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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

何やら毎日「介護保険」

 ここのところ、どこかで介護保険の話題を耳にしない日がないように思います。要介護認定基準と介護報酬の改定、要介護度の認定に関する「激変緩和措置」、介護保険事業者の経営と介護職員の待遇問題等をめぐって、ラジオやテレビのあちこちで取り上げられています。
 まさにそのような時に、タレントの清水由貴子さんの自殺がニュースとなり、自殺の背後には「お母さんの介護疲れと孤立があったのでは」と報道は伝えています。もしこのことが真実であれば、やりきれない思いに駆られます。

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 ここで、青年・成人期を中心とする障害領域で仕事をしている私には、いつもながら深い疑問が湧いてくるのです。資格養成関連を含む障害者福祉に関するほぼすべての概論書は、厚生労働省の身体障害者・児実態調査から、身体障害者の過半数が高齢者であることを指摘し(平成13年同調査では、65歳以上の身体障害者に占める割合は61.8%)、「障害者福祉の基本理念」として「ノーマライゼーション」と「リハビリテーション」をあげています。自治体の計画書を調べてみると、障害者領域の計画には必ずこれらの二つの基本理念が登場しますが、高齢者保健福祉計画・介護保険業務計画ではほとんどお目にかかることがなくなっています。

 しかし、「全人間的復権」としての「リハビリテーション」と「自立生活運動(IL運動)」について、「日常生活動作(ADL)から生活の質(QOL)へ」と自立の観点が移行してきたことの重要性は、社会福祉を専門とする人の素養としてはもはや常識に入る事柄ではないのでしょうか。この「常識」を片マヒの不自由のある人について例示すると、次のようになります。
 この人が自力だけでは、衣服の着脱に1時間、洗面に30分、排泄に1時間、食事づくりと摂食に1時間30分、それぞれかかってしまうとします。しかし、時間さえかければ自分一人でひととおりのことができるとはいえ、これでは起床から就寝までが衣服の着脱・洗面・排泄・摂食・入浴等々だけで終わってしまい、何のために生きているのかさっぱりわからなくなってしまいます。
 そこで、日常生活の実用性を下回るADLの困難に対しては、積極的なサービスの活用を利用者主体の見地からすすめ、社会参加やレクリエーションを含む多彩な面から生活の質を図ることが「全人間的復権」の具体像だということです。
 念のために言い添えますが、このような自立視点の発端となった1960~70年代のカリフォルニア大学バークレー校の障害のある学生たちのストーリーには、「家族に介護者がいるなら家族に介護してもらいなさい」というプロットも一切ありません。
 要するに、「自立生活のために積極的にサービスを利用しましょう」ということです。

 もちろん、実際の個別支援計画では廃用性症候群(心身機能を使用しないために生じる機能低下)への注意は必要でしょう。しかし、利用者主体の見地から積極的に介護サービスを活用できる制度にしていくというよりも、どちらかといえば「介護サービスを使わないことが自立」だという方向性への傾きに不安を抱く国民が増えていることは事実なのではないでしょうか。

 さて、清水由貴子さんの訃報から介護保険の問題を取り上げていたテレビ番組のキャスターは、次のように締めくくりました。「高齢化の進む中で、地域社会の中での支え合いが問われているといえるでしょう」と。
 この無内容で還元主義的な総括は何なのでしょうか? 高齢化の進展に伴って介護の問題が深刻になると予想されたからこそ、平成12年度から「地域社会の支え合い」という性格を一面にもつ介護保険を施行し、「介護の社会化」を目指したのではなかったのでしょうか。
 今回の話に通じると思われる番組がNHKスペシャルで放映されるようです。興味のある方はご覧になってみてはいかがでしょうか?
NHKスペシャル「介護保険が使えない」
NHK総合テレビ
2009年4月26日(日) 午後9時00分~9時49分
愛知、岐阜、三重県は28日(火)午前0時45分~1時34分

番組案内
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090426.html


コメント


 10年以上前ですが、約2年間寝たきりの祖母を家族で自宅介護していました。
 まわりからは施設に入れる等も勧められてたのですが、諸事情(主に感情的な部分)により自宅介護を選択しました。とはいえ家族全員仕事持ち、加えて知的障害者の姉もいたので、有償、無償両方のヘルパーさんを利用しながらの介護でした。
 介護保険制度がうまれる前でしたので、体力・精神とも大変でしたが、この制度実施後は家のような状況家庭や独り暮しのお年寄りがもっと暮らしやすくなると期待していたのですが…
 以前より大変な状況が数多く生まれているのを見聞きすると、あの時の介護保険の謳い文句は何だったんだろう? と怒りすら覚えます。
 今自分に何が出来るのか、今後何をすればよいのか、足元を確認しながらしっかり見極めていきたいと思います。


投稿者: 実藤 裕貴 | 2009年05月06日 03:09

 私は今、大学生で一人暮らし中なのですが、二年前私が実家にいるとき、お婆ちゃんが寝たきりになってしまいました。そのときは両親の仕事の都合もあり、施設にあずけたのですが、施設に預けて本当によかったのか、今でもなやんでます。
 しかし、介護保険をつかって、両親が仕事をしているときもちゃんとヘルパーさんが介護してくだされば、お婆ちゃんは自宅で気兼ねなく生活することもできたのかましれません。
 私はこの難しい問題を正面から受け止めて、解決にかならずみちびきたいとおもいます。


投稿者: じっちゃん | 2009年06月01日 00:46

 介護保険制度が始まった2000年度、私は9歳でした。小3で給食のことぐらいしか興味がなかったので、介護保険についてほとんど知りませんでした。しかし、母から「40歳になって介護保険料を払うようになって、家計が大変。」という話を聞き、ケチな私は「いつか私も負担するのか…」と、少しは介護保険にも興味を持つようになりました。
 そんなとき、清水由貴子さん自殺のニュースを見て、「介護保険が機能していないのでは?」と不安になっていたら、宗澤さんのブログを読ませて頂き、その不安が的中していると感じました。
 障害者福祉では基本理念となっている「ノーマライゼーション」と「リハビリテーション」は、高齢者保健福祉計画・介護保険業務計画ではほとんどお目にかかることがなく、高齢者の介護の世界は、「介護サービスを使わないことが自立」つまり、「介護保険料は負担してもらうけど使わせないよ(・△.){あ?」ということではないのか!!と、怒りを覚えました。
 うちのおじいちゃんやおばあちゃんがリハビリに頑張って介護保険を利用していれば、頑張って払っていこうって気になるけど、使わせてもらえないんじゃ、正直払いたくないです。介護療養型病床も2012年3月で廃止されるそうです。益々、家族の負担が増えるでしょう。
 2009年度介護報酬引き上げにより自己負担が増え、保険あって介護なしという事態になっている事実を踏まえ、私のように若い世代が、宗澤さんのブログに出てきた「自立生活のために積極的にサービスを利用しましょう」という内容に介護保険の内容を変えていくよう努力することも大事なのではないかと、考えさせられました。


投稿者: berry* | 2009年07月07日 17:45

只今福祉を勉強中の学生ですが、それでもブログの中にある専門用語や法律関係の言葉はすらすらとは理解しずらいものです。なぜなら、頭で理解するだけなら別ですが、実態として把握しながらの理解となると、じっくり読まなければ難しいところです。
そこで感じるのですが、政治家や行政職員は頭だけで捉えていて、実態としての理解が不足しているから、いつまでたっても当事者にとっての「求める支援」に繋がらないのではないでしょうか。
最近あまりにも福祉の受け皿が細分化して、責任転嫁に走り、頼れる窓口の所在が見えずらいきがします。そうなると、孤立化は止められないから、清水さんのような悲しい事件が起きてしまいますね。もっと、実態の見える心の目を持つ専門職に窓口に立ってほしいものです。


投稿者: 麦焼酎 | 2009年07月09日 10:57

 大学で福祉について学んでいます。その中で、介護保険に関することも学びました。
 介護保険サービスというのは、介護する側にとっても、される側にとっても支えとなる制度なのだと思っていました。しかし、実際には保険料を支払い続けていてもいざ使いたいというときに使えないといった事態が起きていると知りました。
 年金しか収入がない高齢者に対しても負担が増える一方で、介護保険サービスがうまく機能していないことが明らかです。
 また、介護が必要な人が増える一方で、介護する側の人手不足も増えており、介護の世界は本当に悪循環だと思います。宗澤さんのブログを拝見し、改めて介護保険制度について考えさせられました。このことに関する番組がないか探して見てみようと思います。


投稿者: 茶々 | 2009年07月15日 00:35

 戦後の時代から、福祉の法律・政策が多く登場し、障害者や高齢者が福祉サービスを受けることは可能となった。しかし、当時の時代背景からか世論はそのサービスを利用することは一種の「恥」という考えがあったと学んだ。
 高齢者を養老院などの施設に入所させるのは家族の恥だ、施設に入所することは身寄りがない・家族に見捨てられた人だという考えが強く人々の中にあった。大きく社会が変化した現在ではその考えは薄れたと考えられるが、この記事を読み、やはり福祉サービスを積極的に利用する人は多いとは言えないと思った。
 制度の落ち度から利用しにくいという理由も含まれるが、各々が法律・制度・サービスの内容をもっと自主的に知るべきだと思う。行政側は教える場を提供することも大切だ。
 しかし、簡単にサービスを利用しようと言っても金銭的な問題も絡んで、それが難しい人々は多くいる。一人でも多くの人が最期まで笑顔でいられる社会であって欲しい。


投稿者: BLUESTI | 2009年07月20日 00:26

 現在、僕の祖母は寝たきりの状態になってしまっています。祖父はまだ元気なのですが、体力的に祖父だけでの介護は現実的に無理な状態です。だから二世帯住宅である僕の家では、実質的にほとんどの介護を母がしているという状態です。しかし母は仕事もしており、年齢も50代ということで毎日かなりつらそうです。母は「今はまだおばあちゃんひとりだからいいけど、おじいちゃんにまで倒れられたらどうしようもないね。」とこぼしていました。
 僕の家のような共働きの家が多くなっている今だからこそ、介護保険制度がしっかりしていなくてはいけないのではないでしょうか。このまま介護保険制度があいまいなままだったら、保険料が家計を圧迫し介護者は金銭的にも体力的にも苦しめられ、要介護者も良い介護が受けられず苦しむという悪循環が続いてしまうと思います。だから、清水さんのような悲しい事件がもう起こらないように、介護保険制度を見直していく必要があるのだと思います。


投稿者: oxFNxo | 2009年07月21日 15:26

 タレントの清水由貴子さんは幼い頃テレビで拝見していたので、自殺というニュースを知りとてもショックでした。
 それと同時に自殺の原因とされている「介護疲れと孤立」は私にとっては他人事とは思えず不安を感じました。
 私も両親に介護が必要な場合は、慣れ親しんだ我が家で介護をしたいと思っていますが、私には兄弟姉妹がいないということもあり、最近の介護が必要な親を子どもが殺してしまうという事件を目の当たりにしたときも、正直私には関係ないと思えませんでした。
 経済的にも、サービスを利用するには1割負担をしなければならない今の介護保険の仕組みでは、どれだけの人が本当に必要なサービスを受けられているのか疑問です。介護保険においても勝ち組、負け組の枠付けがされているような気がしてなりません。


投稿者: ますお | 2009年07月21日 17:02

 大学で学んでいる学生です。
 私は「介護サービスを使わないことが自立」という「自立」の定義に強い疑問を感じます。
 ゴールドプラン21の掲げる「自立」とは介護サービスを受けず、社会福祉援助を利用することなく、自分で生きていく方法を見つけなければならないという意味合い強いのではないかと思います。
 介護保険の仕組みにおいても、措置制度から支援費制度に変換することで国家責任が崩壊し、利用者は介護サービスを受けにくく、ますます他者の力を借りづらい世の中になってしまった悲しい現実を思わされます。
 授業でよく、「人の手を借りず生きていける人がこの世の中にいるだろうか」と問われ、高齢者、障がいのある方、関係なく、私たち人間は何らかの形で他者の力を借り、今の自分があるという事実に気付かされます。
 私たちは生きていく上で、頼り、支え合力が必要であり、援助を求める力も自立の中の大切な要素かと思います。


投稿者: コロ | 2010年01月06日 16:39

 介護の現状が厳しいことはよく耳にします。介護を行なう人が介護疲れでのつらさを1人で抱え込み、孤立してしまうことで自殺にまで追い込まれてしまう悲しい現状があるのはつらいですね。
 
 何をするにしても誰かのサポートが必要であることは、悪いことではないですよね。人間は誰かの支えがあって生きていけるものであるし、障害があるとかは関係なく、1人ですることが困難なことは助け合うのが当然だと思います。

 リハビリをする上で、何でも手伝うものかと思っていましたが、廃用性症候群ということも考えなければいけないことを気づかせて頂きました。介護サービスを利用しないことが自立であるという見解を変えていくことも必要であるという現状も知ることができました。

 高齢化に伴い介護とは切り離すことができない社会へとますます進んでいくことが予想されますが、介護保険の知識を増やし、改善することが大切だということが分かりました。


投稿者: ピンク | 2010年01月08日 00:19

 大学で社会福祉に関する授業を履修するようになって、介護つかれによる自殺や殺人といった悲しい話をよく耳にするようになりました。
 私の祖父も生前、特に亡くなる前数ヶ月は自力では何もできない状態にあり、祖母が毎日のように祖父の身の回りの世話をしていました。祖父の場合は病気だったので入院しており、そのため祖母に肉体的な負担はあまりなかったようです。

 ここで考えさせられるのは、病気ではない介護が必要な状態になっていたらどうなっていたか、ということです。自宅での寝たきりの介護を一人でしなければならない、特にうちはそんなに裕福な家庭ではないのでヘルパーを頼む余裕もない。しかし、呼ばなければとてもじゃないが一人では介護しきれない、というのが現状であろうと考えます。
 唯一頼れるのは介護保険、しかしそれが使えない。そのような状況が今の日本である、大学での授業がなければ考えない問題でした。これらの解決にはこれから社会に出て行く私たちの世代が関心を表していく必要があると感じました。


投稿者: かるね | 2010年01月09日 04:27

 初めてブログを拝見させていただきます。
 大学の講義で今の日本では、人に頼らず、公的なサービスにも頼らず、自分で選んだ道を生きていける事が「自立」であると考えられることが多い、と学びました。実際に講義中に「自分が自立していると思う人?」という問いに「私は自立している」と胸張って答えられる学生はほんの数人でした。
 私も含め、自立とは何でもかんでも一人でやらなければならないと思い込んでいる人がまだまだ多いということの証明だったと思います。しかし、本来の「自立」とは、できる事は自分でし、出来ないことは人に頼れるということです。
先生のブログにもあるように、「自立生活のために積極的にサービスを利用しましょう」という考えが日本でもっともっと広がれば介護疲れ等で思いつめる人も少なくなるのではないかと思いました。


投稿者: チーズ | 2010年01月11日 23:26

先日は北九州市立大学での講義、
お疲れ様でした。
 
タレントの清水由貴子さんが
「介護疲れと孤独」により亡くなられたのは
日本全国の各地で起こっていることで、
まさに氷山の一角でしかないと思います。

私の母も一年ほど前まで、
ヘルパーの仕事をしながら、
病院にいる癌の祖母の見舞いをし、
家に帰れば家事をおこなうという生活を
続けていました。

母は表面上には出しませんでしたが、
相当に苦しかったと思います。
肩の筋肉はガチガチに硬くなり、
足は血管が浮き出て紫色をしていました。

祖母が亡くなり、仕事も落ち着いたため、
母が病院に行くと、

足の変色の原因は静脈瘤
(足の血管が詰まった状態)によるもので
手術をすることになりました。

幸い大事には至りませんでしたが、
下手をすれば母が「介護される側」に
なっていたかもしれません。

介護保険、サービスを
満足に利用させないことは
要介護者をただ倍増させるだけの
「害」でしかないことをすべての人に
理解していただきたいと思います。


投稿者: たかじん | 2010年01月12日 02:57

 先日はお忙しい中、講義をしていただきありがとうございました。
 北九大の学生です。

 5年前に私の祖父が脳梗塞で倒れ、それ以来家族のみんなで介護をしてきました。私は去年実家を離れ一人暮らしをしているので毎日、祖父や祖母、家族のみんなが気がかりです。
 介護をする面でわかったことは、介護をする側もケアもとても重要であるということです。
 また気軽に利用できるような介護サービスを充実させることが必要です。
 頼れるところは積極的に頼れるような環境づくりが福祉社会に直結するのではないでしょうか。


投稿者: zepeal | 2010年01月14日 00:32

 先日の北九州市立大学での宗澤先生の講義を受けた者です。
 介護サービスを使わないことが自立というのは間違っていると思います。
 困難なこと介護サービスや人の助けを借り、できた時間で自分の趣味や生きがいを持つ。そうして生きる意欲がわくことで、私はこうなりたい、私はこんなことをしたいと積極的に行動し、生きる意味を感じられる。それが自立という意味だと考えています。
 むしろ病院のベッドに寝かせきりでいたり、介護サービスを使わせないことは、肉体的にも精神的にも結局自立を妨げていて、記事のような介護疲れによる自殺や老老介護のような問題を招くものとしか思えません。
 もし政府が高齢者介護における地域社会の中での支え合いを期待しているのならば、今の地域社会のあり方が変わらない限り、失敗するのではないでしょうか。


投稿者: ハッシュオニオン | 2010年01月14日 11:55

 先日、宗澤先生の講義を受けさせていただきました、北九州市立大学の学生です。 お忙しいなか遠方から来ていただき、本当にありがとうございました。
 12月の2回の講義では、さいたま市における実態調査データ、事例などの資料をもとに「成人期障害者の虐待または不適切な行為の実態」について、そしてそれらの実態を考察してみえてくる多くの課題について学ばせていただきました。
 清水由貴子さんは母親の介護疲れ、孤立による自殺とされていますが、これらの要因が真実である場合、講義であげられた虐待等行為者も同じく(ケアが広範囲の生活に及び長期性を持つことなどによる)介護疲れ、地域社会からの孤立、さらには家庭内においても[介護者―当事者]の二者関係だけが孤立してしまう等々の要因が共通しているように思えました。
 また、虐待等行為者にたいしメディアは一方的で表面的な非難をするだけで、虐待等行為者の行為の要因となりうる過去について、支援システムへのつながりや社会サービス、社会構造に問題はないのかなど[なぜそれが行われるか]ということへの言及がなされていない場合が多く[加害者―被害者]の関係に閉じ込めて終始することへの違和感は以前から私も抱いていました。
 先生がおっしゃっていたように「虐待等を受けた人への支援とともに、虐待等行為者への支援」等々、「包括的な虐待防止対策」の必要性を感じます。


投稿者: よっしー | 2010年01月14日 12:00

 先生、こんにちは。北九大生で、この間の特別講義ありがとうございました。障害者の虐待問題によりよく深く理解しました。
 このブログを見てから、小賀先生が授業で話した障害者自立支援法と社会福祉は商品化されたという話を思い出しました。
 また、そんなに時間がかかる自立は本当に意味があるかと考えましたが、あると思います。確かに、そんな時間は無駄使いと言われるかもしれませんが、障害者自身に対して、それは自立の過程だと思います。
 そして、現在の社会福祉は商品化される恐れがあります。介護サービスを利用する時は、予算を見ながら、利用します。お金がないと、介護サービスが利用できません。清水由貴子さんのように、母親の介護に疲れている人が少なくないと思います。これは一つの問題点ではないかなあと考えられています。
 


投稿者: 華 | 2010年01月15日 02:13

 先日、宗澤先生の講義を受けた者です。
 私は介護保険の問題に無知でしたが、最近知っておく必要性を感じます。私は次女で、姉がいますが、将来、家を出たとき親の介護は誰がするのだろうと考えた時、決して他人ごとではなく、この問題に直面すると思います。地域との支えあいの欠如とありますが、支えあいを実現するための介護保険制度が機能しておらず、又介護サービスを利用しづらい現状を打開しなければと思います。
 そしてサービスを提供する福祉の現場で人手が足りなくなっているのも今後の課題になると思います。
 以前年配の方と話す機会の中で、介護保険料を払っていても還元されるとは限らないと深刻そうに話していたのを思い出しました。サービスを利用しないことは逆にいえば健康で幸せなことでもあるが、違和感もあります。その点において見直さなければ公平な福祉は実現とは言えないと思います。
 最後に介護サービスを利用しない自立ではなく利用する自立を促せる環境になればと切実に思います。


投稿者: あおい | 2011年01月19日 02:06

 自分も来年度介護体験に行ってきます。知的障害者、身体障害者、ご老人、まだどのようなかたと接するのかはわかりませんが、この体験を通じて役に立たないものはないと思っています。今の時代ではとくにご老人の割合が年々増えているため、生活していく中でご老人をお世話をする機会も増えてきます。
 今回は中学教師の免許を取得するのにかかせない介護体験であるが、そうでない人たちも体験するべきだと思います。自分が世話される立場になったら、なおさら思うはずです。


投稿者: 骨吹き | 2011年01月27日 17:48

 自分の家には寝たきりの曾祖母がいます。その介護をしているのは主に祖父と祖母です。自分の家は自営業で父と母もいるので、父と母が介護を手伝うこともよくありますが、主に介護をしているのは祖父と祖母で、ヘルパーの方もお願いしていますが、やはり祖父と祖母は仕事もあるため心配です。ですから介護サービスを積極的に利用できる環境が必要だと思います。


投稿者: EMT | 2011年06月14日 12:54

 数年前ですが私の祖母はアルツハイマー病を患い、介護度が徐々に上がって結局特別養護老人ホームに入所した後、死亡しました。
 家族の介護者は多く負担を背負う。身近な家族であるだけに、昔の元気だった頃の要介護者との落差による精神的な負担も計り知れないものがある。しかし、家族に対する要介護者の負い目は大きい。私は祖母が「殺してくれ」といった事を言ったことを鮮明に憶えている。しかし、あの状態の祖母に対し生きがいを与え生きる意欲が与える事が出来たとは残念ながら到底思えない。
 孫の存在が生きがいであった祖母が孫を孫と認識出来なくなったらどうすればよいのであろうか?私の祖母の介護では介護サービスをかなり利用させていただき、祖母の生活自体はそれほど酷いものではなかった。それでも、私は今でも祖母の苦しみを長続きさせてしまったのではないかという思いを消し去ることが出来ない。
 介護者による要介護者の殺人という問題がある。これは介護者への過剰負担という問題だけでなく、人生の意義という死生観に関わる深い部分への解決がなされない限り解決しえない問題であり、行政によってのみ解決しえず、我々人間が今後考えて行く必要があるだろう。


投稿者: RCR | 2011年06月30日 00:41

家族がいるなら家族に介護してもらうべきだという考え方は少し間違っていると私は思う。確かに家族が介護する側の中心となるべきなのは事実であるが、色々な福祉サービスを利用するのも大事だ。家族だけで「介護」という問題を抱え込むと清水さんのような事件を引き起こしかねない。そのためには介護する側が積極的に福祉サービスの存在を認識し利用していく姿勢を持つことが必要だ。我々はこれから高齢者の介護に多かれ少なかれ関わっていくのだから一人一人が介護の問題に向き合っていかなければならない。


投稿者: ソラ | 2013年01月23日 12:30

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
タイトル:『障害者虐待 その理解と防止のために』
編著者:宗澤忠雄
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発行:中央法規
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