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和田行男の「婆さんとともに」

缶コーヒー3種

 ふとした時に、相手に伝えたいことをさらりと行動で見せてくれる意外な人の意外な行動に出会い、思わず「ほらね」って相手に駄目押しをすることがある。とてもわかりやすいたとえとなる行動に出会ったときだ。

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 僕は「選択権が行使できる環境」にとてもこだわっており、その具体として「何を食べますか」「何を飲みますか」「どの服にしますか」「どの活動にしますか」「どっちにしますか」など、選択肢のある環境づくりに力を注いできた。
 逆にいえば、食べるものに選択肢がない・自分の意思を反映できない、過ごし方に選択肢がない・自分の意思を反映できない介護事業所の現状に対して「おかしいのではないか」と問題を投げ続けてきた。
 それほど「選択」にこだわっているのだが、その理由は言うまでもなく「自分の意思を行動に移す=自己実現」が僕らが生きることの基本(尊厳)だからであり、「奴隷的拘束を受けない=選択権行使のはく奪を受けない」がこの国の法と法の精神(尊厳)であり、それを護ってもらいたいし護りたいからである。
 とまあ、そんなことを研修会などで話すが「そうは言ってもねエ」的な受け止め方や「何を言っているんだろう」的な受け止め方をされるためか、「選択肢のある環境・選択権が保障された環境」をもつ介護事業所は思ったほど広まらない。
 そんな思いをいつも抱いているのだが、つい先日、ある研修会の会場となった老人保健施設におじゃましたときに「わかりやすい」と思える光景に出会った。

 施設長室に案内され、ひととおり名刺交換などが終わりひと休みしていると、その老人保健施設で勤めている知人が「珈琲を飲みますか」と声をかけてくれたので「いただきます」と答え待っていると、作ってくれた珈琲とともに缶コーヒー3本が届けられた。
 「これさっき名刺交換していただいた常務理事からです。和田さんの好みがわからないので、ここの自動販売機に備えているありったけを用意したそうです。お好きなのをどうぞ」と3種類のコーヒーをもってきてくれたのだ。よく見ると確かに「BLACK」「VINTAGE」「無糖」とラベルが違っている。
 僕が思わず笑いながら「常務理事が一番わかっている実践者やね」って知人に言うと、知人も察したようで苦笑いしていた。
 「ちゃんと僕に選択肢を出して僕の選択権を保障してくれているやん。ステキな見本がいるやん」
 その常務理事という人がどういう人なのかは全く知らない。でも「介護の現場のたたき上げ」とか「ケア論を熱く語るような人」には見えなかった(身なりや肩書に惑わされてすみません)が、きっと「ふつうの感覚」で「和田が珈琲が欲しいという事はわかったが、どんな珈琲が好みかわからないので、ありったけの種類を買っていこう」となったのではないかと思う。

 よく考えると、普段の生活の中ではこんなことは「当たり前のこと=ふつうにあること=特別なことではない」はずであるのに、介護事業所で従事する職員たちは「選択肢を出さない」「選択権が行使できない」という状況下に婆さんを平気で置いてしまうのだ。しかも問題は、そのことに疑問さえもたないことである。
 1種類の飲み物、例えばお茶を一方的に提供して「飲むか・飲まないかの選択権は行使できる」という環境はどこの介護事業所にもあるが、「日本茶・紅茶・珈琲・ジュース」といったように選択肢があり、「お茶にしますか、紅茶にしますか、珈琲にしますか、ジュースにしますか」「温かいのにしますか、冷たいのにしますか」と「みなさんが生きることの主役なんだから選択権を行使して自己実現していいんですよ」と言わんばかりに専門職が婆さんに声かけしている介護事業所がどれほどあるだろうか。
 ともすると現場の人は、「理事など役員は現場のことがわかっていない」なんて思ったり言ったりしがちだが、相手が理事であろうが学者であろうがジャーナリストであろうが小学生であろうが「そりゃそうだ」と思わされることはあり、「そりゃそうだ」と思えたときに思えたことから修正にとりかかる(隣の同僚に喋ることからシステムを変えることまで)ことが大切なのではないか。
 案外身近に「そりゃそうだと思える材料はある」のに気づけなかったりするが、勿体ない限りだ。常に生きている環境の中に材料は転がっており、それをつかみとれるかどうか・つかみとったものを形にしていけるかどうかである。
 ステキなことを感じさせてくれた常務理事にお礼を言ってこなかったが、和田に缶コーヒー3種類用意した理由をそのまんま職員たちに伝えて欲しいものである。そうすれば口にしなかった缶コーヒーも報われるだろう(常務理事さん、よろしく)。
 ちなみに口にしなかったのは缶コーヒーは嫌いだからだが、「缶コーヒーを飲まれますか」って聞いていただけたらなお良かったかなと。ハハハ。申し訳ない。

追伸
 体調が芳しくなく咳込みで集中しきれず何にも頭に浮かんできませんでした。遅くなってすみません。いい材料を提供してくださった常務理事さん、ありがとうございました。ちなみに人生初体験の「花粉症」かな???


コメント


 選択肢という部分で私が介護施設に入所することになったら難しい事解らないので、それぞれの施設が自社のモットーを掲げる様な仕組みだったらいいのにな。
 例えば、とにかくのんびりだらだら余生を送りたい方どうぞ!とか、人生最後の最後まで熱く頑張りたい方とか、極端な話ですが、この先短命になっても好き勝手が一番!みたいに。
 絶対自分の好きなように過ごしたい。生き死にも出来る範囲自分の思う様に決めたい。口から食べれなくなったら、もう良い、点滴も経管栄養なんてしてくれるな!と、子供には臓器提供意思表示カードと一緒に自分の意思を遺言に残しておこうと思ってます!。 臓器移植出来る状態になるより、認知症になってる確率のほうが断然高いよな なんて、最近よく思ったりしてまして…。自分が訳解らなくなる前に、しっかり自分の意思を家族に伝え、家族にもその意思をしっかり守る強さと勇気を持って貰いたいと願っています。そういう家族の絆の為の時間大事にしたいな。じゃないと自分の好きなようにしめくくれないよね。


投稿者: 自分 勝手子 | 2011年02月25日 02:05

 うちのディサービスは、3時のおやつの時間に、飲み物の選択権があります。
 緑茶、ココア、コーヒー、こぶ茶、紅茶・・と5種類の中から、ご利用者さん達に聞いて回ります。
 そうした日常が、最近崩れてきたのは、先月、糖尿病のご利用者が来所するようになってからです。
 その方、Nさんには、本人がココアやコーヒーを希望しても、緑茶しかお出ししておりません。
 その背景には、家族の方の要望もあると思うのですが・・・本人がココアを希望して、緑茶が来たのでは、怒るの当然です。
 Nさんが怒る事が何回かありまして・・・。
 そうしたら、職場の上司は、Nさんには、その5種類の飲料の選択を聞かないで、黙って緑茶を出す様にして・・・と言いました。
 選択肢があって、それを提供しているのに、Nさんには、聞かないでいいというのは、不公平な話だと思いました。
 Nさんは、飲みたいそのココアを、そのコーヒーを我慢して、果たして、どれ位長生き出来るんだろう・・・
 「選択権が行使出来る環境」・・・それが理想です。私自身が高齢者になった時に、そういう環境の中で暮らしたい・・そう思います。
 現在、選択権を奪って介護している人達は、将来自分がその立場になった時に、どう感じるのでしょうか。


投稿者: あおちゃん | 2011年02月28日 22:42

 好きなものを食べ好きな事をしてコロッと逝けたらいいなと私も思うけど、コロっとの前に病気になって苦しみたいとは思わないので、わかっていれば自分でそれを避けるための選択はするかも。
 こっちを食べたいと思っても、ダイエット中なら今はがまんしてこっちにしようとか、腹具合が悪いから今日は刺激物はやめておこうとか、私は意志が弱いのでころころ変るけどそれも知った上で、先のことも考え選択できる力を私達は持っているのかなと思います。
 その力を部分的に失っている人(5分前に食べた事を忘れてしまうとか)もいるので、一概に全員に同じタイミングで同じ選択肢を提供したり、単に選択の数が多いことだけがいいとは思えないのですが。
 なるべく他人に管理されていると感じないようにしてあげたいし、自己管理を含めた自己選択することを助けるように・・・と捉えると創意工夫がいろいろ浮かぶこともあります。

 以前ヘルパーをしていたころ。糖尿病で食事の管理を徹底されている寝たきりの人のサービスに、数人のヘルパーが交代で入っていました。ある時ひとりのヘルパーが「実は、本人に頼まれて・・・」と会社にも責任者にも絶対に内緒で、と口止めされた上、押入れに隠してあるかりんとうを出してくれと言われ、断れずに出してしまったと。
 あとでわかったけど、他にも毎回同じことをして言えずに悩んでいたまじめなヘルパーが数人いたことが判明。結局支援として、「かりんとうを出してくれそうなヘルパーを選んで、こっそり食べる本人の楽しみを残しつつ、家族が食事で調整する」ことになりました。
 食べたいものを食べるために人を選択する力はすごいなと思いながら、私には一度もかりんとう話をくれなかったことにショックを受けた一件でした!


投稿者: こま | 2011年03月02日 21:43

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プロフィール
和田 行男
(わだ ゆきお)
高知県生まれ。1987年、国鉄の電車修理工から福祉の世界へ大転身。特別養護老人ホームなどを経験したのち99年、東京都で初めてとなる「グループホームこもれび」の施設長に。現在は大起エンゼルヘルプでグループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームなどを統括。2003年に書き下ろした『大逆転の痴呆ケア』(中央法規)が大ブレイクした。

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