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佐野卓志の「こころの病を生きるぼく」

ムゲンの歴史、ワーカーとして

 ぼくが作業所を作りたいと思ったのは、もう30年くらい昔になる。
 それから5年くらい経って、具体的な設立資金集めを始めた。主な手段は廃品回収と、それで集めた余剰品バザー。ぼくの再発入院の時期を挟んで、5年くらいで150万円を集め、古本屋として、そして何よりも居場所としてオープンした。
 ムゲンという名称は、資金集めから一緒にやっていた病者のNさんが付けてくれた。Nさんとは連絡を取っているけれど、今では老いて外出もほとんどしていないようである。30年前当時、松山市にあったのは精神障害者の当事者会が一つと、家族会作業所が一つだけだった。

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 ムゲンをオープンさせると、さっそく行政に援助金の話をしに行ったが「商売でやっているのだろう」と相手にしてもらえなかった。それもあって作業所の運営は困難を極めた。
 売り上げでは毎月10万円の家賃を払うのが精一杯で、誰も給料などは受け取れなかった。それで、店番・当番をしてくれる人に少しでも出すために、ぼくのコンピューター専門学校でのバイト代から給料を出したりしていた。

 当時は病者だけでなく、身体障害者や運動家、家出娘、いじめられっ子の高校生など、いろんな人が関わっていた。今のような精神障害者の居場所ではなく、居場所のないすべての人に開かれていた。
 しかし、古本屋の経営はいかに新しい古本を集められるかにかかっているので、寄付だけに頼っていたムゲンは売り上げも落ちていき、家賃が払えなくなり2年で閉鎖することになった。閉鎖の時には、昔ぼくが入っていた手話サークルの人や、社協のSさんが積極的に世話してくれた。
 潰したくはなかったので、結局、狭いけれど家賃の心配が要らない、父所有の使わなくなっていた薬局にタバコ屋として縮小移転した。家賃を払う必要がなくなった分、経営は楽になった。しかし、やはりほとんど給料は出ていなかった。
 移転してからは、病者が友達の病者を連れて来るようになった。身障者は行き帰りの介護を断ると、来なくなった。だんだん病者の作業所になっていった。相変わらず食事会は毎日続けたが、タバコ売り以外は作業をしない作業所としておしゃべりばかりしていた。
 そのころ、家族会の新しいK作業所の立ち上げをワーカーの協会(PSW協会、以下P協会)の人たちがバックアップして、1年で援助金をもらえるようにしたという話が伝わってきた。どうしてムゲンにはそういう人たちが関わって援助金をもらえるようにしてくれないのだろうとずっと思っていた。ぼくたちの存在を知っているにもかかわらず、なぜ家族会ばかり応援するのだろう、という思いだった。

 意識して無視する人はそれほどいない、だいたいは意識せず無視するものだ。無視されるほうにとっては、意識した無視ならケンカだってできるが、意識していない無視には黙って耐えるしかなかった。この間、ぼくたちは病者にも健常者にも、とにかく「人に期待しないこと」「諦めること」をひたすら学んだ。
 社協のSさんだけが気に掛けてくれていて、県にぼくたちのことを話したり、県の情報をもたらしたりしてくれた。そのうち県の精神保健福祉センターの所長と知り合うことができ、直接県の動きを知らされ、ぼくたちより10年歴史が古いもう一つの当事者会が援助金をもらえそうだと知った。ムゲンのことも話してもらっていて、もらえそうだということになっていた。
 喉から手が出るほどほしかった援助金は、結局社協のSさんと当時の県精神保健福祉センターの所長のおかげでもらえることになった。オープンから10年以上経っていた。

 その後、ぼくはワーカー(精神保健福祉士)の国試に受かりP協会に入会し、やっとワーカーの人たちにも広くムゲンが認知され、1年以上が経った。
 そのころ、畑寺町というところに市が建てた「きらりの森」という大きな施設にP協会が集中的にかかわっていた。ここは土地選定の段階から建設反対運動があったので、オープンを前に「町内を精神病者が歩かない」ように、「バスでの送迎」を地域住民と約束した。差別にフタをしたままオープンしてしまうことに強い危機感を覚えたぼくは、P協会に差別問題に対する議論を起こすべく呼びかけた。議論が盛り上がったら地域住民と裁判で戦うことも提起しようと思っていた。
 ぼちぼち反応は返ってきた。P協会の人たちとも話し合いを持った。しかし、彼ら彼女らが差別に対する怒りをまったく持っていないことに、ぼくは深く失望した。また、「きらりの森」のイベントに、ぼくは「こわれ者の祭典(※)」というものを推薦したが、「いたずらに住民感情を刺激し、ふさわしくない」と拒否された。まったく孤立して、「ぼくはP協会から必要とされていない、もう関わりを持たない」と思い、引きこもった。
 自分で引きこもってみて、逃げであると同時に、反抗心もあるとわかった。過去のムゲンの歩みで、P協会に無視され続けた恨みがフラッシュバックした。当事者とワーカーの二足のわらじを履くのはやっぱり無理だと思い、ワーカーの免許を返上しようとも考えた。
 しかし、主治医に言ったら笑われた。「P協会に認められたらだめだよ。君の存在価値は認められないところにあるのだから」と。「あっ、そうか〜!」とぼくも手を叩いて大笑いしてしまった。
 ぼくはいつもワーカーの悪口を書いているから、嫌われても当然だ。P協会から見れば招かれざる客かもしれない。ぼくのことを「P協会に必要だ」と言ってくれるワーカーもいるけれど、ぼくにはそれが実感できない。
 しかしそれでもムゲンがNPO法人化して、社員としてP協会の数人のワーカーの人たちは関わり続けてくれている。感謝である。

※障害を抱えながら、生きづらさを逆にパフォーマンスにしている当事者の団体。


コメント


>当時は、病者だけでなく、身体障害者や運動家、家出娘、いじめられっ子の高校生…居場所のない全ての人々に開かれていた…
 当時はムゲンだけでなく、他の松山の施設もそういう部分があったのでしょうか…?
 佐野さんのエッセイを読んでみて、本来作業所は、精神の障碍の方を含めた色んな立場の施設だという事を実感しました。


投稿者: ハイドラ | 2008年02月09日 05:17

 施設というのは行政的に、例えば障害者を10名集めて初めて援助金の対象になります。
 だから施設にいろいろな人が集まるというのはありえません。
 今のムゲンに出入りする人達は、みんな何らかの形で、精神障害に関わりのある人達です。これもムゲンの「施設化」ですね。
 本来「地域」にはいろいろな人が居て当たり前で、いろいろな生き辛さを抱えた人達が出入りしていて初めて「地域資源」と言えるのだと思います。
 でも、そういう理想を追求すると援助金がもらえず、運営が出来ないのです。


投稿者: 佐野 | 2008年02月09日 18:55

>意識しない無視には、黙って耐えるしか…病者にも健常者にも「人に期待しない事」「諦める事」を学んだ…。

 僕が当事者の活動や支援センターで働いて壁にぶつかってることを、そのまま書いてくれたと思います。まだまだ、佐野さんや関係者の方々ほど、苦労はしてないですが、この活動に携わる者、誰もが通る道なのでしょうね。


投稿者: ハイドラ | 2008年02月09日 21:42

 人を当てにするから、裏切られて腹も立つ。結局人に甘えていたのですね。
 自分はただ無力な一人。敗北者の考えですが、大人になるってそういうことではないでしょうか。
 大人になってしまえば、自分の出来る範囲で、マイペースにやる、これじゃないでしょうか。


投稿者: 佐野 | 2008年02月10日 10:47

 果たして無視したのでしょうか?
 協会というものは存じませんが、話し合いにはある程度のコンセンサスがあって成り立つもの。勝手な言い分だけでは前向きな関係は成り立たなかっただけではないですか?
 お互いの考えの違いをある程度認識することも必要では?
 年齢も年上の方にあれこれいうつもりはないですが、多分協会の有能で若い人たちが多いなかで、あなたの意見は率直過ぎたのかもしれませんよ。
 はたでらはオープンしました。ぜひ、一度自分で来られてみてはいかがですか?
 議論が、建設的なものならいいのですが、批判一辺倒ではさびしいものです。


投稿者: hiromi.s | 2008年02月10日 22:12

 はじめまして。佐野さんのファンです。
 「人を当てにするから、裏切られて腹も立つ」
 事業をするのは、普通でも厳しいし失敗する人が沢山いるのに、病をかかえながら営業も資金も何もかも独立してやるわけでしょう。一般的にサラリーマンが当然楽なのに。
 ハイドラさん、佐野さん、敗北者なんかじゃないですよ。うつになって動けないことありませんか。どこからそんなエネルギーが出るのかを知りたいです。


投稿者: くるみ | 2008年02月11日 01:29

hiromiさん:協会の畑寺の差別問題にたいするスタンスは、施設がオープンしたら自然に町中を病者が歩くことも出てきて、なし崩し的にその存在は認められる、というのが多数派です。
 ぼくには、そういう考えは世間擦れし過ぎているように思えて嫌なのです。

くるみさん:ありがとうございます。仕事をし過ぎるとうつになって、寝込んだりします。対人関係でストレスな出来事があると、幻聴が聞こえたりします。
 ぼくがムゲンのような「居場所」作りにこだわったのは、小さい時から家は安心出来る居場所でなく、発病前は死ぬほどの孤独を味わったのが原動力です。


投稿者: 佐野 | 2008年02月11日 17:28

 10数年前に、佐野さんからたくさんの本をいただいたことを思い出しました。
 そんな大奮闘の後だということをぜんぜん知らずに、今まで一方的に、甘えてきてしまったようです。
 それから、佐野さんがパソコンに強い理由も分かりました。僕はまだ、DVDのコピーをできずに、うろうろしていますよ。
 パソコンなんてやればすぐだと、甘く見ていたのだけど、いくらやっても追いつきません。


投稿者: 折山 | 2008年02月12日 15:44

 本当に本好きで、amazonのいいお得意様になってしまっています。本屋に行くのが面倒で、ついネットで注文してしまいます。
 ぼくで役に立つことがあれば、何でも言って下さい。えん罪を晴らすのは、並大抵ではないと思います。


投稿者: 佐野 | 2008年02月12日 17:44

 単に意見や考えではなく、実際に見て、感想を述べてもらえれば幸いです。意見は尊重しますが、偏った勝手な考えはあまり述べないでいただきたいのが本音です。
 失礼します。


投稿者: hiromi.s | 2008年02月25日 01:11

 畑寺のオープンはニュースで見ました。立派な体育館まであってすごいです。
 でも同時に、あれだけの立派な施設を作って30名程度のメンバーの利用です。コストパフォーマンスを考えれば、その資金で市内各所に作業所がいくつ出来るだろう?とも思います。


投稿者: 佐野 | 2008年02月26日 23:23

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プロフィール
佐野 卓志
(さの たかし)
1954年生まれ。20歳(北里大学2回生)のとき、統合失調症を発症、中退。入院中、福岡工業大学入学・卒業。89年、小規模作業所ムゲンを設立。2004年、PSWとなる。現在、NPO法人ぴあ、ルーテル作業センタームゲン理事長。著書に『こころの病を生きる―統合失調症患者と精神科医師の往復書簡』(共著、中央法規)『統合失調症とわたしとクスリ』(共著、ぶどう社)。
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