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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

知的障害のある人の学習会-さいたま市条例づくり

 去る4月24日(土)、さいたま市障害者総合支援センターを会場にして知的障害のある人の条例づくり学習会を開催し、50名ほどの参加者が集まりました。

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対話形式で進める学習会

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 この学習会は、さいたま市障害者施策推進協議会の委員からの提案にもとづいて企画・実施の運びになったものです。「条例」「権利」「100人委員会」「条例制定検討専門委員会」などの概念的な単語を含むパンフレットや説明だけでは、知的障害のある人自身の参画を進めることには、なかなかつながっていかないでしょう。

 知的障害のあることを根拠に支援者や家族がいつでもどこでも「代弁者」を務めるというのは古い考え方ですし、障害のある人を権利の主体と位置づける障害者の権利条約からみても間違っています。子どもの権利条約が、子どもを権利主体と位置づけて、「小さな市民」としての意見表明権を大人と対等平等に認めるようになった経緯からも、狭義の発達レベルが市民としての権利をいささかたりとも制約するものであってはならないことは明白です。

 しかし、この学習会をどのように進めればよいのかという現実的な問題には工夫が必要です。理論的には、発達年齢の2歳レベルで日常生活世界に関する話しことばでのコミュニケーションはおおよそ成立することが分かっています。7歳の子どもの書きことばは2歳児の話しことばと同じレベルだというくらいに、2歳のレベルは相当なコミュニケーション能力があると考えていいのです。

 ただ、概念的な言葉の理解には9歳を越える発達レベルが求められるという課題が残ります。ここで、漢字混じりの文章にルビをふっただけでは、知的障害のある人にふさわしい説明にならない問題点が出てきてしまうのです。
 そこで、概念を平易な言葉で一方的に説明しようとするのではなく、対話形式を保持しながら、概念の範疇に入る日常生活世界の事例を提示しては括る、という学習会の方針で臨みました。

 たとえば、権利侵害について。
宗澤 「職場や作業所で一所懸命に働いた。夕方になってお腹がペコペコにへった。晩ご飯が楽しみだったのに『お前は晩ご飯なんか食べなくていいんだ』といわれてしまった。こんな目にあったらどう思うかな?」
参加者 「おかしいよ」「がまんできない」「腹が立つ」

宗澤 「そうだよね。じゃ、友だちとケンカしちゃって、悩みごとがあって、職場や作業所で頑張りきれなかった日があったとします。夕方になったら、いつもと同じようにやっぱりお腹がすいてペコペコ。晩ご飯が待ち遠しいなと思っていたのに『頑張れない人は晩ご飯なんか食べなくていいんだ』といわれてしまった。これはどうかな」
参加者 「晩ご飯が食べられないなんておかしいよ」
宗澤 「そうだよね。みんなはふつう朝・昼・晩とご飯を食べることができるのだから、ここにいるみんなも同じじゃなきゃおかしいよね」

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参加者は学習に集中していました

 その他に「お風呂に入ること」「ガイドヘルパーを利用すること」「お小遣いをためて、誰にも横取りされずに自分のために使うこと」などを例示していきました。

 このようにして、「困ったこと」「おかしいなと思うこと」「いやだなと思うこと」をなくし、みんながもっと活きいきとこのさいたま市で暮らせるようになるための市と市民の「約束事」や「きまり」が「条例」です、とまずは締めくくります。

 そして、「みなさんの困ったことをなくしていくためには、どんなことで困っているかを一つ一つ出してもらうことが大切です。市の約束事にどんなことを書けばみなさんの困ったことをなくすことができるかがはっきりするからです。そのために、困ったこと、いやなこと、おかしいなって思うことを話し合って、市の約束事をどんなものにすればいいのかを話し合うところが100人委員会です」と、次の締めくくりとします。

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質問に手をあげる参加者

 全体として参加者の反応はよく、最後には3つほど質問も出ました。この学習会が、知的障害のある人の参画につながることを願わずにはおられません。

 第2回知的障害のある人の学習会は、5月22日(土)にさいたま市障害者総合支援センターで開催します。どうかふるってご参加ください。


コメント


 このような学習会は、知的障害のある人自身の参画につながるだけでなく、知的障害のある人に対する偏見を失くすことに関しても効果的だと思います。
 僕自身、知的障害のある人に対してよい印象を持っていませんでした。でも、この記事を読んで、彼らも自分自身のことを考え、意見を持ち、主張することができることがわかり、また、社会の一人一人が彼らに対する意識を変えていかなければならないと感じました。 今後知的障害のある人と接する機会があったとき、今までとは違った目線で接することができると思います。
 次回の学習会もがんばってください。


投稿者: 下弦の月 | 2010年04月29日 10:36

  「漢字混じりの文章にルビをふっただけでは、知的障害のある人にふさわしい説明にならない」というのはまさにその通りだと思います。現場で知的障害のある方に制度等を説明するのに、そのような工夫のないルビだけふったパンフレットはあまり役には立たなかったです。
 現在2歳児を育てているのですが、こちらの言うことを本人はおおむね理解できているようです。しかし概念的な言葉となると「?」という顔をすることも多く、自分としても概念自体を説明するのは難しい・・そんな時は生活の中で実例を見たり、一緒に絵本を読んだりすることが理解の助けとなっているようです。
 ちなみに「小さい」「大きい」の概念は、親子トイレで大小の便器が横に二つ並んでいるのを見てはっきりと理解をしたらしく「ちっちゃ~い!おっき~い!」と感嘆の声をあげていました。理解ができたということは、本人とってとてもうれしいことであり、またそれが意欲となり次の言動へとつながっていくのだと思います。
 この学習会に参加された方々、写真を見るとみなさん顔をあげて話を聞いておられますね。主体的に参加されている様子が後ろ姿からも伝わってきます。


投稿者: いぬ | 2010年05月01日 14:44

 私の姉は、現在障害者施設で介護の仕事をしています。そこで働き始める際、まず最初に指導されたことは、入所者に対し対等な一人の大人として接しなさいということだったそうです。
 知的障害のある人に対して偏見を持つ人は少なからずいると思います。
 このような学習会を通じて、彼らに対する偏見をなくし、彼らと対等な一人の大人として接することのできる人が増えていって欲しいと思いました。


投稿者: 帽子屋 | 2010年05月05日 23:02

 私の母は市の調査員として、介護施設に入所している方たちの調査をしてまわっています。その時にも彼らの身体状態を聞き出すのに大変苦労しているということを聞きました。
 学習会の様子を見て、障がいをもつ方たちとのコミュニケーションはやはり大変なのだなと感じますが、このような会を重ねていけば障がい者の方への偏見なども少なくなるのではないかと感じました。
 また、自分でも障がい者の人と話をする機会がもしあればこの学習会のような対話を意識してお話できるようにしたいと思いました。


投稿者: ちゃーりー | 2010年05月07日 16:37

 私のいとこは知的障害で、現在23歳ですが知能は小学4年生のままでとまってしまっています。日ごろ彼女と会話することが多いので、ハンディキャップを持った人とのコミュニケーションがどんなに難しいものなのか察しがつきます。
 また、彼女は周りからの影響なのか、自分が「障害者」ということにとても恥じらいの気持ちをもっているように見えます。その彼女の気持ちを考えると、彼女に対して何かしてあげたい気持ちと、でも中途半端に何かしてあげることは逆に彼女を傷つけるのでないか・・・・と不安にもなります。
 このブログにも書いてあるように、ハンディキャップを背負った人たちにも、私達と同じレベルではないですが、考える力、こうなりたい、これはおかしい、といった気持ちは必ずあるものだと思います。この方達の気持ちをいかに聞きだすかということは、非常に大切だと、身をもって感じています。


投稿者: はなえもん | 2010年05月12日 09:36

 僕は権利障害の部分の対話で、普通の人も、障害者の方も、同じ権利を持たないといけないというのを改めて実感しました。
 やはり障害者の方も、普通の人同様、普通に生活し、仕事をし、ご飯を食べるもんだと思います。
 会社の障害者雇用問題も早く改善され、障害者が現在の社会で胸を張って生きていけるような環境が早くこの日本にくることを願います。一人ひとりが障害者の気持ちも考えて行動することがいかに大事か、考えさせられました。


投稿者: 三太郎 | 2010年05月26日 16:01

自分は、小さいときから障害者の人達と触れ合う機会が多かったと思う。

まず、自分の伯母が知的障害を持っていて、少し発音するのが難しいようである。
近所には同じような障害を持った知り合いもいたし、高校の授業の一環として、近くの障害者支援センターで交流会もしたことがある。

今まで色々な人達と接してきたが、彼ら全てに共通することは、皆が純粋な心を持ち、こちらが変に気を使わなくてもよかったということだ。

また、さっき紹介した伯母は、障害者センターで過ごしながら、そこで野菜などを作っているし、高校時代に知り合った人々はパンを作って販売をしていた。障害者の人達だって立派に働いているのである。

そんな正直で、一生懸命な人々が、我々が俗に言う一般人と対等の権利を持つことは当たり前のことなのである。

というかむしろニートなどの働かない連中よりも、地位を向上させるべきである。


投稿者: kurisu | 2010年06月07日 01:57

 私はこのような学習会をすることはとても大事なことだと思います。健全な人だけで考えているだけでは障害のある人が本当はどのように感じているか分からないし、もっと他の自治体などでもこのような学習会を開いてほしいと思います。
 知的障害があったとしても人はみな平等でなければいけないし、それを実現するためにも知的障害のある人の意見を聞くことは重要であると考えます。
 これからもっと障害のある人に関する問題をなくしていき、誰もが住みやすい環境を整えていってほしいです。


投稿者: 008 | 2010年07月11日 21:39

こういった学習会はすごく効果的で障害者やそうでない人に良い影響を与えると思います。
日頃障害者の方々に偏見を持っている人が少なくなく、中々障害者の方が意見を主張することはできません。こういった学習会があることで少なからず偏見は薄れると思うし、もっと障害者のことを理解しようという意識も生まれてくると思います。
無論、障害者が自分の意見を持ち、それを主張し、「ルール」を作っていくということが何よりすばらしいことだと思います。
このような学習会がこれからたくさん増えていくことを期待したいと思います。


投稿者: さいすん | 2010年07月20日 23:22

今までいろいろなパンフレットには漢字にルビをふるくらいのことしかしてないようにおもえるので、語句自体を簡単な言葉にするような対応はなかったので必要だと思います。
行政にも障害のある方がいなければならないと思いました。


投稿者: ぼうず | 2010年07月28日 13:47

 自分は、知的障害のある子どもと交流する機会を定期的にとっています。また、今年の6月には介護実習としてですが、知的障害者の自立支援施設に行ってきました。その施設ではだいたい年齢が上の方たちばかりでした。
 そのように触れ合う中で、知的障害を持っていても、「何もわからない」ということはないし、また、「嫌だ」という気持ちもちゃんと持っているということはいつも感じています。障害の度合いなどによってはそう思っても表現することのできない人もいますし、うまく伝えることができなくて、思いもよらない行動をとる場合もありますが、ちゃんと感情があるからこそだと感じます。
 社会からの目や偏見によって、自分の存在に対して劣等の感情を抱いている人もいると思います。自分の言葉なんて聞いてもらえないんじゃないかと、感じている人もいると思います。すると、何も言えなくなってしまう。このような学習会に参加して、「自分だって言っていいんだ」「自分が言わなきゃだめなんだ」という気持ちを障害者の方たちが持つきっかけになるのなら、これは素晴らしいことだと思います。
 また、このような活動に、社会が目を向けて、共生の気持ちを持ってくれたら、と思います。
 今後参加者が増えることを期待しています。


投稿者: なえ | 2010年07月30日 17:37

 古い考え方のところで、家族や支援者は障害者の”代弁者”を勤めるという点にすごく反発を感じました。それでは、発達程度は子どもであっても大人として成長した一人の人間として認めていないのと同じであり、失礼だと思いました。
 その点で私は今回初めて知ったのですが、障害者の権利条約の存在は活気的だと思います。


投稿者: えみぴそ | 2010年08月02日 22:36

 宗澤先生のように障がいをもつ方々のことを理解し活動することはなかなかに難しいことだと思います。偏見と差別が渦巻くこの現代社会この条例が制定されれば障害を持つ方々が社会的な搾取やいじめなども減少していくと思います。ですが、条例という「決めごと」をつくるだけでは完全な差別偏見をなくすことはできないと思います。
 人々の意識や考え方を根底から変化させられる何か大きなものを作っていかなければならないと思います。


投稿者: 紅葉の兎の木 | 2010年08月03日 11:43

確かに権利の主体が意見を述べて作られたものでなければ何の意味も無いですよね。勝手に作ったものではただの押し付けになってしまいますから。このブログを読んで障害者であったとしてもコミュニケーションをとることを難しく考えすぎる必要はないのかなと感じました。
しかし実際には難しく感じている人は多いと思います。母の話ですがパート先に一時的に仕事を体験しにきている障害者の方がいると言っていました。障害者にも雇用の機会を保証する法律があったと思うのですが、その関連で雇ったのだと思います。母は最初は戸惑ったけれど丁寧に説明してゆけば確実に仕事をこなしてくれると言っていました。ただ難しいのはマニュアルがないことだとも話していました。我々には障害者と接する機会は多くありません。ですからとっかかりがわからないのです。国は法律を作って満足しています。企業は雇ったことで満足しています。結局現場に放り出しただけなのです。 人と関わるのにマニュアルなんて変な考えかもしれませんが何をさせたらいいのか、どこまで理解できるのかわからなければ現場の人間にとっては大変な苦労です。 ルールを作るだけでなくそれをどのように実行していくのかそこにも重点を置いて考えなければならないと思います。その積み重ねが障害者に対する敬遠を減らし偏見を取り除くことにつながるのではないでしょうか。


投稿者: ぴと | 2010年08月04日 17:12

 通っていた小学校に養護学級があったので、6年間を障害のある子と共に過ごしました。知的障害のある子でしたが、いわゆる「会話」はできなくとも、行動や表情で示していたので、じっくり向き合うことで、コミュニケーションをとることができていたのを覚えています。
 これまで、特に、知的障害のある人が意見を述べる機会は少なかったと思います。それは、コミュニケーションをとることの難しさ以上に、社会の偏見によるものであったのではないでしょうか。障害のある方は、この偏見に耐え続けてきたのだと思います。
 障害のあるなしに関わらず、社会の一員として、皆が同じように権利をもち、主張していける社会であるべきです。知的障害のある人へ、「条例」などについて分かりやすく説明していくことは大変だと思います。ですが、このような取り組みを通じて、障害のある方も、声を上げやすい社会となり、障害のある人もない人も皆が住みやすい社会となっていくのだと思いました。


投稿者: ココア | 2011年01月14日 02:33

講義を受講している者です。

先生の講義を受けて、このような学習会が行われていることを初めて知りました。
このような学習会は、知的障害者が参画していくうえでも重要だと思いますし、偏見などを持っている人が、知的障害者に対して理解するいい機会になると思います。
私は、先生の講義を受けたので、たまたま、このような学習会が行われていることを知りましたが、もっと他の人にも、このような活動が行われていることを知ってもらいたいと思いました。


投稿者: 01C | 2011年01月14日 21:29

 知的障害者の方も私たちと同じ人間であり、意見を言う権利をもっているので、知的障害者の方が自分の意見を言えるこの取り組みはとても素晴らしいと思います。
 私が通っていた小学校と中学校には知的障害者の人や自閉症の人がいたため、知的障害の友人がいます。周りの人と同じように話すと理解できていないときもありましたが、ゆっくりと分かりやすく話すとその友人はきちんと理解し、自分の意見も言っていました。養護学級があったのですが、何か話し合わなければいけないことがあったときには必ず知的障害の人たちも参加させるというような取り組みが学校で行われていました。
 条例を考えることは、私たちが暮らしていく中で大切なことであるのと同時に、障害をもつ人々にとってもまた大切なことです。私たちがすべきことは、障害をもっている人々がこうして発言することのできる場をどんどんつくっていくことだと思いました。


投稿者: たま | 2011年01月20日 06:13

 知的障害のある方と一方通行の学習会は何も意味のないものだということを実感しました。「漢字混じりの文章にルビをふっただけでは、知的障害のある人にふさわしい説明にならない」という言葉も心に響きました。
 この対話形式の学習会では、知的障害のある方も質問をするなど積極的に参加できているので、すばらしい取り組みだと思いました。このような取り組みは、知的障害者に対して偏見を持ったり勘違いをしていたりする人が理解を深めるための良い機械になると思います。


投稿者: むねた | 2011年02月02日 13:37

 私は実習の内容上、知的障害のある方と触れ合う機会が多くあります。その際実習の内容によりますが、毎回コミュニケーションの手段として様々な方法を考えていきます。例えば会話の内容を図解したりなどです。
 しかし、今まで知的障害のある方と日常会話ではなく、会議などの場でコミュニケーションと取る際に、概念の感覚について意識して“日常生活世界の事例を提示する”と言う行動をしたことは有りませんでした。それは大学の教授から再三「知的障害のある方を子供扱いしてはいけないよ」と言われてきていたため、言葉を“分かりやすく”しよう、などど考えてはいけないような気がしていたからだと思います。
知的障害のある方の意見を、特にこの記事の様な条例作りの 際に伺うのは、大変ですがとても大切なことだと思います。そう考えた時に、子供扱いすることと、伝わりにくい概念を伝わりやすく説明することは全く違うのだと考えさせられました。意見を頂きたくても、伝えたい内容がまずしっかりと伝わっていなければいけません。
 日常生活にあてはめて説明することはとても分かりやすいですし、ひとつひとつの概念の説明に対して、対話するように参加者の方からリアクションを返して頂くことで、お互いに同じことを認識し合っている感覚があります。この様に知的障害のある方を対等に一個人として話し合いが出来る様な方法を、今後機会があれば手段として使わせて頂きたいです。


投稿者: connect | 2011年07月12日 10:11

この記事のなかの、知的障害の人たち、また障害のある人たちの困ったことをなくしていくためには、どんなことで困っているのかをひとつひとつ出していくことが大切であり、これは市の約束事にどんなことを書けばみんなの困っていることがなくなるのかはっきりするためであるから、というのは本当にそうだと思いました。
しかし、これはそのような障害のある人たちだけにあてはまるものではなく、それ以外の人たちにもあてはまることであると私は考えています。
というのも、現代の世の中では障害のある人たちが少し特別扱いされすぎていると思うからです。
障害のある人、障害もなく普通に生活ができる人はどちらも同じ人間であるからです。もちろん、障害のある方に対してはある程度の支援は必要です。私にとっては、その支援に重きを置きすぎているように見えるのかもしれません。私は、政府、また各地方自治体、行政機関はそのような人たちに対して積極的にサポートしていくことは当たり前のことだと思いますが、そちらばかりに集中してしまい、そのほかの例えば育児、福祉等の支援もそれと同じくらいに行ってほしいと思いますし、自分たちもしていかなければならないと考えております。


投稿者: giantsing | 2012年11月30日 11:24

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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