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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

「夢がない」時代と福祉サービス

 介護保険サービスの使いづらさと、子育て期にあるローストゼネレーション世代の失業・格差拡大などについて、この間さまざまな報道が続いてきました。そのような報道の一端に触発されて記した私のブログを読んだ20~30歳代前半の複数の人から、次のような感想をぶつけられました。
 「結婚して親(相手の親であれ自分の親であれ)と同居するのは恐ろしい」
 「子どもをつくっても育て上げる自信がない、そもそも自分のことだけで精いっぱいなのに子どもに夢をもたせることなんて無理」
 「連休中に小さい子どもの面倒を見るだけでも疲労困憊なのに、将来の親の介護を想像するとぞっとする」
 どれもこれも、生活実感としては昨今の社会状況を反映しており、社会的なサービスは庶民の生活現実に追いついていないことを雄弁に物語っているように思います。でも私は、どうしても一つ違和感を覚えます。私たちみんなが考え直さなければならない何か奥深い問題が残っているような気がしてならないのです。

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 私は子育てをしてきて、心底「良かったなぁ」と思っています。娘が大きくなるまでのこれまでを振り返れば、家事・育児の負担、仕事の時間が自由に組み立てられない制約、一人親であることに起因する不安など、実際には言い出せばきりがないほどの困難がありました。
 その経験からは、たとえばこの間発生した新型インフルエンザの話題を耳にするだけで、どこかの単親家庭の親子が同時にインフルエンザにかかったときの苦労を想像してしまいます。発熱した子どもの介抱をする親も39℃以上の熱を出している時などは大変です。風邪症状のつらさ、それを押してでもしなければならない家事・育児、情け容赦なくかかってくる仕事の電話、そこに込み上げてくる苛立ちと心細さなどを貫いて、親子でインフルエンザが治った時には、まさに「この世に生還した」ような気分になってしまいます。でも、子どもに元気な笑顔が戻ると「良かったな」と思うのです。
 もし、個人と家族の生涯を「人生ゲーム」のように考えて、いかに首尾よく「人生双六の上がり」にもっていくかをテーマにするならば、こんな割に合わない、報われない暮らしと人生なんて真っ平御免だということになりはしないでしょうか。このような人生観の核に据わるものは、「努力は引き合うべきもので、できれば他者よりも社会的・経済的に報われたい」という価値観であり、それは明治以降の近代化の長いプロセスを経て、多くの人たちが家族内部の親密さの中にまでもぐりこませてきた強迫性だと考えます。それは、わが国の経済成長を支える原動力でもあったし、生活防衛をしながら暮らしの豊かさを育もうとしてきた庶民の生き方でもありました。
 それが今や、子育ての苦労を回避することと、いかにして「要介護状態にならず、介護サービスのお世話にならないようにするか」という点への腐心まで強いているのではないでしょうか。
 実際、私が子育てに奮闘している時代には、同世代のサラリーマン、特に男性と独身のキャリアウーマンで心を寄せてくれた人はまずいなかったといっていいでしょう(ただし、ソーシャルワーカーをしている例外的な友人はさすがに理解してくれました)。「あいつは何やってるんだ」とみられることが一般的でした。男たるものは、職業人たるものは仕事の成功をめざして階段を昇り続けることが、自分または家族の幸せだという考え方が支配的でした。
 それに対して、働きながら子育てをしている保育所や学童保育のお母さんたちとは会話が弾みました。これらはすべて、実に貴重な経験でした。だから、子育てをしてきてやっぱり「良かったな」と思います。

 職業人として成功への階段を昇りつめる、自分の子どもたちにもより良い学校・職業に就かせて階段を昇っていく路線に乗せることが、個人と家族の幸福だとするような強迫的な価値があらゆる階層に浸透したのは、バブルの時代ではなかったでしょうか。この時代には、「上昇すること」に「働きがい」「やりがい」までもが交錯して、働くことと暮らすことへの欲求が極限まで膨張した一面をもったようにさえ思います。
 そこで、このような価値観を引きずったまま、経済成長が破綻し「階段を上昇する生き方」を誰もが実現するわけにはいかなくなった時代が到来すると、「自分は人生双六で上がれない(かもしれない)」「負け組みだ(かもしれない)」「やりたいことが分からない」という自信喪失と不安の増大に行き着くほかなくなる人たちが出てくるのは必然です。
 社会に適応するだけが人間の豊かさを作りだすのではなく、社会の流れにときとして抗したり逸脱することも大切にできるからこそ、人間と生活の豊かさを育むことができるし、ここで福祉サービスこそが間違いのない寄与がなしうるのだということについての、思想と確信を持ちきれないまま今日に至ってきた問題点はないのでしょうか。

 不況の今だからこそ福祉サービスの厚みを増す必要があることには疑問の余地はありません。しかし、今日のサービスの乏しさを招いた根幹には、経済成長や消費生活上の「勝者になる」ことを前提しない人間と暮らしの豊かさについて考えを深めてこなかった宿題が伏在するように思います。今日の福祉サービスを民衆とともによくするための議論と戦略は、このような視野をもつ必要があると考えます。


コメント


こんにちは。私は介護の学生で独身で将来的に結婚したいし子供も欲しいと思っていますが、世の中不景気だし介護職は仕事に対し給料が安くて結婚できるか不安になる時があります。小規模多機能施設にバイトしていて、利用者さん達に接していて楽しいしやりがいもありますが、将来結婚して生活していけるのか不安な所があります。介護職員同士のモチベーションを上げていくのにも限界があるように思えますがいかがでしょうか?


投稿者: @千住 t,k | 2009年05月19日 12:14

 社会福祉を学んでいて、“人間の幸せ、豊かさとは一体何だろう”という根源的な問いかけに直面します。
 不況で生きづらさを抱える昨今ですが、日本社会は能力という一面的尺度で測られ、それにそぐわなければ差別する、されてしまうという現実をつきつめられます。そのような価値観が偏見をもたらし、殺伐な人間関係を生み出してしまうと感じます。
 私は、「障がい者の能力を一面的尺度から社会的に序列化されてしまうという問題から、障がい者問題は人間の価値や幸せを考える試金石ではないか」と教わっています。
 補講日に宗澤先生に来て頂き、素晴らしい演奏を聴いて感動しました。私たちが考える能力とは実に狭い範囲のもので、逆に障がいがあるからこそ、私たちにはない宝を秘めていると感じました。
 日本の福祉でも、誰もが人として誇らしく生きていける世界が訪れたらどんなに素晴らしいだろうと夢を見せて頂きました。素敵なお年玉、有難うございました。


投稿者: コロ | 2010年01月06日 16:45

 『子育ての苦労を回避することと、いかにして「要介護状態にならず、介護サービスのお世話にならないようにするか」という点への腐心まで強いているのではないでしょうか。』というご指摘、私はまだ学生ですが、心のどこかでそうなるのがよいと思っている自分がいることに気がつきました。確かにこの考え方は、他者と比べ自分は勝者でありたいと思う不安に起因しているものだと思います。
 人間の生活における豊かさは他者と比べて量るものではなく、その人自身の満たされている気持ちで量るべきなのだと考えました。
 ただでさえ子育てに不安を抱える人が多い中で、障害をもつ子の親はもっと不安を抱えてしまうのではないかと思います。そのような人も含めて、もちろん自分も、社会に適応することに躍起にならずに人生の豊かさを追い求められるように日々生活できる世の中になればよいなと思いました。


投稿者: OCA | 2010年01月12日 23:15

 子育てというものは、実際に経験しなければわからない部分が多いと思います。その経験が自分に有益となるか否かも始める以前ではわかりません。故に、子育てはひとつのチャレンジといえるでしょう。安定を求める風潮がつづく現代において、子育てを回避しようとする人々が増えるのは当然です。
 ですが、このまま少子化が進んでいけば日本の未来はますます暗いものとなっていきます。同時に進む高齢化を支えるためにも、少子化は解決しなければならない重要な課題です。
 子育て支援として近頃金銭的な援助が政策においても挙げられていますが、少子化は金銭面のみの問題ではないように感じます。子育てを回避している人々がすべて貧しいといえるのでしょうか。むしろ、仕事に重きを置くエリート層が子どもを自分個人の人生の阻害と考えるというようなこともあるのではないかとも考えます。
 福祉サービスの充実は少子化に歯止めをかける一種の解決法ではあります。しかし、総理大臣もすぐに辞任してしまうこの世の中において、将来もそのサービスが持続していると確信を抱くことはできません。子どもはモノではなく生物であるので、長い目で考えることが必要です。一方、将来について考えれば考えるほど不安は増大し躊躇してしまいがちになるのですから、実に難しい問題であると感じます。政府の信頼、福祉サービス、人々の意識……さまざまな要素の向上の混合によらなければ、少子高齢化の根本的解決はあり得ないといえるでしょう。


投稿者: あぽ | 2010年01月12日 23:58

 私も不況だからこそ福祉サービスの厚みを増すことに賛成です。先生のおっしゃるように、不況で自分たちが困ると感じるときに初めて福祉サービスが足りていないことに気付くということは、経済成長や消費生活上に勝者になることを前提としない人間と豊かさについて考えてこなかったのだということに非常に納得しました。
 私たち自身が能力で人を判断し、判断されていることに本当の意味で気付き、自身と向き合うことから始めなければならないと思いました。
 社会の状況をみて子育てや親の介護が難しいと判断するのではなく、子育てや親の介護をするときに何が足りないのか、何故困難であるのかを考えることが、誰もが豊かな生活を送るにはどうしたらいいのかということを考えることに繋がっていくのではないかと考えました。


投稿者: 福 | 2010年01月13日 17:19

今回の記事を読んで人との関係について考えてしまいました。親の老後の面倒を見るのが嫌というのは私にはわからない感情でした。なぜ今まで育ててもらった恩をせっかく返せるチャンスがあるのにそれをしないのかと疑問に思ってしまいます。しかし子どもについては、親は子どもの最も身近な手本だと思います。小さい子どもをつれて信号無視をしていたり、子どもの髪の毛を染めたりなど最近ではよく見かけますが私はそのようなことを守る自身の無い人、その自覚が無いような人は親になるべきではないと思います。


投稿者: のりたま | 2010年08月06日 05:37

北九州市立大学のものです。
このブログを拝見して考えさせられたことは、もし自分が結婚したら、親のこと、子供のこと、どうするのだろうということです。自分には姉がいるのですが、丁度最近私は、親が仕事をやめて老後を過ごすとなったら、やはり男である私が支えていかなければならないな、というような事を考えていました。
実際、子育てと、親を助けていくということを両立させるのは難しそうだというイメージはあります。ニュースでもよく、介護をしていた親に暴行を加えるなど見かけます。
こんな閉塞的な状況を打開するためには、やはり社会福祉の充実しかないし、北欧などの社会福祉制度への力をいれた取り組みを日本も見習わなければならないと思います。今後日本がどう社会福祉に力を注いでいくかはまだ分かりませんが、私は将来子供を育てたいし、ずっと育ててくれた親を見直すことは絶対に出来ません。
このような不安な気持ちを持たせないように、増税でも構わないので介護面でも、育児面でも将来にはちゃんとした制度が出来上がっていてほしいです。


投稿者: キングベヒーモス | 2011年01月07日 21:48

 今回の先生の記事を拝見し、先生の意見に共感するとともに、自分は今の人間の心の荒みように危機感を感じている。
 この前ネット上で所得の低い家庭は子どもを作るべきではないという記事を目にした。これを見たときのショックは今でも覚えている。「充分な養育費が払えないから子どもがかわいそうだ」等の意見があった。
 確かに、生きていくうえで経済力というものが必要なのは私にもわかる。だからといって、たったそれだけのことで夫婦にとって一番の願いである子どもを産むということを否定的に捉える人がいるということに悲しくなった。
 しかし、また一方で収入がないがために育児を放棄する親がいるというのもリアルである。
 講義を受け、現状を知り、きれいごとばかりを言っても無力であることを痛感した。
 やはり、現状を打開するだけの対策が早急に必要であろう。それこそ、福祉先進国である北欧を手本としてこれからこの日本の福祉体制を根本から変えなければならないと感じた。


投稿者: TOT | 2011年01月12日 01:17

このブログを読んで、私も共感するところがありました。
 私も、もし親に介護が必要になったら、と考えることがあります。正直、不安が大きいしできることならば、やりたくはないと思ってしまいます。子育てにしても、不安に思ってしまいます。しかし、本当にそういった状況になったら、私はやらなければならないと考えています。そうなってくると、やはり、福祉サービスの拡充は絶対に必要だと思います。少子高齢化社会である今ならば言うまでもありません。だから私も福祉サービスを充実させていって欲しいと考えています。
 しかし、そのためにはその元となる資金が必要になってくると思います。借金が増え続けている今、きわめて難しい問題であるとは思いますが、今後の日本にはそういった資金を調達することも見越した上で安定的な福祉サービスを提供できるような環境を作ってもらいたいと切に願います。


投稿者: tkk | 2011年01月18日 23:40

 こんな時代だからこそ、結婚したくはない、子どもを持ちたくないと考える人の気持ちが分からなくはありませんが、私自身は結婚し子どもを持つことは、もちろん苦労することは多いでしょうが、すばらしいことだと思います。
 少子高齢化が進む現代では、これらをなんとかしようと様々な政策が行われていますが、男性は仕事をやり女性は家事、育児をするという考えがあるかぎりあまり効果はないように感じます。実際、男性に育児休暇を取ろうと考えているかを調査すると、取ろうと考えている人は少なく、育児休暇を取りたくても取れない環境にあると答える人が多かったようです。また、取るつもりはないと答える人もいました。
 このように、男女の性役割を分担するという考えが残っているままでは少子化はますます進行していくだけだと思います。政策と同時に性役割分担という考えを払拭していかなければなりません。


投稿者: ぷらは | 2011年01月20日 22:19

 この記事を読んで、私のバイト先のお店での出来事を思い出しました。
 ある時、お年を召されたお客様が大量に買い物をされました。それを見たオーナーは私に「買った物を家まで運んであげて」と言い、私は買い物袋を持って、そのお客様と一緒に自宅まで行きました。
 後で聞いた話では、そのお客様は一人暮らしをしているから、何か少しでも手助けできることがあればと、いつも買ったものを店員が家まで届けているのだそうです。

 とても小さな出来事ですが、この行動は、お客様に対するサービスというよりは、地域の人どうしなのだから、当たり前に支えるという感じで、人と人との温かさを感じました。
 人と暮らしの真の豊かさには、地域や身近な人同士が、お互いを気にかけ、助けあっていくということが大切ですが、現在は、それが難しくなってきている状況です。
 人の暮らしの形も多様になり、人同士の関わりが少なくてすむような技術が生まれ、それを指示していく現在の風潮では、真の豊かさのためではあっても、地域の人との関わりはますます希薄になることが予想されるので、社会の流れを変えていくことが大切だと思います。


投稿者: ピッコロ | 2011年01月20日 23:28

 現在学生のものです。私のような学生には、介護や子育ての経験がほとんどない者が大半だと思います。
 先生のご指摘のような、子育ての苦労を回避することと、いかにして「要介護状態にならず、介護サービスのお世話にならないようにするか」という不安はなかなか実感する機会がありません。ですから、将来自分の両親の介護が必要になった場合や子育てを始めるとなったときの不安は正直イメージしにくかったです。
 しかし、先生の記事や、子育て、介護を経験なさった方のコメントを見ていると、いかにこの国の社会福祉サービスが徹底されていないのかを知るとともに、とても不安になりました。少子高齢化といわれている状況の中で、わたしたちは本当に高齢者を援助していくことができるのか疑問です。早急にサービスの充実を図ってもらいたいと思いました。


投稿者: わ | 2011年01月21日 07:42

  「勝者になることを前提とした社会」の敗者はいうまでもなく勝者も幸せであったのであろうか。彼らは高度経済成長の中で日本を支えてきたという自負があったはずであるが、今では老害扱いされ時にはこの国の腐敗、汚泥とすら言われる。そのような批判に無自覚でいられるような厚顔無恥の輩はともかくとして、自覚的である人々は自らの人生に対する空虚さを感じずにはいられないだろう。
 結局、「階段を上昇する生き方」という幻想を信じ続けられた者のみ幸福であったのであって、そのような幻想が灰燼に帰した現代においては過去の勝者ですら敗者なのだと私は思う。


投稿者: RCR | 2011年06月30日 00:04

昨今の社会的サービスが、実際に子育てをしている人たちや介護にあたっている人たちに実感されていない(少なくとも満足いくものでは到底ない)のが現状です。負け組、勝ち組の競争思想で優劣をつけて常に人と比較し合っていては、精神的な豊かさは育めません。ブログを見て、北欧諸国の社会的・福祉的サービスがほかの先進国に比べ国民に満足感を与えているのは、「勝者になる」ことを必要に迫らない社会の雰囲気のおかげなのだと思いました。


投稿者: IRN | 2011年07月05日 21:47

北九州市立大学の学生です。
私は福祉サービスについて知識はありませんが、自分の子供を育てて、疲労困ぱいし、自分の親の介護をするなんて、とんでも無いといったような声を出させるまで、個人、個人にかかる負担かわ大きくなっていること自体が問題であると考えます。また、経済成長が破綻し、階段を上昇する生き方を誰もが実現することが出来なくなったこのご時世で、負け組だとかやりたい事が分からないという自信喪失や不安になるということも分かります。しかし、私はこれは単に時代のせいでは無いのではないかと感じます。例えば、失業をしても、また最初からやってみようとか、
この経験があるから、自分はもっと良くなっていけるんだとか思える人も居れば、ふて腐れて世の中を恨む人もいます。このように、同じ状況であっても、本人の考えや心の持ち方によって不幸な状況を発奮材料とできるか、単に自信を失ったり不安になったりしているのかという事が決まってくると思いました。また、人間の豊かさを作り出すものは、やはり、さまざまな余裕があるということではないのでしょうか?お金の余裕にしてもだし、時間の余裕にしても、そしてその余裕を作り出す為に福祉サービスがあるのだと考えます。これらの考えをふまえて今のご時世に福祉サービスの厚みが必要性であると考えます。


投稿者: 米子 | 2011年07月08日 14:48

とても考えさせられました。

正直、私は今でも、とりわけ「結婚」と「育児」に関しては、極度に打算的な考えをしてしまいがちであり、「自分一人だけでも大変だというのに、家族が増えたら、もうどうしようもなくなるのではないか」と危惧してしまうところです。

しかしこれは考えてみれば、記事にあるように、
「成功すること」を、いわば強迫観念のように「刷り込まれて」しまった結果、このように思い至ってしまうのかもしれない。

人生は"すごろく"や"人生ゲーム"ではない。
"億万長者"になって上がる必要性はこれっぽっちもないのである。私は、養う人数が増えることで、経済的に厳しくなり、人生どん底状態になってしまうのではないか、と考えていた。しかし、経済的な面ばかりを危惧して、仕事を、生きていくための手段としか捉えず、育児を、結婚を、養う人数が増えてしまう、という金銭的な目線でしか考えないままであれば、「働く楽しさ」「家族の温かみ」を知ることもない、経済的な底以上の人生の暗闇に陥ってしまったのかもしれない。

しかし、ここまで教示くださっても、上記のような考えを捨て去ることができないのも事実である。何が一番の原因か、それはやはり、私の脳内にこのような打算的な考えを刷り込んだ「社会教育」であろう。

人が皆、より真に近い"幸福"を手にすることができるような社会を築き上げるためにはまず、学校レベルの教育から、考え直す必要性があるのではないだろうか。


投稿者: てふすけ | 2011年07月12日 00:02

介護という言葉を聴くと、私は介護施設に入所している間に亡くなった祖母を思い出します。家に施設から電話がかかってきたときには祖母はもうこの世を去った後で、「なぜそばにいてあげられなかったのだろう」という思いが強く残りました。だれかが悪かったということではないのですが、果たしてこの国の介護は正しいのか、という思いはいつも胸の内にあります。私がいつか親を介護するとき、後悔のない選択ができるような制度を望んでやみません。


投稿者: Ray-M | 2012年01月17日 19:01

『階段を昇っていく路線に乗せることが、個人と家族の幸福だとするような強迫的な価値があらゆる階層に浸透』という言葉に、残酷な響きを覚えながらも、納得するしかありませんでした。子育てにしても介護にしても、それによって得られる喜びと苦しみを天秤にかけるだけで自らの幸福を判断してしまう人が多いからこそ、冒頭の感想が出てきたのではないでしょうか。
自分、そして家族の幸福を他者との比較で判断し、「自分は負け組だ」と思ってしまう人も多いと思います。
モノが豊かになったその反動かはわかりませんが、今の人達の多くは心の豊かさを失ってしまっているのではないでしょうか。制度が充実しても人の心が豊かにならなければ、個人が『幸福』を見つける事はおろか、この国の未来にも暗い影を落としたままだと考えます。


投稿者: CFY | 2012年01月25日 07:35

このブログを読んで稚拙ではあるが日本が取るべき施策の方向性が見えた気がします。福祉サービスの充実を目指すのであれば我が国は「職業教育」充実させるべきです。我が国では明治期より「殖産興業・富国強兵」の名のもと職業教育がさかんに行われてきました。その名残は戦後まで続きました。しかし現在では企業からは「即戦力」が求められ、普通科がマジョリティを占める学生は「何のために勉強するのかわからない」とおもってしまう。そして日本の雇用形態も卒業した大学、高校はあくまで「入学時の基礎学力」程度でしか見ていない。それでは若者は職についても不安定な自己実現を追い求め、自己本位の人生になってしまいがちである。結果、為政者側がいくら福祉を充実しますといっても賛同してくれる国民は少ないのではないでしょうか。職業教育を充実させ将来のビジョンを明確にしていくことが人を自己本位の人生から共同の人生へと変えていくのではないでしょうか。


投稿者: ジョニー | 2012年01月25日 14:48

私は学生ですので、結婚も親の介護もまだ経験しておりませんが、今回の記事を読ませていただいて、様々なことを考えさせられました。以前見かけたニュースによると、子どもが生まれたことのせいで自分のやりたいことができなくなったと考え、子育てを負担ととらえる若者が増えているとのことでした。私にとって子供を育てるということは、確かに自分の時間を子どもに与えることになりますが、これは決して与えてやっているということではなく、時間の共有であると考えています。子育てを通して、自分一人では経験しえないことを、子どものおかげで経験できるのですから、むしろ私にとってはありがたいことであります。
そして、親の介護に関しまして、今まで私を育ててきてくれた両親にささやかではあるが、介護を必要とする時がきたなら、たとえそれが育児の時期と重なったとしても未来の妻と協力し合って両立させたいと考えています。しかし、今述べてきたことは、非常に苦労された経験をお持ちの方からするときれいごとのように聞こえるかもしれません。もしかすると、いざその場に立ってみると、いつの間にか自分も、子どもの面倒を見るだけでも疲れるのに、親の介護など不可能だと愚痴をこぼすようなことがあるかもしれません。
このように考えてしまうのはその人自身の責任ではなく、現代の社会の責任であると感じました。そのため、やはり先生のおっしゃるように、福祉サービスの厚みを増すことはやはり重要であると思います。このことが、「心のゆとり」につながるのではないでしょうか?福祉サービスの充実による心のゆとりが今の私たちに最優先されることではないでしょうか?


投稿者: Bossa | 2012年11月30日 16:33

確かに現代は夢を持ち辛い時代だと私も実感している。私は岐阜県の田舎出身だが、こちらの首都圏に出てきて、格差というものを身に染みている。現代を生き抜くためには、ある程度の経済力も費用だし、自分も一度きりの人生を楽しみたい。などと将来を考えていると、今、こうして自分がしていることが正しいことなのかわからなくなる。そんな時に、福祉のサービスが充実していれば、将来の不安も半減するのではないか。


投稿者: M,H | 2013年01月24日 00:53

このブログを読んで将来の親の介護について考えさせられました。私は大学を卒業した後首都圏で就職を考えていますが、実家が遠い田舎なのでそれだと介護はできません。今まで一生懸命育ててくれた親に、感謝の気持ちをこめて娘が介護をするのはあたりまえだと言われるかもしれません。私もそう思います。しかし田舎では仕事もほとんどありません。都内で働いて親が要介護になったら地元に戻って介護に専念すればいいのでしょうか。家族がいたらどうすればいいのでしょうか。将来心配だらけです。ニュースで親の介護に疲れた男性が母親を殺してしまったというのを見ました。はたらき盛りのサラリーマンが仕事をやめ、地位もお金もなくなって介護し続け10年もの年月をすごしてきた、というのを聞いたとき日本の介護の実態の恐ろしさをしりました。このようになりそうな人たちが何人もいる日本の介護の世界はおかしいと思います。老後のことを心配ばかりしてしまう私たちの世代に早く福祉サービスを充実させて安心させてほしいです。


投稿者: ringo | 2013年01月25日 14:25

家族の在り方と地域の関係性が変化したことで、孤立と不安が広がっているように思います。子育てや介護は、手を差し伸べてくれる仲間が身近にいたら何倍も心強いはずです。しかし、地域における人間関係の希薄化により、周囲の人との支え合いの機能が低下して福祉や生活のあらゆる分野で深刻な影響を与えているのが現実です。「福祉サービスの厚みを増す必要性」を先生も指摘なさられていましたが、まずは公的な福祉サービスでもない、市場によるサービスでもない、地域住民の支え合いによって対処する地域福祉のあり方を検討することが大切だと、私は考えさせられました。


投稿者: さくらんぼ | 2013年07月24日 09:42

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

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