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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

ひきこもりはなぜ「治る」のか?(part1)

 『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(斎藤環著、中央法規出版)を読んだ。本人向けというよりも、家族の対応へのアドバイスが興味深かった。

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 韓国でもひきこもりは多いらしく、「ウェットリ(ひとりぼっち)」と呼ぶらしい。日本と韓国で共通するのは、近代的インフラの上に「親の面倒を見るのは美徳」という伝統的文化が生きているということだ。つまり「子どもが成人後も親と同居し続けることに対する抵抗のなさ」だ。成人後は親と別居することが当たり前な文化圏にとっては、異様な文化だ。アメリカなどではヤングホームレスになって、多くの場合、悪事に手を染めてしまうというが、日本がアメリカを追いかける限り、政策と景気が変わらない限り、今後ホームレスは増え、アメリカ的になるだろう。
 斎藤環氏は、「ひきこもりの人たちは自信がないのにプライドが高い。思春期の葛藤を抱えたままになっている」と言う。こころの中では「自分は存在価値のない人間」だと思っていることが多いとある。
 そんなこころに入り込み、プライド形成の大きな助けになっているのが、たとえば「日本人である誇り」など、「ウヨク」になることだろう。若者の右傾化が言われて久しい。日本人でありさえすれば、こころのよりどころが得られるし、滅びかかった大きな物語の一員でいられる。
 子どもの時から過酷な競争を強いられ、子ども時代を楽しめなかったから、古き美しき日本の故郷というユートピア幻想にとりつかれやすいのかもしれない。ネットで辛辣な意見を書き、人を罵倒する人たちの多くが、こころの底では「存在価値がない」と思い詰めたニートやひきこもりの人たちかもしれないという気がする。もともと自分に辛辣だから、他人にも辛辣になる。「お前らもダメだけど、本当は俺が一番ダメだ」。
 子どもというのは普通、自己評価がとても低い。そういう状態を引きずったまま大人になることの多い日本や韓国では、何かが間違っているのだろう。受験をはじめとする過酷な競争、小さな子ども時代からの消費者としての自立、社会の閉塞感、ゆとりのない社会、何かが両国ともに間違っているに違いない。

 「白か黒かではなく、できるだけ自分の内面を複雑にしておくほうが安定性が高い」とも斎藤氏は言う。ぼくにも覚えがあるけれど、「自分は何でもできる」と思い込む時期がある。子どもが「自分は何でもできる」と言うと、何か犯罪的なことでも引き起こしはしないかと、親は不安になって否定したくなるけれど、あえて「そうなるといいだろうね」くらいの「適度な」欲求不満状態になる対応がいいと言う。
 批判すれば反感で返すから、本人も弱者だろうから正しい正論で批判するのはやめ、「家族会に参加している」「家にある金はいくらいくらである」などの、本人がたとえ嫌がることでも、親の手の内をさらすことが長期的信頼になる。一番いけないのが「食卓にさりげなく求人雑誌を置いておく」とか「さりげなく病院のパンフレットを置いてある」とかの「陰謀」だと言う。やはり、正々堂々、別にひきこもりの人の場合ばかりじゃないのだが、本音で「勝負」しないと、コミュニケーションは図れないだろうと思う。世間体など捨てて、真剣勝負することから親が逃げてはいけない。

 「ひきこもりが病気の治療と違うのは、元気になるための万人向けのマニュアルなどないことだ」と斎藤氏は言う。だから高い金を出して引き出し屋に入ってもらっても、成功率が極めて高いということはない。対応が適切かどうかは、「本人が元気の出る方向(必ずしもひきこもりをやめる方向とは限らない)に向かっているか、その都度見ながら手探りで判断するしかない」「本人の意思を尊重して、突拍子がないことでもいきあたりばったりに対処するしかない」と斎藤氏は言う。これもあらゆる人間関係の原則だろう。
 引き出し屋によって、ひきこもりでなくなった人たちの多くは、経験を生かして引き出し屋のスタッフになって働いていたりすることもよく聞くし、うまい出口だなあと思う。ひきこもりの人を無理やり引き出そうとする「引き出し屋」は、もちろん論外ではあるけれど。たしか、薬物依存症のリハビリ施設ダルクでも、スタッフは元薬物依存症当事者が多かった。
 「本人に変わってほしければ、まず家族が変われ」とも言っている。ひきこもり家庭では、本人と親との距離を失った二者関係になっている場合が多いようだ。「いずれ追い出される」と怯える本人と、「ずっとすねをかじられる」と怯える親の二者だ。引き出し屋が「家族を開く」という打開策をよく言う。「第三者の介入」だ。これは第三者が部屋に上がり込んで引き出すということではなく、「親が家族の会に出ている」とか、第三者が関わっているという情報だけでもいい。ネコや犬の存在でもいいと言う。本人のセンサーはとても敏感だ。

(part2に続く)

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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