くに寄ってくる人に八つ当たりしてしまうことがあります。そういう状態の時、特に親に対しては話しかけられても無視したり同じ場にいることを避けたりすることが多いです。私からすれば親に当たらないようにするための予防策に近い行動ですが、虐待のメカニズムもこれに近いものがあるのかもしれないな、と考えました。
ブログで取り上げられている事件が報道されていた頃、私はニュースを見て「なんて酷い母親なんだろう」と驚くばかりでした。しかし、周囲の期待に応えよう、理想の母親に近づこうとする一方で母親が追い詰められているという事実は確かだと思います。その根底の1つに、良くも悪くも社会に浸透したメディアがあるのではないでしょうか。
理想的な人格の主人公とハッピーエンドを描いたドラマや、事実の一部を過度に強調したドキュメンタリー番組やニュースの報道。それらがあることで自分はこうなる、こうはならない、と自分なりの理想に向かって頑張れるという良い面がありますが、その理想が個人を苦しめてしまうという側面は否めないと思います。自分が理想に近づけないために自分はダメなんだと思ってしまう人もいるでしょう。また、自分の理想を他人に押し付けてしまうことは、結果的に相手をも苦しめることになりかねません。
近頃では演技力のある子役が続々とテレビに出演し、活躍しています。そのことに付随して、役者を目指す子供に確かな演技力を求め、強要しているような風潮がある気がしてなりません。自分の得意とすることを活かせることは素晴らしいことですが、そうではなくて“できないことがある自分”を認めてあげられることが一番大事なのではないかと思います。
ありのままの他者や自分を認め、個人が理想に押し潰されてしまうことなく生きていけるような社会の在り方が、悲しい事件を減らす1つの策かもしれないな、と考えました。
マスコミの横行に憤ることは自分もしばしばあります。果ては最近アイドルをニュースキャスターに起用して無思慮な発言を連発している番組を見ると見るに耐えません。
確かに、不可避的に発生した虐待を全て母親の特性に起因する物として押し付けてしまうことは社会システムからの責任転嫁としか言いようがありません。我々にしても良かれと思ってした「躾」が虐待とみなされることは多分にあり得ることと思います。
しかし、「我々」というメディアも一部一面的な視点しか持ち得ないのは事実です。我々も多面的な視点を持って情報を取捨選択していく必要があります。
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子育てが「課題」であり「ノルマ」と化している。これはまさに言い得て妙、というか子育ての現状を端的に表しているのだと思います。親子が閉じられた単位となってしまっているために、祖父母との関わり、あるいは地域社会の中で伝えられてきたはずの「知識」「知恵」が失われ、それに代わる「情報」「テクニック」をどこからか入手しなければならない状態となっているのだと思います。
私の目にも「婚活」「保活」というのはどこか歪に見えますが、違和感や嫌悪感、もしくは奇異の視線をもって接するあまりその根底にある原因を探ろうとしなければ問題が解決することはないと思います。
講義を受講している者です。今日の社会は複雑化・多様化してきており、一人親で働きながら子供を育てていく事は、非常に大変であることを再確認した。また、メディアの情報は一般大衆の興味・関心を集めるために事実が歪められることがあるため、私たちは気をつけて判断しなければならないと感じた。
マスコミの報道にはうんざりさせられることがよくあります。容疑者の人権を侵害するような発言もさることながら、いかにも凶悪な犯人であるように報道するからです。
この事件について、やはり社会的に女性一人で子供を育てるのはとても大変なことだと思います。仕事と育児、またそれにより発生するストレス。そのさまざまな負担から起こったのがこのネグレクトです。
この女性が本当に残虐であったかは分かりませんが、このネグレクトは子供にとっても母親にとっても悲しい事件であると思います。やはり今後このような事件が起きないように政府や支援団体の協力が必要だと思いました。
今日社会の状況は刻々と変わり、ストレス社会・ネット社会への移り変わりとともに、こういった虐待事件も増加していったいることは明らかである。社会が閉鎖的になっていく中でこそたてに対する不安や悩みを積極的に解消できるような環境づくりが重要になってくる。
親は親である前に一人の人間なのだ。その人間が子供を虐待するようになる過程の中で、改善できることはたくさんあるはずだ。今日のただでさえ人との関わり合いが減ってきている社会において、家庭というより閉鎖的な環境の中で子育てをしていくためには、その親子を見守る周りの環境だったりをよりよいものにしていってほしいし、このようなことが少しでも減っていくように、報道側も母親の残虐さばかりを過剰に伝えるのではなく、どうしたらこのようなことが起きないか、という視点で報道していいってほしい。
宗澤先生の講義を受けるまで「虐待」と言われておもいつくのが子供に対するものだったイメージが大きく変わりました。障害者に対する虐待の現状を知り本当に驚きました。
講義の中で加害者と被害者の年齢のグラフを見て納得する部分もあって、親が障害者の子供に、子どもが障害者の親に…という図が見えてきて、前の講義と同じように「地域社会」をもっと大切にしていくべきだと考えました。隣近所との関係がもっとあったら、このようなことは未然に防ぐこともできるように、二回の講義を通して思いました。もっと福祉の世界について知っていきたいです。
現在は子どもを育てることがノルマ化している。そのことを知らない人は虐待した母親を最低な人間だと思うことかと思います。しかし、マスコミによってこうすることが子どもにいいだとか、こうしたらよくないだとか、情報に右往左往され、少しでも子育てを怠ると愛情が行き届いていない親と罵られては子育てにうんざりする親もいるかと思います。そのうんざりした気持ちを子どもへの暴力、教育放置にいくことはやはり私も認められませんが、親にそういったプレッシャーを常に与えるような環境を作っている社会は改善すべきだと考えます。また、協力できる子育てとして一人一人の親の負担を少しでも減らせる社会ができることを私は望みます。
マスコミが報道する内容が全てだとは思っていなかったけれど、結局私もマスコミの思惑通りの見方で事件を見ていたことに気付いた。多くの人々に関心を持ってもらうために、報道機関の果たす役割は大きいと思うし非常に効果的でもあると思うが、虐待事件の容疑者がいかに凶悪でいかに非難されるべきか、ではなく、虐待事件が多発し年々それが増加しているこの現状の危機を伝えるための報道機関となることを期待したい。
この記事を読んで、虐待についてはもちろん、改めてメディアについても考えました。メディアの情報を鵜呑みにしてはいけないということはわかっていても、情報を知る手段は主にメディアであり、無意識のうちに振り回されていたのだと思います。
記事でとりあげられていた事件もそうですが、他の事件(特に殺人事件など)でもあまりにマスコミが過剰すぎるのではないかと思うことがあります。しかし、メディアがなければ、世の中で起きていることを知り得ることができないため、重要なものであり、正しくあるべきだと思います。事件や出来事の内容によってもマスコミの関与の仕方は変わってくると思いますが、適切であってほしいと思いました。
現代の日本人はメディアによって報道されたその情報があたかも真実であるように受け止められがちです。
私は秋田県出身で、「彩香ちゃん事件」は今でも鮮明に覚えています。メディアは母親を異常な母親、許すべきではない存在、厳しく罰するべきだなどの感情を視聴者に抱かせるような報道をしていました。
これでは虐待を止めることはできません。今回のような事件を未然に防ぐため社会はどう変わるべきかという有益な報道、議論をメディアでするべきだと思います。
懐かしいですね。「彩香ちゃん事件」。私も当時の印象では彼女の母親の風貌と、事件の残虐性と更にマスコミの報道姿勢から一方的に母親が悪いと決めつけていました。
確かに殺人を犯したのであれば、それは悪いに決まっているのですが、仮にマスコミが殺人という面だけではなく子ども虐待という面からのアプローチも行えば、私のように一方的に彼女"のみ"が悪いと思う人も多少は減るでしょう。非常にメディアリテラシーが必要となる例だと思いました。
わたしは虐待というテーマについては関心があり、この記事を読んでまた新たな意見を持ちました。いままでは虐待する本人が悪いとばかり思っていましたが、虐待をしたくてしている人は少ないと思います。
事実、この事例では育児書を読んだり、育児に対しては幸せを感じていたようだし、結果的に子供を死なせてしまったこの母親には憤りを感じますが、とりまく環境も悪かったと言えます。報道の取り上げ方にも問題があるということで、表面的にしか理解していない自分が浅はかに思えました。
追いかけまわったマスコミが鬼のような形相をとらえたといっても作り出した原因にはマスコミもあると感じます。この事例に当たっては一人で抱え込まず、周りにもっと相談できる存在がいれば未然に防げたのかと思います。地域や親族とのつながりは大事だと感じました。
仕事やお金のことなど様々な解決の見通しが持てない問題と向き合いながら子育ても頑張っていた母親だったのだろうと思います。
我が子のことを大切に思っていても、今まで積み重なってきたものに耐え切れなくなってしまった結果なのではないかと考え、虐待がとても身近に感じられました。子供を殺した事実だけを大々的に取り扱い、母親だけを悪くいうマスコミの報道には悲しい限りです。悩みを相談できる相手がいるというのは非常に心強いことだと思うので、マスコミはそのような相談ができる場などについて報道し、虐待の寸前にいる大勢の人々の心を救ってほしいと感じました。
「自分の子どもに虐待するなんて信じられない、鬼のような親だ。」これは一見、虐待をしている親に対する自然なコメントのように思われます。宗澤先生がご指摘なさっている様に、実際、マスコミによる記事でも親を責め立てるような内容のものを多く見かけます。私も、今までそのように思っていた一人でした。この記事を読み、虐待や報道に関する認識に対する自分の理解の浅さを痛感するとともに、マスコミに対する先生の意見に強く共感しました。
どんな生物にも、小さなもの・弱いものを見ると、守りたい・世話したいと思う本能があるものです。それを無くしてしまうということは、多くの原因が積み重なった結果として起きてしまう事態なのだと言うことに注目しなければならないのだということが分かりました。「自分がそんなことするわけがない。」といった考え方をしているから、虐待をする親を簡単に責めることが出来るのです。日本の現代社会は、自分がいつ、そのような辛い状況に立たされるのか分からない時代です。だから、これからはヘルプのサインを出している親子を一層追いつめてしまわないように、虐待に関する理解を持つ人が増えて欲しいと思います。
その為には、マスコミの報道に対する姿勢も変わるべきです。都合の良いことは大きく報道し、悪いことは隠すマスコミと、マスコミに簡単に流される日本国民の今の状態では、今後の日本の未来が危ぶまれます。まず、マスコミは多くの人の目の触れる場で発言するのだから、物事を伝えるプロフェッショナルとして、自分の立場を見つめ直し、責任のある報道をしてもらいたいものです。
同時に、マスコミだけを責めるのではなく、自分達も変わる必要があると思います。このような報道が蔓延しているのは、我々が興味を引くような記事に踊らされやすいせいでもあります。マスコミを変えるためには、ただ単にマスコミの謳い文句に流されるのではなく、真実を見極められるような力をつけなければなりません。
このような力を養うのもまた、教育なのだと思います。私は、埼玉大学で先生の授業(人間形成と教育)を聴講している一人なのですが、この授業がきっかけで、もっと色々なことに目を向け、広い知識を持ち、安易な表現に惑わされない人間になりたいと思うようになりました。まさに、教育とは人間を作るものなのだと再認識させられました。
時代が変わり、人の生活のあり方が変わるにつれて、このような家庭内の問題は多く報道されるようになったと思います。しかし、その報道が我々に与える印象は先生のおっしゃるように、虐待がただの犯罪の一種であり人間として異常な行動であるというようなことであったと感じました。
マスコミがいかに事件を煌びやかに見せるかに固執する余り、事件の本質が見えてこないというのはよく感じますが、また情報を受け取る私達も、その報道に対して真剣に向き合えている人は非常に少ないと感じます。虐待をどこか自分からは縁遠いものとして、無意識的に目を背けているのかもしれません。マスコミも私達も虐待に対して正しく把握できる知識と視点を身につけなければならないと強く感じました。
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