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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

セックスワーク

 ある精神科病院では、入院者のうち希望する者を、病棟ごとに職員が風俗に連れて行くそうだ。病院に長期入院している中で、性的な自己確認を行うことは大切だと思う。長期入院している人の社会復帰の第一歩はまず異性でしょう。

 ぼくは昔、身体障害者の施設にボランティアに行っていたときに、彼らをやはり風俗に連れて行ったことが何回かある。ご存知のように、施設では性はタブーだった。
 『私は障害者向けのデリヘル嬢』(大森みゆき著、ブックマン社)という本では、家の人に見つからないように打ち合わせをして、デリヘル嬢がこっそり裏口から、近所の人にも見られないように重度障害者の家に行く様子が描かれている。

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 またぼくは、施設内での身体障害者カップルを、ぼくの当時の彼女(らっきーちゃんねるの小神あきら似の、ってコア過ぎて誰もわからねーよ!)と連れ出し、温泉旅館に旅行に連れて行って、ぼくと彼女も裸になりそれぞれ介助して脱がせ、4人でお風呂に入ったこともある。
 また重度の身体障害者カップルを施設から連れ出し、宿泊施設で夜、愛し合える体勢にして帰り、朝早くトイレ介護に行ったこともある。
 歩けるけれど手足にマヒがあり、転びやすい男性を介護して、ポルノ映画を見に行った時に、トイレで「自慰行為の手伝いを」と言われたが、「それくらいは工夫して自分でやれ」と断ったこともある。
 男性障害者を風俗に連れて行くことについて、フェミニストから女性差別だと批判されたときには、当時は(今でもよく知っているとはいえないけれど)風俗の女性のことをよく知らなかったので、黙ってしまったこともある。女性障害者はホストクラブに連れて行けばいいじゃないか? という意見もあるかもしれないが、そういうことではないと思う。女性同士の目のあるホストクラブでは、恋愛弱者である女性障害者は楽しめない可能性が高いだろう。
 テレビのバラエティー番組では普通に使われているが、露骨な女性差別語として「ブス」という言葉もある。彼女ら(彼ら)は、競争社会の中での恋愛弱者だろう。とくに「美」に敏感である女性は、同性を見る目が厳しいようだ。女性同士で出会ったら、一瞬でお互いを「値踏み」するという話も聞いたことがある。

 今回は、ワーカーはワーカーでもセックスワーカーという人たちの話である。風俗やAVなどで働く女性、セックスワークをする女性については、『名前のない女たち』(中村淳彦著、宝島文庫)という3巻ものの本のインタビュー記事に詳しい。
 セックスワークをする女性にほぼ例外なく共通する動機は、親の借金だ。小さい時の身内からの性的なものも含めた被虐待経験があり、自己否定的な感情を持つ女性も多い。この本を読んで一番びっくりしたのが、父や兄、つまり家族からの近親相姦のあまりの数の多さだ。家族関係などがすでに崩壊している虐待家庭に育つと、こころを病んだりしながらも親の借金を肩代わりするような、とても親孝行な娘が育つ。あまりに皮肉な話だ。精神科医の斎藤学さんは「子どもっていじめられればいじめられるほど、母親になつき従順な子になる」と言っている。
 もちろんセックスが好きだという女性も、わずかながらいる。恋愛依存症に近いかもしれない。近親相姦で快感を得たかつての悪い自分を罰するために、過激なプレイの撮影にのめり込んでいく女性もいる。
 こういう彼女たちの事情を、風俗などに通う男性側はまったく知らないし、興味もない。ぼくもこの本を読むまではほとんど知らなかった。普通のバイトで1〜2週間の給料を1日で稼げるのは最大の魅力だけれども、セックスをお互いの親密度を高める潤滑油ではなく仕事として使う、あるいは最もプライベートな部分で主体性を放棄させられる理不尽を、女性はどのように感じているのだろうか? そういう感覚を鈍摩させなければ、今まで生きてこられなかったのかもしれない。
 おまけにセックスワーク中も差別は続く。同じAVでも、一人で演じる作品を与えられる人もいれば、その他大勢の一人でしか出演できないとか、いったん呼ばれながら客によってチェンジを強いられたりする「人気」という差別。日常生活では普通味わうことはない。彼女ら(あるいは彼ら)も普通に人間だから傷つくだろう。

 東電OL殺人事件の女性のように、エリートOLで金にはまったく不自由していないけれど、夜は娼婦という女性も中にはいるようだ。東電OLは、風俗などでセックスセラピー的に性的役割を確認する男性の逆パターンだ。彼女は「性的役割、自己確認」のためにセックスワークに向かう。男性以上のキャリアをもつ女性でも、社会は女の部分を切り捨てて、結婚しない女性を「負け組」として見る。売春をすることで自己確認をする。彼女は現代の勝ち組の価値観に従順に育って、摂食障害という病をもった病者でもあった。それほどに生きづらかったようだ(『東電OL殺人事件』(佐野眞一著、新潮社))。
 作家、エッセイストの中村うさぎさんは、「男を欲情させることができる」かどうかという、自己確認のためにデリヘル嬢をやった。彼女が「自分からデリヘルをする主体性が大切だ」と強調しているのは一つの希望かもしれない(『私という病』(中村うさぎ著、新潮社))。
 経営者などになってその業界に残る人もいるが、多くのセックスワーカーは歳とともに辞めて行く。身体を酷使しているからSTD(性感染症)やうつを始め、いろいろな病気になっているのかもしれない。歳をとったら百人百様だろうが、天涯孤独な老後を想像しがちだ。しかし、パートナーと穏やかに暮らしている場合も多いのだろう。


コメント


 若い女性の中途半端なやさしさって、男にとっては残酷だよ。。。
 重くなってきたら、逃げるから。。。傷つくよ。。。
 卑怯だよ。。。
 やさしはは、貫徹してほしよ。途中から手のひら返されたら、とても傷つくって…。


投稿者: 無名 | 2008年03月21日 22:36

 女を好きになればなるほど、観察するほど、知れば知るほど、女というのがイヤになってきました。
 ぼくはとうぶん、縁があっても、女は避けたいですよ…。
 男なら、ぶち当たる壁だとも思いもします。
 女性歌手の歌すら聴きたくなくなりました。
 分かりますか?
 ま、その他、いいたい事はたくさんありますが、この辺で。


投稿者: 無名 | 2008年03月22日 05:58

 今の自分は、男色に走ってしまう男の気持ちが分かるような気がしてきました。。。


投稿者: 無名 | 2008年03月22日 06:12

 女性に甘えるときもあるけれど、甘えさせてあげるのも大事ですね。
 ゲイの人は10人にひとりって聞きますけれど、たとえば、「早く孫の顔を見せてくれ」と親に言われてもできないですね。男性同士の甘えあいをホモソーシャルっていいますね。日本はホモソーシャルな社会です。


投稿者: 佐野 | 2008年03月23日 22:34

 いろいろ、考えましたが、やっぱり自分は女性が好きですね。女性を好きでないと、食欲すらなくなりますから。
 おっしゃること、ごもっともで、さすがに人生経験の違いを感じます…。
 今は、今まで好きになった女性をなるべく思い出して、忘れないようにしてます。忘れられた女が一番不幸だって格言もあるらしいから。やっぱり、男というのは、試練の度に磨かれないといけませんね。
 ご助言、ありがとうございました。少しは大人になれたかな?


投稿者: 無名 | 2008年03月24日 16:44

 好きになった女性って、けっこう共通項がある気がしません?また現われますから。思い出は大事にしてください。


投稿者: 佐野 | 2008年03月24日 21:04

 どちらかと言うと芯の強い女性を好きになることが多いです。
 マゾっ気があるんでしょうか?


投稿者: 無名 | 2008年03月25日 01:54

 ぼくもかっこいい女性がいいですね。
 しっかりしていない女性を無理矢理なんてこはないでしょうから、紳士的なんだと思います。


投稿者: 佐野 | 2008年03月26日 17:54

※コメントはブログ管理者の承認制です。他の文献や発言などから引用する場合は、引用元を必ず明記してください。

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
ムゲン http://www7.ocn.ne.jp/~lutheran/
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