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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

子ども虐待について(part1)

 障害者の人権や女性の人権状況もひどいが、今世の中でもっともないがしろにされているのが、子どもの人権だと思う。なぜかというと、子どもは自分に人権があることすら知らない、幼く無防備で親から逃れることもできない状態だからだ。加害者である親は隠そうとするし、事態を知りえてかかわっている専門家だけが、わずかに被虐待児の弁護士でありうる可能性がある。

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 多くの知的や精神の障害をもった人は、虐待やいじめを受けて育ったために十分大人として成熟していないことも多く、親になったときに子どもを虐待したりいじめたりすることがある。もちろん成熟していない健常者の親でも、「しつけ」と信じてDVや虐待をすることもよくあるのだろう。多くの親は、大人としてのコミュニケーションの能力や、信じたり、逆にあきらめたりする能力が発達していないため、子どもという圧倒的弱者を前に、暴言・暴力に走るのかもしれない。「言ってわからないなら、ゲンコツでわからせてやる」という気の短さだ。
 例えば、いろいろな依存症を抱えた父親などもそんな感じがする。病者の父親も多いかもしれない。病者が結婚し子どもをもつという喜ばしい傾向(病者はお薬を常用しているために、子どもをもつこと自体、あきらめているカップルも多いのだが)の影では、こういうことになるかもしれないということだ。しかし『子どものトラウマ』(西澤哲著、講談社現代新書)という本によると、虐待傾向のある親の精神疾患の割合は10%だそうだ。意外と少ない印象だ。精神病者も含め子どもをもつ親は、子どもを預けられ頼れる人がいるならば、限界を感じる前に躊躇なく預けてほしい。3歳までの子育てが「実の母親でなくっちゃダメだ」というのは全然ないだろうと思うから。

 ぼくの子育ては、実は息子が幼稚園に入るまでは頻繁に叩いていた。いくらあやしても子どもが泣き止まず、「そんなにぼくが嫌いなのか!」とキレたこともある。幼稚園の先生から「子どもを叩いていませんか? 息子さんがお友達を叩いて仲間に入らなくて困っています」と言われ、ぼくは「はっ!」として、ぴたりと叩くのをやめた。子どもは親のまねをして育っていた。
 息子を叩いていたのは、いくら言ってもまったく言うことを聞かず、ぼくのプライドが傷ついたのが理由だった。大人の側の個人的理由だった。たいていの親も、子どもを虐待する心理は、自分の思い通りにならないプライドの傷つき、大人の側の弱さではなかろうか?
 もし本当に「しつけ」ようと思ったなら、やさしく言葉で諭すべきだろう。それがキレて子どもに対する暴力や怒りの言葉になるのは、「子どもが自分の思い通りにならない」という親の側のプライドの傷つきであり、そこに思いやりなどまったくないだろう。

 ここまでは主に父親のことを書いたが、母親側の問題もある。自分の知的、発達(特に今まで、発達障害の大人は告知されず、ほとんど問題にならなかった)、精神などの障害がもとで、母親自身がパニックとなって体罰、暴言になったり、逆にビール片手に家事を放棄してネグレクトになったりすることがあるのだろう。あるいは、虐待されて育った関係以外の親子関係を知らず、夫からDVを受け、夫が振るう子ども虐待から子どもを守れない。あるいは、性的虐待を受けて育った女性が、大人になってから「女の子だけはほしくない」という声を耳にする。彼女が娘をもったら、ネグレクトするのだろうか? そういえば、菅野美穂が演じた自立した女性弁護士が、娘をネグレクトする「わたしたちの教科書」というテレビドラマがあった。いくら無視されても、必死に菅野美穂を求める子どもが痛ましかった。
 ぼくも、中学校になって性の奔出が始まった頃からヌード写真を集めたり、エッチな絵を描いたりしていた。母親はそれらを見つけるとこっぴどく叱った。前にも書いたが、初めて夢精したパンツが恥ずかしかったので、洗濯物の一番下に入れておいたのだが、母親はそれを見つけ、「これは何!」と精液のついたパンツをもってきてぼくに見せつけたりした。過干渉から羞恥攻めの果てに「ぼくを大人にしたくないのだ」「いつまでも側に置いておきたいのだ」という母親の意図を理解した。ぼくは母の恋人代わりで、父の悪口をよく聞かされた。父は社会的にとても尊敬されている人なのだが。

 先ほどの「しつけ」として暴力を振るう親のほかにも、子どもへの理想や依存度が高く、「子どもが自分を困らせる」という被害者意識をもって叩く親も多いのだろう。あるいは世間では立派な人、頼りにされる普通の人で通っていても、外で受けた怒りを外で発散できないから、主張すべき相手に主張できずにその傷を抑圧して、安全な家族や子どもに暴力を振るうのだろう。
 父親も母親も両方が虐待するというのはあまり聞かず、どちらかが虐待すると、どちらかが見て見ぬ振りをする、という存在感のないパートナーのタイプも多い気がする。
                                (part2に続く)


コメント


 「子どもは自分に人権があることすら知らない」・・・全くその通りだと思う。
 施設などでは、子どもの人権を守る為に、「こどもの権利ノート」が活用されていると、教科書や文献などに書かれているけれども、いつも不思議に思うのは、なぜ、一般の学校ではそういう資料を渡したりや知識を子供達に授けたりしないのだろうかということである。
 義務教育では、子供達に「こころのノート」なるものを渡していい子でありなさいと教育するけれど、そうなれなかった子、枠に入れない子へのフォローはない(そういう風に感じるだけかもしれないけれど)し、なんか、一方的で、子どもの「意見表明権」は保障されてない感じがする。


投稿者: たんぽぽ | 2010年07月28日 09:33

 施設で配るとしたら、1日中過ごさなければならない、という理由があるのかもです。
 家庭で虐待があるとすれば、幼児期が一番多いと思うのですが、その頃は保育園やかつぎこまれた病院で、アザや怪我で、疑いが出てくるのですが、ネグレクトや性的虐待は外傷がないので、なかなか外の人が発見しにくいと思います。
 さて秋葉原の公判のニュースを見ていて、この子は母親の虐待で大幅に発達がおくれ、とくに人生を左右するだろう、前思春期(中学頃)不幸だったとつくづく思います。


投稿者: 佐野 | 2010年07月30日 20:42

 最近、新聞やテレビで幼児への虐待で餓死や暴行でなくなるニュースが、報じられ、胸が苦しくなります。
 仮に亡くならなかったにしても、重大な発達への影響を生じ秋葉原のような事件に発展するのであれば、あるいは、同じように、虐待されて育った子が今度はわが子を虐待するほうに回るのであれば、とても複雑でやるせない気持ちになります。今は、いろいろな物が便利になったけれど、とても住みにくい世の中になったなあと感じます。


投稿者: たんぽぽ | 2010年08月01日 00:07

 こころの傷が原因で、恐怖虚脱に対抗するため、ひきこもり、強迫、解離、自傷、依存、退行、過剰な信仰などで、即効的に自分を救う。次の怒りの段階で、悪夢や騒ぎ(事件など)を起こす。次にうらみ、くやしさ、葛藤、苦悩を経て、それに耐え抜いた人は芯の強い人間になる。と主治医は言っていました。


投稿者: 佐野 | 2010年08月02日 17:49

 若い親の虐待が目立っているように思います。
 子どもは本当に欲しくなってから作り、避妊教育を中学高校で、徹底させるべきと思います。


投稿者: 佐野 | 2010年08月04日 18:42

 難しいテーマですが、じっくり関わっていきたいです。でも、結局、自分自身の日常生活で追われて、資格はもっていても、それをいかせる場所もなく、ましてや、相談業務の経験を重ねられるチャンスもないまま、ペーパーのソーシャルワーカーになりつつある自分自身にジレンマが起きています。
 でも、大学の先生がいっていたけれど、自己開拓も出来なければ、所詮、ソーシャルワークなど難しいと・・・確かにそう思います。地道にがんばるのみかな・・・。いつか誰かの役にでも立てればいいなと思います。
 でも、生活費も稼がないといけないし、方向性の違う仕事でもがんばって働いて、家庭を支えないと・・です。ボランティアが出来ればいいのかもしれないけれど、自分にはそんな余裕も資金もないし・・・なんか愚痴っぽくなって話題もそれて、ごめんなさい。


投稿者: たんぽぽ | 2010年08月08日 23:17

 町田先生というカウンセラーから、「自分を相対化できれば、君もカウンセラーになれる」って言われたことあります。


投稿者: 佐野 | 2010年08月09日 19:15

 「自分を相対化」・・・なんだかとても難しそうですね。うまくいえないけれど、私はどうしたらいいのだろうと思います。
 困っている人に対して何かお手伝いが出来ないかと考える自分と、楽をしたい自分、良き妻であり、母でありたいと思う自分、一人勝手に自由に生きたい自分、いろんな自分があって、全部は選べないのに、・・・せっかく学んだ知識や技術、どこかで活かすべきではないかと考えたり、活かすほどの事は身についていないのに、大それたことを考えているなと思う自分もあるし、でも本当、先が見えない不安があります。一年後が想像できないですね。・・・
 でも、いつか誰もが気軽に訪れられる総合相談窓口作りたい。虐待する人もされる人もつらい。もっと追い詰められなくてすむ社会にしたいし、そういう仕事につきたい。きっと昔、主人で悩んでいるとき、専門家と言われる相談員に、こちらが望んでいない方向(離婚)へ導こうとされたり、主人を治療出来たらと考えてるのに、そんなの大変で、あなたが背負う必要はないと軽く言われたり、大事な人だからこそ、一生懸命になるのに、自分を大切にしなさい、子どもを大切にしなさいといわれ、もっともなことだけを、とても、乾いた表現でされた支援が多かったからだと思います。
 虐待のニュースを聞くと、いろんなことが想像されて、つらくなります。私も追い詰められた経験があるからか、虐待したくなる気持ちも理解できるような気がします。どちらもお互い苦しいです。・・・
 駄目ですね、話があちこちにとんでなに言ってるか分からなくなります。最近、ちょっとくたびれてるからかもしれません。すみませんでした。いつも、親切なアドバイスありがとうございます。


投稿者: たんぽぽ | 2010年08月11日 23:52

 相対化とは、現実を知るということでもあると思います。
 お手伝いがしたい想いが主観で、現実を他人の目で観察するのが、相対化でしょう。
 でも主観を持ち続けることも大切ですね。いつか現実化する可能性があります。
 つらいことも専門家から言われたのですね。
 怒りを持つ気持ちも分かるし、怒りをぶつけられると、こころが折れてしまうことも分かります。
 お盆はゆっくり休んでくださいね。


投稿者: 佐野 | 2010年08月13日 23:10

 久しぶりにパソコンを覗きました。大変分かりやすいコメントとともに暖かな励ましありがとうございます。
 とりあえず、来週いっぱいで、今の仕事やめることにしました。また、しばらくゆっくり仕事探します。


投稿者: たんぽぽ | 2010年08月24日 23:14

ゆっくり休養してください。


投稿者: 佐野 | 2010年08月25日 19:05

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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