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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

リンチ社会

 「msn産経ニュース」の2008年4月19日付の記事で「(あなたの判決は?)歌織被告は無罪? 懲役何年? あなたはどう裁く…28日判決を前にアンケート」という内容が掲載された。「あなたも裁判員」と謳って、「三橋歌織被告判決アンケート」をインターネット上で募集していた。
 報道の公器としての新聞をあまりにも逸脱して煽る記事に、ぼくは産經新聞に抗議文を出した。
 こんな気軽なアンケート、事件の概要も同時に載っているため、野次馬でも10分もあれば応募できる。発表が楽しみという、まるで娯楽扱いだ。古代ローマの奴隷同士を闘わせてどちらが勝つか、賭けをするさまを思い出した。
 第一、裁判員制度はアメリカのように民主主義がしっかり根づいていて、保安官だって、行政の役人だって選挙で選ぶお国柄あっての陪審員制度だろう。民主主義が輸入されて十分に根づいていない日本で、裁判員制度だけを輸入してもうまくいくはずがないだろう。

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 思えば、10年ほど前の地下鉄サリン事件のあと、オウムの子どもたちを学校に入れなかったり、住民票を受理しなかったりした行政に対して、国は放置で対応した。法治国家(シャレじゃないけど)なのに、国民世論に追随して、法で定められた権利を無視し、私的リンチを認めてしまった。これがこの国が「リンチ社会」へと進んだ発端ではないだろうか。
 光市母子殺害事件は、無期から死刑へと、まるで世論に判決が影響されたのではないのかと思う判決だ。被害者が「犯人を死刑にしてください」と言えば、国民は「死刑コール」に大盛り上がりで、冷静な人の声はどこにいったのかと思ってしまう。国民の死刑制度の支持率は80%だそうだ。
 犯罪被害者は、加害者を憎みきることからしか、自らのこころの傷には立ち向かえない。あくまで孤独な営みだ。一般人には憎しみの深さはわからないし、関係のないことだ。しかし、大なり小なり虐待やいじめを受けた子どもは正義感が強く、被害者に過度に肩入れする場合もあるが。
 本当に犯罪被害者のことを考えるならば、被害者支援官制度(犯罪被害者の権利を守る)を新設するとか、被害者給付金の増額とか、何より被害者のPTSDを和らげるカウンセラーが必要、などという方向の議論は起こらないで、ひたすらわかりやすい厳罰化だ。先進国で人権国家であるはずの日本が、どうして国際的なレベルの被害者と加害者の人権保障にすら背を向けているのだろうか。厳罰化で減る犯罪もあるだろうが、最近増えている、死刑になってもいいみたいな道連れ自殺とそう変わらない犯罪は、減らないだろう。

 光市母子殺害事件の犯人は、虐待された育ちが原因で、発達が遅れた少年だ。犯人は父からの虐待で、ぼくは母からの虐待で、自殺するか犯罪者になるかしかないと思い詰めていた。ぼくと犯人の18の青春がダブる。他人事ではない。三橋歌織被告も虐待されて育ち、虐待の連鎖から、自分を虐待する男性を夫に選んでしまった。これだけ虐待が日常化してしまった日本人は、子どもの育て方を忘れてしまったのだろうか。
 昔の人はきっと、自然とバランスの取り方がわかっていたし、手伝ってくれる大人が多かっただろうに、今の日本人は地域が崩壊し、家族同士がバラバラに孤立している。世論も、光市母子殺害事件の加害者には「死刑にしろ」と言っても、表沙汰になりにくい家庭内での虐待にはいたって無関心だ。
 イラクで誘拐され、無事帰国した高遠奈穂子さんを待っていたのは、非難の嵐だった。強い日本の自衛隊を邪魔するものだったからだ。高遠さんらがわざと自分から捕まった、などというデマを大新聞も報道して、リンチを煽った。

 国民が犯罪者に対して、正義感から、弱者が弱者を徹底していたぶるリンチ熱に浮かれている。この息苦しさはまるで、戦時中だ。ある意味いじめられる側にならないように、空気を読みまくって、苦しい世渡りを強いられた人たちの今の姿かもしれない。彼ら彼女らは、空気を破って自分だけ違う意見を言った瞬間、いじめられる側になることを知っている。
 一握りの勝ち組と大多数の負け組の格差がはっきりついて、増大している負け組の不満、不安、生きづらさが、昔の戦時中のように侵略熱に変われない分、国内の非国民に向いているのかもしれない。いい子に隠されたサディズムだ。少しの不正も見逃さないような窮屈な社会が、ガス抜きができなくて社会の免疫力を下げ、秋葉原事件のような大きな暴発を引き起こす。
 ヒトラーの『我が闘争』をむさぼるように読んで、これまで受けてきた欺瞞的教育では押し殺されなかった「憎しみ」を心の底から解放して、ユダヤ人にぶつけた大戦中のドイツ人のようだ。
 善良で純粋で優しいから、人を殺す場合がある。ナチスのホロコーストは、何もドイツ人が残虐だったのではない。アウシュビッツ所長のヘスは、敷地に家族とともに住んでいた。昼間は大勢のユダヤ人を処刑して、夜は家族と過ごす時間を大切にしていた。決して冷血漢ではなく、良き夫で優しい父親だった。
 ユダヤ人は放っておくとアーリア人を滅ぼすかもしれないという被害者意識がナチスにはあった。劣等民族を滅ぼそうという発想だけでなく、危機管理意識をもって自衛しないと、脅かされると思っていた(田口ランディ『生きる意味を教えてください』バジリコ。森達也との対話より)。日本ではオウム事件以降、危機管理という言葉がマスコミで流布した。今の日本とナチス時代とは、空気が違っているだろうか?

 犯罪学者に言わせると、日本では統計的に凶悪事件はまったく増えていないのに、「最近は治安が悪く凶悪事件が増えている」と、テレビではよく言っている。日本から故郷が失われてしまったことと犯罪が増えたという体感は、関係が深いと思う。虐待やいじめが増え、もはや安心してのびのびと遊んだ故郷は存在しない。故郷の記憶は赤ちゃんの時の安心できる記憶、さらには胎内の記憶にもつながる懐かしいものだ。この懐かしさは、宗教や民族主義などの大きな物語の根っこにあるものだろう。

 リンチに加わる人は寂しい。ある人は、資本主義化されない昔の日本の暮らしにパトリオティズム(愛郷主義)を感じ、西欧の人権や平等をいう人たちを叩く仲間に加わるかもしれない。ある人は長い夜に耐えきれず、そっと刃物でリストカットして、ネットに書き込むかもしれない。みんなフリーターにしかなれないような生きづらさに傷ついている。
 人が本来もっている獣性を削る平和教育で良い子をやってきたのに、自分の居場所がなくなってみんな傷ついている。ここに今の日本人の一人ひとりが分断されて孤立して、誰かとつながりたいと切に願うせつない姿がある。どうしてこんな社会になってしまったのだろう?

 先ほど書いた産經新聞が、判決前に「あなたも裁判員」という見出しで歌織被告の判決のアンケートをWebでとったが、結果を判決後に発表した。すると、43%が死刑か無期だった。裁判で懲役20年を求刑した検察側だって、この結果にはびっくりだろう。


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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