認知症になっても安心して住める町に

　天気の良いある日曜日、デイホームの花壇の草花の手入れをしている時でした。突然後ろから、「今日もいい天気ね」と張りのある元気な声。振り向くと、デイホームのお仲間のハルさんが自転車に乗っていました。

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　ハルさんは商店の末っ子として生まれ、20才を過ぎて町中の商店に嫁ぎました。愛想が良くて働き者、店の看板娘であったハルさんは、嫁いでからも「店の看板」となって働き続けてきました。
　「いろんな注文があってさ、芋を蒸かして自転車で配達したこともあったよ」と誇らしげに話してくれるハルさん。そんなハルさんも、一緒に店を切り盛りしていた夫が10年前に他界。店もたたんで静かに自宅で生活していたところ、4年ほど前から認知症の症状が現われ始めました。ハルさんの行動が変化してきたことに不安を覚えつつ、静かに見守ってきた家族も、このままではいけないと感じ、専門医を受診。中程度の脳血管性認知症という診断でした。
　そんなハルさんの楽しみは、自転車で町をまわること。家族は「近所の人からも、（ハルさんを）家でみるのは大変なんじゃない。気をつけたほうがいいよと言われるし。危ないことは分かっていても…母の楽しみを奪ってしまってはまずいし」と悩んでいました。そんな介護者たちの思いを知ってか知らずか、「背中がこうだからさ（円背）、歩くより楽なんだよ」と話すハルさんでした。

　週3回、私たちのデイホームに通い始めたハルさんは、利用日以外も自転車で訪れることがありました。その日はたまたま日曜日でデイはお休みでしたが、花壇を手入れしている私を見て、いつものように声をかけてくれたのでしょう。
　そこで、「せっかくだから、お茶でも飲んでがっせ（飲んでいってくださいな!!）」とお誘いし、しばし談笑（ご家族には電話でお知らせしておきました）。帰りは、私も一緒に自転車で送らせていただくことにしました。「１人で帰れるよ」というハルさんも、「一緒にサイクリングさせてくださいよ」という私にまんざらでもない表情。ハルさんの家までは自転車で5分程度。円背気味のハルさんは、腰痛で長い距離は歩けませんが、自転車だとふらふらする様子はあるものの、しっかりとペダルをこいで進んでいきます。後ろからついていく私を気にして、時々振り返ろうとするハルさん。「前を見て走ってくださいね」と声をかける私に、ハルさんは町の案内を始めました。
　「ほら、綺麗な花が咲いてるだろう。あそこの家はいつも手入れがいいんだよ」「この犬は、臆病なのか、よく吠えるんだよ。気をつけな」「ここにはツバメの巣があるんだよ。毎年ここに巣を作るんだ。ほれ、親ツバメが餌を運んでいるだろう。鳥も人間も変わんないよなぁ」
　などなど、車だと見過ごしていた町の様子を私に解説してくれていたのです。
　認知症のハルさんでなく、この町で生き活きといきる人の姿がありました。私なんかより、ずっとずっとこの町を知り尽くしているハルさん。円背で小さくなった姿が、この町にいきてきた先輩としてとても大きく見えました。認知症になったら、誰もが自分らしさ、なじみを刻みながら生きてきた町で、安心して住めなくなってしまうなんておかしい。私はハルさんの後ろ姿を見ながら、「ハルさんが安心して自転車で回れる町にならないとだめなんだ」と強く感じていました。