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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

硝子体内注射体験記

 眼球に直接注射を打って、薬剤を注入する-想像するだけで足が震えます。先日、この先端医療による治療を私は体験してきました。

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 上の写真は、注射を打たれた直後の様子です。まことに見苦しい姿をお見せすることは、どうかお許し下さい。今回は、私の体験した硝子体内注射の真実をお伝えする社会的責務(ちと大袈裟か?)があると考えたからです。

 「眼球に直接注射を打って薬剤を注入する治療法をおすすめします」とドクターに切り出されたのがことのはじまりでした。「昨年から厚労省が承認したばかりの治療で、1ヶ月に1回のペースで3ヶ月間の計3回が1サイクルの治療です。感染症を予防するため、注射は手術室で行ないます。医療保険は利くのですが、薬剤が高いので1回6万円の自己負担となります」と説明されました。

 「ぎぇーっ、眼球に注射を打つ?!」
 私は自分の眼に迫り来る注射針を想像して、ローマ帝国の拷問を受けるような恐ろしさに気を失いかけ、6万円×3回=18万円もの自己負担額には言葉を失いました。しかし、背に腹はかえられない。

 そこで、私の人脈をフルに活かしこの治療を受けた人の体験談を聞くことが、恐怖と苛立ちの渦巻く私の気持ちを鎮めるには最も効果的だと考えたのです。ところが、昨年から始まったばかりの治療法であることに加え、この治療を実施する医療機関もまだごく一部に限られているため、「眼球に注射を打たれた」体験をもつ人に出会うことはありませんでした。

 「こうなれば仕方あるまい。ここは“まな板の上の鯉”の心境で、平常心をもって自らの体験の観察者となり、広くこの体験を社会に伝えることが先端医療を受ける者のつとめであろう」と観念した次第です。

 さて、この注射は下図に示される硝子体の部分に、白目の部分から注射針を挿入し、薬剤を注入するものです。手術室に入る前に、瞳孔を開く点眼薬と麻酔の点眼薬を処置されます。頭髪を覆う帽子と上半身を覆う割烹着のようなものを着用させられ、手術室へ「いざ出陣」。眼科の手術台は、水平のベッドに体を横たえる形ではなく、歯科治療でおなじみの椅子形式で仰向けになった体の角度を自由に調節できる代物でした。

munesawa100729b.jpg

 その手術台の上では、注射される左眼以外のすべてを頭から覆う布をかぶされます。そして、完全に開いた状態の瞳孔をとおしてドクターが眼球の中を覗くために、非常に明るい点光源が眼の中を照射します。

 そして、いよいよ注射針の挿入です。眼の中を奥底まで照射するための明るい点光源のおかげで、注射針の姿やその近づく様を見ることはまったくありません。「これから針が入ります」とドクターから告げられた次の瞬間、チクンとします。が、麻酔のせいでほとんど痛みは感じませんね。このときの痛みについては、腕にする皮膚注射よりもはるかに小さく、とるに足りない程度のものでした。

 注射針が眼球に挿入される瞬間の様子は、プチンという感じです。眼球をまぶたの上から押してもらえば分かるように、眼球は皮膚よりもはるかに硬く、強い弾性を持っています。いうなら、お菓子のグミに針を刺すような感じの「プチン」です。挿入される瞬間の眼球の表面では、入ろうとする注射針とそれに抵抗する眼球の弾性がせめぎあい、眼球の表面がへこんでから針が入るような様子を視認しました。

 次は、薬剤の注入です。注射針の「プチン」というような挿入の直後に、「これから薬剤を入れます」とドクターから告げられます。すると次の瞬間には、薬剤の注入された様子が視野の全体に広がります。それは恰も、水に液体洗剤をたらした時にみられるもやもやとした光景です。光の屈折率と透過率を異にする二つの液体が完全に交じり合うまでの短い時間に見られる現象を目の当たりにしました。

 最後に、「針を抜きます」と告げられて治療の峠を越えます。後は、左眼の感染症を予防するために、抗生剤の入った点眼薬と軟膏を処置されてガーゼで完全に覆われ、その上から眼帯をはめられて終了。手術室に入ってから出てくるまでの所要時間は、ものの10分程度でした。

 手術室から出ると30分ほど病院の中で安静をとり、私の場合は特別な問題もなく、これで病院から「無罪放免」となりました。手術室に入る前の準備に50分、手術室の中の処置に10分、施療後の安静に30分ですから、合計の所要時間は約90分でした。
 このように、硝子体内注射それ自体は、何ら恐れる必要のない処置でした。しかし、病院を出た後には、困難に直面します。

 まず、左眼をふさがれた状態で、都内の病院から埼玉県川越市に電車とバスを乗り継いで移動する帰路で余儀なくされる恐怖です。
 大勢の人たちがそれぞれの用向きに急ぎ行き交う都内の雑踏は、眼帯をはめた私に注意を向けることはまずありません。視野の左側が欠けていることをまったく配慮されることのない状況に身をおいているのですから、生きている右眼で360度の安全を確めながら移動するほかありません。階段では必ず手すりにつかまり、スロープの設置箇所を認めれば必ずそこを歩行ルートに選択して、やはり手すりにしがみつきながら移動します。片目となると距離感を完全に喪失していますから、駅舎等の階段は足元を確認できないもっとも危険なところでした。要するに、病院への行き帰りは「行きはよいよい、帰りはこわい」だったのです。

 もう一つの問題点は、この治療を受けた日から丸4日間、洗顔と洗髪が許されないことです。首から下のシャワーは大丈夫ですが、真夏の暑い時節に洗髪と洗顔のできない点はまことに耐え難い。整容に無頓着な私ならまだしも、整容に留意しなければならないお仕事をされている女性がこの治療を受けるとすれば、場合によっては、仕事を数日間お休みしなければならない事態も予想されるでしょう。
 不自由な4日間を過ごした後に洗顔と洗髪のできる入浴をしたとき、「お湯で洗顔と洗髪のできることに無上の幸せと喜びを感じる」体験を味わいました。

 このように、硝子体内注射という治療法それ自体は、恐れるに足るものではありません。この治療法に伴う片目状態は1日間程度の機能障害をもたらしますが、もう片方の目は生きているのですから実用上の視力は保持されているため、さほどの困難を感じさせるものではありません。このブログ読者に硝子体内注射という治療法をドクターから薦められることがあるとすれば、私としては、積極的にこの治療法を受け止めていただきたいと考えます。

 ただ、そのような疾患に由来する状況が環境との相互作用によってただならぬ危険や生活上の困難・不自由・不利益をもたらす問題ついては、まさに障害のある人の日常的困難を生み出す構造的な問題と共通することに改めて気づかされ、痛感する体験でした。


コメント


体調が悪くて何も食べられない時、健康でおいしく食べられることがどれほど幸せなのかを感じますが、さらに目のこととなるとますます実感するものかと存じます。
また、先生が手術をされる前日、講義で辻井伸行さんやオーケストラの演奏を聞きましたが、音楽の力を借りてリラックスできるのも、聴力があるからこそだと思うと、本当にありがたいことだと実感しました。
手術、お疲れ様でした。


投稿者: ぴーたん | 2010年07月29日 17:37

手術お疲れ様でした。
私は、部活をやっています。万が一この時期に4日間洗顔、洗髪ができないのはおそらく耐えられないです…。
それにしても、眼球に注射とは…気が小さい私にとっては拷問を受けるに値するでしょう(先生もそうであられたようですが)。
残り二回ほど手術があるのでしょうか?
先生の症状の快復をお祈りしています。


投稿者: 跳べないぶた | 2010年07月30日 15:14

今回の先生の状況と一緒にしてしまうのも失礼な話なのですが、私は以前片目だけコンタクトを落としていまい、数日間片目がほとんど見えない状況に陥りました。
私の場合、片目が全く見えないと言うわけではありませんでしたが、部活動時や読書時にはいつも以上に目に負担がかかり、不自由な思いをしたのを覚えています。
先生の場合片目が全く見えない状況下で、さぞ苦労されたでしょう。
五体満足の私にはわからないことが多いですが、外だけに限らず、身の回りには危険がいっぱい潜んでいると思います。体の不自由な人たちが暮らしやすい環境を整えるためにも、多くの人の意見を取り入れていってほしいものです。
五体満足でいられることに感謝しつつ、多くの人たちの意見を反映することのできる人間のうちの一人になりたいです。

今まで貴重な講義ありがとうございました。
手術お疲れ様でした。
お大事に。


投稿者: UFJ | 2010年07月31日 00:18

 眼球の手術お疲れ様です。
 手術の体験談を聞く機会があまり無いので、貴重なお話読ませていただきました。
 私は以前、目をかかとで蹴られる(事故です)ことがありました。打撲で済みましたが、目の周りにはまんがのような青たんができてしまったことがあります。眼帯を長くつけると視力が偏ってしまうということで、医師には処方されませんでしたが、そのまま学校へ行くこともできなかったので1週間は眼帯をしていた覚えがあります。そのとき、片目の恐怖を知りました。階段は特に注意していました。
 やはり、実体験をして初めて知ることも多いと思いました。健康であることもありがたみもわかりました。
 先生の症状の快復お祈りしております。


投稿者: もえ | 2010年08月01日 13:38

 手術お疲れ様でした。
 眼球に注射なんて考えればすごいことですよね。普通に生きていれば絶対に経験できないことだと思います。そして、術後の片目体験も貴重なものだと思います。健常者である私は、日頃、当たり前のように階段の昇り降りをしていますが、目が片方見えないと、極端に恐怖に襲われるんだろうなとか思います。

 満足な身体であることに感謝しつつ、障害を抱えている方の力になるためには、そういった疑似体験のようなことを経験しなければいけないし、そういうことを意識する必要があるのだと感じました。


投稿者: ルチア | 2010年08月01日 15:50

 僕は注射の痛みは嫌いではありません。
 ですが、眼球に注射するなんて、聞くだけで
かなりキモチ悪くなります・・・・・ でも
 麻酔と、ライトのおかげで想像するほど怖くは
ない処置だったようですね。
 お大事に !


投稿者: やがみ | 2010年08月01日 21:26

手術お疲れ様でした。

 硝子体への薬剤の投入ということですが、どんな症状に対する何のための処置なのかということを知りたかったです。
 私も眼が弱いのですが、このような手術などをしなくてもすむように、眼を大切にしようと思いました。


投稿者: ねこ | 2010年08月02日 00:13

 私も一週間ほど片目に眼帯をあてて生活をしたことがありますが、非常に不便だと感じました。
 最先端医療の体験談はこれから同じ治療を受ける人にとってはとても心強いものだと思います。
 手術お疲れ様でした。


投稿者: フジ | 2010年08月02日 15:25

手術お疲れ様でした。
僕も、最近目が悪くなってきて、
目を大事に日に日に痛感しております。

お大事にしてください。


投稿者: 金シャチ | 2010年08月02日 15:39

 手術お疲れ様です。眼球をグミにたとえたり、薬剤を液体洗剤にたとえたりという描写のインパクトが強く自分でもぞっとしながら想像しました。
 洗顔や洗髪のできる幸せを感じたとありましたが、やはり日々の何気ない行為は当たり前と感じている人が多いですよね。自由に体が機能することは恵まれていることなんだ、幸せなことなんだと思い直し、日々自由に暮らすことができることに感謝していかなければならないと思いました。今後のますますのご活躍を心からお祈りします。


投稿者: 茶 | 2010年08月02日 16:40

俺は生まれつき右手に障害があります。不幸だと思いますか?だけど、その障害がおれの生活に影響を与えるって言うならm9、俺はそのふざけた幻想をぶち壊すので問題ないです!!!(キリッ
くぎゅうううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう
  いいぜ ヘ(^o^)ヘ
        |∧
        /
てめえが
何でも思い通りに
出来るってなら
         /
      (^o^)/
     /( )
    / / >

   (^o^) 三
   (\\ 三
   < \ 三
`\
(/o^)
( / まずは
/く そのふざけた
   幻想をぶち殺す


投稿者: イマジンブレーカー | 2010年08月03日 14:55

先生の現在の心境、お察ししますよ。だけど、辛いのは今だけですよ!!私も、テニスでけがをしてしまったときとかは、練習にも出れず、試合にも呼ばれず、大変つらい思いを経験しました。しかし、そういったどん底の時期があったからこそ、今の自分があるものだと、確信しております!!先生!!ともに頑張っていきましょう!!もっと、熱くなれよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!


投稿者: 修造 | 2010年08月03日 15:12

手術お疲れ様でした。

 先生が講義の中でこのお話をされていたときは、失礼ですが、面白い話だなぁと思いましたが、ブログを読みながら足が震えました。眼球に注射をするということをあまり聞いたことがないので、驚きました。それをすれば治ると言われても、抵抗のあることだと思います。
 洗顔や洗髪のできる幸せを感じたとありましたが、私は運動系の部活に所属しており怪我をした時はプレーできません。でも回復しプレーができるようになると、とてもうれしく、幸せです。いつも出来ていること、普通に出来ることにも常に感謝しなければならないと感じました。
 


投稿者: タケノコボーイ | 2010年08月03日 17:23

眼球に注射と聞いただけでくらくらしてしまいました…。でも読んでいるとそれほど痛くはないようなので少しほっとしました。
片目だけの生活はきっと想像以上に大変なのだと思います。もっと色んな状況を考えてどんな人でも安全に暮らせるような環境を整備していく必要があるなぁと感じました。


投稿者: じょにい | 2010年08月04日 03:40

この間の授業で宗澤先生が「眼球に注射をするときに”ぷちっ”っていう音がする」とおっしゃられたとき、高校のときに動物の目を解剖した時の事を思い出しました。でも先進医療によって、昔は治らなかった病気でも今では治すことができるなんて、現代の医療の発達具合に驚きました。


投稿者: ちい | 2010年08月04日 11:28

手術お疲れ様でした。

眼球に針を刺すということは、経験したことがない私にとっては想像を絶するもので、読んでいるだけで怖くなりました。
一度経験してしまえば平気なのでしょうか…。

私は一度ものもらいができた際に眼帯をつけて過ごしていましたが、確かに距離感がつかめずに苦労しました。
そういうときになってはじめてスロープや段差のない場所をありがたく感じるんだな、と改めて思い出しました。

お大事にしてください。


投稿者: パープル | 2010年08月04日 11:50

手術お疲れ様でした。私は注射が大嫌いです。目にコンタクトを入れるのも怖くてできません。想像するだけで体が震えます。先天性で目が不自由な人よりも、後天的に不自由になった人の方が日常生活での不自由に感じることが多いと思います。私もいつ目が不自由になるかわからないのでバリアフリーについて日ごろから考えようと思います。
早く良くなることを祈ってます。


投稿者: ボス | 2010年08月04日 12:41

眼球に針を挿すとか考えただけでもう…
自分の目が「プチン」と鳴る音が聞こえるなんて気味が悪くて寝付けなくなりそうです。

貴重な体験を教えていただいてありがとうございました!!


投稿者: ゆうき | 2010年08月04日 12:50

手術お疲れ様でした。
眼球に注射とは想像しただけで足がすくんでしまいそうな衝撃的な内容でした。
しかし宗澤先生と同じようにこの処置が必要な人にとっては、とても参考になるブログだったのでしょう。
やはり自分の貴重な体験を発信することはとても大切なことですね。
お大事に。


投稿者: てつひと | 2010年08月04日 16:20

手術お疲れ様でした。初め眼の手術と聞き本当に驚きました。以前私が小学生のころ、父の眼に毛虫の毛が入ってしまい病院に行っただけで大騒ぎだったのに、手術だなんて・・・。自分だったらと思うと本当に怖いです。尊敬します。お大事にしてください。


投稿者: クレオ | 2010年08月04日 16:42

片目で生活するのは大変だそうですね。
私が中学の頃に通っていた塾の先生の話ですが、目の手術を受け、
一時期片目で生活をしなければならなかったことがあるそうです。
この記事を読み、その先生が話してくれたことを思い出しました。
やはり片目が使えないと普段の生活が全く違うように感じたそうです。
特に階段が怖く、混雑した駅などは本当に大変だったと言っていました。
とても優しい先生だったので、よく覚えています。
受験の日、その先生は駅で待っていてくれて、
緊張した私に一粒のキャンディをくれました。
その味は甘くてクリーミィで、こんな素晴らしいキャンディをもらえる私は
きっと特別な存在なのだと感じました。
今では私が塾講師。
私は生徒たちに硝子体内注射の話をしようかと思います。
なぜなら、彼らもまた、特別な存在だからです。


投稿者: ヴィレオリ | 2010年08月05日 01:58

私はいま音楽系サークルに入っていて、同期の4人の仲間と一つ下の後輩で頑張っています!!!と私の妹は憂というのですが、いつも幻覚症状にさらされています。私がもう20歳になるというのに、私のことを高校生と信じ込んでいます。ギターのことをギータと呼んで擬人化してしまうという症状まで出てきました。そしたら後ろからいきなり、「破ああああああああああああああああああああああ」という声が聞こえてきて、妹の症状はとたんに消えました。寺生まれってすごいそう思いました。先生も私と同じように、いつかきっと治ると思うので、がんばってくださいネ!!ウンタン☆


投稿者: 平沢唯 | 2010年08月05日 15:35

 ありますよね。私も先生と同様、とてもきんちょうしています!!それは、やがて迫りくる文化祭のライブがあるからです。
 まいにち練習しています!それだけでなく、私はロミオとジュリエットのロミオ役もすることになってしまいました。私は、人見知りが激しく、恥ずかしがり屋で、おもわず「くぎゅううううう」と叫んでしまいました。
 れんじつ練習で、本当に文化祭までが地獄のような日々で仕方ありません!!きっと先生もこのような思いで手術を迎えたんだなあと思うと、めちゃくちゃ共感できる心境でした。私もがんばります!!こなた最強!!


投稿者: 秋山澪 | 2010年08月13日 14:11

 私は空の仕事に就いています。つらい時も仲間と共に乗り越えています。
 厳しい訓練や、くじけそうになった時もあったけれど、仲間と一緒に乗り越えてきました。宗澤さんも仲間や友人、家族の人々の応援を受けて、精一杯がんばってください。私もサーニャと一緒に頑張るんダナ(≡ω≡.)ワティカナドゥ…


投稿者: エイラ☆ | 2010年08月31日 19:33

 あなたのがんばっている姿を見ていると
 自分がだらしなく思えてきたので
 友達から貸して貰っているドラムの練習をがんばりたいと思います。
 いつもドラムを貸してくれる、歪みねぇ友達に
 アッーーりがとう!!と、すごく…大きな声で伝えたいです


投稿者: ヘリントン | 2010年08月31日 20:06

今更ですが手術お疲れ様でした。
プチンという音、自分の目に針が入るなんて想像できないです。
それに片目での生活はとても困難であると改めて実感させられました。

こういう体験を発信していただけると非常にありがたいです。
ぜひまた貴重な体験があればブログの更新お願いします。


投稿者: B魂 | 2010年12月31日 14:31

 眼球に直接注射をして薬を注射するという行為は確かに、拷問を連想させるような痛々しい行為です。しかし、良薬口に苦しともいいますし、治療行為というものは苦痛を伴うことで治癒効果を高める場合が多いのではないでしょうか。そう仮定すると、眼球以上に治癒効果の高い場所はないのでは、と思うのです。
 甘い薬よりも苦い薬が、飲み薬よりも注射薬の方が効果が高いという事実から鑑みるに、自己の病状から目をそらさずに立ち向かって行く行為、病は気からという考えに即した気の持ち用にこそ治癒効果が期待できると思うのからです。
 とはいえ、眼球に注射をし、その行為を思い出して、他者に伝えようとする意気にはただただ感服するばかりです。


投稿者: 虫取り少年 | 2011年01月19日 12:40

 手術お疲れさまでした。
 はじめ授業で先生から眼球手術をした話聞いたときはとても痛そうで想像すらしたくありませんでした。
しかしこのブログを見て、手術の詳細を知り内容に少し興味を持ちました。
 手術を受けたいとは思いませんが、目の中に薬剤を投入されたときのモヤモヤはどんな状態なのか、また片目だけで大都会の真ん中を歩いたら自分ではどんな状態になるのか考えました。


投稿者: abcd | 2011年01月20日 18:45

 4日間洗髪・洗顔なしはきびしいですね...。
 写真からもその様子が伝わってきます。
 昨年始まったばかりで18万なんていわれたら詐欺だと思ってしまいそうですね。
 そんな大変な手術を受ける先生はすごいです。
 眼球に注射打つ描写をみんなに伝えようと麻酔が効いてるにもかかわらず感覚を鮮明にし、しっかりと状況を客観的に見ているなんて、
 すごいです。すごすぎます!
 こんなしっかりした人が先駆者になってくれたおかげで自分が手術になったとしても安心です。
 お大事にしてくださいね。


投稿者: ヘドバンは世界を救う | 2011年01月21日 00:46

 眼球に直接注射…考えるだけでもぞっとしますが、恐いもの見たさというものでしょうか、結局全部しっかり読んでしまいました。
 眼球に注射というのも恐いのですが、先端医療というのも個人的にはとても恐ろしいです。(金額も恐ろしいですが…)
 なんだか、「お医者さんもまだ手馴れてないんじゃないの?本当に大丈夫なの?失敗しないの?」と疑心暗鬼になってしまいそうです。
 それに対して先生は、ポジティブな気持ちで手術を受けられた上、こうして公の場で報告までされるのですから、とても勇気があるんだなぁと思いました。研究者の血が騒がれたのでしょうか。
 私もあまり目が良くない上、コンタクトのケアなども適当にしてしまっているので、今後はもう少し気をつけたいと思います。
 健康を失う前に健康の尊さを実感して、自分の体を大切に生活していきたいです。


投稿者: ひーしゃ | 2011年01月21日 03:29

 僕は生物系の学生です。解剖実験でブタの眼球を解剖したことがあります。白眼は強膜という字の通り硬い膜でおおわれています。実験ではまず強膜を切り開くというものでした。
 あの感覚を自分の目で味わうのは僕には耐えられないです。手術お疲れ様でした。
 僕はいわゆるガチャ目で、左目が悪いのに対し、右目は少し悪い程度です。目が完全に覆われた先生ほどではないですが、コンタクトやメガネをしないときは自転車に乗ったり、人ごみに入るのは怖いです。
 そんなときに、一人でいる障害のある方が困っていたら話しかけるようにしようと再確認します。


投稿者: クラゲ | 2011年01月25日 11:00

 こんにちは
 自分は生物専攻で動物の解剖などもやっていますが、目に注射となるとさすがにぞっとしますね。そんな恐ろしことをやられて18万円かかる……
 世の中にはこんな恐ろしいことがあったんですね(涙)
 こんな恐ろしいことをやってのけた先生はすごいです。

 これから自分にどんなつらいことがあっても、目に注射することに比べれば…と思えば頑張れる気がします


投稿者: ハ〇ダシティー | 2011年01月25日 11:55

 こんにちは
 自分は生物専攻で動物の解剖などもやっていますが、目に注射となるとさすがにぞっとしますね。そんな恐ろしことをやられて18万円かかる……
 世の中にはこんな恐ろしいことがあったんですね(涙)
 こんな恐ろしいことをやってのけた先生はすごいです。

 これから自分にどんなつらいことがあっても、目に注射することに比べれば…と思えば頑張れる気がします


投稿者: ハ〇ダシティー | 2011年01月25日 11:56

 私も眼帯をした状態で病院から帰った経験があります。よく知っている道ですら不安で、階段を下りる時は手すりにほとんどしがみつく状態でおそるおそる下りている状態でした。その時に初めて段差のない場所やスロープのありがたさに気づくことができました。


投稿者: もこ | 2011年01月28日 13:39

 自分もレーシックというものを受け、眼を手術しました。手術をしているときは、宇宙船の中で人体実験をされている気分でした。自分の場合は帰りの際、防護メガネだけだったので、両眼は見えていたのですが、視界はぼやけていて、付添いの人に助けられ帰りました。
 今は視力もばっちり回復し手術を受けてよかったと感じています。
 それにしても医療の進歩ってすごいですね。


投稿者: ザック | 2011年01月31日 02:54

 眼球に注射?と初めて聞いたときは想像しただけでとても恐ろしい手術だと感じました。ただ先生のお話で、そういった手術がそんな時間もかからず、割と簡単に行われていることを聞いて、医療技術の発展にただただ驚かされます。
 また私も片目を眼帯に覆われたことがありましたが、その時の道を歩くことの怖さは、とても共感できました。
 また自転車でよく出かけるのですが、その時は片目だと危険なため、自転車に乗れません。故にちょっと出かけるにも歩きや電車で惨めな思いをしました。さらに顔を洗うにも苦労がかかり、洗わないのも目がかゆくなり苦痛なため早く治ることをひたすら待ち望みました。
 ただそれは怪我だったため数日かかりましたが、先生の受けた手術ならばそこまで期間はかからないし、治療のためなら我慢できそうです。もし眼球注射の手術を受けることを薦められることがあったときには、受けてみようかと思います。


投稿者: magu | 2011年02月01日 16:34

 自分も小学校のころ視力ががっくりと落ちてしまったとき、病院で使った強力な目薬(?)によって三日ほど視界がかすんでほとんど目が見えない時期がありました。
 学校の階段を降りるときはとても怖かったし、生活を送る上でいろいろな人の世話になりました。
 今ではなぜか視力も回復し両目とも裸眼で1.5です。


投稿者: \(^o^)/ | 2011年02月02日 03:34

 1ヶ月に一度のペースで眼球に注射をされているというお話は聞いていましたが、実際こうして手順を見てみると体がムズムズしてくるような気分です。

 確かに、風邪を引いて具合が悪くなった時に初めて普段健康でいることの幸せさに気づかされたり、一人暮らしを始めてから改めて親がいることの安心さ・大事さを感じたりします。

 人間は大切なこと、ものは失ってからじゃないと気づかないと思うと悲しくなります。普段から「今」を生きている幸せを感じることが自然にできれば、人生がもっと充実するのではないかと思いました。


投稿者: あらじお | 2011年07月09日 21:10

 自分は中学2年の春の時に扁桃腺の手術をしたのですがやはりある意味で先生と同じ体験をしました。
 手術自体は全身麻酔で行ったので痛みもなく無事に終わったのですが、術後の経過が非常に大変でした。扁桃腺を摘出したことによるのどの痛みから1~2週間ほどは食べ物を食べることができなく点滴で体に必要な栄養を取っていました。なので、術後初めて味噌汁が食べられたときは、先生が4日後ぶりに洗顔、洗髪ができたときと同じくらいの感動がありました。
 人は何かを失ってみて初めてその大切さがわかるというのは本当のことだと感じました。


投稿者: Core | 2011年10月12日 22:36

私は片足を骨折した際に松葉杖ともう片足を使い移動していたが、その時に階段の近くにあるスロープやエレベーターなどの設備にとても助けられた。
それは、健常な状態の自分では恐らく感じ取ることが出来なかったことだろう。
何も不自由が無いときには、不自由になった時のことなどほんの少しも考えていなかったのだ。
普段、不自由な人を見かけたとしても、それをどうこうしようという気持ちも無かった。
街中で不自由な人を見かけたとして、手助けしたい気持ちがあっても実際に手助けをする人は少ないように思えるし、私もその一員であった。
しかし、一時的な怪我を負った事により身をもって、移動や運動の困難や不自由を感じることとなり、街中での自分の目線も幾分か変わった。
私たちが障害と向き合う時には、まずは身をもってその困難や不自由体験する事も一つの重要な点であると感じた。


投稿者: 茶畑ジャンプ | 2012年01月23日 23:28

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

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