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南雲明彦の「発達障害と生きるということ ~当事者からのメッセージ~」

カミングアウトのハードルを低くしよう

 先月、新潟県の小学校に講演に行かせて頂いた時に、小学校高学年の子どもたちにこんな質問をしてみました。
 「自分が生きいてる意味がないと思ったことある人いますか?」と。

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 すると、考えたことがあるという子どもが3割もいました。その理由を聞いたところ、「○○のことで、怒られたから」という答えが返ってきました。同じような経験をし、「生きている意味がない」と考えたことのある人も多いでしょう。
 でも、そんな経験をしても結局生きていられるのは、なぜなんでしょうか。それは、「人格全てを否定はされていない」からだと思います。これは障害をもった人たちにも言えることで、どんな状況であれ、その障害のある部分は否定されることはあっても、全部を否定されることはないから、生きていられるんですよね。

 障害を否定されるような経験をした人たちは、どのような声をあげればいいのか、最近、よく考えます。障害という現実を肯定的に捉えることは、なかなか簡単にできることではないかもしれません。だけど、生きている限り、違う意見を言われたり、注意をされたりすることはたくさんあります。そして、その指摘された部分が「障害」と関連づけられたものであれば、気を落としてしまうのもわかる気がします。
 でも、特に大人で、想いを言葉にできる発達障害をもつ人たちが、そのまま、「あの人はわかっていない」と片づけてしまっていいのでしょうか。もし、ここで終わってしまっていては、状況は変わりません。子どもたちもきっと同じように障害を否定されることになります。だからこそ、同じような特性をもつ人たちが考なければいけないことがある気がします。
 もし、その障害のことを言われたときに、私たちはきちんと、その障害について、伝える必要があるのではないでしょうか。もちろん、もっている障害特性によっては、なかなか、うまく伝えることができないこともあるかと思います。でも、そこで諦めずに第3者を介してでも構いませんので、相手に伝え、後は相手の判断に委ねることが大切だと思うのです。誰でも、自分だけではどうにもならないことと、努力をして改善できることがあります。だから、わかってくれる人は案外、たくさんいるはずです。でも、そのプロセスを抜きにして、相手に理解してもらうことは難しいのではないかと思います。

 そうやって、少しずつかもしれませんが、自分のことを理解してくれる人を増やしていくことが、自分を守ることにも繋がります。なかなか、理解してくれない人もいると思います。今まで、それで苦しんできた人も沢山いらっしゃると思います。だけど、先を歩く大人達が、子どもたちへ、「カミングアウト」という言葉を使わなくてもいいように、告白のハードルを低くしてあげるには、地道に周りに伝えていくほかにないのではないでしょうか。

 そして、理解者が「支援者」という枠の中にいる人たちだけにとどめて、ひとつの場所や人に依存してしまうのではなく、他にも理解してくれる場所や人を確保しておく必要があると思います。
 支援者は、永遠にそばにいてくれるわけではありません。それが現実であり、いずれは、その支援者が手を離しても、自分で歩けるように共に創意工夫していくことが大切だと思います。その心構えこそが大事なのではないでしょうか。


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プロフィール
南雲 明彦
(なぐも あきひこ)
アットマーク明蓬館高校
共育コーディネーター
1984年生まれ。21歳の時に自身が発達障害の一つである「ディスレクシア(読み書き困難)」であることを知る。その後、「ディスレクシア」の存在が世の中に知られていないことから、啓発、支援活動に尽力中。
著書に『僕は、字が読めない。~読字障害(ディスレクシア)と戦いつづけた南雲明彦の24年~』(小菅宏著/集英社)、『私たち、発達障害と生きてます~出会い、そして再生へ~』(共著/ぶどう社)がある。
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