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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」 2009年07月

主治医LOVE

 仕事柄、患者さんに付き添って診察室に入ることがある。「作業所の責任者です」と言って名刺を出したりすれば、その場で意見を差し挟んだりすることができる。
 昔、ぼくが一病者だったときに、ある患者さんの友人として付き添って、診察に行ったことがあるけれど、診察室には入れてくれなかった。その時の悔しい思いが「肩書きさえあれば、無視されないのに!」と、精神保健福祉士(PSW)の資格を取る原動力になった。
 資格を取った前後に作業所をNPO法人化して、理事長になった。これで医者も無視できなくなって、まともに相手をしてくれるようになった。



ひきこもりだった僕から(part3)

 ひきこもりの定義について、ぼくは「閉じこもってそれが自分で苦しいこと」「経済生活がないことではないこと」「現在、『怒り』と『恐怖』が表裏一体となって身動きできないまま硬直していること」「コミュニケーションが伝わらないことについて徹底して絶望していて、『声を出すこと』にものすごい屈辱があること」ではないかと考えているが、伝えることに絶望した鬱憤は、「うるさい!」などの貧し過ぎる言葉となって表面化し、周囲との関係をさらに悪化させる。「声が聞こえていない」という煩悶は、親サイドにも当事者サイドにも、苦痛の核心に位置している。



ひきこもりだった僕から(part2)

 上山和樹氏の『「ひきこもり」だった僕から』によると、著者は中3から不登校となり、高校中退、フリースクールに通っていた。「強制されてやらされている」ことに十代半ばで気づいてから「ヤリタイコト」を必死で探したが、自らの強い性欲に途方に暮れるだけで、あとは底なしの空虚。「天職」を探しても「これだ、このために生まれてきた」と思える対象に、どうしても出会えない。生きていく自信の基盤がないので、息つく暇もなく探求した。何の意味付けも保障もない時間と場所に、一個の肉塊として、狂いたくなるほど放置されていた。



ひきこもりだった僕から(part1)

 『「ひきこもり」だった僕から』(上山和樹著、講談社)を読んだ。
 「まず、「与えられた自分」を「自分で選び取った自分」に転化させようとして失敗し、途方に暮れてしまったのが、あの状態(ひきこもり)だった…。」というのが、最初の書き出しだ。



治療的「暴力」抑制論

 2005年に医療観察法が施行された。同年『医療者のための包括的暴力防止プログラム』(医学書院)も出版されている。患者の暴力に焦点が当てられた影響だろうか、権威のある精神科医の中井久夫氏が、『こんなとき私はどうしてきたか』(医学書院)のなかでも「患者の『暴力』をタブーにしてはいけない」と述べている。



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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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