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野田明宏の「俺流オトコの介護」 2011年04月

自己存在証明のチカラ

 4月29日が金曜日なので、この原稿が4月最終号となる。
 しかし、その29日から世間様はゴールデンウィーク。在宅介護者が、どうにもこうにも、ハー!? と溜め息つきたくなるダークウィーク突入の日でもあります。
 比較する。
 なんでオレだけなんだ? どうして私だけなのよシンドイ目しているのは?
 最近、休日も稼働するデイサービスは少なくない。だけど、年末年始、お盆。そして直ぐそこに待ち構えている大型連休。在宅介護者は、テレビ画面に映し出される笑顔につぐ笑顔。成田空港から旅立つ日本人旅行者に石をぶつけたくなる。
 違うかな? オレはそうだった。
 今のオレ? 母がターミナルケアの時期に突入していることもあるけれど、つまり混乱期ではない。更には、デイサービスやショートステイの利用も介護保険枠目一杯。気持ちの余裕はかなりあるから嫉妬はもうない。
 でも、どうなんだろう? 海外へ飛び立つことを自粛する人は多いのだろうか今年は?
 さて、何回も記してきているが、5月、6月、そして7月を乗り切るとオレの在宅介護も10年目となる。正直、母のアルツハイマーを宣告された日、10年単位で介護するなどということは想像もしていなかった。
 ある在宅介護者がオレに言った。もう、後期高齢者の仲間入りされているような女性だった。ご主人を10年ほど介護し看取った経験者。
 「あんた(オレ)、オンナ(母)は生きるよ」
 その言葉が恫喝のようにも感じた。脅えもした。だけど、それは昔。今、母には、まだまだ生きて欲しいと。支えられて生きることに、自粛も遠慮もしないで。
 とはいえ、ここまで頑張れ・踏ん張れたのは周囲で支えてくれた皆さんのお陰であることは承知しているけれど、介護しながら自己存在証明できたことが大きかったとオレなりに自己分析している。
 自己存在証明。それは、どういうことか?
 在宅介護者。特に認知症在宅介護者。加えるなら核家族であったり母子二人・夫婦二人切り。つまり、世間とはシャットダウン。我が家。しかし、閉塞感漂うの空間のみの下、戦う生活が継続する人たち。
 オレは戦ってるぞー。アピールしたい。私はここにいるよー。認知して欲しい。しかし、その手立てがない。
 オレの場合。書く。という手段があった。その書いたモノを、媒体に掲載して野田明宏を認知してもらった。これは本当に励みになった。延長戦で講演依頼も飛び込んでくる。
 確かに、数百人の前で話しをするのはチカラが入る。だけど、数百人にオレの愚痴を聞いてもらっていると発想すれば、これはありがたいばかりだ。百人来てくれれば、二百の瞳がオレを見つめているわけだから。
 今。認知症在宅介護者のブログもたくさん立ち上がっている。本名を名乗っているモノはほとんど見掛けないけれど、どのブログも自己存在をアピールする。
 検索機能も充実しているから、その存在者同士・同志がパソコン画面から離れて、つまりONの状態からOFFの環境で出会い、意見交換したりするOFF会も花盛りの様相。そこで、自己存在証明を高らかに打ち上げることができる。
 自己存在証明。分かりやすく言うなら、世間と繋がっているということ。
 介護虐待。介護殺人。
 どんな手段であれ、世間との交わりこそが、この言葉を段々に消し去ってくれるとオレは確信している。

いろんな母がおりました。

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母親を“ちゃん”づけで呼ぶとは何様か?

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 「自分の母親を“ちゃん”づけで呼ぶとは何様か?」
 オレは母を和ちゃんと呼ぶ。アルツハイマーであることを母が宣告された瞬時、オレは、オレ自身の過去との回路が一時的に遮断されたように思う。
 “思う”と記してはいるが、こう記すしか説明のしようがないからこうなった。ハッキリ言って、9年前の記憶などスコブル曖昧だ。日記などを改めて捲れば、もっと異なったことを記しているのだろうけれど、これを書いてる“今”のイメージを大切にしたいから。
 オレの、エッヘン! オフィシャルブログのタイトルは“和ちゃんと一緒に!”。ホームページをリニューアルしたときから“新・和ちゃんと一緒に!”となった。
 前置きが長くなったが、もう一度。
 「自分の母親を“ちゃん”づけで呼ぶとは何様か?」
 オレのオフィシャルブログも母の病とほぼ同事に始まった。当初はメールがアチコチから着信して来たように記憶する。アチコチからとはいえ、そんな多くはなかった。ただし、文面・内容が強烈であったから多いように錯覚しているのだ。
 そうそう。まだブログという形ではなかった。HTML方式。タグなどを打ち込み、行替えなどしながらアップしていた。だから、個人の介護日記など数が知れていたのでターゲットにされたのかもしれない。
 「日本男の子として恥を知れ」
 「お母上が不憫」
 ホンマかいな? と読者方々からは疑われても仕方ないような檄文に近いようなモノまであった。
 和ちゃんと呼称する以前は“お袋”と呼んでいた。ガキの頃は“おかあちゃん”だった。
 確かに、このお叱りの声は正統派日本人であるなら良識の声だと想像する。想像はするが、いらぬお世話だ。
 和ちゃんと呼称するということ。これは覚悟の証であるということを、なかなか皆さん理解してくれない。
 お袋から和ちゃんへ。つまり、オレは母を在宅介護で看ますよ。という覚悟の象徴であり旗印であったわけだ。かな? ここまで入れ込んでいたかはオレ自身もパソコンに向かいながら疑問符点灯だけれど、あの頃を振り返るうちにオレまで檄してきてしまった。
 覚悟が決まれば、自ずとオレ自身の気持ちの方向性も定まる。
 母と一緒に生きよう。
 それが、
 和ちゃんと一緒に!
 へと、文字上で移行したに過ぎない。
 本当は、介護職方々全てにも、和ちゃんと呼んで欲しい。しかし、野田さんに始まり、和子さんが介護職としてのギリギリの線だろう。もっとも、いきなり和ちゃんも如何なものか? などと、介護者としてのエゴが見え隠れするオレでもある。
 和ちゃん。
 不思議なモノで、この呼称を実践していくちに、母は段々に、和ちゃんという表情になっていった。
 これは、オレだけにしか分からないことだけれど。
 和ちゃんと一緒に!
 まだまだ続きますように。



エンシュア代替品

 4月5日のブログで報告したエンシュアの緊急事態。続報を綴る。
 4月15日。この日は母の往診日だった。往診医は主治医でもある。この主治医が処方箋を書いてくれ、隣接の門前薬局から母のエンシュアが届けられる。届けてくれるのは、軽自動車で往診に来てくれる主治医と同伴の看護師さん。
 さて、オレの正直な感想&目立てを素直に記せば、エンシュアは5月下旬に門前薬局には入荷しないと予想している。
 エンシュア発売元のアボットジャパンのHPにアクセスしても、5月下旬からの出荷ということについては、今も以前と変わらない。
 もし、仮に、5月下旬から再出荷が始まったとしても、出荷調整等もあるにちがいない。それに加え、不謹慎かもしれないけれど、なんだか余震が治まる気配を感じないのだ。
 ニュース等でも、地震の専門家はそのように語っている。もっと過激な言い回しだけど。当然、缶を製造する工場も予定どおりに事は運ばないはず。今、エンシュアの栄養剤はあっても、缶がないから出荷できないとオレは理解しているが間違いないはず。
 こんなことを書けば、不安を煽るだけ。とのお叱り頂戴かもしれない。とはいえ、オレが感じてることまで調整する必要はないはず。調整するということは、本意を記さない。最近はあまり聞かないけれど、日和見でもある。
 もちろん、再出荷は早ければ早いにこしたことはない。それは、つまり被災地域での工場稼働が再会されたという明るい話題なのだから。
 岡山でもエンシュアに関しての噂はいろいろある。噂の仕入れ先は医師や薬剤師から。噂というよりは、より確実な情報だ。
 その情報の中で、7月初旬までは入荷しないだろう説にオレは同調する。かなり困るが、覚悟はしないといけないだろう。
 4月18日現在。エンシュアはまだある。明日、母が胃の中に納めるモノまで。6缶、知人から頂戴したので底をつく日が少し延びた。

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 で、4月20日からはエンシュア代用品が母の食料となる。
 門前薬局からは、アクトケアのシーゼットハイを2ケース。ゴールデンウィークを挟んで次の往診日まで3週間。3ケース欲しかったのだけれど、在庫なし。テルミールミニが代用品の代用品となる。
 アボットが発売元のグルセルナEX。基本的には、糖尿病を患っている方々用らしいのだが(取説にはそのように)、これは、ケアマネジャーの親会社が薬局ということもあり、取り寄せてもらった。これは、まだまだ余裕があるとのこと。
 とはいえ、3種類。実費は3万円に極めて近かったが1ヶ月分はある。
 一つお断り。
 我が家の場合、普段からエンシュアは3ケース単位で注文している。往診の日取りが3週間単位だから。買い占め。と想われるのは心外だ。
 尿取りパッドにしても、いつもケース単位だ。
 さて、自分で栄養剤を作る。こういう方も世間に存在することを、コメントを頂き初めて知った。推奨のHPにもジャンプ。こういうことは注意しないと胃ろうが詰まる、という詳細もあった。
 為せば成る。のだろう。しかし、下手に作って詰まらせると難儀だ。元来が、不器用なオレにはかなりのストレスだ。
 特別出費は痛いが、購入できる間は購入する。
 でも、本当に代用品さえ入荷しないという事態になれば根性決めるしかない。まず、こういう事は主婦に頼るに限る。主婦パワーはスゴイ。オレが苦手なことは、なんでもできることを、昨年末の引っ越し騒動の最中に身に染みた。
 エンシュアも含め、他栄養剤。まずは被災地へ。在宅介護で身動きできないオレなどができることは、こう願うくらいだ。そうであるなら、まだまだ覚悟の底は余裕がある。
 ほんの些細なことだけれど、がんばろう日本の末端にいる自覚が持てるから。



子どもの子どもになりたくない

 老いて後、子どもに世話されることは人間としての尊厳を放棄するかのような記事に注目したことがある。それはスウェーデンを取材し、そこには一老人の言葉が引用されていた。極めて短い。
 「私は、子どもの子どもにはなりたくない」
 ステレオタイプの日本人がこれを読めば、
 「子どもに世話はかけたくないからなあ!」
 と納得するのだろうが、かなり意味合いは違うらしい。文字どおりの意味であるようなことを取材の解説にはあった。いつ、なんという雑誌に記してあったかは失念してしまったけれど、この取材内容だけは強くオレの記憶に突き刺さっている。
 母はどうだろう? オレは、母が授けてくれた恩は繰り返し繰り返し蘇ってはくるけれど、それは凜としていた頃の母。今の母は、オレの子どものようであることは間違いないと思う。子どもではない。それはあり得ない。子どもの様、なのだ。
 全てがオレに仕切られていることは当然なのだが、オレの心の有り様に驚くことがときどきある。
 例えば、オレがガキの頃、母はこんな言葉をオレに向けた。学生服のボタンをちゃんと上まで填めていなければ、
 「あんた(オレ)はそれでいいかもしれんけど、親の私が風が悪い(みっともない)んじゃ。ちゃんと填めなさい」
 今、オレがときどき同様な気持ちになることがある。
 母の目ヤニの湧き出方はスゴイ。朝、目ヤニで上瞼と下瞼が貼り付いて目が開かない状態になっていることも。こんなとき、目薬を2滴づつ落としてから目ヤニを拭き取ってやる。オレは母に語りかけながら。
 「なあ和ちゃん。こんな目でデイサービスへ出陣したら、ワシが笑われるからのお! ちょっと辛抱するんで」
 母は顔をゆがめて嫌々をしている。それも可愛く見えるから、母はオレの子どもの様であるのだ。
 冒頭の、子どもの子どもになりたくない。でも、そんなに悪いことでもないような気がしてならない。

血中酸素濃度計測中
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哀れみはいらない

 ときどき耳にはしていたが、また聞かされてしまった。
 「お世話してもらうだけで、“ありがたい”と思わないと」
 独居老人男性がヘルパーさんを利用しているのだが、以前来ていたヘルパーさんからこのようなお世話までされたと。
 まあ、ヘルパーさんに悪気はないのだろうけれど、やはり、これは上から目線だ。確かに、老人がヘルパーさんに感謝はすれば良い。自分に出来ないことをしてもらうのだから。
 だけど、これは契約にもとずいて行われている行為。代価はちゃんと支払っている。つまり、敢えて言うなら、ヘルパーさんの方こそ仕事を頂き“ありがたい”と思わないといけないはず。
 皆、腹の中では色々と考え模索もする。しかし、ヘルパーさんが説教じみたことを言う必要など全くない。間違っていても、聞き流せば良いのだ。
 独居老人。それも長く続いているなら淋しいはず。オレなんかも、母からの言葉がないものだから、無性に人恋しくなることがある。オレも淋しいのだ。
 さて、この“ありがたい”について検証したい。即答。結局が、幸せの比較なのだ。誰々と誰々を比較し、お世話されているあなたは、お世話されていない人より幸せと思わないと罰が当たるわよ、ってなもんだ。
 オレの在宅介護。あと4ヶ月もしないうちに10年目に突入する。いろんな事があったが、多くの優しさに触れあえた。その優しさと直面したとき、オレはとても幸せを感じた。同事に、自己嫌悪も共存した。オレ自身は、そんな優しさを持ち合わせていなかったから。
 今は、母と一緒に散歩などということもないので声掛けされることもないけれど、母と散歩しているとき、事情を知ってる人からは、
 「あなたも大変じゃなあ!」
 耳にタコだった。
 この言葉。哀れみに聞こえるときも少なくなかった。
 「そうなんですよ。本当、ボクもこの歳になって大変です」
 こんな返答をしていたオレだけれど、腹の中では、
 「いらぬお世話じゃ」
 分かるのだ。心配・激励の声と哀れみの声の違いが。そういう視線を浴び、声まで聞こえてくるとき、無性に腹が立った。その視線・声に我慢するオレ自身も情けなかった。
 母の在宅介護が始まって心に決めたこと。
 他人の不幸をオレの幸せに置き換えない。
 認知症在宅介護者。
 哀れまれるほど辛いことはない。

乾燥注意報発令中の日に
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引っ越しをして3ヶ月

 母は今日、デイサービスはお休み。だから今、いつものように私がパソコンに向かう傍にいる。眠っている。口を空けて。入浴椅子に座りながら。
 以前から気づいていることなのだが、座っているとき。段々に、母の拘縮した腕が、胸に貼り付いたかのような腕が胸から離れる。引力の法則なのか? 専門家ではないので明言はできない。が、この拘縮も介護者の踏ん張り・頑張り次第では多少は緩やかになるような気がする。実際、2時間も座位を保っていれば、シッカリとタオルを握った手が胃の位置まで下りてくることもある。
 もっとも、この事象は、長く寄り添っている者でないと把握できない。デイサービス職員方々はシッカリ認知してくれている。最近は、ショートステイ職員の人たちも。
 パソコンから離れて、母の顔をジックリ観察してみた。目ヤニが浮かんでいる。目覚めたら、キレイに拭き取ってやろう。
 ところで、寝たきり状態で長く病院に入院してるお年寄りはあまりに多い。老人保健施設などは、リハビリという役割を果たせず特養なりGHなりへの待機所となっている様相。1年以上も生活している人など珍しくない。
 で、長期入院してる方々ご家族の不満を聞くこともある。そこで顕著に口にされる声は、
 「もう少し、フェイスケアをして欲しい」
 つまり、目が開けられないほどに貼り付いた目ヤニ。口周りの汚れ等。
 病院は治療する場で介護の場ではない。
 と開き直られると、ハイそこまでよ。
 でも、一日一回でも、暖かいタオルで顔を拭いてあげることはとても大事だ。本人も気持ち良い。面会する側も、真正面から視線を向けられる。
 と記しつつ、オレが関係してきた病院では、父も母も清拭をしてもらい、フェイスケアも万全だったのだけれど。
 ある介護施設で働く職員がオレに言った。
 「入院中のKさん、久々に面会に行くと“ドロドロ”でしたよ」
 ビンゴ!
 正に“ドロドロ”なのだ。
 かといって、介護施設でも同様のケースはある。
 介護の質が問われてる昨今、きめ細かい介護が行われているか? それを探知しようとするとき、オレはこの目ヤニに注目する。
 さて、去年に引っ越しをしてから3ヶ月と少しが経過した。季節はもう春爛漫。なんとか、今冬もインフルエンザと無縁で過ごせたようだ。
 認知症寝たきり在宅介護に新年度などないのだけれど、知り合いの介護施設のいくつかでは新卒さんが加わった。夢を失わず突き進んで欲しい。
 母が目をキョロキョロとさせている。失明しているのだけれど、目は動く。
 こんなとき、あり得ないのだけれどオレは想う。
 誰かを探してるのだろうか?
 目が覚めた。目ヤニを拭き取ってやろう。

デイサービスから帰宅 夕日に包まれて
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緊急事態 エンシュア入手困難

 4月1日掲載継続のような形になってしまったのだけれど、エンシュアについて、改めて今回も記す緊急事態となった。
 実は、エンシュアが手に入らない状況にある。
 なので、オレがこの情報を知り、どう動いたかを時系列で記していきたい。
 オレは、月刊ケアマネジメントという雑誌にも連載を持っている。ただ、東日本大震災の影響もあり、オレの手元に届くのが遅れていた。5冊、連載掲載誌をいつも送ってもらっている。
 当然、雑誌のホームページもある。クリックして覗いてみた。あったあった。手元にまだ来ない4月号の表紙と特集について触れてある。
 「ふーん! 今月号はこんな表紙なんだー」
 と思いつつ、ホームページを上にスクロールしていくとアレッ? 下に戻す。ここはもう、同系列のシルバー新報の領域。見出しをシッカリ見つめたら、
 “経腸栄養剤「エンシュア」5月下旬まで出荷中止”
 とある。内容はといえば、(以下、シルバー新報のニュースサイトより)
 
 宮城の製造工場被災で
 大震災の影響で経口・経管栄養の両方で使える医療保険適用の経腸栄養剤「エンシュア」の供給が不安定になっている。発売元のアボット・ジャパン(東京都港区、池田勲夫会長兼社長)では「出荷再開は5月下旬の見込み」という。宮城県の製品容器の製造工場が被災したため缶タイプの2種の製品が製造を中止。バッグ製品の製造は続いているものの、増産は難しい状況という。

 読んで、驚いた。直ぐに、発売元のアボット・ジャパンで検索をかけ、ホームページにジャンプ。ほぼ同様の内容が出荷調整と題され3月24日付けで発表されてあった。
 参ったなあ! 
 もっとも、エンシュアが入荷しない、という情報は3月29日に入手していた。この日はケアマネジャー訪問日。母担当のケアマネジャーの本家は薬局で、この手の情報入手は早い。
 「野田さん、エンシュアの入荷が困難になっています。もう、うちの薬局には全く入らない状況です。ただ、医師から処方箋をだしてもらって購入されている野田さんのような人たちは問題ないと思いますよ」
 処方箋を受け付ける薬局。母の往診医に処方箋を書いてもらい、隣接する薬局からエンシュア等を購入してきた。門前薬局とも呼ばれている。
 そうかー。そんな事態になっているんだー。自動車製造工場もストップだし。まあ、取りたてて緊張感も危機感も湧いてこないでいた3月29日夕刻だった。
 しかし、エンシュア発売元の発表を我が目で確認し、不安が走った。ケアマネジャーの声はもっともだと確信していたし、エンシュアが入らないとなると大混乱。透析患者より、エンシュアで生き延びている人の方が多いのでは? だから、生き死にに到達するまでの混乱は起きるはずがない。
 オレは、脳天気に信じきっていた。
 母がお世話になっている薬局に電話を入れた。今の往診医に来てもらうようになってからの付き合いだから4年以上になる。
 エンシュアは入荷し、我が家にも届くのか?
 問いたいのは、この一点のみ。
 結論は、入らない。エンシュアとは別に、ラコールという別会社製造で保険対応の経管栄養剤もあるのだが、これも無理とのこと。薬局側も、対応は極めて丁寧で親切なのだが、状況把握には混乱気味の様子。
 4月8日頃、改めて最新情報を電話連絡してくれることとなったのだが、エンシュア入手が無理であれば、保険対応外の製品で凌ぐしかない。もちろん、これについての相談もした。
 1パック200キロカロリーで30パック詰めが5400円ほど。1パックが180円なりだ。エンシュアは、1缶250キロカロリーで保険対応だから、1缶の自払いは10円ほど。カロリーもバランス良く配分されている。
 比較は良くないけれど、5月中に入荷を前提でも危機脱出には2万円前後の特別出費となる。まあ、1食が10円。というのが安価すぎるのだけれど、生活保護を受けてるいる方々もこのケースは全額自己負担となるのだろう。
 薬剤師さんの気になる言葉。
 「保険外の栄養剤も品薄感が出ています」
 そんなバカな?

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 今現在、我が家にはエンシュアが2ケースと2缶。合算で50缶。つまり50食分だから、4月17日には底をつく。
 品薄感かあ!?
 経管栄養剤が入手できないと母は生き残れない。同様の方々はあまりに多い。
 東日本大震災。今のところは間接的な影響で済んでいるけれど、経管栄養剤が入手できない事態になれば、これはもう震災直撃と表現しても過言ではないだろう。
 THE END
 なのだから。



胃ろう造設決断後の悩み・不安

 胃ろう造設する。
 あまり余裕もなく、あれよあれよいう間に医師から促されて決断する・した。
 というケースが多いらしい? オレ自身が個人的に聞き取りしたわけではないので体感で理解してるわけではない。ただ、最近の胃ろう造設への問い掛けから、そんな声をネット上で頻繁に目にしている。
 オレ自身は、以前も記したが、オレの方から医師へ積極的に胃ろう造設を懇願した。
 母が生き残る手段は、それしかない。
 嚥下困難時から決めていた。当然、決断する前は考えた。悩み、考えた時点が他様より早かっただけ。
 で、胃ろう造設するにあたり、決断後の造設前から造設後あたりに悩んだり不安だったりしたことを以下に記していきたい。
 まず、胃ろう造設後は経管栄養剤に頼ることになる。皆が皆ではなかったが、少なくない看護師から、
 「人にもよるけれど、胃ろうから栄養剤を入れるようになると下痢する人が多いなあ!」
 とにかく、オレの一番の不安は、この下痢だった。どういう程度の下痢かまでは様々なのだろうけれど、造設後の日々が思いやられた。

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 今、エンシュアという経管栄養剤を母は使用している。保険が効く。母の一食は、なんと10円だ。後期高齢者医療被保険者証のお陰で1割負担だから。
 母は胃ろう造設のため、10日間ほど入院した。これは検査も含めての日数。特養入所者などは、入院しないで、術後、少し落ち着いたら帰ホームする人も珍しくないらしい。
 もっとも、特養の母体が病院で、すぐ近所に併設のような環境であるなら問題ないのかもしれない。余談だが、病院暮らしをしていると、否が応でも雑音と接しなければならない。希に、ライターとしてのオレにとってホームランもあったりするから病棟名主さんとの付き合いも大事になる。
 話が逸れたが、病院でエンシュアから始める所はあるのだろうか? これについては十人以上から聞き取りしたのだが、エンシュア以上にハイカロリーな、日本でも一般的に有名な会社の栄養剤を使用している。
 母もそうだった。1回目を入れた翌日、完璧な下痢だった。目の辺りにして、オレも覚悟を決めた。ところが、翌日からは便が出ない。退院日が近くなって、浣腸して出したような記憶がある。
 結局、母の頑固な便秘は、経管栄養剤になっても変化はなかった。ただし、下痢の症状が出る人が多いことは間違いない事実らしい?
 でだ。振り返る。
 エンシュアは保険が効く。
 これを教えてくれた病院関係者はいなかった。オレは、エンショア以上にハイカロリーな栄養剤を3ケース、販売価格でまとめ買いして帰ったのだった。
 残念。エンシュアに保険が効く、と教えてくれた人を失念してしまっている。

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 次に、胃ろうボトル。看護師から指導されたのは、夕食を済ませたら、必ず消毒してください。つまり、除菌しなさい、ということだ。
 哺乳びんを消毒液に浸けていた方々も多いはず。それと同じ意味合いなのだが、オレは真面目に毎夜、それを実践していた。ミルトンという液を使用していた。ただ、これも結構ストレス。薄めてはいるのだけれど、こんな液に手を直接はアウト。だから、朝は医療用薄手袋を填めて洗う。
 訪問看護師さんに相談した。とても良いアドバイスを頂いた。
 「野田さん。あのボトル一式は食器と考えてください。食器を毎日、消毒しますか? 洗剤で洗うだけでしょう。消毒は週に一度もやればいいんです」
 もちろん実践した。ただ、洗ったあと、熱湯は流し込んでいる。
 次に薬。発熱すると、だいたいがロキソニンを使用する。粒は硬い。これ、シリンジで、注射器に似たモノで入れようとすると入らない。小さな粒となってシリンジ内に残る。必ず、粉末のモノを薬局に注文しないといけない。
 まあ、こんなところかな?
 胃ろう部位から浸出液が出る、
 胃ろう部位周囲が被れる。
 こんな悩みは、胃ろう造設してかなり経てのこと。
 胃ろう造設。悩みは、
 延命か否か?
 だけに限ったことではない。



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プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
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