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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

ひきこもりについて

 ひきこもりと長期入院者は、社会との接点を失っているという点においてよく似ている。

 長期入院者は長い間にわたって、病棟生活に適応して過ごしている。今、ケースワーカーが中心になって、病棟で何らかの役割を見つけている病者を退院させ、生活保護を基本に、ケアホームやアパートでの生活ができるようにするというサポートが始まっている。退院者にとって電車やバスの利用の仕方、銀行のキャッシュカードの使い方、買物の仕方、料理など、覚えることは山ほどある。
 もちろん、長期にわたるサポートが必要だ。日本政府の入院隔離政策のツケであり、その長期入院者数の多さに国際的非難を浴びたのに加え、医療費削減目標もあり、やっと政府も重い腰を上げた。平成21年度の国の要求額が出たが、軒並みアップしているのに、退院関連については17億円の据え置きだ。やる気がない。

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 一方ひきこもりは、社会に出る時に、あるいは社会に出てからつまずいて、家でひきこもるようになった人たちだ。基本は社会不安障害、コミュニケーションの障害だと言われているが、いろいろなこころの病をもっていて出られない人も多い。傷ついてトラウマを抱えてひきこもっている人も多い。
 日本では、与えられた役割を果たさない人に対する厳しい目があり、理解のない社会となって、ひきこもりの人が社会に入っていけない状況を作っている。ひとりではひきこもりから抜け出すことは難しい。もはや「状態」ではなく「障害」だろうと思う。ある程度、若者サポートセンターや自立塾が作られてはいるものの、障害ならば社会がふさわしい政策を講じるべきだ。
 もちろん、「元気に暮らす」多様な方法があると思う。『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(中央法規出版)の中で、著者の斎藤環氏は、例えば不登校の場合、ともすれば「再登校、是か非か」という二分法によるイデオロギー論争になってしまいがちなのを、「どうすれば本人が元気になるか」という視点で見ることを勧めている。今は「どうすれば本人を、早く確実に社会参加させられるか」ということにばかり焦点が当たっていると批判している。

 プライドは高いけれど自信がついていかない、まるでぼくの発病前の状態のようだ。あまりに失ってしまったものの大きさに一歩が踏み出せない人には、傷つけない「友人」が必要だろう。ぼくが発病前に心底欲しかった、本音を言ってもかまわない、感情を出してもかまわない「友人」が必要だろう。
 教育を真面目に信じた結果の「自己実現」という目標を下げることも、現実的かもしれない。学校は「好きなことをすべきだ」と教えても、基本は「管理教育、高学歴」を求めるというダブルスタンダードだ。結果、いじめの蔓延…。世間は他人に迷惑をかけて得している人たちばかりだ。「迷惑をかけないと生きられない」し、「人を傷つけることも不可避なことだ」とわかることは、つらいことだが現実だ。
 親や世間の言う通り勉強ばかりしてきて、結局うつや不登校、ひきこもりになった。「良い子でいないといけない。嫌われることは怖い」という今の若者に共通の感性が背景にある。
 しかし、ひきこもっている人の8割に家庭内暴力があるという。起こる時期と収まる時期があるらしい。安心してひきこもれないと暴力につながる、と指摘する芹沢俊介氏のような人もいる。

 ひきこもりの人が一番やりたいことは、就労することではなく、恋愛ができることかもしれない。セックスができても恋愛を維持するのは本当に難しい。完璧主義を徐々に捨てていくことが、人付き合いに慣れる過程かもしれない。
 まずは長期入院者の退院政策のように、ひきこもりの社会への橋渡しの政策が広く実行されることだ。親亡き後、ひとりで生活保護の申請に行くのは至難の業だろう。そのためにもサポートは必要だ。
 もう1年以上「KHJ親の会」の松山支部の月例会に通っているが、親の口から「自分のところはひきこもりから回復した」という話は聞かない。ちなみにKは強迫神経症、Hは被害妄想、Jは人格障害の略だそうだが、あまりいいネーミングとは思えない。2000年に奥山代表が立ち上げてから全国に支部ができた。しかし30%の家族が、世間体もあり、家族会にもどこにも相談できていない。ひきこもり人口は100万人ともいわれていて、高齢化が叫ばれている。

 日本的恥の文化と勝ち組価値観と資本主義の過剰が引き起こした「ひきこもり問題」には、奥山代表のいうように「病気」として、あるいは「障害」としての国の取り組みが待たれている。
 病気といっても、くすりや治療が必要などという意味ではもちろんない。親亡き後は、ホームレスか餓死か、と思い詰めてささやかな生活を続けるひきこもりの人に対して、障害年金の受給は生きる杖になるだろう。あるいはベーシックインカム(すべての国民に平等に最低限の一定額を支給する)制度があれば、就労圧力も少なくなり、ひきこもりの数が減っていく可能性もある。単なるひきこもり対策だけに留まらず、あらゆる犯罪や生活苦を救うベーシックインカムの制度の実現をぼくは強く望んでいる。
 このところの景気後退で、政府は「1世帯あたり3万8000円を支給する」と発表したが、一世帯ではなく、一人ひとりにせめて老齢年金満額くらいは支給してもらいたい。もちろん恒久的にである。

 もちろん、ひきこもりは病気といっても、「健康」イコール「善」、「ひきこもり」イコール「悪」ではないから、ひきこもった人は自分の病気であるひきこもり状態(たとえ外に出てきてもひきこもりの感性)とうまく付き合うことが大切なことだろうと思う。
 ひきこもりでないとみられている、会社と自宅の行き帰りを繰り返すだけの人だって、こころの中はひきこもりと同じ状態だったりする。実際ぼくは、休日にはなかなか外出できず、ひきこもっている。誰でもひきこもったり開いたりを繰り返している。ひきこもること自体は誰にだって必要だ。ひきこもることは否定されるべきことではない。
 ひきこもりと一言で包んでも、縁や運によって百人百様の人生があるに違いない。どんなマイナスにみえる経験でも、後々から余裕をもって考えれば、「経験してよかった」と思えるものだ。
 ぼくも中学時代に登校拒否すらもできなかったほど孤立していたし、大学浪人時代に「ぼくはこのままいくと犯罪者か病気になるしかない」と思い詰めていたことなど、あらゆるマイナス体験が今のぼくを形成している。今のぼくには必要な体験だったと思っている。

 「自分は障害者である」と受け入れるのは、極めて困難なことだ。ぼくは「病者」であることを認めるのに、発病から10年の月日が必要だった。「餓死や自殺を考える前に、障害者といってよくなければ、『生活困難者』としてぜひ福祉につながってほしい」というぼくの思いがある。
 しかし、一からやり直すことはできる。一口に一からやり直すといっても、得たものを全部捨てる覚悟をもつことだから、並大抵のことではない。はじめは自分のもっているものを手がかりに支援などとつながっていき、十分に環境が整ったときに、一からの出発ができるのかもしれない。どこへ向かっての出発かというと、新たな居場所へ、かもしれない。「プライドは高くなくても、自信はある」と、斎藤環氏も言うように。


コメント


 たびたび失礼いたします。

>親の口から「自分のところはひきこもりから回復した」という話は聞かない。

 そうですか。私どもではそういう事例に(数多くではありませんが)接します。ただ、その種の会合で親御さんがそのように発言することは、2つの点で限られてくるのではないかと思います。
 一つは、他の親御さんへの配慮から、そうした会合に出席してもなるべく発言を控える。あるいは出席自体も控えるということです。
 もう一つは、そうした配慮からではなくて、もともと恥とか世間体とかいう意識が強くて、自分の子どもが回復した場合、その種の会合を敬遠する面もあるかと思います。
 そのため、回復事例の分かち合い・シェアが限られてしまって、逆に困難自慢、悲惨自慢の会合になってしまう面もあるのではないでしょうか。つらい経験を分かち合うことも大切でしょうが、本人はもとより親御さんにとっても、希望を分かち合い夢が持てる会合であってほしいものです。

 さて、社会との接点に関しては、健康の3つの要素を引くまでもなく、社会的にも健康で良好な状態が望ましいものではないでしょうか。いや、自分は引きこもっていても元気で幸せだとおっしゃる方には、無理に社会に出ることを強要するつもりはありませんが。


投稿者: ケアマネライダーEBBY | 2008年11月02日 17:26

 健康の三要素って何でしたっけ?本人が元気に暮らせるのであれば、ひきこもるか出ていくか、自由であるというのは前提であろうと思います。友人より一人でいる方が好きだという、分裂気質の人だっていますから。
 親御さんですが、会場で「お子さんがひきこもりで無くなった方いますか?ぜひそういう方のお話を聞きたい」ってときどき全体に聞くのですが、いませんね。いつの間にか来なくなった親御さんの中には、いる可能性もありますね。
 この間、斎藤環著『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(中央法規)という本を例会に持っていって、親の接し方として、「親が一番言いたいことは禁欲する」という部分を読んだら、「うちは、うるさく「外に出る」よう言ってしまう」という親御さんが何人かいらっしゃいました。


投稿者: 佐野 | 2008年11月03日 15:46

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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