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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

責任を取るということ(part1)

 「ぼくと波津子は、10年後くらいにはムゲンを引退するかもしれない。そうすると、ムゲンはつぶれるかもしれない。それまでに後継者も育ってなければ、そのことに関してぼくは責任など取れない」
 そうワーカーたちに言ったことがある。するとワーカーたちは、「メンバーに対する責任はどう取るつもりだ!」とぼくを批判した。しかし「ぼくには、いや人間はすべて、責任など取れない」と言った。

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 ぼくは波津子と一緒になってムゲンを運営してきて、ぼくの理想に合わないことがあると、病者の立場から波津子を責めた。おまけに、明日の約束などできないと突っぱねた。ぼくも若くて一杯一杯だった。だから波津子は、ぼくに期待せずに自分が強くなるしかなかった。波津子に今「ぼくに甘えてみたかった」と言われても、こころは痛むけれど責任の取りようがない。「よく見捨てないでくれた」と感謝するだけだ。

 すべての親は、子の将来に責任の取りようがない。今飯を食わせて、大きくするだけだ。ワーカーだって、就労支援していてメンバーが再発・入院しても、責任など取れるはずもない。ぼくもこうしてブログを書いているし、過去さまざまに発言してきたが、ぼくの言葉に誰かが影響されて「責任を取れ!」と言われたって、責任など取れない。例えば、ぼくが虐待についてブログに書いたから「フラッシュバックが起こった」と言われても、どうしようもない。
 一度発した言葉がどんなに相手を傷つけようとも、責任など取れない。謝ったりフォローはできるかもしれないが、普段から言葉遣いに気をつけるだけだ。しかし激高してしまう時もある。これが上に立つ者の言葉であれば、その影響力は大きい。

 太平洋戦争、日中戦争の犠牲者に対して、責任者の天皇がどう責任が取れるのだろう。戦後、天皇の「自分はどうなってもよい、国民を助けてほしい」との反省の言葉に国民は涙し、アメリカは許した。しかし、おびただしい数の犠牲者は戻ってはこない。ナチスの犠牲者に対して、ヒトラーは自殺して責任逃れをしたが、一人ひとりに対して責任など取りようがない。ヒトラーは「悪であろうと人生はやった者勝ち」と思っていたのではないだろうか? もちろん戦争は悪であり、人殺しで、国家の命令で国民を動員したのだから、チャーチルやスターリンにだって戦争責任はあるだろう。ルーズベルトだって原爆を落とした責任など絶対に取れない。

 人間は誰でもやりたいことをやって、後は野となれ山となれと、死んでいくだけだ。死のうがやめようが、やったことの影響の大きさに、人間は責任など取れるわけがない。病状が悪い時に、ぼくは一人で「世界のバランスを取っている」と思い込んでいた。全世界の責任を一身に背負っていた。入院して楽になって、すべての責任から自由になったと感じた。極端だろうか?
 今も人と約束をすることが苦手だ。こういう責任からの逃げ方は、例えば植木等節だ。去年亡くなったとテレビでやっていたが、知っているだろうか、今の人? ス~イス~イスーダララッタ♪ やはりこれは、ぼくの責任を取りたくないことの証明だろう。植木等のお父さんは「戦争は大量殺人だ」と発言して投獄された僧侶だ。その父に、植木が「スーダラ節を歌っていいものか?」と相談したという。「わかっちゃいるけど止められない♪」という歌詞を聞いて、父は「これは親鸞上人の生き方だ」と励ましたという。たとえ悪でも、責任のことなど考えないでやりたいことをやってしまうのが人間だろう。

 会社の社長や政治家は、不祥事に対して辞めることで責任を取ったというが、自分で責任を取ったと思い込んでいて、それを周りの共同体の人たちが承認しているだけじゃないだろうか? 実際に責任を取れるのは、現場で起こった小さな問題に対する現場責任者くらいかもしれない。どんな共同体だって、責任者個人は取り替え可能だ。
 誰でも責任を取らされそうになることが右からやってくると、それを左へと受け流すことはごく普通だろう。もちろん、こういうタイプなら過労死したりしない。過労死するほどに責任感をためこむのはうつ病タイプだろうが、僕の無責任の発想は、基本的に統合失調症のタイプなのかもしれない。ぼくは両肩に責任がのるとひどいプレッシャーになり、調子を崩す。だからマイペースなぼくは、周りから軽い人間だと思われているだろう。
 一生は短い。ぼくは無責任にやりたいことだけをやっていたい。まるで駄々っ子のように。だから、統合失調症タイプは加害的で、うつ病タイプは自虐的なのかもしれない。この延長上に統合失調症の犯罪があり、うつ病の自殺があるような気がする。虐待というファクターを加えると、加害は虐待体験がやりたくないことを強要された反動が歳をとって出たのだろうか? 自虐はやはり、虐待経験がやりたくないことを強要されて学習した性格が、そのまま歳をとって出たのだろうか?
 責任ということでいえば、自虐は責任感が強く、加害は無責任だ。ところが、話は単純な2分法ではない。統合失調症の人もうつになるし、うつ病の人も妄想が出る。病者でなくても一人の人間の中に、統合失調症的な部分とうつ病的な部分が共存している。どちらが多く出るかは、ストレスにどういう対応をするかを、どのようにからだが覚えて育ってきたかによるだろう。

 一方、薬害犠性者などは、国や製薬会社に責任を取ってもらおうと怒りをぶつける。ニュースにもなり、裁判で解決を図ることはできるかもしれないが、こころまで癒されるわけではないだろう。しかし、社会的強者の加害には徹底して責任追及をすべきだと思う。
 アメリカなどでは、幼い時の(性)虐待事件を大きくなって思い出し、裁判で親を訴える人もいる。普通、よっぽど嫌なことは強烈に繰り返し思い出すのだけれど、もっと嫌なことは忘却してしまう。それまでは病気の症状として出ていた原因である、小さい時の親からの(性)虐待を、大きくなってひょっこり思い出す。多くは複雑性PTSDの患者だが、怒りの発露の「予測不能」によって、公判維持は難しいかもしれない。
 殺人者は死を持って責任を取るべきだというのが、死刑制度の根拠だ。しかし、加害者が死ねば、被害者家族は癒されるのだろうか? 被害者家族は、喪失の嘆き悲しみの中で「なぜ殺されたのが隣の子ではなく、わが子なのか?」という運命の理不尽にたぶん苦しみ続けるだろう。加害者が国家によって処刑されたとしても、怒りは消えないと思うし、被害者に憎しみの連鎖は続くだろう。そして、憎しみとともに、被害者のこころの中で加害者は生き続けるだろう。
 死刑を叫ぶことは、加害者を糾弾する野次馬的大衆の怒りの発散にはなる。大衆的正義の発動は時として残酷だ。結果、リンチを引き起こす。
 死刑の執行は、被害者の癒しの一歩になると発言する被害者もいる。また、ある被害者は運命を受け入れ諦念し、「加害者を許す」という悟りの境地に達して、死刑廃止を訴え始める場合もある。被害者の「加害者と同じ空気を吸いたくない」という憎しみの前には言葉もないが、最愛の人を殺されて、憎しみだけを生きる糧にしてしまっては、そこに満足感などはなく、長い間経った後、きっと寂しいと思う。
 加害者も元は傷ついた子ども(複雑性PTSD)だったかもしれないが、死刑になっても被害者の死と被害者家族のこころの傷には責任は取りきれない。もちろん、被害者に寛容を求めてはいけないが、こころの傷から血を流し続ける憎しみに必要なのは、憎しみの同調者の存在ではなく、何より長い年月にわたる、愛(持続的関心)というやさしい手当てなのかもしれない。
 しかし、他者に責任を追求できる場合というのは、実は人生で圧倒的に少ない。
(Part2につづく)


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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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