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秋山映美の「監獄から社会へ」

ボルネオ島に行ってきました

 ボルネオ島の北部、マレーシアサラワク州 に行ってきました。
 先住民族のイバンの人たちの村を訪ねたのです。
 
 先住民族の人たちは、もともと森の中を移動しながら、その都度住む家を建てて生活をしていました。しかし、今は生活スタイルも様々で、一定期間が過ぎると別の場所にある家に移動する半定住の暮らしをしている人たちや、一カ所にロングハウスを建てて、周囲で伝統的な焼畑農業をやっている人たちがいます。
 村も昔は川沿いにあり、住民はボートで移動していたのですが、1980年代から熱帯の森が次々と伐採され、木材を運ぶために道路が建設されたため、道路沿いにもたくさんの村ができました。

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 私が泊めてもらった村は川沿いにあり、その村までは、10人ほどしか乗れないロングボートで行きました。
 その村では、17世帯が集まって一つのロングハウス(長屋)を建て、約100人が暮らしていました。世帯が増えるとどんどん部屋を作り足していくため、まだ天井や壁が完成していない家も見かけました。
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泊めてもらったロングハウス

 この村には、自家発電の装置があり、テレビなどもありました。新しいものを取り入れつつも、昔ながらの焼畑で米や野菜を育て、森からも恵みをいただいて生活しているのです。
 畑は焼畑で、自分たちが食べる野菜や米と、現金収入になるこしょうなどを育てていました。数年ごとに場所を変えるので、一年前まで農地として使っていた場所には草が生え、もっと以前に農地にしていた場所には大きな木が茂っていました。
 このような伝統的な農業の形態は、土地を疲弊させることなく、熱帯の地に適した農法なのでしょう。どのように使えば自分たちの土地を守ることができるのか良く知っているのです。

 お米の主食にたっぷりの野菜、鶏肉・豚肉などの料理は大変おいしく、「マカイ、マカイ(食べなさい、食べなさい)」とたくさんすすめられました。
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村でいただいた食事

 船で30分ほど川を上り、みんなで利用している森も案内してもらいました。食べられる植物や水が出る木、出汁になる木など、村の人々がこの森から必要な恵みだけをいただいて暮らしていることがわかりました。

 実は、マレーシアは日本と密接な関係があります。私が今回行ったサラワク州の最大の輸出相手国は日本で、木材のほか天然ガスなどもマレーシアから日本へ輸出されています。
 日本は、1960年代にはフィリピンから、70年代にはインドネシア、80年代にはマレーシアからと、東南アジアの国々から熱帯材を次々と輸入しているのです。

 さらに、第二次世界大戦中、日本軍はマレーシアを占領して太平洋戦争を始めたのです。
「UKOM JUPEN」-イバン語でもともとは「日本軍の占領下に行われた拷問」という意味ですが、現在は「おしおきをする」というような意味に使われているそうです。JUPENとは日本という意味です。これを聞いただけで、日本の占領政策がどんなに酷かったのかがうかがい知れます。
 こんな単語一つからでも、日本とサラワクの関係をあらためて考えさせられました。


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プロフィール
秋山 映美
(あきやま えみ)
NPO法人監獄人権センター
理事
明治大学大学院法学研究科修士課程を修了。明治大学法学部在学中から、監獄人権センターにボランティアとして参加。受刑者や家族などから届く、月200件にものぼる相談の手紙にボランティアと協力して対応したり、受刑者の現状を世に訴えたりなど、刑事施設内にいる受刑者の人権に関わる活動を続けている。
監獄人権センターHP
 http://cpr.jca.apc.org/
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