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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

手を汚すということ

 施設の運営をやっていると、全体のために一部を切り捨てるということをしないといけないこともある、と以前に書いた。「誰も排除しない」という理想は持ち続けているのだけれど、現実には「切り捨てる」という汚れ仕事をしないといけない。

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 飲み会で、ある生活福祉課のケースワーカーと一緒になった時に、「保護の適性化は汚れ仕事だ」という発言が印象に残った。保護を預かるケースワーカーだって、いうほど悪人じゃない。誰だって、望んでいる人に保護を出して喜んでくれる顔を見たい。組織の人間だから上から適性化のノルマを命じられて、嫌がる受給者から保護を削るなんていうのは、汚れ仕事でしかない。
 ケースワーカーの天の声に、受給者は右往左往する。現場のケースワーカーは受給者の生活をよく知っているから、眼をつぶって切るしかない。政治的力関係によってその年の福祉予算枠が決まっている以上、どうしようもない部分がある。たぶん、憲法で定められた「あらゆる人の最低限の文化的生活」はこうして維持されている。
 例えば、国際貢献の中で平和憲法の理想を掲げ続けようと思ったら、外交上、必ず理想に反する内戦という現実のトラブルに暗躍して手を汚す人が必要だ。その方向性は、大量の自衛隊員を海外派兵させることではなく、数十人の軍人を海外派遣する国連軍事監視団などだ。こういう活動が、憲法の禁じる集団的自衛権発動の歯止めだと、ある本で読んだ。

 医療につながっていない急性期の患者さんに、ほとほと家族も困っている。本人も医療をかたくなに拒んではいても、出口のない状況に追いやられている。こんな時に多くの医者は、「患者の人権」を盾に、強制移送につながりそうな「往診」をせず、診察室から一歩も出ずに「とにかく患者さんを連れてきてください」と言って、相談に来た家族を途方に暮れさせる。
 しかし、汚れ仕事になるかもしれないと腹を括った一部の医師は、医療点数が低いにもかかわらず往診に出向く。患者の自宅で1時間、2時間の説得が続く。いろいろなケースがあるのだろうが、強制的に移送の車に乗せられた患者さんは、とりあえず出口を他人によって決められ、意外に安堵の顔をすることも多いそうだ。こういう例は、病気ではない引きこもりの人たちの間でも、訪問活動を行って外に連れ出すレンタルお姉さんの話などからも聞く。
 また、強制的な病気移送時に暴れ、ガムテープでぐるぐる巻きにされて車に押し込まれるケースもある。しかし、強制入院の時期を経た後、「あの時治療されてよかった」と漏らす患者さんもいる。一方、強制治療がトラウマになって、以後の医療から遠ざかってしまったり、恨みが煮詰まったりする人もいる。精神科救急では、暴れる患者制圧に特化訓練された看護チームの存在があるらしい。看護学校ではナイチンゲールの理想を学んだだろうに、そこまでさせられる現実に何といえばいいのだろう。

 医者のパターナリズムを壊していくのは当事者の力だが、全否定してしまっても、緊急の場合、医師が患者に迎合的になってもらっては困る場面が必ずある。いざという時に、やはり患者は医者にすがりついて頼りにしてしまうからだ。弱く思いつめた患者は「電気ショックでも何でもいいから、何とかしてください」と医者にすがることがある。
 保護室がないということを売りにしている精神科病院もある。しかし主治医などにその実態を聞いてみると、ある程度患者の選別が行われていて、本当に「手こずる」患者さんは近くの悪徳病院に送らざるを得ないということもあるらしい。
 「あらゆる強制治療は悪だ」という理想を実現するために、手を汚す人の存在がある。「手を汚す人がいてこそ、理想は現実に機能する」と思う。若い頃はぼくだって理想だけを語っていたのだけれど、世間を見回しても、手を汚そうとしないアマチュアな人は結構多い。しかし現実は、相手から最悪訴えられる覚悟をしてでも手を汚す人は必要だ。
 パンデミックという言葉をご存知だろうか? 新型鳥インフルエンザなどの感染爆発のことだ。一人の感染者が東京に現われると、感染は1週間で関東全域に広がる。もちろん非常事態宣言が出されるだろうが、病院には肺炎を起こした感染者があふれ、クスリも人工呼吸器も圧倒的に足りない。助からない人から人工呼吸器を外して、生きる可能性のある人に人工呼吸器を回す。その判断をする医師は究極の汚れ仕事だが、そんなことはいってはいられない。そんな事態が来ないことを祈るばかりだ。


コメント


 アマチュアは、責任をとるのが義務ではないので、どうしても、良い所だけを、見たいですよね。
 精神科の急性期で、嫌というほど、よい面と悪い面を短期間に、看護師の立場から、経験した僕は、辞めたあとも、まだ立ち直れずに、作業所で、慢性期の平和な、人たちと接して、癒されつつあります。
 病者が病者をという、ピアカウンセリングも、現実としては、ほとほと困っている、急性期の患者さん向きではなくて、通り過ぎたあとの、現実と向き合うときに、人と接するという点では、有効なのかもしれないと、ふと思いました。


投稿者: yoru | 2008年04月25日 18:49

 慢性期には、ほんとうにやさしく、病棟でもこころに傷のあるPTSDの患者さんを癒すって言われているのに、もっとも人に嫌われる急性期をくぐり抜けないとそうならないのですね。
 急性期はプロの仕事でしょう。でも長い目で見れば、本人の自然治癒力を本人が自覚出来る形で引き出すのが、気が長いようでももっとも早道です。
 その意味でもぼくは、急性期の電気ショックは百害あって、だと思っています。


投稿者: 佐野 | 2008年04月26日 23:22

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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