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和田行男の「婆さんとともに」

逆切れ

 世の中の出来事に関心を寄せていると「本末転倒」になっていることが多いことに気づくが、身近にもある。
 そのひとつが「婆さんへの暴力・暴言」が「婆さんの暴力・暴言」にすり替えられることだ。

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 先日こんなことがあった。
 婆さんが骨折の手術で入院することになったが、その婆さんには完全に付き添いしないと「何が起こってもおかしくない」状態なので、僕が一晩付き添った。
 部分麻酔で済むはずの手術だったが「部分麻酔では無理だと思います」と助言させてもらうと、全身麻酔をすることになったほど「何を起こしてもおかしくない」婆さんである。
 オペ後、病室に戻ってきたが、身体のあちこちに計測用の装置がくっつけられていた。
 計測用の装置も「必要なもの」と思えれば、また思い続けることができれば自分勝手に外したりはしないが、何のためにこんなことをされているかわからない婆さんにとっては「変な物が身体にくっついている」という極めてわかりやすい理由で外してしまう。
 外されると困る側にしてみれば「あなたのために必要なの!」となるが、それは困る側の理屈でしかない。

 そのうちこんなことが起こったのだ。
 夜中寝ている間に動くので、計測用の装置が外れた。そこに看護師が巡回にきた。看護師は婆さんに「装置をつけますよ」と言い終わるか否かのタイミングで婆さんの肌に触れたため、婆さんの逆鱗に触れ「なにするのよ」と足蹴りを喰らったのだ。
 想像してみてほしい。
 仰向けに寝ている婆さんが、聞き取りづらかったが何かしら強い口調でわめき散らし、そのままの姿勢で看護師に足蹴りをくらわしたのである。すさまじい光景だった。
 看護師はすかさず、付き添っていた僕に「この方は、いつも足で蹴るなど暴力行為がありますか」って聞いてきたので「嫌なことをされたから怒るのは当たり前ではないですか」とやんわり答えた。
 案の定、退院時に出された看護サマリーには「看護師に暴力・暴言あり」と書かれていた。
 きっとこの看護師だって、どんな理由があろうが寝ているときに身も知らない人に身体を触れられたら「なにするんですか?」って怒るはずで、そのときに逆に「あんた、何怒ってるんや」って触ってきた奴に言われたら、「逆切れされた」って触れまわることだろう。
 医療でも介護でも、認知症という状態にある人のおかれている状況は、認知症という状態にない者たちから逆切れされ「被害者が加害者にされている」のだ。
 これはれっきとした事件であり、事件だと気づける時代にしていかなければ、婆さんが浮かばれないばかりか、この国の「人権思想」が壊れてしまうだろう。
 しかもこうしたことを「認知症から暴力・暴言という症状が出ている=周辺症状がある=BPSD」なんて言っていることこそ、脳が壊れてない者による、脳が壊れている状態にある者への暴力・暴言であると知るべきである。


コメント


けしからん看護師さんですね。
でも「入院している、治療を受けている、という状態が理解・記憶できない=中核症状」、「突然触られたので蹴った=状況を理解できていない状態で不適切な看護を受けたことにより出現してしまった周辺症状」、という説明のしかたでも問題ないような気もするのですが、いかでしょう?認知症ではない患者さん(状況が理解できている)に同じような接し方をして蹴られたことがある看護師さんならまた話は別ですが。
「中核症状」「周辺症状」の関係は、適切なケアをしたり、適切な環境を整えたり、認知症だからといって隔離したり特別扱いせずなるべく本人のしてきた生活を続けてもらえるよう支援したりすることによって、そんな状態にならずにすむようにしましょう、とケアの意味を説明する上でとても分かりやすいと思います。


投稿者: たろ | 2012年05月30日 12:55

日頃、ひやりはっと報告書等の事故が起こった要因を書くときに「暴力」「暴言」「徘徊」「異食」などの言葉は使いたく無いのでBPSD進行による~とあらわしているのですが……
それって良くない使い方だったのでしょうか?m(__)m
もちろん、事故のおこる要因は、それだけでは無く、携わる側の関わり方によっても改善されることも対策として考えるのですが…


投稿者: moto | 2012年05月31日 18:59

和田さん。僕の母が15年前脳いっ血で救急搬送されたと連絡が入り、夜病院へ駆けつけたところ意識不明の母が両手を縛られていました。点滴など意識ない中でとってしまうので縛られたようです。主治医からは「助かる可能性は少ないです」と言われました。病室へ行くと看護師が意識のない母に向かって「とっちゃだめでしょう。もうやんなっちゃう!」と大きな声で叫んでいました。その看護師は点滴を続けることがその時の重要な仕事だったとは理解できます。でも僕の大事な母親に向かって罵声のような声を上げているその光景は今も脳裏に焼き付いています。このことがきっかけで今も介護の世界で頑張っています。


投稿者: 藤本ユタJI | 2012年06月02日 10:25

たろさんへ

 中核症状から派生する様々な事柄は、症状ではなく、症状からくる「不適応」ではないでしょうか。
 虫歯菌が付着し「歯を変えてしまう」のが中核症状なら、それによって食べられなくなるのは「症状」ではなく、歯の状態と食べるものが合っていない「不適応」で「食べられなくて当たり前」と考えることのほうが自然です。
 ずっとこのことを投げかけていますが、問題行動から行動障害へ呼び名が変わっただけで、本質的なとらえ方は「症状」。
 症状になると「治療をする」という行為が合法化されますが、不適応というとらえ方になると医療は手を出せなくなります。そこがポイントですね。
 そのうち、このことに大々的に触れたいと思います。
 さらに考えてみてください。お待ちしております。


投稿者: わだゆきお | 2012年06月05日 10:27

私自身 脳出血で倒れた母を 入院 老健でお世話になっています。感じたことは 病院も老健もナースは忙しい事。 患者サイドとしては 不満を感じる事もありますが、家族の支えも必要かと 約一年間は毎日通いました。?と思える看護師もいらっしゃいますが大きな母体であれば 日々迷いの中で働いている ナース 医師もおられるかと感じます。家族も共にに苦しまなければ 患者ご本人の小さくても 幸せには繋がりません。


投稿者: マメ | 2012年06月06日 21:29

ありがとうございます。
プロの介護職による不適切なケアのために出た周辺症状を医療で抑える、という発想は全くありませんでした。介護のレベルを上げる努力をすべき。なるほど、「症状」と言った瞬間に不必要な医療が介入する余地ができてしまうんですね。納得です。

ただ家族介護の場合にはたとえ「不適応」の場合でも医療の力を借りた方がよいと思われる場面が見受けられますが、そのあたりはわださんはどうお考えでしょうか?


投稿者: たろ | 2012年06月07日 23:59

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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