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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

脱稿した!

 この半年間、障害者虐待に関する本の原稿執筆にひたすら没頭してきました。ビーナスの太陽面通過を前に、ようやく脱稿しました。20~30枚の原稿だと、通常は書き終えたら達成感が訪れてくれるのですが、今回は叙述の範囲と分量が桁違いに多かったせいでしょうか、脱稿した瞬間に「蝉の抜け殻」状態に陥りました。
 この本は、日本高齢者虐待防止センターと私の共編著の形で、本年8月に中央法規から出版される予定です。

妙高高原で疲れを癒す-実にさわやか!
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 ビーナスの日面通過は、双眼鏡で「丸く可愛い金星」をしかと視認しました。が、さいたま市では雲の切れ目から目視可能だったのは正午頃のほんの数分間に限られたため、画像に収めることはできませんでした。書き込みに期待された方には申し訳ありませんが、すでにテレビ・新聞・ネットの世界ですばらしい画像が公開されていますので、それでご勘弁いただきたいと思います。

 さて、原稿を書き上げて、ビーナスの日面通過を目前に控えると、あとはビーナスさえ視認できれば「もうこの世に思い残すことはない」と思うほどに疲労困憊していました。私の場合、まとまった分量の原稿執筆となると、資料ファイルや単行本の類が必要に応じて引っ張り出されてはデスクの周辺に積み上がっていきます。まるでできの悪いビーバーがダムの巣づくりをしているような塩梅で、アッと気がついたら、無造作に積み上げられた資料の中に埋まるようにして原稿を書いている状態になっているのです。他の研究者は、原稿執筆のときにどのようにしているのか、一度は観察してみたいとつねづね思ってきました。

 原稿書きの途中で「あの資料はどこにあったっけ?」となって、積み上げられた資料の下の方にようやくその資料を見つけて引き抜いたとたん、資料の山が崩れるとなるともう最悪。思わず天を仰いで「嗚呼!」。こんな繰り返しを半年も続けると、もう書斎の中は性悪のビーバーの無造作に作ったダムが、川の増水によって決壊したようなあり様です。この脱稿した直後の書斎の「惨状」を、娘に「記念写真」としてスマホで撮影されてしまう始末。なんとも情けない。ただ今回の疲労度は尋常のものではなく、重い腰をあげてさっそく、湯に浸りに行きました。

photo_02.jpg
燕温泉・黄金の湯

 しかし、今回の原稿執筆の苦労には、それなりに訳がありました。
 まず、障害者虐待は、考え方としては「揺り籠から墓場まで」の全ライフステージを含みます。子ども虐待や高齢者虐待のようにライフステージを限定した領域とは異なり、広範囲なライフステージと対人関係の変化を踏まえて、どのように虐待の発生関連要因と構造が変化するのかを最大限に追究しました。
 次に、家族・職場・施設等というそれぞれの集団・場所の特質を踏まえた虐待の発生関連要因と構造を明らかにしようと努めた点です。子ども・高齢者の虐待領域には含まれない「使用者による虐待」の解明には、障害者領域ならではの考察を積み重ねました。

 このように、今回の本づくりでは、「虐待の発見・通報⇒受理・事実確認⇒虐待対応支援」という表面的な虐待の議論に終始することなく、「なぜ虐待が発生するのか」についての諸要因と構造を明らかにすることに努力を傾注したつもりです。それは、虐待対応よりも虐待予防にこそ意味があると考えてきたからです。

 アメリカで子ども虐待の発生がもっとも多いロスアンゼルスは、子ども虐待のための支援システムに数千人の専門ワーカーが配置され、24時間対応を実施しています。このような取り組みをもって、虐待対応の「先進国」というのはまことに馬鹿げています。虐待対応のシステムを充実させ、多くのワーカーを配置しても、アメリカでは虐待発生そのものには一向に歯止めがかかっていないからです。

 もちろん、虐待対応システムの充実は、障害のある人の人権擁護の課題として急務であることはいうまでもありません。私が自立支援協議会の会長を務めるさいたま市でも、虐待対応のための指針を定めてきました。しかし、虐待施策の要点は、虐待対応システムが不要になる家族・地域社会をつくることにあります。このような虐待防止の本来的目標に向かう第一歩になることができればと願って、この本をつくってきたのです。

 読者の皆さん、虐待防止本来の目標に向けた歩みをご一緒していただければと切望しています。


コメント


お疲れ様でした(^O^)/
八月の出版を楽しみにしています
下呂温泉にもお立ち寄りください


投稿者: なお | 2012年06月11日 20:13

講義を受けているものです。
ここ一か月で虐待についての講義がものすごく印象に残ってる。
今まであまり意識して考えたことはなく
私の中で虐待は、テレビでしか見たことがないというのが現実だ。最近では、母親から幼児への虐待で幼児が死亡したというニュースを頻繁に見る気がする。
 ここで、母親が自らの息子・娘にどうして死に至るまでの虐待を行うのか考えてみた。おそらく、死に至るような虐待の場合、『愛情』からくる虐待ではなく、『怒り』からくる虐待であるだろう。明白なことだが、死に至るまでの虐待を行った相手は、自らが苦しんで産んだかけがえのない者である。その命を自らの手で奪うという行為は『愛情』とはいえず、ただ自らの『怒り』をぶつけただけである。


投稿者: D.Y | 2012年06月15日 01:48

子供は脆弱な団体であり、幼児期の虐待を経験し、幼少期や成人期の感情や行動にも否定的な影響を及ぼす。体が傷つけられなくても、長期的な言葉を刺激し、孤立と無視し、また不正確なように誘導することなど、いずれにしても子供の脆弱な心に暗い影を落とす。子供の長期焦り、うつ病、怒りやすい、精神異常、卑屈など心理的な問題を抱えている。飲酒麻薬、早すぎるほどに性行為、売春、反社会的、攻撃行為などの行為が問題となっている


投稿者: shinki | 2012年06月17日 03:56

原稿執筆お疲れ様でした。
金星の太陽面通過はテレビで拝見しましたが、あと100年見れないこともあって特別神秘的なものに感じました(^○^)
障害者虐待は、ライフステージごとに動機や環境要因は変わってくると思いますが、先生の言うとおり、なぜ虐待が発生するのかを明らかにし、虐待予防に努めることがどんな対応よりも意味があると私も思います。
もちろん虐待がある以上、アフターケアはとても重要な意味がありますが、そのアフターケアよりも予防に努めたほうが虐待そのものは減らせるという意識のもとで、障害者虐待予防のために発生要因をもとにそれに事前に対応する取り組みを試みること、また、各個人が社会に混在する偏見や差別をなくし、強い協調意識を抱き、分け隔てなく尊重し合える関係を築く努力をすることで、結果として虐待対応システムが減っていき、いずれは不要になる社会が訪れることを期待したいものです。


投稿者: べあ | 2012年06月19日 14:02

お疲れ様です。
確かに宗澤先生の言うとおり虐待は家庭だけで起きているものではなくあらゆる場面で起きています。最近知ったのは老人ホームで職員が老人の方に暴力をふるったり、暴言を吐くなどの虐待行為が行われているということです。原因を知るためには「なぜ虐待が発生するのか」を解明する必要があります。そのためには虐待にかかわっていない人たちでもその現状に目を向ける必要があります。


投稿者: MURASAKI | 2012年06月21日 11:21

お疲れ様でした\(^o^)/
私は今まで、虐待をする人の意味が分からず、ただ単にその人に精神的な問題があり、改善する余地が見つからないものだと思っていました。ですが、先生の授業を聞き、幼少期に親から虐待を受け、それをまた自分の子供にもしてしまうというような、負の連鎖が起きていることもあるということを聞き、単純な精神的な問題では済まされないものなのだということを認識しました。虐待をなくしていくためには、その連鎖をどこかで止めるような心のケアが必要であり、周りのだれかが協力していくということが大切であるのではないか、と思います。


投稿者: milk | 2012年06月24日 18:28

執筆作業お疲れ様です。
虐待の話ですが、自分は虐待といえば親が子供に対して行うことを想像してしまいますが、高齢者や障碍者にもそういったことが行われているとは思いませんでした。おっしゃっている通りで、アメリカのロスアンゼルスの例のように虐待の対応を進めることが大事なのではなく、「なぜ虐待が発生するのか」ということを知ることが大事だと思います。ただ、虐待が発生したからそのことに対応するというよりも、発生する原因や環境というものを探っていき、そこを改善していくことで虐待の存在自体をなくすことが大事だと自分は考えます。
起こってからではなく起こる前に行動することが問題の解決につながるのだと思います。


投稿者: PURPLE | 2012年06月27日 00:21

さいたまは曇っていたせいで、金星の日面通過を見ることは難しかったですね。私も見れなくて残念に思っています。

さて、障害者に対する虐待をはじめ、子供や母に対する虐待の実態とそのシステムについて私は講義で学ぶことができました。
自分より弱い、目下である者に攻撃をする人間の心理が虐待という行動に繋がるのであれば、この心理と行動の原因を考えていくことが、虐待を予防するのに重要なことになると思います。
これから先のことを思うと全く無関係な問題では無いので、この問題に関心を持ち続けることが必要だと思います。


投稿者: あげす | 2012年06月27日 11:59

お疲れ様です。先生の講義をとっているものです。

国は虐待の起こりうる可能性を少なくする、虐待を事前に防ぐ状況をつくることが重要なのに、事後の対応を充実させて何になるのでしょうか。虐待は精神的な不安定さが要因だと思うので、日本はアメリカを反面教師として虐待対応システムをつくるのではなく人々の心のケアをできるようなシステムをつくられるべきだと思いました。またはシステムでなくても、昔の日本のように周りの人との助け合いが必要だと感じました。


投稿者: Lilium | 2012年07月01日 19:47

6月27日のバリアフリーに関する講義で、初めて地面のブロックや障害者用として認識されているトイレなどについて考えた。盲目者のための地面のブロックに不備がある話を聞いて、自分が今まで何も考えずに生活していたことを情けなく感じた。バリアフリーとは障害者の方との壁をなくして生活することを目指していると思うが、これでは本当にフリーで、むしろ障害者の方がないがしろにされているのである。市内のいくつか危険な箇所の写真を見たが、状況としてはどうしようもないと正直感じた。配慮している人は何人いるだろうか。
 この現状を知ったからには、できることを少しずつやっていきたい。反省できたいよい講義だった。


投稿者: pide | 2012年07月01日 20:10

原稿執筆お疲れ様でした。
私は講義を受けているものです。

虐待については私の田舎では、無縁と言っても過言ではないほど遠いものでした。高齢者が多いこともあり老々介護は当たり前ですし、今思えばそこで問題が起きないように、地域で協力していくというシステムが自然と成り立っているように感じます。
実際に、私の曾祖母の介護の際、家族の中では大変なこともありましたが、近隣の方のお手伝いのおかげで楽しく過ごせたと思います。
また、障害者への偏見については、友人に障害者がいる私には理解しがたいものでした。

子供のころから身近に学べる環境があるということだけでも、少しは虐待の予防につながるのではないかと感じ、さらにそういった環境だったことに感謝しました。


投稿者: M.T | 2012年07月02日 15:23

執筆お疲れ様でした。講義を受けているものです

授業で様々な虐待を見てきましたが、やはりその中最も印象に残っているのが親から子供への虐待。親子の間の絆はこの世の最も強い関係なはずなのに、なぜ自分の子供に対して殴られるのか、あんな暴言を吐けるのか、私には到底理解できない。特に母親が、9ヶ月、10ヶ月も妊娠していて、ようやく産んできて、そして育てた子供に、本当に何の感情もないのかと。親子の虐待は何らかの原因があるか、それともただの変態行為なのか、こうした心理的要因を解明することは、虐待の防止に相当な役に立つと思います。


投稿者: さら | 2012年07月02日 22:43

執筆お疲れ様でした。
私は先生の講義を受けているものです。

金星の太陽面通過はあいにくの曇り空で、実際に肉眼で見ることがかなわず、とても残念でした。
私の生まれ育った地方は、いじめはあったものの虐待とは無縁で(気がつかなかっただけかもしれないが)、今まで虐待の現実味を感じないまま生きてきました。親と子など、親密であるはずの関係の中で発生する悲惨な出来事。その心理状態は理解に苦しみます。
虐待に対するカウンセリングも重要ではありますが、その件数を減らすことが最も必要なのではないかと思いました。


投稿者: ゲーチス | 2012年07月04日 12:41

よくテレビなどで虐待に関する特集をやっています。しかしそのほとんどが、どうして虐待が起こってしまうのかをきちんと報道していないように感じます。
虐待は、周りの人たちの支えでなくすことができるものだと思います。しかし今の社会でそれを行うことはとても困難です。
今後の社会をどのようなものにすれば虐待をなくすことができるのか、それを一人一人が考えなければならないと感じました。


投稿者: りゅう | 2012年07月05日 11:29

今まで受けた虐待の講義で一番印象に残っているものは、アメリカの虐待のビデオの講義です。身の回りに虐待がなかったので他人事だと思っていた考えが変わり、虐待対応システムが充実していないなどまだまだ課題がたくさんあると思いました。


投稿者: ティラノ | 2012年07月05日 17:03

私も先生の意見に賛同です。確かに、アメリカのように虐待対応のシステムを充実させることは、虐待が存在しているという事実がある以上、必要だとは思います。しかし、いくら虐待対応のシステムを充実させたとしても、その根端である虐待の原因を突き止め、虐待がそもそも発生しないように、努めていかなければ、虐待というあるまじき行為がなくなることはないと思います。そのためには、虐待とは縁がないと思っている人たちも、他人事のように軽視せず、おのおのが虐待が存在しているという事実から目を逸らさず、向き合っていくことが大切だと思います。


投稿者: 顔面がクズ化 | 2012年07月06日 16:59

宗澤先生お疲れさまです。
私は先生の講義で、虐待の現状やシステムを知りました。
ですが今でも、虐待をする人の気持ちを理解出来ずにいます。
私は虐待される方の気持ちや痛みが分かればそんなことしないと考えていましたが、過去に虐待をされた人間が、今度は虐待をしてしまうことがあると聞いて、『痛みや気持ちを知る』そんな単純なものでなく、やはり人それぞれなぜ虐待をしてしまうのか、その根元をカウンセリングなどで明かしていくのが重要なのかと思いました。


投稿者: ムニエル | 2012年07月07日 12:49

昔と比べ、なぜこんなにも虐待が増えたのでしょうか。それは、ストレス社会の到来がもたらしたのだと私は考えます。しかし、ストレス社会を回避しようと考えることはできず、ストレスを受けている労働者、その多くは親であり、その親に対してのケアも虐待を未然に防ぐ手だと考えます。もちろん親から子へ向けた虐待だけじゃなくその他のパターンにも対策を考えなければなりませんが、一番多いと思われるこのパターンにまずは対策を出すことが要求されるとおもう。そこにはシステムとかだけではなく、人間一人ひとりが虐待を現代の重大な問題として考えるべきである。


投稿者: たろたろ | 2012年07月07日 22:43

執筆活動お疲れ様でした。宗澤先生の意見には賛成です。「虐待の発見・通報⇒受理・事実確認⇒虐待対応支援」という流れも大切ではありますが、虐待に対応するだけではただの対処療法にすぎません。虐待が起きてから対処するのでは、誰かが傷ついてから対処するのでは遅いと私は考えます。「なぜ虐待が発生するのか」を究明し、その対策を講じて初めて虐待防止・撲滅の第一歩になると思います。


投稿者: まるたそ | 2012年07月09日 22:37

 講義を受けているのものです。障害者虐待は「ゆりかごから墓場まで」という言葉が比喩ではなしに、実際に起こるのだなということに、遺憾の念を抱きました。一般人は障害者に対し、助けるという行為をもちろん行い、またある時は一般人として扱う。これがとるべき姿勢であると思います。講義で見た盲目のピアニスト辻井さんの演奏は、魂をピアノの音から、また彼の演奏スタイルから、感じ取ることができました。一般人にはなしえない演奏でありました。障害者であるということから、ある身体的機能をそぎ落とし、その分他の機能が飛躍的に増大する。というのはこういうことであるのだな、と思いました。


投稿者: ワーク | 2012年07月17日 23:21

講義を受けている者です、私も宗澤先生の言う通り虐待の対応よりまず先に、「虐待がなぜ発生するのか」その原因を考える必要があると思います、対応を良いものにするだけでは、虐待が増えたら、対応を増やすその繰り返しになってしまい、一向に虐待は減りません、「虐待の原因」これを見つけることは難しいことかもしれません、しかしこれこそ私たちが一番考えていかなければいけないことだと思います。


投稿者: 金ちゃん | 2012年07月22日 13:29

こんにちは、講義を受けている者です。

確かに障がい者虐待は、介護する人・される人の関係が続く限り、つまり障害が続く限り問題である。幼児虐待や高齢者虐待のようにライフステージのある部分に起きるものではなく、かつライフステージが移行すれば解決するものではない。

また、家庭内であったり、虐待は屋内の、他人には見えない環境で起こりやすい。障がい者であれば、他人に伝えることができない、または生活圏にいる人間が限られるために余計に表面化されづらいとも考えられる。
反対に隣人等が障がい者のケアにあたっている家庭や施設に、「虐待をしているんじゃないか」という疑いがあっても、それはなかなか言いづらいことでもある。

いずれにせよ、虐待が発生しないような社会の土壌作りをしなければならない。


投稿者: はと | 2012年07月23日 21:55

バリアフリーがしっかり行われていない場所が今でもたくさんあるが、それは障害者に対する虐待に他ならない。点字ブロックのないところ、スロープのないところ、身近で言えばお札の大きさの違いがあまり明確に分かれていないこともそれぞれ虐待であると思う。今でも対策はなされていると思うが、もっと迅速に対策する必要のあることだと私は思う。


投稿者: deikikun | 2012年07月24日 00:22

 私は、田舎に育ったため高齢者も多く、そのような方の助けをするのは、ある種当たり前の行為だと思っている。しかし、今日まだまだ虐待などの暗いニュースは絶えない。それは、まだ国として高齢者など、言葉は悪いが弱者を助けるためのシステムが、確立されていないからではないだろうか。介護する人間が疲れてしまうのだ。例えば、点字の場所を増やす、階段をスロープを増やすなど国として、弱者を助ける政策が必要だ。


投稿者: スパーズ | 2012年07月24日 14:11

私は虐待が発生する理由は、その環境ではなく虐待を行う人物にあると思う。もちろん虐待を行う人が必ずしも悪いというつもりはなく、過去に虐待を受けた人が大人になって虐待をしてしまったという話は非常に悲しいことだと思う。
こういった負の連鎖をなくすためにも、虐待がおきるのを待つのではなく、なくすために動くことが大事だと思う。


投稿者: holow | 2012年07月25日 00:16

私が虐待と聞くと真っ先きに思い浮かぶのは、親から子どもへの虐待である。身体的虐待、心理的虐待、ネグレクトなど様々あるが、すべてが子どもに健全な発達をもたらすものではない。最近では、地震の影響で福島県から避難してきた家庭で、子どもに対する虐待が発覚するなど、心が痛むニュースがあった。私は子どもを救うことが大切であることはもちろん、虐待をしてしまう加害者を救うことが必要だと考える。特定のコミュニティーに属する機会が少なくなってしまっている現代、子育ての困難を支援するような活動をもっと展開していくべきだと思う。


投稿者: busters | 2012年07月25日 04:49

妙高高原とてもいいところですよね!
僕も先生のおっしゃる通り、障碍者虐待の問題は根本的な問題を突き詰めて解決するべきだと思います。いくら虐待対応システムが充実しても、虐待が起きてしまってはもう遅いと思います。これはいじめ問題も同じことで、人間の心理や周りを取り囲む状況などから根本的な原因を考えなければ、毎回毎回同じことが繰り返されるだけです。また、様々な年齢層や環境から生じる虐待の特色を考えていらっしゃることには、とても関心が湧きました。確かに、虐待といっても一言では表すことのできないほどたくさんの事例があるので、それぞれの原因を考えていくことが大切だと思います。


投稿者: SWM | 2013年01月25日 02:49

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
定価:¥3,150(税込)
発行:中央法規
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