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野田明宏の「俺流オトコの介護」 2011年06月

おりもの

 介護の形態も様々だけれど、息子が母を介護するとき、なんとも言葉にしずらいことがある。相談しようにも、照れくさいというか? オトコとしてはどんな顔をしてそれを表現して良いか戸惑うのだ。
 もちろん、オレは卒業はした。だけど、それにしても、やっとのことでつい最近のことだ。
 単刀直入にエイヤッと
 “おりもの”
 この言葉。この語彙が、長年の間、口にできずにいた。過去、母の介護についてはアチコチに書いてきたけど、“おりもの”をテーマにするのは初めてのことだ。
 パンツにしても陰部洗浄にしても、こんなことはアッケラカンのカーンで文面にしてきたのだけれど。母のパンツを、今は亡き? 岡山駅前のダイエーに中年面下げて購入しに出向いたことも今となっては懐かしい思い出だ。

 さて“おりもの”だ。
 母は、かなり以前から尿路感染している。今も現在進行形だ。尿取りパッドが黒ずむことがある。出血しているのだ。もちろん微量。パッド交換しているとき、ドロッと陰部からヨーグルトのような液が流れでることもある。
 とはいえ、治療のための抗生物質は使用していない。何度も書いてきたけれど、オシッコで菌を流す。限界はあるのだけれど。
 でだ。
 「野田さん。和子さん、“おりもの”に出血があるようです」
 デイサービス職員から報告を受ける。
 「仕方ないなあ! あまり薬に頼るのも良くないし」
 最近は平然と答えることができる。
 母が歩けていた頃にも度々あった。その頃は出血はなく、
 「息子さん、和子さん最近“おりもの”が目立つんです」
 「そうですかー?」
 平然としていることを装う。心は乱れ、脈は倍速状態。

 で、まあ、なぜ真っ正面から“おりもの”という単語がオレの口から発っせられなかったのだろう?
 まず、オトコとして“おりもの”とは無縁であったから。オレ自身が、なにかの拍子で耳にしたとき、それはオドロオドロシイようにも想像した。
 母の介護を通じて“おりもの”を目にし、介護職員等と“おりもの”にフォーカスをあてて話し合うようになったのだが、どうにもオレの方から手立てを積極的に口にすることはない。正直、全く分からない。知識もないから知恵も湧かない。
 知人の女性から、
 「女性同士でも“おりもの”について語ることは抵抗ありますよ」
 こんなアドバイスも頂戴した。
 
 結局、では、なぜオレが今、この“おりもの”という言葉を口にし、照れもそこそこ消えたか?
 慣れ。母の“おりもの”を処理することでオレ個人、内心の抵抗はまず消えた。そして、この言葉を希に発し、その発する言葉数が増えていく度に違和感もオドロオドロしさからも解放されたように思う。
 どうにも上手くまとまらないのだけれど、男性介護者が声にしテーマとして掲げるには難題だったのかもしれない。
 ただ、口にしにくい言葉を口にできないで、病が進行したなどと後悔することだけは避けなければならない。
 こんなフレーズがあったなあ! 
 オトコは辛いよ。
 
 午前9時過ぎ デイサービス出陣前にして

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訪問看護ステーション紙ふうせんに同行して

 6月7日・8日と訪問看護ステーションに密着した。1000カットほどは撮ったように思う。保存したのは600枚弱。
 お世話になったのは、訪問看護ステーション紙ふうせん(以下、紙ふうせん)。       
 岡山市中心部のほぼど真ん中にあると考えてもらって良い。ビル群からは少し距離はあるけれど、車で移動を前提ならこの距離は無視できる。
 さて、オレがなぜ? 紙ふうせんで2日間を密着することになったかを簡単に記せば、
 「野田さん、断片的に見てもらっても訪問看護ステーションが置かれている現況は分かってもらえないと思います。だから、2日間、一緒に動いてくれるなら歓迎しますよ」
 紙ふうせん管理者である玉置君江さんから、凛とした口調で提案されたことからこのミッションは動くこととなった。玉置さんを紹介してくれたのは、以前に取材で知り合った、紙ふうせんの利用者さんからだった。
 オレは紙ふうせんを訪ねた。
 あとになって玉置さんから、
 「野田さん、第一印象が悪かったからなあ!」
 そうなのだ。オレは、どうも介・看護職の事務所や現場である職場を訪ねたとき、好印象を持ってもらえない。それはオレも分かる。敢えてそうしてる自分がいることをオレ自身が気づいているのだから。なにか、反抗的? 敵対的? に振る舞ってしまう幼いオレがいる。なんだろう? これは。単に、アホなのか?
 で、玉置さんの言う“訪問看護ステーションが置かれている現況”とは、マンパワーが極めて不足している、ということ。募集広告を何度打っても、応募者は皆無。電話での問い合わせさえもない、とも。なので、最近は募集広告も積極的には打たない。職安もアウト。
 で、問い掛けられた。
 「野田さん、なぜだと思います?」
 結局、この問い掛けの回答を見つけ出すための2日間だった。
 2日間で4件のお宅を訪ねた。4件。これは玉置さんが管理者であるが故に、他作業、事務やら新規の利用者さんの調整等々の仕事が重なっているからで、他職員の訪問は一日4~5件ほどが平均らしい。
 しかし、各家々をお邪魔させてもらうのは楽しい。本当に、その利用者さんの歴史がシッカリと刻印されているかのように、それぞれのお宅に味がる。自然と、失礼極まりないのだが、左右上下、首を一捻り二捻り。オレの視線はキョロキョロとする。心、ワクワクもする。
 強く想う。
 「最期は、ここで逝きたいよなあ!」
 更に思う。
 「口チャック(守秘義務の徹底)」
 想う&思うは微妙に異なることを付け加える。
 そこで、先の、マンパワー不足の“なぜ?”へのオレなりの視点。
 4件同行して、4件それぞれに独特の味わいがあった。オレからすれば、どこも強烈なスパイス。そのスパイスは個々で異なる。だから、4件全てに、臨機応変が必要となる。一様ではないのだ。だから、マニュアルなど論外。4件が4件の強い個性を放散させているのだから。
 病院ならスタッフも大勢いて、際どい、判断に戸惑うときは上司に判断を委ねることもできる。しかし、訪問看護は個と個で成り立っており、看護師はその場での決断を迫られる。やりがいは大きい。が故に、ストレスも半端ではないはず。
 もちろん、帰ステーションして上司や同僚に相談する。しかし、現場にいるときは、他看護師も現場で動いている。現場では、己の力量と決断が全て利用者さんへの善し悪しに繋がる。密室でもある。この辺りに、なぜ? の回答の断片があるような気がしてならない。
 もっとも、2日間で理解できるわけもない。そんな器量がオレにあるわけがない。難しい課題を抱えての取材だったけれど、基本的には楽しくも充実した2日間だった。
 せっかくなので、これからも時々、一緒に同行させてもらうことにした。第一印象の悪さは打破できたようなので?\(^O^)/
 そう。長くお付き合いしないと、信頼は得られない。
 以下に、写真15枚を貼り付ける。蚊取り線香の写真もあるけれど、微細な所・環境に気配りしなければならない。
 訪問看護。この仕事、まずはコミュニケーションありき。心が通わなければ出来ない仕事であることだけは2日間で納得した。失言か? 出来ないことはないだろうが、良い仕事はできないはず。
 もちろん、利用者さんにとってだ。訪問看護師を待ちに待ち、言葉・心の温もりを感じたい利用者さんも多いのだから。いや、バイタルや治療よりも、独居の方は特に、孤独・孤立感から瞬時だけでも解放してあげることが一番の使命かもしれない。そして安心を授けることが。
 正に、人間と人間が真っ向から向き合う最前線なのだ。
 写真の女性が、紙ふうせん管理者である玉置君江さん。年齢不詳? ですね。
 それと、各写真に詳細は記さない。読者方々の想像力にお任せとなります。

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バス車中で

 母が3泊4日のショートステイに出陣した間の夕刻。独り呑む晩酌の量は多くなる。独りで呑むことには慣れた。まずは解放感。そして若干の寂しさ。次第に人恋しさも湧いてくる。まあ、それなりに哲学しながらチビチビとやる。
 冬場にズーーート継続してきた日本酒一筋から、最近はビールを加えた。もっとも、シャワーを浴びて直ぐの350ml1缶のみ。
 美味い! 
 季節の変化を五臓六腑に染み渡らせながら。
 その後、冷やしてある安価な日本酒を2合ほど呑む。肴はカツオのタタキが中心だ。人恋しさを募らせながらも、それに耐えつつ。独居老人の走りを体感しているようなものだ。
 友人を誘って呑みに出ることも考える。が、外に出て呑むことにも疲れるのだ。先に独居老人の走りと記したが、老人の走りなのかもしれない。
 ハー。やれやれだ。なんか、ちょっと弱気?
 梅雨入りがとんでもなく早かったし。かなりジメジメしている。ただ、外の雑草に目を向けると、それなりの風情もあった。真ん中の水滴。ヨーク観ると、オレが写っているのが分かるかなー? \(^O^)/

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 さて、昨年末に引っ越しをしてから、オレにとってのJR最寄り駅というのが無くなった。以前は、ママチャリ漕いで5分の距離に、岡山と兵庫県の赤穂を結ぶ赤穂線の駅があり、この駅を中心にしてオレは動いていた。
 ところが今、最寄り駅となるとママチャリ漕いで30分以上かかる場所になる。もはや、これは最寄り駅という範疇から逸脱。ローカルなのだ。
 だから、まずはバスに乗って動くことになった。これもハンディあり。以前のバス乗り場は始発駅。ほぼ確実に座れた。今、停留所はバス路線のほぼ中間に位置しており、通勤時は間違いなく座れない。若い頃、座ることなど全く意識していなかったのに。
 そして本題。
 バス停留所から乗り始めて気づいたことがある。いや、以前から気づいてはいた。ただ、体感として気づき始めたということになる。
 プライベートでも取材でもバスだから、アチコチの病院前の停留所から乗車してくる人たちを見る。老人。障害者。特に、脚の弱っている老人。脳疾患関係からか? 麻痺を持った人たち。
 この方々、乗車することに健常者よりかなり時間を必要とする。致し方ないことだ。ゆっくりマイペースで良いのだ。権利はないけれど、世間のおおらかな視線と慣習で補える。と記しつつ、ときにイライラするオレがいる。
 で、乗車することに時間が必要ということは、下車するのにも時間が必要となる。これを、障害を持っている人たち、ご本人自身が一番良く理解している。だから、バス後部に空席が目立っていても、前部へ前部へと視線が向く。皆が皆ではない。でも、失礼極まりないかもしれないけれど、オレは興味を持ったので観察してきた。乗車して前部を意識してる人ばかりだ。
 つまり、これは、他乗客に迷惑を掛けたくないことからの姿勢なのだ。オレも座骨神経痛で5分の歩行継続が困難だった頃、バス乗車の乗降口の段差がキツカッタし、自然に乗車してから空席探しは前部であったから。
 障害を持つということ。持ちながら世間と繋がっているということの厳しさと謙虚さ。なにげないバス車中風景から勉強させてもらった。
 ところで、なんだか暑い。岡山では平年より暑い日が続く。今夏、たぶん厳しい暑さなのだろう。酷暑。
 だけど、日本国のエライ政治家さんたちの発想によると、電力節約につき、エアコンは止めて扇風機で乗り切ろう案が浮上している。家庭での生活においてだけれど。
 オレが想像するに、お年寄りには絶対にキツイ。オレもシンドイぞ。だけど、生誕した瞬時からエアコンと共に生活してきた世代である若者の方が耐えることにキツイような...
 なんだか、とんでもない時世になりつつある予感がしているのはオレだけだろうか?

帰宅だー それー

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私の話を聞いてくれてありがとう

 母が、母なりの調子の良さでデイサービスに向かった。昼前頃から雨マークなので、オレは出掛けないでパソコンの前へ。
 今日は、週に一度の摘便の日。座薬を入れてもらい、排便を促してもらってから摘便してもらう。母の便秘はかなり強力。もちろんオレも承知している。以前はオレの役割分担だったから。
 ただ、最近、この摘便後、母は微妙に貧血モドキになるらしい。顔色悪く、血圧も低下。便ショックとも呼ばれているらしいのだが、認知症ターミナルケアでは付きものでもあるとも聞いている。穏やかな日々が継続するも、心配事が着実に増えてはいる。

 さて、6月7日・8日と、岡山市内にある訪問看護ステーションに密着取材することになった。
 「断片だけ見てもらっても分からないですよ。2日間継続して一緒してくれるなら、患者さんからも承諾を得ます」
 強い言葉だった。凜ともしていた。
 断る理由などない。問題は、母のショートステイとの兼ね合いだった。が、なんとか訪看とショートの折り合いがつき、オレは介・看護の現場に密着することになった。2日間で在宅4軒に向かうのは初めて。緊張感が今から湧いてくる。
 今、この件での悩みは、カメラを1台増やそうか? ということだ。ニコン2台を仕事用で使用している。ただ、いつも厄介なのがレンズ交換。
 部屋全体をカバーするなら超広角。表情を前面に出したいなら明るい標準レンズ。瞳だけを撮りたいならマクロ。1時間勝負の中で、ほんの一瞬を逃したくないのだ。
 オレは上級器を扱えないので中級器。それでも10万円だ。悩む。

 父を看取って、介護の現場に興味を持った。あれは40歳前後だったはず。初めて訪看・看護師に同行して取材に出向いた日。
 被介護者は80歳代のご主人。介護者は同年代の妻。この妻である奥さんからの説教と、最期の一言が忘れられない。
 いろんな質問をしてきた。聞くということの大切さは理解していたから、取材は放置して奥さんと向き合った。
 結婚は? 仕事は? 子供は? 矢継ぎ早だった。
 「野田さんと言うんじゃな。なあ野田さん。人生というのは、結婚して、子供を産んで育て上げ、仕事もシッカリしたモノについて、そうやって段々に一人前になり、立派な人に成熟していくんよ。あんた、フリーターじゃあ、どうにもならんよ」
 延々と、こんな感じの説教が続いた。気づいたら、看護師は帰路への準備中。摘便したとのことで、便臭が漂っていることだけは体感。一寸落ち込み気味で、オレも玄関を跨ごうとしたとき、奥さんから一言。
 「あんた、見掛けより良い人じゃなあ。私の話を聞いてくれてありがとう。いつでも、一人でおいでなさい」
 収穫は0ではなかったのだ。いや、想定外の取材ができた。そして、聞くことの大切さを改めて納得させられた日でもあった。
 この日のこと。初心として、忘れないよう心掛けている。

午前4時半 外はもう明るい 
新聞紙を外して、シッカリしたカーテンに替えないと(^_^;)
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プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
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