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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

施設を増やすことはいいことである

 ワーカーは、正攻法で闘って勝ち取ればいい病者の権利でも、ひたすら行政や病院経営側の空気や発言を読んで、闘う前に「ムリだ。無駄だ」とか判断しているようだ。管理する側とは一線を画すべきなのに、闘う相手を読みまくって同化している。ずいぶん親しくして緊張関係がないように見える。
 当たり前のことだが、ワーカーにとって病者は仕事の対象であり、プログラマーにとってのパソコンや、ディーラーにとっての株のようなものだ。仕事の対象とは明確な「壁」があるということである。

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 ぼくが闘うべき相手だと思っているものに対して壁はなく、壁はないほうがいいだろうと思う病者に対しては、壁を持っている。これは、一人ひとりの病者を、突き放した冷たい冷静な目線で見ているということを意味すると思う。プロ意識があれば、まあ当然だろうとも思う。
 この目線は、そのままぼくの場合にも当てはまる。あるムゲンのメンバーは、「ムゲンでのトラブルを誰にも言わずに、一人で解決しようとした」と言った。またあるメンバーは「友人に相談しようと思ったけれど、できなかったので、しかたなくぼくに相談した」と言った。
 これが病者の主体性というものかもしれないけれど、これはぼくのムゲン内での位置を表している。ぼくは法人理事長でありワーカーであり、普通に接していても、結局高い位置の人なのだ。
 ムゲンのメンバーは長く家族だったし、友人だった。それがいつの間にかぼくと波津子は、高い位置にいる人になってしまっていた。援助金をもらうようになったのは、大きな変節点だと思う。ムゲンは大家族をやめて、公的機関に成り下がってしまったのだ。
 でも存続し続けるためには、ムゲンの施設化は避けられなかった。確実に援助金をもらえるNPO法人化を選択したことで公的機関として永続性を持つことが確定した。ぼくと波津子の意識も変わっていった。金をもらってムゲンをやっている、イヤな言葉だが「プロ」になってしまった。休みはほしいし、プライベートも充実させたいという欲求が強くなっていった。しかしぼくは一生、人生のアマチュアでありたいし、社会の歯車の一つとして、期待されたくはないし認められたくはない。
 ムゲンが大家族であったと信じていた頃には、24時間メンバーとかかわっていた。自殺願望のある人などとは徹夜で付き合ったりした。それでこちらが調子を悪くしたりしていた。

 メンバーにとって施設に住んだり、通ったりすることは、決して「本意」ではない。メンバーも「しかたなく」ムゲンにやってきているはずだ。その証拠に、「黙って来なくなる人」の数はものすごく多い。就労ができたり、家のまわりに居場所があれば、わざわざやっては来ないだろう。実際、「給料はたとえ作業所より少なくても一般就労がいい」という本音を言う人もいる。
 作業所では、職員の給料は一般よりはずいぶん低くワーキングプアレベルだけれど、メンバーの給料との圧倒的な差は乗り越えられない。
 グループホームも施設によって違うだろうが規則があり、酒が飲めなかったり、友人を連れて来られなかったり、彼女を泊めるなどは普通もってのほかだ。

 「社会復帰施設を増やすことはいいことである」という多くのワーカーの発言は、たぶん本音だろうと思う。施設を作ったりすることにかかわることは、仕事上大きな達成感があるだろうと思う。立ち上げがいくら大変だといっても、これからの運営には希望があるだろう。
 しかし20年以上前の、障害者が施設から出てアパートで一人暮らしするという、当事者のエネルギーにあふれた運動を知っているぼくにとっては、「施設を作ることは本当にいいことなの?」と誰も異議を唱えないのは不思議ですらある。「自立訓練」「支援計画」などを「策定する」という発想そのものが、「当事者の意思決定と生活がまずありき」ということと矛盾するおかしさを誰も語らない。
 いったん施設を作り、施設の維持が目的になってしまったら、一人ひとりを大切にすることとは両立しない事態が必ず起こってくる。例えば問題を起こした一人のメンバーを施設が抱えきれなくて排除してしまうと、そのメンバーは地域で孤立するだろう。メンバー同士のトラブルで、一方を出入り禁止にしてトラブルを収めようとすることは、自身の力不足だと職員は自覚すべきだ。しかし全部自分の力不足が原因だと思い込むと、職員は「うつ」になってしまう。経験というのはここのバランス感覚だろう。 
 ワーカーは善意の人が多いだろうが、弱者のプライドや羞恥心にも思いを馳せて欲しい。自戒を込めてそう思う。ぼくは昔のメンバーから「もう会報などを送りつけないでくれ」と言われたことがある。

 地域に差別があるからメンバーは寄り添う。地域資源と呼ばれる施設が増えることは、ワーカーが考えるように単純に「いいこと」ではないし、メンバーが仕方なく利用している地域資源は、現時点では社会が不況の時でも盾になることはできるというメリットがあり、過渡的には必要かもしれない。でも将来はなくなっていくことが理想だと思う。ムゲンだってその例に漏れない。
 地域で当事者が孤立しないように、隣のオヤジやおばさんに支えられて、行政支援も地域に行き渡り、精神科ワーカーなんて職もなくなることが理想だ。今は圧倒的な資本の力で個人個人がバラバラの消費者にされ、何にでも金が要る「地域」だが、少数者当事者は「地域」を変えていくことができる力を持っていると信じている。


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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