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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

コスメについてアプローチしたものの

 ここ数年、関心を深めながらもアプローチできていない事象があります。それは、この30年間のコスメの変遷についてです。

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女性のコスメ-私には伏魔殿のよう

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 私がこのようなことに関心を抱くようになったのは、欲求の個人主義と親密圏の変容を投影する事象の一つがコスメにあるのではないかと考えてきたからです。バブルの時代に男女雇用機会均等法が成立し、男女の社会的な位置関係が変化することによって、異性間の欲求のあり方とアピールの姿が変容してきたことは間違いのないところです。

 社会人になった女性の多くが男性の補佐的な仕事をするポジションしか与えられず、「容姿端麗」「良妻賢母」を売りにする生き方を強いられた時代が終焉し、職業上の能力と地位も男性と互角に勝負しなければならない時代に突入すると、女性のコスメのあり方も変化してきたと仮説的に考えています。つまり、一方では、かつての時代と同様の「美しさ」を追求し、他方では「仕事もできる」ことをアピールするような整容のあり方になってきたのではないかと。

 男性の整容については、ファッション誌の本格的な展開が80年代からですし、近年ドラッグストアの男性化粧品のコーナーも、さすがに女性化粧品の売り場面積とは比較にならない小さな規模にとどまりますが、徐々に商品の種類と量が増えてきました。
 昨今は職場で男性トイレに入ると、鏡の前で整容に長い時間を惜しまない男性もちょくちょく見かけるようになってきました。

 サルトルのコケットリー(媚態)の概念によれば、男女間の関係は次のようになります。
 男性が欲求のまなざしを女性に向けるとします。自身の身体を所有する女性は、彼が欲求を募らせれば募らせるほどに、彼女が占有している身体の価値を自覚します。しかし、男の側では、女性が自らの身体に特別の関心を払っているようには見えず、男がこれほどの欲求を募らせている身体に女性自身が無関心であるかのような様を前に、女性に対する神々しさまで感じると言います(男はどこまでバカなのだろう、嗚呼)。

 女性は、男性からの欲求のまなざしを知ることによって、自分の所有する身体の価値を認識し、男性に対する優位性を誇ります。しかし、男性がこれ以上アプローチすることを断念して彼女の前から去ってしまうと、彼女は男性に対する支配的地位を失うことになります。そこで、女性は男性に対する支配的地位を保持するために、男の意のままにはならない程度において、自らの容姿を不断に整え、自身の身体の価値を提示し続けようとするのです。合コン場面は、まさにこのような構造の坩堝(るつぼ)といっていいでしょう。

 要するに、男性は女性を丸ごと欲求の対象としていますが、女性がファッションや化粧によって自身の身体性を操作していることが見えていないのです。ここに、男性に対する女性の優位性が生まれ、場合によっては、男性が女性に振り回される事態にまで帰結します。ローマ帝国のカエサルとアントニウスがエジプトのクレオパトラにいかれてしまったように、「歴史の陰に女あり」と言われるのは以上のような構造に由来するのではないでしょうか。

 しかしながら、サルトルの考察したコケットリーの概念は、今や男女を全く逆にした関係性もそこかしこに成立しており、もはやユニ・セクシュアリティの構造になってしまったと思えてなりません。
 実際、「メードカフェ」に対しては「執事カフェ」が存在するように、女性の側から男性にアクティヴなまなざしを向けることも決して例外的ではなくなったからこそ、「イケメン」や「イクメン」という言葉が使われるようになってきたのでしょう。

 このようにして、サルトルのコケットリーの概念を手掛かりに欲求の個人主義と親密圏の変容を考察しようとする経緯から、異性のまなざしを意識して自身の身体を操作するあり様、つまりコスメや整容の歴史的変遷を詳らかにしたいと考えるようになってきました。

 ところが、男性サイドの現象は何とか理解できても、女性のコスメについては私の理解をはるかに超えています。もともと私は、自身の整容にほとんど無頓着な質で、年頃の娘には「お父さん、何がなんでももうちょっとオシャレしなよ。みっともないんだから~」なんて言われてしまいます。自身の整容はこれまでのまま放置するほかないにせよ、欲求の個人主義と親密圏の変容に関する資料の一つであるコスメの歴史的変遷に通じることができなければ、とても学究の徒とはいえまいと、一念発起しました。

 そこで、ためしに三田村蕗子著『夢と欲望のコスメ戦争』(2005年、新潮新書)を読んでみたのです。本書の帯には「原価では測れない、その『価値』-女の理不尽ここに極まれり」とあり、表紙開きの解説文をご紹介すると次のようです。

 「奈良の女帝から平成のコギャルまで、いつの世も女たちは美を追い求めてきた。華やかな宣伝と魅力的なパッケージによって、時には純金より高価でも、人類の半数を惹きつけてやまない化粧品。水面下では、貪欲で気まぐれな消費者とメーカー、小売店の熾烈な知恵比べが繰り広げられる業界でもある、『美白』『ガングロ』『目力』など身近なキーワードを通じて、世相を映し流行を生み出す化粧品世界の舞台裏に迫る」

 私のまったく知らない領域である分、読み進むうちに「へーっ」「ほーっ」と数々の驚きと「発見」がありました。
 それでも、残念ながら、コスメの真実の理解までにはほど遠い距離があるのです。
 女性はなぜこれほどまでの強迫性をもって自身の「美しさ」に拘泥するのか?(男性のまなざしのせいばかりとはとても考えられない…)
 「化粧品を使うときに女性が感じるわくわくとした高揚感」(176頁)とあるが、女性は日々の整容毎に自己愛の権化となっているのか?(ひょっとするとこのような疑問を持つこと自体、女性から見れば愚の骨頂なのかもしれない…)

 もちろん女性にも個人差がかなりあるでしょうから、すべての女性がコスメをめぐる強迫性と自己愛性を一律に共有しているとは考えません。でも、私はどうも基本的に「分かっていない」状態のままなのです。

 篠田節子著『女たちのジハード』(2000年、集英社文庫)の読後感も、男女に大きな開きがあります。
 この小説の主人公である5人のOLの生き様と心の運びを読んで、大方の女性が「わかるわかる」というのに対し、男性のほとんどは「目が点になった」「驚き、桃の木、山椒の木」となります。私も男性として例外ではありませんし、知人の男性などは自分のカミさんに「お前もこんなこと考えてきたのか?」と訊ねてにべもなく「そうよ」と応えられてからは「しばらく恐ろしくて女性と話せなくなった」と言いますから、男女間の意思疎通や相互理解は恐ろしく困難な所業のようにさえ思えてきます。

 女性のコスメの世界について、私はほとんど伏魔殿のように思えてきました。ひょっとすると、私には終生理解不能な世界であるのかも知れません。くわばらくわばら…
 この領域に精通した親切などなたかが、私にレクチャーでもしていただけませんか?


コメント


 この記事に関しては、私自身も考えさせられる点が多くあった。女性はなぜそこまでも容姿を気にするのか・・・。私が考えるその理由の一つは、やはり少なからず社会からそのような事が期待されているからだと思う。「女性は美しくあるべきだ。」という考えが社会に根強く生き、女性は容姿や振る舞いまでもが美しく(女性らしく?)あるよう求められているように感じる。もちろん男女平等が叫ばれる今日の社会において、そのようなことが公に言われる事はないけれども、やはり心の中にそのような考えが根づいている人は少なくないだろう。
 また、女性自身も社会との関わりが増えるにつれてそのような事を実感する機会は増えていく。そういった社会からの目線や期待によって、女性は美しくなろうと努力するのだと思う。言うなれば、化粧に対する自身の欲求や関心よりも社会からのそういった圧力の方が強いのではと感じることもある。もちろん全ての女性がそうである訳ではないが、女性がより良く社会で生きていくために(そのより良く生きていく方法の一つとして)女性は美しくあろうとするのではないか。


投稿者: みかん | 2011年06月01日 17:40

 女性が自分の身体に特別の関心を払っているように見えずに神々しさを覚えるなんて、おろかな話だと思った。自分を飾り立てている女性たちが、自分の容姿に無関心なはずがない。男性の目を意識しているか、そうでなくとも友人やその他の人目を意識しているかどちらかだ。
 もちろん、男性の目を気にして自分を飾り立てる女性は多いだろううが、それだけではない。女性が化粧をする理由は、女性同士の評価のためもあると思う。同じようにコスメやファッションに関心がある女性同士では、相手がどういう人か判断するときに、男性以上に相手の容姿を見てしまう。職について営業担当などをしたら、ほのかに化粧をしているくらいのほうが清潔感があると感じられるかもしれない。
 今は女性は化粧をしている人があまりにも多いので、化粧をしているかしていないかを通り越して、場面によって使い分けたり相手からの印象を操作するために化粧をすることができるようになってきている。
 私は男性の目など心底どうでも良いが、女性同士で周りが化粧をしていたら、やはり自分もしたいと思う。面倒臭いし目が痛くてしょうがないが、今のところは時間があれば興味本意でしてみている。そんなものだと思う。


投稿者: わらびもち | 2011年06月14日 09:10

こんにちは。
僕は男ですので、明確に女性の気持ちが分かるわけではありませんが、そんな男側の意見として書かせていただきます。

「女性が何故そこまで容姿に気を掛けるのか?」
この疑問は僕自身も持っていた疑問でしたし、今もハッキリと答えが分かっている訳ではありません。
化粧に長い時間を掛けたり、様々な化粧品を購入したり、場合によっては電車内でさえ化粧をしたり・・・。僕には理解しにくいものです。「何故そこまでするのか?」と。

僕は女性が化粧をする理由として、2つの理由を考えました。

1つ目の理由として、「印象の為」という理由を考えました。
少し考えてみると、「綺麗な恰好をしている」女性の方から良い印象を受けやすいことに気が付きました。
ここで、強く強調しておいたいのは「綺麗な恰好」というのは、なにも厚化粧というわけではなく、僕から見てその人に適切だと感じられるような化粧をしているということです。

これは男性にも当てはまることだとは思うのですが、やはり印象(とりわけ第一印象)というものは「相手の恰好」や「相手の振る舞い」から生じるものだと思います。
その場に合っている恰好というのは勿論、その上で綺麗な恰好をしている人に対して好印象が生じ易いものだと思います。
勿論、「人間は中身が大事」という考え方には賛成ですが、全ての人と腹を割って話せるわけでもないので、外見はとても大事だと考えます。


そう考えると、女性にとっての化粧というのは「身だしなみの1つ」になっているのではないかと考えます。
男性がネクタイを締めるのと同等に、一見意味が無いようで実は大切な身だしなみ。それが化粧なのではないでしょうか?

2つ目の理由として「自分自身の満足や美容の為」という理由を考えます。


僕には高校2年生の妹がいるので、妹に「化粧についてどう思うか?」と聞いたことがあります。
妹は「良いと思う」と答えた上で、何故良いと思うのかについて話してくれました。
妹曰く、「化粧をすることで自分自身の気持ちが明るくなるし、紫外線等から肌を守ってくれる化粧品もあるので、一石二鳥だ」とのことでした。

この話を聞いて、僕は「成る程」と思いました。化粧をすることで自分の気持ちが明るくなる、つまりはオシャレをすることに楽しみを見出すということでしょう。これは女性だけでなく男性にも当てはまるものがあると思います。
例えば、暗めな色の服を着るよりも明るい色合いの服を着た方が、気持ちが明るくなるというのはよく言われることです(参考URL: http://www1.ocn.ne.jp/~iyasiro/maji/iroiro2.html)。
これに似た効果を化粧の中に求めているのではないでしょうか?
また、僕が興味深かったのは「化粧によって肌を守る」という発想でした。
僕は化粧品について疎いので、そんな効果をもつ化粧品があるとは知りませんでした。
でも、化粧をすることで綺麗になれて、その上肌を守ることが出来るのであれば大いに化粧をするべきだと思いました。

これらが、僕の考える化粧をする理由です。

しかし、根本的な理由にまでは未だにたどりつけていません。
ただ、ひとつだけ確かなことは、「個人個人の嗜好やマスメディアによる扇動、時代背景。様々な要因が絡み合い、人々は化粧を、ひいては“オシャレ”を行う」ということではないでしょうか?


投稿者: ジャスミン | 2011年06月17日 00:48

 なぜ、女性が化粧をするのかという事を考えると深くなると思う。一般的には、キレイになりたいから、社会人として常識だからとかであると思う。しかし、必ずしもそれだけの理由ではないであろう。化粧をする事によって気分が高揚するという事はあると思う。
 また、今はスッピンもキレイという事が良い事であるという意識が高いと思う。隠す化粧ではなく、魅せる化粧をするというのが最近の流行りであると思う。化粧品どひとくちに言っても様々である。その中でも化粧水などの基礎化粧品は安いものから、ものすごく高価なものまで数多くある。それらは女性のさらにキレイになりたいという欲求を買っているのであろう。
 化粧をする事やお手入れをする事が面倒であるという人もいるが、化粧を楽しめるという事も女性の特権であると思う。誰かの為や、社会の為の化粧も良いと思うが、やはり自分のために化粧を楽しむ事がまずは第一であると思うし、化粧だけでなく、向上心を持つ事は何事でも素晴らしいと思う。


投稿者: 米子 | 2011年06月17日 14:13

 女性はなぜこれほどまでの強迫性をもって自身の「美しさ」に拘泥するのか?その理由は2つあると考える。
 1つは、やはり、異性のまなざしを意識しているからである。人によってその意識の度合いに違いはあるものの、女性が男性のまなざしをわずかでも意識していることはまず、間違いない。
 もう1つは、社会のまなざしを意識しているからである。男性が優位だった時代では“女性である自分は社会的にどうあるべきか”を意識していただろう。しかし現代では“女性である自分は社会にどう見られるのか”を意識せざるをえないのだ。
 つまり、「美しさ」がなければ異性からも社会からも見捨てられてしまう…そういった強迫観念が働くため、女性は「美しさ」に拘泥するのではないかと考える。


投稿者: はちみつ | 2011年06月19日 17:18

 女性の化粧は、単に男性によく思われたり、美しくなるための手段であると思われがちである。しかし実際女性にとっての化粧とは、それほど単純なものではない。芦原妃名子著の漫画「砂時計」(集英社)に「化粧は女の戦闘服」という表現がある。漫画の表現といっても、これは女性の化粧に対する意識を的確に表している。戦闘服とは、戦争などの目的に特化し、防御、攻撃するための服装を指す。それと同じで、女性にとっての化粧とはある目的のために自分の力を最大限に発揮し、かつ自分の身を守るための手段である。
 例えば、女性は化粧をすることで「美しい自分」を手に入れることになる。それが女性の自信となり、それからの行為のやる気に結びつく。男性には経験のないことかもしれないが、女性なら誰しも「今日は頑張らないといけない日だからしっかりメイクしよう」
とか、「今日はちゃんとメイクしたから頑張ろう」などと思ったことがあるはずだ。それほど、女性の化粧と気持ちにはリンクする部分がある。男性も、例えば髪型に気合を入れた日やきちんとした服装をした時には、外見に気を遣わない日とは違う気持ちになるかもしれない。その最たるものが、女性にとっての化粧なのである。
 確かに化粧は女性が男性に媚びる手段の一つであるかもしれない。しかしそれ以上に、化粧はその女性本人の盾であり、矛でもあるのだ。


投稿者: えぼしどり | 2011年06月25日 19:18

女性がなぜそこまで容姿を気にかけるのかについて、私の考えは二つある。

一つは、他人からの目を気にしているからだと思う。
他人の目とは、異性だけでなく、同性からの目も含まれると思う。
人から褒められることはうれしいことだし、褒められる喜びを求めていることが容姿を気に掛ける理由の一つだと思う。

もう一つは、自己満足のためだと思う。
私個人の意見ではあるが、化粧をしているときとそうでないときとでは、気分が違う。
やる気が出たり、元気が出たりする。

朝の情報番組では、よく若い女性向けのファッションやメイクの特集がされている。
やはりそれだけ女性の容姿に対する思いは強いのだと感じる。
私も他人に不快を与えない程度に自分の容姿に気を配って日々の生活を明るく過ごせたらいいと思った。


投稿者: りんごあめ | 2011年06月26日 16:22

 私は、化粧の在り方が時代によって変容しているように感じる。雑誌を見ていても良妻賢母などの生き方を強いられたバブル期の「美しさ」の追求から、女性が社会進出する時代へと変わるに従って、女性の化粧も「凛とした」「シャープな」印象に変わっていったように思える。しかし、さらに今日になると「愛くるしい」印象の化粧が流行ってきている。女性誌では「小動物のような」「愛くるしい」モデルが多くの女性の目標とされているのだ。こういった女性の化粧の変化から様々な社会の女性への要求が読み取れるのではないだろうか。
 また、女性の化粧をする理由として、涙を流さないため、自分らしさを守り抜こうとする気持ちから、などというのが挙げる人もいる。私は、女性の気持ち・心情の変化も、化粧は反映していると考える。


投稿者: すずいち | 2011年06月26日 20:08

女性がメイクをする理由。はじめは単純に男によく思われたいからでしょ、と思った。実際わたしも男性がいる場面のほうがメイクをすることが多いように思う(このブログのコメントが匿名で良かった、鳥呼)。気心の知れた同じ学科の女友達
の前では平気でいつもスッピンなのに、同様に気心の知れたサークルの男友達といるときはほとんどメイクをしている。この違いは何か。それはやはり、男性は美人が好き、可愛いほうがちやほやされて得をする、ということを知っているか
らだと思う。良い遺伝子を残したいから、などとよく聞くが、男の人は女の人以上に異性の見かけに重きを置いている、というのは常識的な概念だろう。しかし、同じ女友達でも、久しぶりに会う友達なんかだと、メイクをしなくては!と思う。また、ギャルの長いつけまつげやコテコテのネイルアートなんかは、男の人に全然人気がない(ギャル好きの男もいるだろうが、綾瀬はるかや宮崎あおいが好きな男のほうが圧倒的に多い)のに、わざわざお金と時間をかけている。これらは結局自分がこんな風にみられたい、という自己表現なんだと思う。久しぶりに会って、可愛くなったと思われたい、とか流行りのメイクを知っていて、それを実行していることを誇示したい、とかそういうことなんだと思う。このとき、恋愛とか異性とかはなく、自分と、それを見せる人(見てもらう人)の関係しかない。女性が平気で電車でメイクし
たりもするのも周りにいる人がその自分を見せる対象でないからではないだろうか。女性の社会進出が進み、なりたい自分、というのがステキな男性と結婚する自分以外にもたくさん出てきたことが、メイクを多様化し、またつい、なりたい自分になるために、見た目から入ってしまう(その理由もテレビの芸能人や雑誌のモデルの影響や、目に見えてわかりやすいなど所論あるだろうが)ためメイクが女性たちを引きつけてやまないのだろう。


投稿者: リンスinシャンプー | 2011年06月27日 11:49

 女性が美を追及する姿勢には男性のまなざしだけでなく女性間における権力争いのようなものが関係していると思います。やはり、容姿が華やかな女性の周りは似たように華やかな女性が集まります。派閥が生まれる訳です。どの派閥に入るかで自分の女性としてのランクが決まります。上流階級と付き合うとそれなりの人と交流がもてるわけです。それは幼稚園のころから変わりません。
 高校生の時幼稚園訪問をしたことがあります。やはり派閥がありどんなに小さくても女性なんだなと感じました。男性には見えないところで女性の熾烈な権力争いがあるのです。


投稿者: カンカン | 2011年06月27日 23:08

 女性が化粧をする理由について、私も考えたことがある。
 一般的に化粧をするのは女だけである。そもそも女が化粧をする理由というのはやはり男からみて少しでも魅力的に見てもらうためであったと思う。明りのない夜、男が自分の顔を見る際、より自分の顔をはっきりときれいに見せるため白粉を塗る…といった具合にである。
 だが現代でも男のためだけに女たちは化粧をしているのか?と言われると、そうではないと思う。私は男女含めた社会の目、周りの人間の目というのが大きいのではないかと思う。
 ある程度の年齢になれば女性は化粧をするもの、といった価値観が世間にはあり、それにのっとり女性は化粧をする。まぁ伝統というか慣習のようなもので特に女性側に意識はないのではないかと思う。現代では美意識の高い男性が増えているし、見た目が中世的な男性が好まれやすい傾向にあるので、未来になると男も普通に化粧をしている可能性は大いにあると思う。


投稿者: ao | 2011年06月28日 09:56

 女性のスッピンを見て、がっかりすることがあります。目の大きさ全然違いますよ、と。それほど今の化粧品はすばらしい技術性を持っている。時代の流れとともに技術が進歩し、より手軽に、簡単に、変身できるようになったことも女性が化粧をする理由の一つにあると考えます。
 昔であれば、高貴な身分の人や、結婚式などの特定の日しか化粧をしないという時代もあったと思います。それが、外に出れば皆化粧をしている。時代の流れを感じました。


投稿者: 緑ドン | 2011年06月28日 17:17

 女性が化粧をすることの本当の心理は自己満足だと思う。
 私は中学生までは、化粧をする意味がわからなかった。すっぴんで外出することに対して何も違和感を感じたことがなかった。
しかし、高校生になり思春期を迎え、化粧にも興味を持つようになった。化粧の仕方次第で、顔の印象を変わることを知った。
 そして、化粧をすることで「今日も自分はきれいだ」と思い、「今日も一日頑張ろう」と活力が出てきている自分に気付いた。男性に対してきれいに見せたいというよりも、メイクは、一日の始まりとしてのスタミナであり、自己満足のためであるものだと思う。


投稿者: you | 2011年06月29日 22:25

 わたしは女です。メイクもファッションも大好きです。先生のブログのこの記事のタイトルをみて、すごく引き寄せられるなにかがありました。

 先生の記事を読んでからなぜ自分は化粧をし、アクセサリーを身にまとい、きれいな服を好んで着ているのはなぜだろうと考えるようになりました。わたしは、誰かにできるだけいい自分を見て欲しい、それには男性の存在も関連しているなあと思います。
 高校生の頃は、すごくギャルにあこがれていました。今となっては、メイクはその人にないものを補うものであったり、その人自身ににあっていればそれでよいのではないかと思います。
 爪をやたら長くしてコテコテに飾ってキラキラさせたり、バサバサするつけまつげをしたり、髪の毛を金髪にしてぐりんぐりんにまいたり。私は、ほんとに美しいということは、自然に近くすることではないかとおもいます。
 人間は、ありのままの顔が一番綺麗で輝いているとおもうのです。けど、化粧に関する女性の考え方は十人十色であり、いずれにせよ、正解も不正解もなく、個性という捉え方をしてもいいのではないかと思う。


投稿者: mary | 2011年06月30日 13:51

 『美しい』を追求する女性について。昔読んだ脳科学の本に、男女の違いとして脳梁の太さのことが書かれていた。脳梁とは右脳と左脳をつなぐ管の束のようなものであり、この本によると、女性は男性に比べこの脳梁が太いようだ。
 脳梁が太い事により、右脳と左脳がより強く結び付いているため、女性は男性に比べ例えば間違い探しといった平面把握を得意とする。逆に脳梁が細い男性は空間把握能力が高いということになる。
 この違いは幼少期に顕著であり、例えば子供に絵を描いてもらうと、傾向として女の子は自画像など身近なものを描く割合が高く、男の子は重機などの大きく立体的なものを描く割合が高いそうだ。
 これらのことから、女性は男性よりも早く身近なものに関心が向く傾向にある。つまり、洋服や化粧といったもので自分を飾ることに関心が向くことになる。
 逆に男性は空間把握に長けているため、身近なものに目が向きにくく、男性が女性に比べファッションなどに興味を示すのが遅いのは、そういった理由があるからだと考えられる。
 といっても、改めて調べてみると男女の脳梁に差はないという研究も依然発表されているようだ。
 ただ、コスメやファッションに対しての男女の意識の違いは、私たちの脳の違いにあるのかもしれないと思う。また、以前に比べ男性がファッションなどに関心を示すようになったのは、時代とともに我々の身体も変わっていっているのかもしれない。


投稿者: megane | 2011年06月30日 15:11

 私は化粧などの自分を美しく見せるための商品にはとても関心を持っている。
 宗澤さんがおっしゃるように、異性に対してのアピールということもあるが、自信を持つためにコスメを使うという理由が1番であると考える。

 女性は自分の顔が変わることを楽しみに高いお金を払って化粧品を買っている。自分の顔が変わることによって人から褒められる。男性は能力を褒められることが多いが、今の日本では男女平等と言えどもまだ男尊女卑の思想が根強く残っている。その中で女性は褒められることを欲しているのである。そこで1番変えやすい、そしてわかりやすい顔や髪といった容姿を磨くことによって褒められ、自信をもって生きていけるのだと考える。

 よく男性が「女性同士が褒め合っていることが理解できない。」と言うが褒め合うことによって女性は親密圏(関係はそれほど深くないが)を広げていくことができるのであると考える。


投稿者: さあや | 2011年07月03日 16:14

 女性が男性に対して綺麗に思われたいという気持ちは、ほぼ全ての女性が持っているのではないか。女性が綺麗になる一つの手段として、化粧というのは効果的なものである。これは誰もが知っている事実であり、女性はより良いコスメを求めているし、企業側も需要に合ったコスメを開発し供給している。女性たちはさらなる「美」を求めて、コスメを購入する。しかし、この美へアプローチに大きな欠陥があるのではないか。
 そもそも「美」とは非常に抽象的なことばではないだろうか。それを「外見の美」と「中身の美」に分けるとしよう。つまり、コスメとは「外見の美」の追求である。現代の女性はこれに固執しているのではないか。時間がないからと言って、電車の中で化粧をしている姿は本当に綺麗だと言えるだろうか。
 こういったモラルや料理、裁縫、掃除が得意だったりするような「中身の美」を身につけている女性はどれ程いるのだろうか。
 そして、意外と男性は「中身の美」をもつ女性に魅かれてしまうものである。もちろん先生の意見の通り、全ての人と腹を割って話せるわけではないので、外見は大事である。特にどちらが大事ということではなく、中身も外見も「美」を兼ね備えることが理想的である。


投稿者: 赤ちゃん | 2011年07月04日 01:24

たとえ忙しくても女性が化粧をかかさない理由には大きく二つあると考える。
 まず、社会における行動を意識したため。社会にでて一人の人間として行動する場合、きちんとした身なりを整えておくことは常識ともいえる。たとえば大事な会議にジャージを着て参加する人はいないだろう。衣服や髪形と同様に、化粧も身なりを整える際の重要な要素といえるのだと思う。しかしそれはスッピンは無礼だというもでは決してない。化粧は私たちが身なりを整えるうえでの手助けをしてくれるものであると考えるのが妥当であろう。
 二つ目に考えるのが、自身の気持ちを引き締めるため。女性の多くは朝の忙しい時間を割いてまでも化粧をする。このことによって一日を頑張るための気合を入れているのだと言っても過言ではないだろう。
 今日、男女ともに容姿への関心が高まりつつある。今後の、女性はもちろんのこと男性の美への関心の変化もまた注目したい。


投稿者: piano | 2011年07月04日 14:56

自分は男なので、女性特有の感覚に通じているというワケではないのですが、「なぜ女性は美を求めるのか」とりわけ「なぜ化粧したがるのか」について考察してみました。

化粧にUVカット効果があるなどの実用的な機能は別として、多くの女性が化粧をするのは彼女たちの帰属意識を満たすためだと思います。渋谷や原宿などを歩いているとよく分かるのですが、皆ほとんど同じような恰好をしています。いわゆる「ギャル」や「森ガール」といった具合で同じカテゴリに分けられるな複数のグループを形成し、一緒に行動する傾向があるようです。
妹や友達の女の子に「何で化粧するの?」と尋ねるとほとんどが「皆やってるから」と答えます。
化粧をすることで、自分を他人と同じカテゴリに分類し(この場合、「化粧をしている人」というカテゴリ)帰属意識を得ようとしているのではないでしょうか?これはマズローの”欲求段階説”に出てくるいわゆる”所属と愛の欲求”に通じるものがあると思います。(参照http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%B2%E6%B1%82%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E8%AA%AC)
ただこの所属する共同体というのが特殊なもので
個人主義と親密圏の中間的なものなのではないでしょうか?「帰属意識は持てるが、それほど深く付き合って傷ついたりするリスクもない」という個人主義でも親密圏でもない、新しい対人関係が(特に女性の中で)形成されつつあると考えます。


投稿者: おつみ | 2011年07月04日 22:50

 「化粧はマナー」という言葉を聞いたことがある。実際にビジネスマナーに関するWebサイトを見ると、「ノーメイクはエチケット違反」とある(参考サイト「デジセン商事.com」 http://www.digital-sense.co.jp/cc_new/sub/02_2.html)。今の社会では女性は化粧をしないと失礼であるとか外見に無頓着だと周囲に認識されてしまう。そのため化粧という行為は単に自身を美しく見せるという欲求を満たすためだけにやるのではなく、男性がネクタイをするのと同じようにマナーの一環という意味合いが強いとわたしは考える。
 ではなぜ女性だけが化粧をするのだろうか。近頃では男性化粧品も目にするようになったが、やはりまだまだ数としては少ない。わたしはこれには昔からの女性と男性の関係に原因があると思う。昔から女性は男性に「選ばれる」「獲得される」といった受動的な立場にあった。男性に選ばれるために、女性の外見を磨くという行為が発達していったのではないだろうか。今、社会においての女性の立ち位置は変化しつつあるものの、やはり外見により気を使うのは男性より女性である。


投稿者: ぐるんぱ | 2011年07月04日 23:27

自分自身女性の価値観には理解できない点が多くあるので、とても考えさせられる内容でした。

そもそも、メイクというものは女性に限ったものではなく男性も歴史的には行っているとは考えます。人間に限らず、動物は基本的に「楽」もしくは「快」を求める傾向にあることから逆算するとこの問題の解決案が見えてくるのかもしれません。


投稿者: Jacques | 2011年07月05日 11:58

女性が化粧をする理由は、大きく分けて3つあると考える。

1つ目は、異性によく思われたいから。自分をよく見せたくて、かっこいい(と自分が思う)男性に好かれたくて。でもそのままの自分では自信がないから、化粧の力を借りているのだと思う。
2つ目は、同性に劣りたくないから。化粧をすることで「自分は○○ちゃんよりかわいい」という自己満足を得るために、美しい(と自分が思う)ように着飾っているのだと思う。
3つ目は、社会の流れにのって。一般的に女性は化粧をするのが常識というか、通例になっていると感じる。女性は集団から外れたことをするのを嫌い、化粧をしているのではないだろうか。

いずれにしても共通しているのは「他人ではなく自分のため」ということである。自分が好かれたいから、外れたくないから、化粧をしているのだと考える。


投稿者: ぱんだ | 2011年07月05日 16:39

 私は女で、外に出るときには毎日欠かさず化粧をするタイプの人間です。もちろんおしゃれにも興味をもっていて、服装にも気を使っています。
 理由はいくつかあります。まず、化粧をすると印象が変わり、印象が変わると表情がかわり、表情が変わると性格が変わり、性格が変わると世界が変わる!という正の連鎖が起こるからです。私は大学に入って初めて化粧に手を出しましたが、化粧で自分の欠点を隠すことで周囲の自分に接する態度が、明らかに高校生の頃とは違うことに気付きました。人はまずは見た目で判断するしかないですから、それが当たり前の反応であると思います。
 ふたつめは、「化粧をする」ことが(髪をとかすような)身だしなみのひとつになっていて、化粧をしないで外へ出ることが「だらしがない」と思ってしまうからです。
 化粧を毎日することでマイナスになるのはお肌の調子くらいで、他にマイナス要素が見当たらないので女性は人生をプラスに生きるために化粧をするのだと思います。少なくとも私はそうです。


投稿者: スイ | 2011年07月06日 01:35

自分は女ですが日ごろあまり化粧はしない方です。
しかし、演劇サークルで舞台用のメイクをしたりすると、不思議と気が引き締まったりします。そういった意味では、女性の化粧は男性のネクタイに近い役割も持っているかもしれません。

かつて中原淳一は、戦後間もない焼野原にあっても、日本の女性たちに美しくあろうという姿勢を保つこと、「すてき」という概念を説き続けました。どんなに生活が辛くても、くたびれた格好ばかりしていては、気持ちも引きずられてくたびれてしまう、といった旨の発言もしています。
内面の強さと外見の美しさとは切っても切れない関係なのです。

もちろん、実力で強さを表現する機会を男性にしか与えてこなかった社会の在り方にも問題はあるのでしょう。しかし、女性は美しさという武器を手に入れることで、男性と渡り合って、困難を乗り越えてきたのだと思います。


投稿者: 編集長 | 2011年07月06日 08:06

 女性のコスメの在り方が「美しさ」だけではなく「仕事もできる」アピールだと仮定すると、今後は男性も化粧をするような世の中になる可能性は否定できないと思いました。
 今はビジュアル系などと呼ばれる存在も世に知れ渡っており、男性が化粧をすることも珍しくはない世の中だと感じます。
 そして、女性のコスメの在り方についてですが、男性に対して向けられたものだけではなく、同性の女性に対しても向けられていると感じます。実際に私は化粧をする際、男性の目も意識はしますが、それ以上に女性の目を気にしているような気がします。その根幹には女性に対する対抗意識や見栄が在るのではないかと思います。そうして女性としての魅力を誇示することによって自らの存在意義を見いだしているのではないかと考えました。


投稿者: さいたま | 2011年07月06日 14:42

 化粧には異性への意識や自己愛の表れという面だけではなく、外界に出る際の「仮面」の役割を果たしている面もあるのではないかと、人付き合いが苦手で外に出るときには濃い化粧をせずには居られない人を何人か見て感じた。
 社会に出る女性に化粧をすることが求められるのは「仮面」をかぶって本音を隠し、出しゃばらず、ただ美しくあることが求められたからではないだろうか。今では自らの意思で美しくありたいと思って化粧をする人が多いと思うが、女性の意見が求められる機会が増えるにつれてそのように変化していったのではないかと思う。


投稿者: はる | 2011年07月06日 23:29

 女性がスッピンから化粧をしたときの変容には驚きました。そして、やはり化粧をしている時の方が可愛いと思います。女性が化粧をする理由としては異性からよく思われたい、他の女性よりも可愛くなりたい、流行としての化粧があると思います。
 男性も異性からよく思われたいですが、女性はその思いが強いので化粧をし、ネイルをし、トリートメントをするのではないでしょうか。また、流行に敏感な女性だからこそいろいろな化粧の仕方もあるのだと思います。
 周りが化粧をして可愛いから自分も化粧をしようと思うのであって、もし周りが化粧をしなければ誰も化粧をしないはずです。そんな世の中を見てみたいですね。


投稿者: にょり | 2011年07月07日 00:35

 化粧をする女性がみな同様の目的を持っているわけではないことは確かだと思う。
 異性によく見せるためだったり、対象の性別にかかわらず自分のおしゃれを見せるためだったり、単に身だしなみと捉えている場合もある。
 例えば電車内で化粧する女性は、通勤中の自分ではなく所属する会社の中の自分を作るために化粧しているのだろう。このことから化粧は主に女性にとって自分自身の容姿を飾ることだけでなく、社会の中で自分という「個」を保つためにも必要不可欠であると思われる。


投稿者: SPYRO | 2011年07月07日 16:38

 私はコスメ歴3ヶ月ですが、純粋にメイクを楽しんでいます。我が家の女性陣のコスメに対する姿勢を見てみると、母は衰えてゆく容姿に抵抗するコスメ、祖母はまさに身だしなみであり、自分自身への元気づけです。残念ながら、身近に20代、30代の花盛りの女性がいないのでデータ不足かもしれませんが、コスメに対する女性の考え方は、年齢、立場、職業等で変わってくるものだと思われます。
 ただし根幹にあるのは満足、自信、安心など自分自身のために粧うということではないでしょうか。異性にというよりは、自分の周りの人に対して自己アピールをしているのだと思います。


投稿者: アンチョビー | 2011年07月07日 21:12

わたしも女であり、毎日化粧をしている身である。そんなわたしの立場から言わせてもらうと、化粧とは簡単に「違う自分になれる」ひとつの手段であると考える。
わたしは自分の顔立ちにコンプレックスがあると言うほどではないが、「もう少しここがこうだったらいいのに」などと思うことがある。そしてそれは、化粧が解決してくれる。わたしは化粧をしているときとしていないときの顔が結構違う、と自分でも思っている。それでも化粧をしている自分の顔の方が好きになれる。本当の自分の顔ではないとわかっていながら、である。
そこまでしてどうして化粧をするのか。それはやはり女性の外見というものが影響を及ぼす大きさを知っているからだろう。恋人を選ぶとき、バイトの面接を受けるとき…様々な面でそれは意識される。

しかし本当は誰だって外見で判断されたくはない。そう思っていても化粧せずにはいられない、そんな葛藤との戦いでもあるのだ。


投稿者: ごりごり君 | 2011年07月09日 11:53

私はだらしない性格なので化粧にあまり興味がなく、ばっちりメイクを決めた女性を見かけるたびに「よくやるなぁ」と思ってしまうのですが、女性がみなこぞって化粧をするのは、女子高生のスカート丈の心理と似ているものがあると感じました。
私の通っていた高校は私立女子高で、身だしなみに関してかなり口うるさく言われる学校でした。
特にスカート丈を短くする生徒が多いことは問題になっていて、1年生の時の担任の男性教諭は「女子ばかりなのにどうして丈を短くするんだ」と頭を抱えていました。
しかしこの考えは、失礼ながら「ナンセンス」であるとクラス中の生徒みんなが考えていたと思います。
短いスカートを穿くほとんどの生徒が、「みんなやってるから」「長いスカートはダサいから」、スカートを短くしていたのではないでしょうか。
いわゆる風潮というものです。
化粧も同じです。
女性たちは男性の視線云々以上に、「化粧をするのが普通」という風潮から必要に駆られて化粧をしているのではないでしょうか。
私としては本来は「すっぴん」が普通の状態であるのになぜかマイナスになってしまい、公的な場で身だしなみとして化粧が求められることにいささか疑問を感じるのですが、それは言っても仕方がありません。
もちろん化粧やおしゃれに喜びを感じる女性も多いとは思いますが、日本中すべての女性が「男性へのアピール兼自分の楽しみ」で化粧をしているとは信じがたいのです。
それでもみな顔に色をつけて外へ出ていく風潮は、少し強迫的であるように感じられてなりません。


投稿者: ヒメリのみ | 2011年07月10日 15:43

 コスメに関してここまで深く考察することもできるものかと面白く思いました。
 本題の女性のコスメについてですが、私も一応女性として化粧をしたりオシャレをしたりするので、せっかくなので経験則から意見を言わせていただきます。
 私が化粧をする理由はズバリ、『社会に出たら化粧をするのがマナー』と聞いたことがあるからです。確かに、元がそれなりによければいいけど、そうでもなければ他人に見られるのも気になってしまいます。「もしかしたら自分の顔面が周りの人に不快感を与えているのでは…」と被害妄想に似た考えすら抱くこともあります。
もちろん、周りの視線だけでなく、自分自身の問題でもあります。自分の容姿に自信がないから、少しでもよくなろうと努力するのです。それでよくなっているかは別ですが…。要は、自己満足です。
また、第一印象も身綺麗な方がよくなるでしょうし、そういった面では男女関係なく外見に注意するべきだとは思います。


投稿者: ジョン | 2011年07月10日 23:22

 自分は男なので、女性の言動、考えを完全に理解できているわけではないが、男性としての立場にありながらも、なるべく客観的な視点で考察した結果を書こうと思う。
 いつの時代も一般的な「美」の概念(平安時代でいうところの下膨れた顔など)というものがあり、今では違うものの、昔は男が女を選び、めとってきたという歴史的な背景から考えると、女は男の目を惹くように化粧に対して意欲的になるという本能的な遺伝として受け継がれてきているのではないかと思う。
 また、女性が好んで化粧をするのは、ある種の儀式的な役割を果たし、化粧をすることによって普段の自分とは違う(=外向きの美しい)自分に変身することができ、自分に自信を持たせる効果があるのではないかなとも思う。


投稿者: ゆうきゃん | 2011年07月11日 15:53

 私も常々、なぜ女性だけ化粧をしなければならないのかと考えていた。
 自分自身化粧をすることが苦手で、肌に合う化粧品を見つけるために馬鹿高い化粧品にお金をかけるのも勿体ないと思い、しなくていいならしたくないと思っていた。でも高校まではなんとかそのスタンスを保てても、大学生になると流石にダメだと思い少しずつ練習するようになり、益々何故なのかと考えてみた。

 そこで思ったのは、化粧とは女性にとってマナーであり、世間的にもそれが常識になってしまっていることが更に化粧をすることを義務化させているのではないかということだ。

 同じ仕事が出来る人でも、身だしなみが適当な人と、化粧も服装もばっちり決まっている人では評価も全然違うだろう。中身の能力は人それぞれだが、見た目の印象は個人差はあれども化粧をしている状態が基準となっている以上、しないでいることが良いことだとは思ってもらえない。

 その前提がある上で、女性は化粧で見た目を変えることで自分の気持ちも変えているのだと思う。
 化粧は“別の自分”に簡単になれる手段である。すっぴんでいるリラックスした自分と、化粧をした外に対する装いで女性は気持ちを切り替えているのではないかと思った。
 私自身がその化粧をする立場にいるので、そう言い聞かせないといつまでも化粧をしたくなくなってしまう気がする。
 ここで言いたいのは、女性のすべてが喜んで化粧をしているわけでもないということだ。中には化粧をしたくない私のような女性もいるのだから、尚更この問題は不思議だと思った。
 なので、女性は化粧をしていて当然だという現状には疑問を投げかけたいとも思った。


投稿者: 朔楽 | 2011年07月11日 16:52

 私は、コスメについて深く考えたこともないですし、普段からコスメに興味を持っているわけではないので先生と同じように、なぜそこまでコスメに執着するのか分かりません。
 ですが、1つ思ったのは周囲の環境に合わせるためにコスメを利用している人もいるのではないかということです。実際に私も大学に入ったら周りはみんな化粧をしているのだから化粧をしなければならないと思ったこともありますので、そのような要因もあると思います。


投稿者: しらす | 2011年07月11日 17:30

改めて考えてみると面白い内容ですね。たしかに、女性が化粧をするのがマナーみたいになっている風潮は化粧をあまりしたくない女性にとっては腹が立つかもしれません。しかし、男女問わず周りの目を気にして身だしなみを整えるという意識は大切に思います。いくら知り合いがいないからとか、異性がいないからといっても寝ぐせで学校に来たり、部屋着で外に出るのはどうかと思います。常に他人に見られていると意識することで自分自身が磨かれていくように思います。


投稿者: Cl30 | 2011年07月11日 19:57

女性が化粧をすることの大きな理由は社会が要求しているからだと考える。例えば化粧をせずに仕事場に行った場合、非常識な人として扱われるだろう。化粧する人が多いあまり、義務化されているのではないだろうか。日本人が周りと同じであることに価値があると考える傾向が表れていると思う。同じ理由で女子高生のスカートの短さも表せると考える。
男女ともに顔の善し悪し(イケメンかそうでないか等)に力を置いているように思えてならない。


投稿者: red-dragonfly | 2011年07月11日 20:57

女性の化粧は異性に対してだけでなく、あらゆる人間に対する印象操作の手段として用いられているのではないかと思います。
 人は他人を一度、外見などの第一印象という形で判断し、その認知した印象との不協和を正しながらさらなる認知を行おうとします。つまり、第一印象が単純に美しいなどといったポジティブな印象であれば、二次的に与えられる内面などの印象においてもポジティブな印象を与えやすいため、より美しいに越したことはないということです。また、外見などで自分の意図した印象を相手に植え付けることが出来れば、自分に対する相手の評価を操作しやすくなり、結果としてコミュニケーションにおいて優位に立ちやすくなるということにもなります。
 そして、このように化粧を含め、美が女性に重要視されがちである一つの要因として考えられるのは、女性の強さというものがあるコミュニティで行われるコミュニケーションにおいていかに支配的であるかという点で表現されるものであるからということです。当然それは男性にも言えることでしょうが、機能的な性別の違いから生じた文化などから考えても、女性はよりその傾向が強いと考えられます。
 また、ある一定の年齢以上の女性の多くが化粧に固執しなくなる理由についても少し考えてみましたが、年齢とともにある程度確立された社会的な地位を得て、自分の所属する社会集団が限定的なものとなったときには第一印象の操作による支配がそれほど意味を持たなくなってくるから化粧という手段を放棄するのではないかと思いました。
 


投稿者: おかか | 2011年07月12日 00:38

 主観的に考えると、女性が化粧にお金をかけて自分を美しく見せようとするのは、自分が人にどのように見られているか、またどう思われているか気にするからだと思う。
 また、女性は化粧をするものだ、という考えが一般常識的に流布しているからというのも大きな理由の一つだと思う。化粧をすることで女性が化けているのをやめてほしいという男性もいますが、化けるのも苦労して化けているので、おしゃれの一貫として男性の賛同を得ることの出来る日がきたらいいなと思います。


投稿者: まりあ | 2011年07月12日 17:49

 ブログ内の「男の側では、女性が自らの身体に特別の関心を払っているようには見えず、男がこれほどの欲求を募らせている身体に女性自身が無関心であるかのような」の部分は今の時代にも当てはまるのだろうか。
 私は、現代はメディアの発達により女性がどれだけ自己の身体に気を使っているか、そして素顔と化粧後の顔が全く違う、ということはテレビや雑誌の過剰な取り上げされたことによって分かりきっていることなのではないだろうかと考える。


投稿者: ぷー | 2011年07月12日 23:11

 女性が化粧をするのは社会の強迫性と自己愛性に拠るという見解はなるほどと思いました。私自身女でありますし、周囲やメディアを通して見ても実際その通りだと思います。
 理解出来ないとおっしゃっていますが、それは古くから女性の持つ美しさが女性の唯一の社会的価値で、その美しさの価値を上げる化粧という分野が、男性に太刀打ちできる、もしくは同等の価値がある唯一の女性の土俵であり、社会的価値を得る為の必死とも思える努力がその土俵に詰め込まれ、男性が理解出来ないほどにまで発展してしまったからだと思います。


投稿者: しあん | 2011年07月13日 00:25

 先に自分は女であると書いておきます。
 私は高校時代までは全く化粧などしていませんでした。ところが大学入学にあたって近所の薬局でコスメ一式を揃え、今まで読み飛ばしていたファッション誌のメイク講座を見ながら何度も練習しました。別に誰に言われたわけでもないのですが、強迫観念のように《大学に入ったら化粧しなきゃ!》と思っていたのです。
 どうしてか、この記事や皆さんのコメントを見て思った私の意見は、化粧をすることになる=女になるということではないでしょうか。嫌が応にも自分を最大限に美しく保つことが必要になるからではないでしょうか。


投稿者: umi | 2011年07月13日 01:12

 女性はなぜ化粧をするのか人それぞれ考えは違うと思いますが、私は化粧は少しでも自分を良く見せるための一つの道具であると考えます。化粧をすれば自信もつくし明るくなれる気がします。内面を磨くことも大事ではありますが、悲しいことに世の中顔が重視されていることは事実であると思います。化粧をする理由としては、自己満足というよりは人に良く思われたい、認められたいという気持ちが強いからなのではないのでしょうか。
 


投稿者: ジジ | 2011年07月13日 02:05

 女性はなぜそこまでに自分の外見、見てくれにこだわるのでしょうか?と同性の私でも常々思ってしまいます。男性より出かける用意に時間がかかるのはこのためだと思うくらい化粧が面倒に感じていました。しかし女子大に通っている友人に聞いた話によると、朝寝坊して1限にすっぴんで学校に行ったら先生にマナー違反だといって怒られたようです。
 ブログで先述してあったような良妻賢母の生き方を強いられていた時代の人からしたら、ある程度のお化粧は義務のようなものだったのかもしれないですね。その話を聞いてからは、身だしなみとしてある程度の化粧はしようと心がけるようになりました。
 男性の化粧に対する目線ももちろん気になりますが、それより同性の目線を気にする女性も私は少なくないと思っています。同じ女性として、化粧をしていないのは恥ずかしく、プライド的にも許せないのが今では女性の化粧に対する執着の原因となっているようです。


投稿者: らぶちゃいるど | 2011年07月13日 11:31

 私は、毎日化粧をするというわけではありませんが、すっぴんの日は知り合いの人と会いたくないな、とマイナス思考になってしまいがちです。逆に化粧していると、どこか安心するというか、人と話すときも明るくなれる気がします。化粧に対する意識は人それぞれだとですが、私は化粧は女の子に自信をくれる魔法のようなものだと思います。少しでも自分をきれいに見せたい、という気持ちがどの時代でも女の子に化粧をさせるのではないでしょうか。


投稿者: はっちゃん | 2011年07月13日 12:00

 私は、普段は日焼け止めを塗るくらいでほとんどお化粧はしません。大学生の女子としては良くないのかもしれませんが、刺激に弱く、荒れやすい肌質なのでどうしても敬遠しがちです。
 そんな私なのですが、それでもコスメを見るとわくわくするし、目の前にあると使ってみたい、とも思います。最近のコスメは見た目が可愛く、綺麗なものばかりなのでそこに惹かれる、ということもありますが、一番は「変わりたい」という気持ちが強いような気がします。メイクの仕方を変えるとどんどん違う自分になれるのが楽しいから、女性はメイクするのかな…なんて思いました。


投稿者: ぽん | 2011年07月14日 12:32

私は中学・高校の6年間を化粧やコスメとは縁のない環境であろう男子校で過ごした。
大学に入って久方ぶりに身近な同年代の異性と接することとなって、彼女らの身だしなみに対する意識の高さには驚かされた。大学生にもなれば当然のように髪を染め、耳にピアスの穴を開け、爪にはネイルアートを施す人も多い。
そうした女性に化粧をする理由を尋ねてみると、「するのが当たり前だから」「カワイく見られたいから」と話す人が多い。

前者については、女性が男性と同様に社会進出を行っている現代においてもこうした、いわゆる化粧が一般的であり続けている理由には、女性が社会に蔓延している「女性は美しくあるべきだ」という風潮を感じ取り、それを実行しているからではないだろうか。
大多数の女性がこうした風潮に流されてしまい一般化され続けることで、男性の締めるネクタイと同様「無意味であるが社交辞令的に、しなければならない」ものになりつつあると思う。
これは前時代的な男性主観的な社会風潮であると私は思うのだが、これに女性が自ら乗じて納得し、自ら化粧を肯定してしまっているので、自ら「化粧をしない」という選択肢を奪ってしまっているのではないかと思う。


また後者のような、男性からの印象を上げるために化粧をするというのは確かに恋愛、結婚を経た種の保存という観点では確かに理に適っているといえる。しかし、男性に支持されるアイドルや女優を見てみると、フルメイクで化粧をしている女性が男性の考える美とはかけはなれているのだとわかる。しかしながら化粧をした茶髪でパーマの女優は、男性というよりは女性の支持が厚かったりする。
つまり、女性の化粧は異性を相手にするというよりは同性に対する自己顕示的なものが強いのではないか、と思う。化粧を上手にすることが女性の中でのステータスとなり、同性の間での満足感につながるのだと思う。


投稿者: 旅人 | 2012年01月04日 16:02

 このブログを読んで、女性が化粧をするという行為は、そんなにも時代の価値観をもろに反映するものなのかと驚きました。私は流行に敏感な方ではなく、身だしなみの一つぐらいにしか、考えていなかったからです。
 確かに、ファッション雑誌を見てみると、「男性受けする愛されメイク」と言ったような、男性からの目線を強く意識したものも多く見られました。しかし同時に、「デキる女の○○メイク」「就活生のためのメイクレッスン」「職業別メイク」と言った記事もあります。男性に媚を売るためのメイクというよりは、女性が世を渡るための一つのツールとしてのメイクと言った意味合いが強くなってきているという印象を受けました。
 人それぞれ化粧に対する価値観は異なると思いますが、化粧が女性にもたらす力はすごいと思います。私の姉は大学で作業療法について学んでいて、メイクボランティアをしています。活動内容は病院や介護施設を回ってお年寄りにメイクをするというものです。最初はお化粧をいやがっていた方も、口紅をさしてあげると、うれしそうな表情になるそうです。
 またメイクは五感にも刺激を与えて、積極的に外出したり、リハビリにも前向きに取り組むようになった人も多いのだとか。メイクは女性たちに自信や生きる活力を与えてくれるものなのではないでしょうか。


投稿者: まめちゃ | 2012年01月12日 13:58

私は女性であり、化粧や、服装に気を使いお洒落をします。
もちろん化粧品が好きです。煌びやかなパッケージに彩られたそれは、わくわくさせてくれます。
よりよい化粧品を求めて、定価なものから高価な化粧品を買います。(高級ブランドの化粧品の価格は信じられないほど高いです)
女性が化粧品に対する飽くなき好奇心、散財のぷりは男性には理解できないでしょう。
さて、何故私が化粧したり、自分の身体をよりよく見せようと努力するのは、まさに男性の目線を意識するからでしょう。
綺麗だと得をします。食事も、御馳走になれます。プレゼントももらえます。
男性はそうでない人よりかは綺麗な女性と一緒にご飯を食べて、満足します。
要は自分は容姿の良さを提供し、相手は財を提供してくれます。
しかし、お休みの日等は、日焼け止め程度で、服も気を使いません。髪もぼさぼさで見られた姿ではありません。家で容姿を良くしても、得しないからです。
自分をよく見せようとすること、それは自分の利益に繋がります。
しかし人体など、皮一枚剥げば骨です。美人=得という方式は嘆くべきと思います。


投稿者: いかサンダー | 2012年01月17日 12:01

 私は、化粧をする前と後で出来るだけ印象を変えたいと思いながらしています。他人に化粧をするのも同じくらい楽しいです。自らの手で創作をしている感覚です。対象が自分であっても他人であっても、それは自分の作った作品であり、それを他人に見てもらうのが心地よいと感じます。つまり、化粧は女性の自己表現であると思います。
 化粧に対する意識の性差についてですが、女性は男性に比べて、表情から気持ちを読み取る能力が高いと言います。感情を読み取る上で最も重要な要素である顔に関わることであるから、女性の方が敏感なのではないかと考えます。


投稿者: miriu | 2012年01月21日 23:05

私自身、普段あまり化粧にこだわらないのでなんとも言えないのだが、最近は化粧を「必要最低限の身だしなみ」ととらえる人と、「なくてはならないもの」ととらえる人に二極化しているように思う。例えば、今や化粧は女性としてのマナーであるという考えが一般化しつつあるが、つけまつげなどの過度な化粧を施す女性も増えている。必要以上に自分を飾りたて、本当の自分とは違う自分になれることに魅力を感じるという意見も耳にする。しかしそこには、男性からの評価を気にするというよりは、同性つまり女性からどう思われるのかを気にしているように思える。


投稿者: はんぺん | 2013年01月25日 00:17

 私はいつも化粧はしてない上手くできるようになりたいと思う。それは『社会の中で求められているから』だと考えている。
面白いもので高校までは化粧をしないことが求められてきたのに卒業したらマナーとして化粧するのが適切だとされる場面が多くある。
最低限以上に個性を出した化粧をするのは「美」をさらに求めたり、自分に自信を持ちたかったり、あるいは「みんなやっているから」という集団心理だったりと様々な理由からだと思う。
いずれにしても言えるのは、周りの人間からよく思われたいと思う気持ちが化粧を女性にさせるのだと私は考える。


投稿者: 大豆 | 2013年01月25日 07:24

この記事は考えさせられることが多かった。私は女性であるが自分自身の整容に時間とお金はあまりかけないタイプの人間であるため、世の中の女性が何故そこまで容姿を気にするのか正直理解できないところがある。いままでこのことを深く考えることはなかったが、この機会に自分なりの見解をまとめたいと思う。

世の女性たちが容姿にこだわり、飾り立ててしまうのは初めて対面する人の最初の印象が容姿で決まるということが影響しているのではないだろうか。
第一印象が大事であるということは私も痛感している。勿論、表面的な美しさだけで全ての印象が決まる訳ではないが、美人な人、可愛い人というのは印象に残りやすく、また性格など内面的にはどのような人であるのだろうかと興味を持ってもらえるのである。
心理学的な面から見ても男性の方が女性よりも異性の外見に注目するのだという話を以前聞いたことがあり、その時私はつい納得してしまったのを覚えている。

人に良く思われたいと思うのは人間ならば当たり前の欲求であり、それを考慮すると自分を飾り立てるのも当然と言えば当然なのかもしれないと思ってしまう。


投稿者: ちくわ | 2013年01月25日 12:08

 化粧や服装は、自分のセンスや好みを自分自身で表現するという素晴らしい自己表現の方法の一つではないだろうか。
 僕は一応音楽をやっているのだが、自分の演奏を聴いてもらおうと思ったら演奏する会場の確保から、広告までしなければ演奏を聴いてもらえない。どうがんばっても演奏を聴きたいと思ってもらえた人にしか音楽を聴いてもらうことはできない。
 しかしこれに比べ化粧や服装などは、たとえ見たいと思う人がいなくても、人通りの多い場所に行けば強制的に何百、何千人もの人に視られる機会が与えられる。自己表現し、いろいろな人にみてもらい、そしてその中の数人から、コメントされ評価が下されることもある。努力したことであるなら、その努力が認められることはとても嬉しいことだろう。
化粧をすることと音楽を演奏することの共通点のようなものを見出すことができる。
 どちらも完成したものを人に見せるということだ。演奏はその姿や演奏の過程や努力を感じさせず、さもそれが自然で当たり前のようにふるまうことが大切のように思う。化粧もそのような存在なのかもしれない。だから男性(聴衆)はその影の努力に気付かないし、一流の女性(演奏家)は気付かせてはならない。


投稿者: いーよー | 2013年07月25日 14:08

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

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