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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

孤独を生ききるpart1

 昨年のぼくはしょっちゅうひどい孤独に襲われていたと思う。孤独が感情の中で一番辛いと昔から思ってきた。心の傷の後遺症もツラいが、傷が癒されてもなお最後に残るものは、深い孤独に違いないだろう。不安が一番辛いと言う人もいるけれど、孤独の結果かもしれないと思う。

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 若い頃、孤独が原因で統合失調症を発病した。しかしいま孤独のストレスにさらされても、統合失調症が再発することはまずない。若いときのような絶対零度の孤独(神戸連続児童殺傷事件の犯人の言葉)に陥ることはないし、病気も晩年寛解して、自己の壁が強くなったせいではなかろうかと思っている。昔は寂しさのあまり他人と交わりたいと、自己の壁が容易に溶け出して、他人から出る雰囲気などから直接、幻聴などが聞こえていたのだと思う。
 さて40年近く前の大学浪人時代を思い出す……。はじめて家を離れて東京でのひとり暮らしは、友人も居場所もなく、毎日が寂しくてたまらなかった。
 高校時代には必死で勉強をして、燃え尽きてしまい、自殺まで考えた。思いとどまったけれど、「医学部に行って勉強して社会に役立つ人間になろう」などということは、「もはやばからしい」と考えて、将来に何の希望を持っていなかった。
 もうひとつ大きな事件は、高校時代に女性の裸で自慰をしていたにもかかわらず、同級生の男の子を好きになったことだ。結局彼から激しく嫌われて、友人の少なかったぼくはとても寂しく孤独だった。そして「自分はゲイではないのか?」と大きな悩みを抱えた。結局たぶん、「バイセクシュアルだったんだ!」ということなのだが、当時は「結婚して家庭をもって」などという、自分の将来の生活の展望は閉じられていると感じていた。さらに後になって、受け身のマゾであるとも自覚するまで、セクシュアリティーの悩みは、ずっと続いた。

 そんな当時のぼくが東京に出て、ひとりぼっちで住むのだから、孤立して孤独にならない訳がない。ストレスで黒い便が出る日々が続いて、ある日倒れた。十二指腸潰瘍だった。搬送され入院した個人病院の息子さんがぼくの高校の先輩で、医学部に入って学生運動をしていた。当時のぼくは学生運動にいきなり飛び込むことはできなかったけれど、とても興味を持っていた。それで先輩の話を聞きたくて、退院してから、足しげく通った。話を聞いているときには、寂しさも忘れられた。
 ところがあんまり足しげく通って行くので、ある日先輩から「おまえはホモか」と言われた。衝撃だった。寂しくてボロボロと涙を流しながら下宿まで帰ったのを覚えている。それっきり先輩を訪ねることはなかった。毎日のように、ひとりっきりで孤立している寂しさを感じていた。

 ぼくには人間関係に対する基本的な未熟さがあった。相手にしてくれる人には、とことんつきまとった。元をただせば、虐待された生い立ちによって、精神年齢の発達が遅れていて、そういう人間関係しか築けなかったのかもしれない。
 一浪したぼくは医学部に入学するのだが、その深い孤独の反動として、2年目に統合失調症を発病することになった。

(part2へ続く)


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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