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南雲明彦の「発達障害と生きるということ ~当事者からのメッセージ~」

二次障害という悲劇

 前回は私の生い立ちについて説明し、その中で発達障害そのものではなく、発達障害による「二次障害」に苦しんだことをお話しました。

 この「二次障害」は実に厄介な代物です。私はディスレクシアが原因で学校の勉強がうまくいかなくなり、先生に叱責を繰り返されたことから、不登校をきっかけで「うつ」「自傷」「対人恐怖」「強迫性障害」という二次障害を経験しました。「悲劇」という言葉は使いたくありませんが、この経験は、私にとって悲劇以外の何ものでもありませんでした。

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 ですが、一つ言いたいのは「うつ」「自傷」「対人恐怖」「強迫性障害」になったことが「悲劇」ではないのです(辛くはありましたが…)。

 私が「うつ病」と診断されたのは、八年前。その当時、「うつ病」という言葉は、まだまだ決して身近な言葉ではありませんでした。正直に友達や近所の人に話すと、次第に連絡が入らなくなりました。
 この時期、「うつ病の人」=「頭がおかしくなってしまった人」という誤った認識が、まだまだ社会にはびこっていました。私は、うつになってしまったものは仕方がないと考え、「理解者」が欲しかったのです。でも、周囲に理解者は誰も現れませんでした。

 私は、「自分の状態を理路整然と話せるから、そんなに完治まで時間はかからない」と、当時通っていたお医者さんから言われていました。しかし、状態はどんどん悪化し、次第には、自分の理解者であるはずのその医者からも「努力不足」の烙印を押されてしまいました。私は、その病院の帰りに、迷うことなく車の中から飛び降りました。幸い、後続車が避けたため轢かれずに済みましたが、あの時は絶望感でいっぱいでした。

 皆さんは、学校や仕事は楽しいですか? もちろん、多忙な毎日で「楽しい」なんていえる人の方が少ないかもしれません。
 しかし、たとえ忙しいとしても、そうした場所に参加することすら許されない状況であったら、どうでしょう。その方が、悲しいことだと思います。参加しなければ理解者もできません。仲間がいない、理解者がいないって、とっても寂しいものなのです。

 発達障害と生きる人にとって「二次障害」は、その症状はもちろんのこと、周りから孤立することによって、本当の意味での「悲劇」となるのだと思います。

 次回は、「発達障害の人たちの抱える困難さ」について、書かせていただきます。


コメント


 はじめまして。
 この春、高校に入学する娘がアスペルガーです。
 娘は度重なる犯罪の影に報道される、アスペルガーとの因果関係や差別に、憤りや不安を抱え、親子で悩み苦しんでいます。
 まさに、二次障害そのものではないでしょうか。
 当事者が堂々と気持ちや想い、考えを発信し、学校や社会や地域から、偏見のない温かい理解を得ることができるよう、影ながら応援させて頂きます。
 私たち当事者家族の代弁者として、頑張ってください。


投稿者: ぷるっち | 2010年03月27日 21:59

 理解者を得ることは誰にとっても必要なことですね。理解してもらえなくて、死にたくなる気持ちは良くわかります。人はつながりの中で、生きる存在ですものね。


投稿者: ruri | 2010年03月30日 13:04

ぷるっちさんへ

 コメント、ありがとうございます。
 確かにアスペルガー症候群の方が有罪判決を受けたことは、同じ障害を持つ方にとって、とても不安な材料になることは間違いないと思います。
 しかし、外的な要因は、時代の流れによって、変わっていきます。今のままでは、決して終わらない。いや、終わらせません。
それらの変化を機会として捉える必要があると思っています。最初から脅威としてしまったら、良い変化を本人達にもたらすことはできません。だからこそ、辛いこと、沢山あるかもしれませんが、踏ん張ってほしいなって。
 必ず、その偏見のない、温かい理解が得られる為に、声を大にして、伝えていきます。

 遠方から、エールを送らせていただきます。必ず、この活動が娘さんにも恩恵をもたらすと心から信じています。届かなかったなら、私の活動は意味をなさないとさえ思っています。

ruriさんへ

 コメントありがとうございます。
 理解者がいない、つながりがないということは、絶望的な状況だと思います。だからこそ、それに寄り添ってくれる人を得るためには、やはり、本人のあらゆる面を受け入れてくれる人の出現が大切ですね。それが、本人の未来を切り開く、きっかけになることもありますからね。


投稿者: 南雲 明彦 | 2010年04月01日 03:14

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プロフィール
南雲 明彦
(なぐも あきひこ)
アットマーク明蓬館高校
共育コーディネーター
1984年生まれ。21歳の時に自身が発達障害の一つである「ディスレクシア(読み書き困難)」であることを知る。その後、「ディスレクシア」の存在が世の中に知られていないことから、啓発、支援活動に尽力中。
著書に『僕は、字が読めない。~読字障害(ディスレクシア)と戦いつづけた南雲明彦の24年~』(小菅宏著/集英社)、『私たち、発達障害と生きてます~出会い、そして再生へ~』(共著/ぶどう社)がある。
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