ページの先頭です。

ホーム >> 福祉専門職サポーターズ >> プロフェッショナルブログ
佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

シベリア抑留とは何だったのか(part1)

 こういう究極の選択がある。
 救命ボートに5人が乗っているが、どうしても1人救命ボートから降りてもらわないと、全員溺れてしまう。こういうときに、誰が犠牲になるか? 答えは、「善き人」である。

続きを読む

 『夜と霧』(みすず書房)は、ナチスドイツによってアウシュビッツ強制収容所に送られ、奇跡的に生還したV・E・フランクルの手記だ。冒頭で「すなわち最もよき人びとは帰っては来なかった。」と述べている。
 弱い者を押しのけ、餓鬼のようになれた者だけが、生き延びることができた。危険なときには他人を盾にして身を守り、安全なところにいる人を引きずりおろして、自分が安全なところにいようとする。それのできない「善き人」は、先に死んでいくしかない。
 アウシュビッツで、殺される順番を前の人と代わってあげたために先に死んでいった人が、キリスト教の聖人の1人になったという話を聞いたことがあるが、彼は「善き人」のままで死んでいった。
 キリスト教で「善き人」といえば、聖書の「善きサマリア人」を連想する人もいるかもしれない。追いはぎにあって、ケガまでさせられた人の側を通った司祭やレビ人は見て見ぬ振りをして通り過ぎたが、通りかかったサマリア人だけが傷に手当てをして介抱してあげたという有名なお話だ。聖書の言葉なので、安易に要約してはいけないのかもしれないけれど、サマリア人は随分迫害された少数民族らしい。「善きサマリア人」のように、「自分の不利益も顧みず、人助けをすることは素晴らしい」と、ぼくは通ったミッションスクールの高校で教えられたが、当時は思春期まっただ中、嫌悪感を持っていた。

 フランクルは『夜と霧』で書いている。

 収容所でわたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。(中略)人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ。

 ぼくは若いとき、「苦労することは悪くなることだ」とずっと思っていた。極限の渇きや色々な欲望を我慢するしかない、肉体労働などのバイト体験は、ぼくのなかにどんどんずるい悪い心を増殖させ欲望をむき出しにさせていった。ぼくには、欲望丸出しのヤンキーの気持ちがよくわかる。本当に人間なんて弱いものだ。
 また、人々は天皇の人柄を褒めたたえる。単なる「坊ちゃん」にどうしてそんなに人をひきつける魅力があるのだろうか? 餓鬼のように苦労していない分、「善き人」なのだろう。苦労なんてできることならするものじゃないと思う。

 『シベリア抑留とは何だったのか―詩人・石原吉郎のみちのり』(畑谷史代著、岩波ジュニア新書)を読んだ。
 石原吉郎の著書は、20歳頃にちょっと触れたまま記憶の底に沈んでいたのだが、最近「石原吉郎」という題名の付いたこの本が出ていることを知って、瞬時に若いときの記憶が甦って、購入した。
 シベリア抑留とは、日本の敗戦後におよそ60万人()にのぼる旧日本軍の兵士らが旧ソ連の捕虜になって、戦争責任を一身に背負って極寒のシベリアの強制収容所で強制労働に従事させられたという事実だ。女性も5000人ほどいたそうだ。ほとんどは従軍看護婦だったそうだが、女性の手記は残っていない。7万人がどこで死んだか確認されることなく亡くなっている。
 強制収容所内では、「民主化運動」という、捕虜を社会主義者にする意図があった運動がまたたく間に広まった。そのため、シベリアから復員してきた人たちは「アカ」と呼ばれ、身内にも受け入れられず、就職も困難を極めた。彼らは「戦争責任は自分が背負ったのだという、そのことだけは日本の人たちに理解してもらえる」ということが心の支えだった。
 石原は、故国日本は自分の帰国を待ち望んでいると信じて自らを支えた。だが日本ではシベリア帰りは迫害され、復員者の日本に対する片思いは無惨に潰れた。

 私は八年の抑留ののち、一切の問題を保留したまま帰国したが、これにひきつづく三年ほどの期間が、現在の私をほとんど決定したように思える。この時期の苦痛にくらべたら、強制収容所での生の体験は、ほとんど問題でないといえる。

 あれほど、日本海を越えて帰りたいと渇望した日本。石原の抑留体験をつづった著書は、『望郷と海』や『海を流れる河』『断念の海から』など、すべてに「海」のつく題名になっているが、石原の想いはどれほどだったのか。石原は、詩作は続けていたが、抑留体験そのもの書けるようになるのに16年間という歳月が必要だった。「告発しよう」というような薄っぺらな体験ではないので、黙して隠しぬこうとした。石原と親交のあった詩人の郷原宏氏は、「日本社会は今もその表層を一皮めくれば、ラーゲリ(強制収容所)と同じなんだ、と石原さんは言いたかったと思う」と述べている。
(part2に続く)

 最近、ロシアの軍事公文書館で、シベリア抑留関係の日本人76万人分(重複も含む)ものカードが発見されたということがニュースで報道された。


コメント


 初めまして(^^)
 善き人は、いつも損をしている様に思います。
 私も私の息子も良い人と周囲からよく言われます。
 それゆえに、もっと自分を出したいという、葛藤で、自分に鎧を着せています。
 社会に出てはいけない!と思うこともしばしば。
 生きにくい社会になりました。
 子どもの頃は、そうではなっかた様に思います。
 ちなみに43歳です(汗)
 寒暖の差が激しい季節ですね。
 風邪など引かれませんように(^^)/~


投稿者: ちこたん | 2010年02月13日 20:56

 そのとおりです。善き人はいつも損な生き方をしています。ぼくは昔は善き人、お人好しのひとりでしたが、「もっとワガママに生きていいんだ」と悟って、生きやすくなりました。アダルトチルドレンなのかもしれません。
 風邪にはよく眠ることがいいですね。


投稿者: 佐野 | 2010年02月13日 23:46

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

コメントを投稿する




ページトップへ
プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
sanobook.jpg
メニュー
バックナンバー
その他のブログ

文字の拡大
災害情報
おすすめコンテンツ
福祉資格受験サポーターズ 3福祉士・ケアマネジャー 受験対策講座・今日の一問一答 実施中
福祉専門職サポーターズ 和田行男の「婆さんとともに」
家庭介護サポーターズ 野田明宏の「俺流オトコの介護」
アクティブシニアサポーターズ 立川談慶の「談論慶発」
アクティブシニアサポーターズ 金哲彦の「50代からのジョギング入門」
誰でもできるらくらく相続シミュレーション
e-books