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野田明宏の「俺流オトコの介護」

哀れみはいらない

 ときどき耳にはしていたが、また聞かされてしまった。
 「お世話してもらうだけで、“ありがたい”と思わないと」
 独居老人男性がヘルパーさんを利用しているのだが、以前来ていたヘルパーさんからこのようなお世話までされたと。
 まあ、ヘルパーさんに悪気はないのだろうけれど、やはり、これは上から目線だ。確かに、老人がヘルパーさんに感謝はすれば良い。自分に出来ないことをしてもらうのだから。
 だけど、これは契約にもとずいて行われている行為。代価はちゃんと支払っている。つまり、敢えて言うなら、ヘルパーさんの方こそ仕事を頂き“ありがたい”と思わないといけないはず。
 皆、腹の中では色々と考え模索もする。しかし、ヘルパーさんが説教じみたことを言う必要など全くない。間違っていても、聞き流せば良いのだ。
 独居老人。それも長く続いているなら淋しいはず。オレなんかも、母からの言葉がないものだから、無性に人恋しくなることがある。オレも淋しいのだ。
 さて、この“ありがたい”について検証したい。即答。結局が、幸せの比較なのだ。誰々と誰々を比較し、お世話されているあなたは、お世話されていない人より幸せと思わないと罰が当たるわよ、ってなもんだ。
 オレの在宅介護。あと4ヶ月もしないうちに10年目に突入する。いろんな事があったが、多くの優しさに触れあえた。その優しさと直面したとき、オレはとても幸せを感じた。同事に、自己嫌悪も共存した。オレ自身は、そんな優しさを持ち合わせていなかったから。
 今は、母と一緒に散歩などということもないので声掛けされることもないけれど、母と散歩しているとき、事情を知ってる人からは、
 「あなたも大変じゃなあ!」
 耳にタコだった。
 この言葉。哀れみに聞こえるときも少なくなかった。
 「そうなんですよ。本当、ボクもこの歳になって大変です」
 こんな返答をしていたオレだけれど、腹の中では、
 「いらぬお世話じゃ」
 分かるのだ。心配・激励の声と哀れみの声の違いが。そういう視線を浴び、声まで聞こえてくるとき、無性に腹が立った。その視線・声に我慢するオレ自身も情けなかった。
 母の在宅介護が始まって心に決めたこと。
 他人の不幸をオレの幸せに置き換えない。
 認知症在宅介護者。
 哀れまれるほど辛いことはない。

乾燥注意報発令中の日に
20110408.png

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コメント


野田さま

長ーく、拝読しています。
哀れみはいらない。
本当にほんとうに、そのとおりです。
視線。感じるんですよね。
しみじみ、いつも同感しています。
これからも、介護者からの声。
よろしくお願いします。


投稿者: sunrise | 2011年04月13日 13:47

sunrise さま

ありがとうございます。
微妙なので、こちらも過敏になっているのかもしれませんが、
同様な視線を強く感じる介護者を多く知っています。
ただ、私たちも、別の病を患っている方々に、
我々が感じる視線を放散しないよう心掛けないと、
と注意喚起しなければなりませんね。
これからもヨロシク です。


投稿者: 野田明宏 | 2011年04月14日 17:32

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プロフィール
野田明宏
(のだ あきひろ)
フリーライター。1956年生まれ。約50カ国をバックパックを背負って旅する。その後、グアテマラを中心に中央アメリカに約2年間滞在。内戦下のエルサルバドルでは、政府軍のパトロールにも同行取材等etc。2002年、母親の介護をきっかけに、老人介護を中心に執筆活動を開始。2010年現在、83歳になる母と二人暮らしで在宅介護を続ける。主な著書は『アルツハイマーの母をよろしく』『アルツハイマー在宅介護最前線』(以上、ミネルヴァ書房)など多数。『月刊ケアマネジメント』(環境新聞社)にて、「僕らはみんな生きている」連載中。
http://www.noda-akihiro.net/
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