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野田明宏の「俺流オトコの介護」 2011年01月

胸のレントゲン写真

 昨年11月30日のブログに“母の異変”と題して記した。ショートステイの3泊4日を検査入院に切り替え、ケアマネ、デイサービス職員、さらにはショートステイ先の職員を交えて緊急カンファレンスも行った。主な議題は、母の緊急時対応だった。
 ところが、年末に84歳の誕生日を無事に迎え、今も穏やかに過ごしている。噎せは頻繁だけれど、唾液は喉を通過した後に肺へは向かっていない。恐怖の誤嚥性肺炎とは未だ無縁。心臓と肺の音はスコブル良いのだ。
 以下に1枚の写真を貼る。

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 向かって左が母の胸を撮ったレントゲン写真。右が脳のどこかの部位のモノ? としか素人には判断つかない。とはいえ、時代は日進月歩なのだなあ! とツクヅク感じたのは、このレントゲン写真はCDに納められてオレに渡された。病院・医院によって異なるのだろうけれど、
 「ご自宅のパソコンでゆっくり確認してくださいネッ」
 ってなところなのかもしれない。往診の医師にも、往診時、我が家で確認してもらえば良いのだから。
 しかし、だ。母の腕の拘縮が半端でないこと一目瞭然。胸の写真というよりは、両腕のレントゲン写真と断りを入れた方が正しいのではないか? とまで思わされる写真だ。肺だとか肋骨なるものは、両腕によって隠れてしまっている。左腕の下あたりにある丸い小さいモノは胃ろうのポッチだ。

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 真上の写真は、まだ胃ろう造設する以前に主治医(往診医)の医院で撮った胸のレントゲン写真。それをオレが撮ったモノ。腕に拒まれている様子は微塵もない。ただ、オレが撮った写真からでは全く判断つかないのだが、影があるとのこと。医師から、ここに! と指摘されて、ホー! と納得できだのだが、母の年齢では珍しいことではないらしい。というか、母の年齢あたりのお年寄りのほとんどにあると理解した方が正解のようだ。
 結核。
 発症せずとも罹患はしていたらしい。良い意味で考えれば、結核の免疫はシッカリあるのだ。
 まあ、そんなこんなで、母とオレは新しい環境下(以下の写真)でボチボチとやっております。という報告も兼ねた今日のブログでありました。

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思い出の6畳間

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 昨年12月25日。引っ越し作業のトドメである汲み取り(屎尿処理)を終え、お別れも兼ねて母とオレの戦場であった6畳間に足を向けた。
 改めて、隅から隅まで点検する必要もないほどに、そこはガタガタであり悲惨でもあった。とはいえ、オレたち二人の思い出が凝縮している場であることに変わりはない。
 実は、かなり以前から大家さんから懇願されていた。
 「野田さん、頼むからここから引っ越して欲しい。地震の大きいのでも来たら、お母さんと野田さん、屋根の下敷きになってしまうかもしれん。そんなことを想像しておったら夜も眠れんことがあるんじゃ」
 大家さんの指摘と心配は、住んでるオレには身に染みて理解も納得もできた。母がアルツハイマーと宣告されて以降、岡山に台風直撃か? という予報の度、母を連れて近くのホテルに自主避難した。母を抱えて避難所生活など想像しただけでもストレス極まった。
 もっとも、未だに倒壊もせず健在であるのだから、自主避難することもなかったのかもしれない。一泊に1万円も払って。
 しかし、ホテルから帰宅したら窓枠が落ちていたり、側壁が剥がれていたこともあった。雨どいが剥がれご近所に飛散したときは、頭を下げまくりであった。
 地震。オレの推測では、震度4強あたりで揺れたら倒壊はしないまでも、家そのものが傾斜する予感もしていた。傾斜そのものは今もしている。床にゴルフボールを置けば、勢いよく転がるのだから。
 一つひとつを書き記せば、切りがないほどに家は傷んでいた。
 だけど、母とオレの思い出の場であり、離れていた母とオレの心の距離をチャラにしてくれた6畳間である。
 見れば見るほどに痛々しい。それ故、よく踏ん張ってくれたと心から感謝!
 辛きこと多かった、オレたち母子の全てを見届けてもくれてるのだから。

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 部屋を見渡せば、壁に一枚の紙が。ゴミ処理業者も悩んだ末、残していったのかもしれない。
 ☆できないことを押しつけない。
 ☆和ちゃんを抱きしめる
         fumbar
 fumbarは、“踏ん張る”が由来。
 母の最も混乱期、オレがオレ自身を戒めるために貼ったモノだ。オレにとっても一番辛い頃だった。未だ文字にもできないほどに悲惨を極め、周囲からは母を施設へ託しなさい、との大合唱も聞こえてきていた。
 誰が見ても、ちょっと勘弁して欲しい6畳間だろう。
 でもなあ! 今振り返れば、ここはオレたち母子にとって楽園だったような気もするから不思議だ。
 愛おしい。
 だから、シッカリとカメラに納めた。
 



死に神

 父を病院で付き添い介護している頃、何度か耳にした問い掛けに以下のようなモノがあった。
 「今日、3号室へ入った患者さん、自分のベッドで前の人が死んだばかりというのを知ってるんじゃろうか?」
 確かに、長期か短期間か分からないまでも、自分がこれからお世話になるベッドで他人様が亡くなったばかり、というのはあまり気持ちの良いものではない。
 とはいえ、それは単に、表現にトゲがあるかもしれないが、死にたてホヤホヤのベットである、ということにすぎない。つまり、入院に利用されるベッドなどというモノは、少なくても一人や二人、ご臨終の場面を文字どおりに下から支えてきたはずだ。
 “死に神”
 こんなモノは、存在するといえばどこにでもウロウロしている。オレは不謹慎かもしれないが、霊柩車とかち合わせると、シッカリと見据えるように心掛けている。
 見据えることに意味はない。ただ、そういう類の不幸に便乗して不透明な迷信が闊歩していることに腹立ちがあるだけだ。
 どこの誰さまとは記せないのだけれど、母が、その誰さまから我が家の家系図なるモノを見せられたらしい? デタラメな家系図だと確信できるが、何代か以前のご先祖さまに、あまり宜しくない方がいたとのことで数十万円単位のある物品を購入するよう薦められたとのこと。購入すれば悪霊が消え、我が家の運が開けるとのこと。開運ですな。
 詐欺なのだが、それはそれ。オレがここで声を張り上げたいのは、どこのご家庭でも、何代? 十何代も以前にまでも遡れば、宜しくないご先祖さまの一人ぐらいはいるに違いないはず。
 でだ、母が今、利用している医療ベッドは他人様から頂いたモノ。前利用者はパーキンソン病を患われ、このベッドでお亡くなりなったことを知らされれている。ご家族はベッドを粗大ゴミで出すには忍びなく、誰かに利用して欲しいとクリーニングも済まされていた。
 オレも正にベッドを探していた。ビンゴ!! 3モーター稼働の高級品なのだ。
 オレは、心でたまに呟く。
 「死は、死を恐れる者を、まずは速やかに選び出す」
 中米・ニカラグアの革命家 アウグスト・サンディーノの言葉からの引用。もちろん、戦意高揚の意味合い強だけれど、
 “死に神”
 を上手く活用する輩・詐欺師に騙され負けるわけにいかない。
 今、母は頂いたベッドで快適に過ごしている。
 そして、できれば、母がこのベッドで逝った後、利用してくれる誰かが現れることをオレは望んでいる。

 ベッドは、背中が上がり 脚も上がる。高さ調整もバッチリの優れもの。

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在宅介護者に寝正月は ない

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 昨年末に引っ越して、新年を新たな環境下で迎えた。寒波到来で冷え込み厳しいながらも、我が家の窓越しに見る元旦の日の出の勢いはなかなか力強いモノだった。
 大晦日。普段どおり午後10時前に消灯。何年前になるか記憶の外になってしまったけれど、母がテレビの配線コードを真っ二つに噛みちぎりそこなって以降、テレビは我が家から消えた。年末特番やら紅白には、もう縁がない。
 深夜、母が噎せる。過激な噎せでもないことを耳で確認しながら、布団の中で様子見ならぬ様子聞き。自然と噎せは治まった。改めて眠りに。
 元旦の午前3時半。母の尿取りパッドを替える。パッド確認。尿量&尿色。OK。
 胃ろうの周囲に出ている浸出液をティッシユペーパーで拭き取る。
 母の朝食は早い。エンシュアの滴下は午前4時半から始める。正月も同様。エンシュアと白湯、250ccづつの計500ccを胃へ入れるのに約1時間。
 その後、改めて夢を貪りに!
 午前8時30分。部屋を暖めつつ完全起床。
 午前8時45分から母の着替えを始め、入浴椅子へ着座させて一段落。
 在宅介護者に寝正月はありえない。
 



母のこだわり

 母が好きだ。母が愛おしくてたまらない。この世に生を授けてくれてありがとう。
 過去、何度もこんな表現をしてきた。恥ずかしさや照れなど全くない。母の子で本当に良かったと心の底から感謝している。
 とはいえ、母は拘る女性だった。息子として、初めて母の偏屈なまでな拘りに向き合うことになったのは、29歳のときだった。
 オレはこの頃、一人の女性と付きあっていた。東京で、孤独と孤立の中に埋もれるのはこの女性と別れてからだった。
 29歳。振り返れば、オレも30歳を目前に、どこか焦りがあったように思う。3年ほど交際している女性がいることを母に知らせた。女性の名はJ子。その後、しばらくして岡山に帰省したとき、母とJ子についても話した。母はこんなことを言った。
 「J子さん、良さそうな娘さんじゃなあ! 電話口でもハキハキとして。じゃけどなあ、結婚したら野田J子? これは良うないなあ。画数が悪いもん。じゃから、名前を変えてもらわんといけんよ」
 真顔だった。オレは絵文字どおり、正に(○_○)。
 29歳にして強く不安を感じた。
 「オレは、正しい結婚は無理だなあ!?」
 結果としては、そんな心配は杞憂ではあったのだけれど。今、オレが独身である理由。オレのオトコとしての器量不足からで、母の偏屈を呼び覚ますまでに至ることはなかったのだから。
 偏屈と記したが、これは性格なのかもしれない。名前の画数で類似するのは、印鑑だ。オレは、認め、銀行印、そして実印の3つを持っている。父もそうだった。母自身は認めだけだったが、全てが吉相印というヤツだ。全て、母が揃えた。それも象牙ときている。身分不相応。動物愛護の視点からは著しく悪。
 ただし、母に言わせれば、印鑑で人生が決まるそうなのだ。もっとも、名前の画数でも人生が決まるのだけれど。
 極めつけは父が入退院を繰り返していた頃のことだ。いや、もうこれは事件だ。
 思い出すと、今でも腸煮えくりかえるので簡単に記すが、母は父の病回復のために2度の祈祷に300万円を費やしている。神仏にすがることをオレは否定しない。しかし、母は心の隙間を狙われた詐欺行為に巻き込まれたこと必至。
 オレは、祈祷してくれたという所へ電話を入れた。新聞などにチラシも入っていたので名前だけは認知していた。必死にも近い精神状態のオレからの問い掛けには、
 「息子さん、どうか一度、私たちの所へ来て下さい。見えないチカラというのは存在するのですよ」
 見えないモノを見る、チカラをオレは持ち合わせていない。電話では埒が明かない。かといって、遠路、訪ねることも無意味。泣き寝入り。
 ところが、母は祈祷してもらったお陰を切々と説くのだった。真顔であった。
 世間のアチコチで、今も地球のアチコチで使用されているだろうフレーズ。
 「皆、いろいろあるから」
 正に、この言葉に集約される。
 さて、最後に一点。
 孫を欲しがった母だったけれど、では、オレが結婚していたら母は嫁さんと仲良く暮らせたのだろうか?
 もし? を想像しても仕方ないのだが、ちょっぴり興味がある。

吉相印
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84歳になりましたー

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 昨年12月30日、母は無事に84歳の誕生日を迎えることができた。
 寒波到来の下、わざわざ訪ねて来てくれた方。バースデイメッセージをメールで送信してくれた方。多数の方々から、母は祝ってもらった。
 ありがとうございました。
 母担当のケアマネは、最低でも88歳の米寿までは頑張りましょう! と言ってくれるのだけれど、とりあえず目先の85歳を目標に母と一緒に過ごしていきたい。
 オレ自身の事も真摯に考えなければならない年齢だけれど、今年も母優先で頑張って、踏ん張り続けたいと思う。

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Photo K.Sakuragi



来るものが来た

新年あけましておめでとうございます。
本年も、母ともどもヨロシクお願いします。

 さて、今回は前回からの延長戦となる。クリスマスイブイブと呼ばれる2004年12月23日から24日へと続く深夜未明、母の尿失禁が始まったことについてだ。
 これまで、何度も記してきたことだけれど、母とオレは六畳間に布団二つ並べて眠っていた。トイレに近い方がオレなのだが、これには理由が当然あった。この頃、母はどこにトイレがあるか分からない状態であり、夜中、トイレに行こうとしても部屋中を徘徊。ガラス戸を開けて玄関方向に向かうこともあった。なので、歩く方向にオレが寝ていれば、母が動き出せば感知できる。というのも、オレは眠りが浅いから為せる技。
 母が起きた。感知。眠い目を擦りながら声掛けしたかどうかは記憶にないが、母はトイレの方向へ向かいはじめた。オレも母の後を追う。といっても、トイレまでは3メートル前後。
 後方から母を見る。なにか変? おかしい? 違和感がある。豆電球から蛍光灯に。部屋を明るくして、改めて母の後ろ姿を再確認。
 母が履いてるズボン。濃い緑のジャージだったはずだけれど、お尻の部分が濡れている。まさか?
 母の敷布団に目を向けた。アチャー!! ビッショリだ。いつか来るだろうことは覚悟していたが、とうとう来てしまったのだ。
 オレは混乱した。部屋が寒い。六畳間と三畳間に各1台あるファンヒーターを全開にし部屋を暖める。ながらも、脳裏のアチコチで赤色灯が点滅。
 母を着替えさせる。洗濯する。敷布団を替え、干さなければならない等々。イライラが募る。
 部屋は直ぐに暖まらない。とはいえ、着替えをさせなければならない。寒い。しかし、決行あるのみ。オレの心は泣き崩れんばかりだった。やはり、クリスマスなどというのはオレの人生とは無縁なのだ。楽しいクリスマス、という意味でだ。
 母の腕を掴んだまま、いろんな事が脳内を駆け巡った。
 「和ちゃん、着替えするぞ」
 母が失語するのはまだ先のこと。言葉はシッカリしていた。
 「オシッコへ行くんじゃ」
 もう出してしまっているではないか。
 「ゴチャゴチャ言わんとワシの言うことを聞けえ」
 母のズボンを下ろす。寝ていて出しているから背中も濡れている。スッポンポンにしなければならいのだ。またイライラ。
 途端、母の股間からオシッコが勢いよく噴き出してきた。オレはのけ反る。嗚呼! 三畳の畳まで濡れてしまった。
 瞬時、オレの手は母の脚に一撃を食らわしていた。
 「このクソ婆…(あとの言葉は書けない)」
 とはいえ、母が先に言った
 「オシッコへ行くんじゃ」
 は、まだ残りがあることを分かっていたのだ。それを理解し、トイレに誘導し、それから着替えさせる。オレからすれば神業だ。
 この夜を境に、そろそろオシッコかな? に神経を尖らせ、出るか出ないか分からないトイレ誘導が始まった。
 「オムツにすれば問題解決じゃん」
 と介護を経験してない人は言う。
 しかし、実母にオムツをさせるということ。それは、とてもとても切ないことであることを理解していない。
 トイレ誘導の厳しさ・切なさ・情けなさ等、少し時間を置いて記すことにする。
  冬の夜 耳が霜焼ける母に耳当て

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プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
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