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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

麻薬脱出(part1)

 『麻薬脱出―250万依存者の生と死の闘い』(軍司貞則著、小学館)を読んだ。本の帯には、「置き去りにされた薬物依存者を救え!」とある。日本では「薬物をやってはいけない!」キャンペーンが盛んにやられているが、スローガンだけでは薬物とは闘えない。今の日本には、すでに薬物依存になってしまった人の回復施設は民間のダルクだけしかない。国は全然後ろ向きだ。一時、「夜回り先生」こと水谷修さんの取り組みで薬物が注目されたが、一時的ブームで終わってしまった。

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 さてこの本は、著者がダルクの設立者やダルク周辺の人々の人生を、丁寧に取材したものだ。厚みも3cm以上はある読み応えのある本だが、ずいぶん引き込まれて読んだ。
 たしかにヤクザやワルのいっぱいいる薬物の世界だ。精神科病院でもなかなかに処遇に困る人も多いだろう。マスコミの日が当たらないのも無理からぬ面はある。しかしアルコール、ギャンブルなどと並んで、大きな「依存症」という病気の世界だ。もちろんそれぞれが独立してなる病気ではなく、アルコールもギャンブルも覚せい剤の問題も、一人の人が抱えている場合も多い。それに、覚せい剤の一般の人への浸透も言われ出して久しい。人ごとではないのだ。

 近藤恒夫氏は、後にダルクの前身「札幌MAC」の所長になる人だ。近藤氏について述べられているところを、この本の中から要約する。

 「近藤さん、よかったね」。クスリをくれた長距離ドライバーのマサやんがニヤニヤした。近藤はもうひとつの感覚にとらわれていた。浮遊感だった。からだが持ち上がったような感じだった。十時間以上も歯痛に苦しんでいた肉体が突然シャキッとなり、背筋もピーンと伸びた感じがした。胸を張って雲の上を歩いているような気持ちだった。そのうち頭のモヤモヤが晴れてきた。歯の痛みと疲労でまともにモノを考えられなかった頭脳が甦ったような気がした。浮遊感と頭の冴えが近藤を幸せな気分に浸した。
 薬物には「耐性」があり、使うたびに効き目が薄く、短くなる。からだが薬物に対して慣れてしまうためだが、近藤もそうだった。フェリーの中で歯痛から覚せい剤を使いだしてから、一週間後には一日三回も覚せい剤を使う常習者になっていた。
 近藤恒夫が覚せい剤を体内に入れた瞬間のゾクッとする感覚が好きなのはギャンブルの感覚と似ているからだった。勝負が一瞬で決まるあの瞬間の感覚である。

 実はぼくも20歳ころ、発病前にLSDの錠剤を一回だけやったことがある。アパートの当時の友人が持っていたものだ。飲むと集中力がぐんぐん増して、気分がどんどんハイになっていく。ちょっと暗いことを考えると、気分は真っ逆さまに落ちていくけれど、明るいことを考えると、また気分は持ち直して上がっていく。性欲が亢進していく時期を過ぎて、気分は天に昇りつめる。天国のような平和な気持ちになって、ぼけーっとする。その後徐々に薄れていく。時間にして2時間くらいかもしれない。
 ぼくが一回の経験で終わったのは、ひとえにその友人が夜逃げして、連絡がとれなくなったことによる。もしも薬を続けていたら、統合失調症の発病に薬物依存の妄想が重なって、もっと大変な事態になっていたかもしれない。保護室から出られないとかいうような。

 近藤恒夫は兄の出版社に転がり込んだが、覚せい剤を買うために、何度も何度も使い込みを行い、倒産させた。今度はサラ金へ行くようになり、一年経たないうちに、借金は300万円を越えた。取りたてに、母の預金はなくなり、次兄が借金をして、300万と利息の処理をした。精神病院に入院しても、全く覚せい剤を止める気はおこらずに、アルコール依存症で入院していた患者を見下していた。
 同時期に入院していたアル中の牧師ロイと出会った。ロイは自助グループを勧めたが近藤恒夫は全く興味が無かった。4ヶ月で退院した、近藤恒男を待っていたのは遊び仲間で,ビールとウィスキーで近藤の中の、覚せい剤の虫が目を覚まし、すぐに暴力団事務所に覚せい剤を買いに行った。退院して1日もたなかった。近藤恒夫はあるとき、ロイの教会を訪ねた。「シャブ買うから2万円を貸してくれ」と言うとロイは黙って2万円をわたした。
 また警察に捕まり、拘置所に収監された。誰も面会に来なかった。あるときひとりロイだけが面会にきて、アルコール依存症の人の体験談の本を差し入れられた。独房の夜の闇は、迷惑をかけた母や兄、随分酷いことをしてきた妻や愛人、精神病院に注射器を持ち込んでシャブをやり続けたこと。十年間のバカの数々を思い出していて,死んで詫びようという気になった。首を吊るためのシーツをかけるところが見当たらなかった。覚せい剤の後遺症で発作も起こった。雪の下から顔を出していたタンポポが獄窓から見えた。タンポポはあんなに小さい生命なのに,雪の下でしぶとく生き抜いている。突然涙が溢れてきて止まらなかった。
 保護観察になった近藤恒夫がアパートで一人でシャブの誘惑に負けそうになっていた時にロイが訪ねてきた。「これからミーティングがあります。行きましょう」。近藤恒夫はミーティングに出席し続けることで覚せい剤との闘いを始めた。

 本当にどん底で地べたをはいずり回っていることを心底理解したら、あとは立ち上がって歩きはじめたらいい。これがよくいわれる「底つき」というものなのかもしれない。どん底でロイが底上げの役割をしたのかもしれない。
 この「底つき」というのは援助者にもよく知られていて、「底つきにならないと手は出せない」といって、援助者が当事者を突き放してしまうことも多いようだ。このときのロイの底上げがあってこそ、薬物を切る歩みを始めたのだから、援助者は関わり続けることが大事だということだ。
(part2に続く)


コメント


 私は、今年、精神保健福祉士を通信教育で勉強し、試験に合格した新米のPSWで主婦です。主人の統合失調症をきっかけに勉強し始めました。
 この記事を読んで、人と関わることの難しさを垣間見たように思います。これから、大勢の人たちとさまざまな出会いを通して、何らかの形で、多少なりとも支援が出来るようになれたらいいと思っています。


投稿者: たんぽぽ | 2010年04月12日 14:09

 お子さんもいらっしゃるのは、ご主人の状態もいいのですね。うちはぼくが統合失調症で、奥さんはムゲンの施設長です。子どもは大学生です。


投稿者: ばびっち佐野 | 2010年04月26日 20:47

 お返事ありがとうございます。佐野さんは、私はとても勇気付けられる存在です。福祉センターの体育館で一度声をおかけしたら、ブログに書き込んでくださいといってくれました。(もう半年以上前ですが・・・)
 話せば長くなるけど、主人も病院の治療にたどり着くまで、結構何年いや何十年とかかっていました。変な言い方だけど、落ちていく主人をほっとけなくて、結婚すれば、この人を、病院に見てもらえるのではと、私の一方的な片思いで始まったお付き合いでした。子どもも、調子の良いときを見計らって、計画しました。
 まだ、病院にもかかれてない状態で、一か八かで周りにも結構いろいろ言われました。でも、後悔はしていないし、子どもにも恵まれて、お互い、今は一番いい時期だと思います。生活は大変でも、お互い結構充実してると私は思っています。


投稿者: たんぽぽ | 2010年05月04日 22:33

 よかったです。障害者との結婚は普通にない苦労があると思いますが、逆に普通では味わえない良さがある時もあると思います。


投稿者: ばびっち佐野 | 2010年05月12日 23:38

ありがとうございます。勇気づけられます。


投稿者: たんぽぽ | 2010年05月19日 15:25

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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