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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

精神病者は怖いか?

 ぼくは今までに、少なくとも3度、明確に人を殺したいと思ったことがある。
 1度目は母。長い子ども時代からの葛藤の末だ。病者の殺人には尊属殺人が実に多い。身近で親身な人にこそ妄想的になるからだ。ぼくの殺意は長期間続いた。30歳くらいまで続いたと思う。
 2度目は、死刑廃止運動をしていた時のリーダーだ。あまりに強権的なリーダーのやり方がプレッシャーで、妊娠していた波津子が流産しかかったので、リーダーに「流産したらお前を殺す」と言った。この時は直接刺すことは難しいから、灯油を相手の家に撒いて焼き殺そうと思った。ぼくが犯罪者として収監されなくて済んだのは、未熟児でも無事に産まれた息子のおかげだった。

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 3度目は最近で、義孫が家に泊まりにきた時、その暴れっぷりにぼくがキレて、確固とした殺人願望が起こった。実行してしまいそうで怖くなり、精神科病院に電話して、当直の医師に「一晩入院させてください」と言った。先生からは「今からでは入院の準備ができないから、一つ屋根の下に寝ないようにすればいい」というアドバイスを受け、夜中作業所に行っていすで寝た。次の日、無事に義孫は帰った。
 殺意を抱いた時に殺人を犯すか犯さないか、どっちに転ぶかは、ホントに偶然の重なりで、殺人を犯した人の影には何百人、何千人の殺人未遂者、傷害事件の犯人がいると思う。それが平凡な日常生活の延長上に起こっている。ぼくにはそばに波津子がいたが、孤立は実行を後押ししてしまうと思う。それほど人間は、孤立すると弱い。

 「精神病者は怖い」。その通りかもしれない。健常者と同じくらいに。暴力は野蛮で憎むべき悪だ。思いやりを欠いた自己中心性や獣のような凶暴性はぼくの中にもある。
 映画評論家の淀川長治は「生涯一人も嫌いな人に出会ったことがない」と言っていた。彼のような人なら、精神病者が近所に住んでいてもたぶん全然気にしないで、病者だからといって排除しようすることはないと思う。
 しかし「病者の施設建設反対!」を声高に叫ぶ人、「病者が近所に住んでいては枕を高くして眠れない」「触法障害者施設に閉じ込めておけば安心だ」と言う人は多い。「いつまでも入院していてほしい」と言う身内もいる。
 彼ら彼女らは、一度も「人を殺したい」と煮詰まったことのないほど善良なのだろうか? そういう人だって、家族や兄弟に暴力を振るったり、犯罪に至らなかったりという経験は多分あると思う。ただ偶然が重なり、運が良くて犯罪者にならなかっただけではないのだろうか?
 自分の中にも殺人衝動があるからこそ、病者の殺人、傷害のニュースに触れて、自分との境界線を明確に引いて敏感に反応し、自分の暴力衝動を病者に投影するのではないのだろうか? 自分のことを棚に上げ、平気で声高に病者排除を主張することは健常者の傲慢だと思う。病者になる可能性が0%の人はいない。

 「殺人衝動」と「実行する」ことは、当事者にとっては地続きではあるが、客観的な結果はまったく違うということを、暴力衝動を感じている「病者の自覚のない」病者にもわかってほしいとは思う。どれほど有効かは疑問ではあるが、想像力の問題だ。殴ると相手は痛い、自分の拳だって痛い。物事の最終的な解決方法をすぐ暴力に求めないこと。トラブル解決のためにこそ言葉があるということだ。
 しかし、暴力衝動が煮詰まった時に、人間誰しも、暴力を自分の理性でコントロールできるほど強くはないし、病者の急性期にはその理性が喪失(どんな重度の急性期でも理性がまったくなくなることはないが)している。夢の中で酔っぱらっているような状態だ。とくにニュースでの犯罪報道では、未治療の病者が結構多い。
 ギラギラと澄んだ目をして包丁で刺した瞬間に、「人間の骨は意外に固い」とかいう現実との軋轢に、ふと我に戻ることがあるだろうと思う。限りなくゼロに近かった理性が、ひょっこり戻る時があると思う。流れ出る血や逮捕などの現実でも、理性は戻るだろう。でもその後また、心神喪失の海に戻るかもしれない。初犯の人は夢中になってしまって過剰な暴力をふるい、刑罰の軽重を考慮して半殺しで止めておくというヤクザのようなことができず、相手の息の根を止めてしまうこともある。こういうぼくの加害者との同一視は、ぼくの子どもの頃のトラウマ体験と関係があると思う。

 殺人傷害事件だって、加害者の身近に愛してくれる人、または何でも話せる人がいれば、あるいは偶然の連鎖をどこかで断ち切って、事件に至ることはストップできるのではないだろうか? そういうラッキーな出会いが、友人や身近な人に、あるいは福祉の関係機関にあれば、事件は未然に防ぐことができるかもしれない。しかし、膨れ上がった主観の中で、援助の手を自ら断ち切ってしまう場合も多いだろう。あるいは小さな暴力の段階で警察などの介入により、強制入院になることもある。
 おそらく、一般人が一生のうちに一度でも、身近で触法障害者に出会うよりも、交通人身事故に遭う確率のほうが高いだろう。親戚に一人くらい精神を病んで自殺した、という人に出会うことのほうがはるかに多いだろう。病者の加害性なんてそれぐらいの確率だ。年間3万人以上の自殺者対策予算に比べ、池田小事件以来、触法障害者対策に多くの予算が使われているが、差別意識による不安を背景に、予算配分が間違ってないだろうか?


コメント


身体障害ならまだしもと思いますが、精神病者だって働かないのに優遇されてるんじゃないでしょうか。これ以上精神病者を甘やかしたら、国が破綻してしまいますよ。


投稿者: Anonymous | 2012年01月18日 13:59

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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