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宗澤忠雄の「福祉の世界に夢うつつ」

親の働く姿を見たことのない2世

 「♪月が出たでた 月が出た♭」
 よく知られた炭坑節の一節です。かつてこの歌が威勢よく唄われていた筑豊は、炭鉱の閉山以降、生活保護率が高原状態のままで推移する日本有数の貧困地帯を形成してきました。現在でも地区によっては2割前後の生活保護率を維持しています。この画像は、2001年度をもって石炭六法の失効する直前まで残っていた筑豊のある炭鉱住宅です(1999年A氏撮影)。
 先日の読売新聞(3月3日付、東京本社版)は、生活保護に関する3つの記事を掲載しています。同新聞社が東京23区と17政令市に調べたところ、生活保護の申請は6割増加し、生活保護担当のワーカーは心身の疲労から悲鳴をあげているとの報道です。この現状に対して、日本女子大学の岩田正美教授は、職業訓練とセットで支給されるドイツの生活扶助の例を引用しながら「再び自立して働けるような機能を果たす公的扶助を整備する必要がある」と指摘されています。

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筑豊の炭鉱住宅街―貧しさの中にも支え合いが

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 三井三池の閉山以降も1960年代はまだ、筑豊で細々と石炭の採掘が続いていました。その当時、この炭鉱住宅で少年期を過ごしたA氏は、「地域の人たちは確かに生活に困窮してはいたが、それだけに近隣の助け合いは密度も高く、当たり前のことだった」と言います。例えば、母子家庭のお母さんが働きに出なければならないときには近所で子どもを預かって面倒をしっかりみる、朝鮮からの強制連行によって筑豊の炭鉱で働くことを余儀なくされてきた方が病で床に伏すようなことがあれば、国籍の分け隔てなく、近所でご飯とおかずを持ち寄って食事を提供するというように、支え合いの光景は炭鉱住宅街では日常のことだったそうです。
 お風呂は共同浴場です。この共同浴場は炭鉱を経営する企業が直営し、炭鉱労働者とその家族が会社から支給される「入浴券」のようなもので、無料または低料金で利用していました。夕方になれば、地中深くに石炭掘りをしてきた労働者が全身を炭塵で真っ黒にまとった体で入浴するため、浴場の湯も真っ黒に染まりました。炭住の人たちみんなが「黒い湯」に浸かる地域にただ一つの湯舟は、炭鉱地帯に働き暮らす悲喜こもごもを共にする場でもあったでしょう。これと同様に、炭住の一角にある食料品店も、地域のお母さん方が食材を求めて日々に集う交流の場でした。

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共同浴場への道―風呂桶を手にした労働者の下駄の足音が響いていた(奥の建物が共同浴場)

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共同浴場入口(左・女湯、右・男湯)―炭鉱労働者の鼻歌が響いていたのだろう

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食料品店―地域の「食料基地」周辺では、お母さんたちの賑やかな話し声があった

 「産炭地域振興臨時措置法」(産炭法)を柱とする石炭六法が失効するまでの間に、石炭に代わるめぼしい地域産業の振興は図られないまま、産炭地域開発就労事業(開就事業)と特定地域開発就労事業(特開事業)の終了と大幅縮小が実行されました。結局、地域の人たちが就労して自立生活を営む術はなくなり、残る手立ては生活保護しかないという事態が続いてきたのです。そして、地域の支え合いの最後の舞台となってきた炭住もなくなり、孤立した貧困世帯が地域に沈殿するようになりました。このような経緯から、現在この地域には「親の働く姿をみたことのない2世・3世」がすでに存在します。つまり、生活保護世帯の家庭に生まれ育った子どもたちが、親の働く姿を一度もみたことのないまま大きくなって結婚をし、結局、自身も生活保護を受給しながら子どもを育てているという悪循環が生じているのです。
 これは単純に「生活費が不足する」という意味に限られた貧困の問題ではありません。地域産業の解体に伴う就労自立機会の剥奪、貧しさと孤立に圧迫されるようにして発生する虐待とDV、家族関係の解体と単親世帯の増加、生活保護から脱出することのできない世代間悪循環等々… 貧しさと人たるに値する暮らしを剥奪された状態の中で育った子どもたちは、今や、働いて自立する暮らしや慈しみ合う家族そのもののイメージをもはやまったく持ち合わせないという深刻な事態さえ出来しているのです。
 現在わが国が直面する生活保護世帯の急増に対しては、新たな就労や家族生活へのトータルな支援とセットにした自立支援策が実行されない限り、保護率の増加を克服することはないでしょう。このままでは、炭鉱閉山後の一部地域に澱のように沈殿させた貧困を全国のいたるところに広めていくことに帰結します。
 郡部の限界集落は、すでにこのような事態に陥っています。都市部では、今日のわが国は炭住にみられたような地域の支え合いをすでに喪失しています。風呂といえば、それぞれの家で家族バラバラ好きな時間に入る家風呂ですし、食材を求めては郊外の大型スーパーに車を走らせる。大勢の人たちが暮らす地域でありながら支え合いの剥奪された暮らしの中で、失業に見舞われた個人と家族の危機は、脱出することの難しい生活保護まで一直線に行き着くほかないのではないでしょうか。筑豊で半世紀かかって作り上げられた貧困は、現在のわが国では全国で「促成栽培」される危機的状況にあるといっても過言ではないのです。

 さて、炭住で子ども時代を過ごしたA氏は、幸いにして「親の働く姿をみて育った」生い立ちを持つためか、今では就労自立して、家族生活を営んでいます。リーダブルな社会的立場で立派なお仕事をされているとはいえ、「風呂だけは炭塵の浮いていないさら湯に入るのが夢だった」と言うのは、どうしても生い立ちの素性が隠せないところです。このA氏は青年期にはなかなかの色男で鳴らしていましたが、そのやつし加減の原点は、子ども時代に通った炭住街の床屋にあるでしょうか。人とのつながりが子ども期に保障されるからこそ整容への心配りが生まれることを体現するA氏の姿は、生活困窮者、子どもたち、高齢者、そして障害のある人にも共通する自立支援の一つの課題を提示していますね。

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A氏が子ども時代に通った床屋―石炭六法の失効時まで営業していた、扉にあるステッカーには「地域振興券つかえます」とある



コメント


 私はこの筑豊地方のある九州に住んでいます。炭鉱の景気の良かった時代、筑豊地方には多くの人が住み、活気がありました。
 景気の良い時代でもこの炭鉱で働いていた人達は、労働の搾取を受けかなりひどい労働条件だったと聞きます。男女関係なく裸同然の格好で真っ黒になりながら働いてもわずかな収入しか得られず、塵肺やCO2中毒で苦しみ、また落盤事故なども多く、事故で怪我をしても何の保障もありませんでした。
 しかし、この地域で暮らす人達や子どもの笑顔の写真を見たことがあります。貧困の中でも、ともに暮らす地域の人達の助け合いがあったからこそ、生き抜くことができたのだと思います。
 筑豊炭鉱は日本の近代工業化を支えてきたのですから、私も、国はきちんとした支援対策を早急にしなければならないと感じます。


投稿者: eko☆eco | 2009年07月12日 18:20

 昨年の暮れに、久しぶりに父方の祖父の昔話を聞くことができ、その時に祖父が若い頃は炭鉱で働いていたということを知りました。そして、この記事に出会い、他人事ではない問題だと感じました。
 当時は、炭鉱での大変なお仕事がみんなの生活を支えていて、「みんな一緒」いうベースがあったから、醤油が切れたらお隣さんに借りに行ったり、また逆にお隣さんが来たら貸したりとそれこそ「助け合い」の精神にあふれ、支え合いながら共に生活ができたのだと考えます。しかし、今の地域社会の状況で同じことが果たして出来るかというと、それは難しいのだろうと思います。
 同じ地域の住人の中に、経済格差・学歴格差などの様々な格差があり、支え合い・助け合いの形が崩れかけている地域もあるからです。
 このような問題だけが、地域社会を取り巻く問題だとは思いませんが、便利になると不便になることが思いのほか多くあるように感じました。


投稿者: 航 | 2010年01月04日 13:10

私の祖母は炭住に住み、筑豊地区の炭住の中にある大きな共同浴場の前で、美容院を営んでいました。
炭鉱自体は私の生まれるずっと前に閉山して、私は衰退した地元しか知らない世代ですが、祖母の仕事中に、美容院の中で繰り広げられる、炭鉱で栄えていた時の地元の話やつらい身の上相談などに耳を傾けていたものでした。
共同浴場も営業は続いており、「前の風呂に入ってきたからシャンプーはいらない。カットのみしてその分料金を安くして」という人も結構いました。浴場の前にはいつも誰かがいて、家からほぼ裸同然で出てきて、風呂桶に洗面道具を入れたまま1時間近く話し込んでいる風景がありました。
お互いの夕ご飯の献立も知り合う関係で、相互扶助も行われていましたが、裸電球しかない汲み取り式の共同便所に、視覚障害者が落ちて亡くなってしまうという事がおこってしまうような、生活環境としてそのままを良いものとは受け入れられない場所だと感じていました。
炭住の取り壊しが決定し、浴場も閉鎖され、市営の改良住宅にそれぞれ移動になって、移動先の鉄筋コンクリートの住宅の中で、自殺者が後を絶ちませんでした。
美容院の中で、先月もあそこの棟で亡くなったらしいよという話を聞くたびに、悲しくなりました。しかしながら、「炭住の生活の方が人とのつながりがあってよかった」という人達もいましたが、私は、どういう生活環境が良い環境なのかはわからないなと思っていました。
私は現在、実家暮らしで親のすねかじりですが、地元で一応賃金をもらい税金を納め、働いています。
職業がら『親の働く姿をみたことのない2世・3世』と言われる人達から、「改良住宅の家賃が高くなるから、働いたら損する」とか「生活保護がもらえなくなるから働かない方がよい」という言葉を聞く機会があるのですが、そのたびに心の中で、地元生活者としての「だから地元が他の地域から悪く言われる」といういら立ち。説明出来ない、虚無感。そして、「どうにかできないものだろうか」という気持ちが交錯し、宗澤先生の言われる『新たな就労や家族生活へのトータルな支援とセットにした自立支援策』の必要性を感じています。


投稿者: 100円坂 | 2011年07月11日 23:19

 私も、自立的な労働を促す公的な整備はなされるべきであると思います。
 芸能人の家族の受給問題以来、生活保護は世間でも大きく取り沙汰されていますが、この記事の炭鉱の例と、現代都市部で増えている受給者は似て非なるものではないでしょうか。
 現代においても、血眼で働き口を探していても見つからない、或いは極度の低賃金であるなどの問題はあると思いますし、この場合における生活保護の受給は決してその人が悪いという問題ではないと思います(一方で、芸能人家族はともかく、不正受給も少なからず存在するようですが)。しかし、この記事にあるような時代にはハローワークや職安が現代のように整備されているわけではなく、また、炭鉱という、身近な人間も同じ職業に就いている人が大半と思われる環境では、自力で職業を探すには困難が多すぎるのではないかと感じました。
 万人は最低限度の生活を送る権利の上で平等です。しかし、万人に同じ施策をあてはめることは求められている真の平等とは少し違うと思います。国が国民生活をもう少しミクロな視点で見ることで、本当の意味での平等に近づけるのではないかと考えます。


投稿者: 企鵝 | 2012年07月18日 00:56

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プロフィール
宗澤忠雄
(むねさわ ただお)
大阪府生まれ。現在、埼玉大学教育学部にて教鞭をとる。さいたま市障害者施策推進協議会会長等を務め、埼玉県内の市町村障害者計画・障害福祉計画の策定・管理等に取り組む。著書に、『医療福祉相談ガイド』(中央法規)、『成人期障害者の虐待または不適切な行為に関する実態調査報告』(やどかり出版)等。青年時代にキリスト教会のオルガン演奏者をつとめたこともある音楽通。特技は、料理。趣味は、ピアノ、写真、登山、バードウォッチング。

【宗澤忠雄さんご執筆の書籍が刊行されました】
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発行:中央法規
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