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野田明宏の「俺流オトコの介護」 2010年12月

母 新たな出陣風景

引っ越しがほぼ終わった。
とはいえ、まだ旧借家の残務整理は終わっていない。
転居届けもまだで、いろんな事務整理に頭が痛い。
これは来年だ!
ということでも良いのだろうか?
仕事納めに間に合うか? 郵便局だけには届けておかないと な。

さて、新借家での母のデイサービス出陣ストーリーを掲載する。
実は、デイサービスまでの距離が極めて近くなった。直線なら50メートルほどか?
ただ、直線コースはないので迂回して向かうことになる。車で1分。
オレはこの日、マイチャリで追いかけた。

1 9時10分頃 着替えさせて待機
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2 車椅子が乗り上げてくるのでカーペットを敷く
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3 9時20分前後 職員二人到着
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4 車椅子が乗り上げる板を架ける
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5 車椅子が入る。 ここで、オレが母を抱え車椅子へ オレはオレの写真が撮れない
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6 リフトカーへ
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7 デイサービスへ到着
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8 リフトカーから下車
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9 デイサービス玄関先
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10 デイサービス内へ
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11 着座
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12 一段落 やれやれ
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オレの介護地獄序章

 “介護地獄を彷徨った”
 過去、この連載で折に触れてこの文言を記してきた。
 しかし、介護地獄などというのは、介護者サイドからすれば本当に百人百様だろう。認知症で例えるなら、認知症の疑いのある家族同伴で確定診断に出向き、
 「アルツハイマーの初期ですね」
 と医師から診断を受けたときから介護地獄がスタートする介護者。そう、アルツハイマーが確定したのだから、付き添ってる家族は必然的に介護者としての自覚が必要となる。とはいっても、付き添っただけで、家族も大勢いれば介護者からスルーできる可能性は大きい。
 確定診断前からイライラが募る家族もいるに違いない。確かに、認知症の疑いのある家族を精神科に連れていくのは半端な覚悟では難しい。疑いのある本人に自覚があれば納得もしてもらえるだろうが、自覚がないのに精神科の門を潜るのは抵抗がある。
 もっとも、昨今は精神科が母体であっても、“メンタルクリニック”等という名称が一般化されおり、建物も内装も明るい雰囲気作りが徹底されているので昔ほど現世との違和感を感じることはない。
 さて、ではオレの場合の介護地獄はいつからだったのだろう? 母のアルツハイマー在宅介護も9年目の半ばに差し掛かっている。母が、今のままの状態を継続してくれたなら12月30日で84歳になる。その時点で、介護者としての今年の目標が完遂される。そうこうしているうちに来年の2月が到来し、オレは55歳になり、大胆な絞り込みをすれば、なんとアラ還世代に突入だ。(◎-◎;)
 記している意味をご理解してもらえるだろうか?
 母には、どんな形であっても長生きして欲しい。この気持ちは100パーセント純粋なものだ。
 しかし、高血圧症に自律神経失調症。挙げ句に座骨神経痛まで抱えてしまい、少しキツイ動作を繰り返すと脈の勢いがグーンと増す。正直、精神的には若い、というか幼いままなのだけれど、肉体的な衰えは顕著だ。
 先々、オレは健康ではないけれど、それでも今のままの体力を維持できるのだろうか? 最近、この不安が脳裏につきまとう。ヤレヤレだ。
 こんな不安を抱えはじめた今日、老々介護の方々には、アッパレと言いたい。
 話が核心から逸れた。
 今日は12月24日。彼女がいない歴?年も経験しているので、このクリスマスイブという日は今も好きになれない。若い頃、一人で独り、それも都心下で過ごしたクリスマスイブは厳しく哀しいものだった。
 そして、クリスマスイブイブと呼ばれる2004年12月23日から24日へと続く深夜未明、母の尿失禁が始まった。
 オレの介護地獄。たぶん、仕切り線を引くならこの日からだろう。この夜のことは、年明け、1月7日の金曜日に。

3年前の冬 防寒 岡山後楽園で
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母の努力

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 引っ越し作業も大詰めを迎えている。20日の今日も、友人たちの車で荷物を搬送。そして、いよいよ明日の12月21日、母の医療用ベッド等を新居へ運び込んで大方の引っ越し作業が終わる。新居といっても木造平屋。ただ、今より俄然、快適ライフとなる。お湯が出る\(◎o◎)/!
 大方、と記したのだが? 我が家は借家。政令指定都市に位置するとはいえ、トイレは汲み取り。岡山市の下水道普及率は、政令指定都市の中でもダントツで低い。50パーセントに届いていたか? 合併&合併で人数だけは確保しての誕生だった。
 話が逸れたが、最後に屎尿処理をバキュームでギューンと吸い取ってもらって一件落着だ。
 で、引っ越し作業などをやってると、新たな発見と出会うこと頻繁。借家人とはいえ、40年以上も住んでいたのだから。いろいろな出会いがあったのだが、心にキュンときたのは写真のモノだ。
 これを見て思い出した。アルツハイマーを確定診断される前から、オレが家賃の振り込み担当にになっていたことを。
 世の中、便利になればなるほど、老人が混迷する典型だろう。
 母は、模索し頑張っていたのだ。
 3867は暗証番号。
 31500は家賃だ。
 母の努力。この紙は今、オレの財布の中にある。



母の肋骨が折れた2

 今回は12月10日掲載の続きとなるのだが、母の肋骨を折ってしまった経緯を書く。
 とりあえずもう一度、スクロールしてその折れている写真(12月10日掲載のブログ)を見て欲しい。整形外科で胸のレントゲンを撮って、それをカメラに納めたモノだ。素人目にもハッキリ分かるから余計に痛々しい。
 さて、この事件は本当にささやかなことが発端だった。この頃、外見だけから母を認知症と判断するのは難しい時期でもあった。会話にしても、「おはようございます」と近所の方から声かけされると「おはようございます」と頭を下げながら微笑んでいた。
 春先の深夜だった。日々の寒暖差が激しく、オレは母にスエットを着せることにした。万年床。布団二つ並べて寝ていたので、オレは隣の母に声を掛けた。
 「和ちゃん、寒いからスエット着ようやあ!」
 眠ってはいなかった。母は、夜になっても眠らないことが多くなっていたから。昼夜逆転の始まりではないか? その疑惑が恐怖となってイライラするオレもいた。
 母を起こし、スエットを差し出したが自分から率先しては着なかった。イライラは増長する。
 「和ちゃん、頼むから着てくれる? 風邪引いてしまうで」
 二度三度。お願いするように。それでも母は手を袖に通そうとしない。確かに、シャツを足から、ズボンを頭から、ということも少しづつ始まってはいた。
 イライラ イライラ
 オレはスエットを、母の頭から突っ込もうとした。途端、私の左手の甲に母の爪先が食い込んだ。
 母が故意にやったとは想像の外。偶然だったはず。でも、痛いことは痛かった。イライラへの上乗せでもあった。
 「イター!!」
 オレが声を上げたと同時、オレの右手は母の左脇腹に伸びていた。平手で、オレの感触では少し強めに叩いてしまった。ただし、この時点で特別、母に異常を見て感じることはなかったのだけれど…
 結局、スエットは着ず終い。
 明け方、母の息づかいが荒いことに気づく。苦悶にはほど遠いものの、それでも表情は厳しい。
 「和ちゃん、胸が痛いんか?」
 「痛いなあ!?」
 しかし、肋骨が折れているなどとは想いもしなかったオレは、デイサービスへ向かわせた。
 やれやれ。
 ところが、母が予定時間より早く帰宅してきた。
 「和子さん、午前中はさほどでもなかったんですが、午後から急に、胸を触って痛い 痛い を連発されはじめて。なにかありました?」
 オレは正直にデイサービス職員に話した。途端、
 「息子さん、それは確定診断へ直ぐに行かないと」
 タクシーで整形外科へ。レントゲン撮影後、医師から。
 「野田さん、こことここの2本。誰の目にも分かるでしょう?」
 シッカリ折れていた。
 肋骨というのは、クシャミでヒビが入ったり折れたりするほど弱いモノであることは承知していた。ましてや、母は骨粗相症でもある。
 病院から帰宅して、母に謝った。胸にベルトを締めた母は、オレの言葉に微笑み返した。今度は、オレの目から涙がこぼれはじめた。
 母子でなければ、ゴメンでは済まされない。
 細い身体に1ヶ月、ベルトを巻いた。時間が治療ということだったが、介護力の足りなさを痛感・露呈する際だった事件だった。
 とはいえ、介護地獄がすぐそこにまで迫ってきていたことに、オレはまだ気づいていなかった。

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母の肋骨が折れた1

 今、この原稿を書いているわけだけど、隣のベッドに母はいない。一昨日からショートステイに出向いてもらっている。明日には帰ってくる。しかし、なんだか母の様子が知りたくて、早朝、ショートステイ先まで訪ねようか? と悩んでいるオレがいた。
 オレは車の運転ができない。免停になっているわけではない。免許そのものを取得していないのだ。だから、公共交通を利用して1時間少々かけて向かうことになる。往復だけの時間で3時間が必要になる。車なら片道20分だ。結局、やはり休養しておこう、におちついたのだが、今も心は落ち着かない。
 ショートステイ先に対しては、母の背中の表皮剥離等々で不信感を抱いた頃もあったが、今は大いに信頼している。雨降って地固まるの典型だろう。では、なぜに訪ねようか?
 ただただ、母の顔が見たい。それだけ。完璧なマザコンと呼ばれても致し方ないことは承知。でも、そうなのだから。性分? オレが東京で忙しくしてる間のショートステイなら心の動揺もさほどではないのだけれど...
 もっとも、こういう性分になるまでにはいろいろあった。認知症の家族を在宅介護していて、いろいろない家庭などあるわけがない。ましてやオレの場合、母のそばで一緒に寝起きをして9年目の在宅介護。二人三脚で生きてきた、と表現して過言ではない。
 ショートステイを実際に利用し始めたのは胃ろう造設後からだが、一度だけ、母同伴で別のショートステイを見学に行ったことがある。もう5年か6年ほど以前になる? 混乱期には突入してはいたけれど、介護地獄を彷徨うのはまだまだ先のことだった。
 そのショートステイ、築後、そんなに経過していない施設内にあった。陽射しも良く、オレは明るく感じた。部屋に案内された。個室だった。なにもない。白一色が際立っていた。
 3分ほどはそこに居たか? それからホールに出、主任看護師さんを交えてオレが母に問うた。
 「和ちゃん、どうする? ここで少しお泊まりしてくれる?」
 母はオレの手をを強く握りながら訴えるように言った。
 「わたしゃなあ、あんたに叩かれても、あんたと一緒がええんじゃ」
 オレは、考える間もなく、主任看護師さんに今回は見合わせることを伝えた。
 強烈だった。今も、あの瞬時のことは鮮明に記憶している。
 だからかもしれない? ショートステイに託す毎回、ホッ! とするオレと、罪の意識を抱えてしまうオレが共存する。
 写真は、「叩かれてもええんじゃ」の叩いた現実。肋骨が2本折れている。母の肋骨だ。素人目にも分かる。オレが叩いて折った。
 この件は、次の金曜日に!

折れた肋骨2本
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母との瞬時

まずはお断りです。
 この原稿は、11月30日・火曜掲載の延長にあるモノで、リアルタイムに行動&実践しなければならないことについて記します。
 次回からは、通常モードの過去に経験したことや考え悩んだことに触れることになるのですが、これまで火・金曜と週2回頑張って連載してきましたが、火曜は不定期とさせてもらうことにしました(m_m)。
 で、以下に、母が検査入院した結果が記されたモノ。字が小さいかもしれないですが、読めないとなると、虫眼鏡等を活用でお願いいたします。

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 やはり、脳の萎縮がかなり進んでいた。
 心臓 肺 胃 腸などに問題がなくても、脳に問題があれば嚥下機能を筆頭にアチコチやられてしまう。今回の結果の文言の中に“週末期”という語彙も含まれているが、これは胃ろう造設した時点から想定内だったのであまり驚きはしなかった。
 ただ、デイサービスにお世話になっているときに、特変があれば緊急時対応を考えなければならない。他利用者さんもおり、いくらオレ自身の口から、
 「できればデイサービスで逝かせてやってください」
 と懇願しても無理なモノは無理。今、どこに搬送するかを模索中。我が家であれば、オレ自身の決断でOK。下顎呼吸がはじまっていれば、オレが抱いて逝かせてやりたい。
 それと、胃ろう交換について。前回の交換時から胃カメラを飲んで交換することになったのだが、交換後、顔面蒼白で戻って来た。母は辛かったのだ。とても不憫だった。なので、胃カメラを飲まなくても良い病院を探している。
 しかし、週末期。今日、突然にお迎えが来るかもしれないし、3年後かもしれない。
 今、母との瞬時を大事にしたい。
 以下の写真は11月30日午前に撮ったモノ。表情は穏やかだ。

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プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
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