ソーシャルワーカーに知ってほしい 理論とアプローチのエッセンス 第15回 ゲシュタルトセラピー

2025/08/07

 朝、何かにうなされたことはないだろうか? そのとき、心のどこかに問題が残っていて、身体が悲鳴をあげている……。長いことその悲鳴を無視し、痛みを感じないふりをしていたことに気づく……。
 今回、ゲシュタルトセラピーを学ぶことで、ちぐはぐになった心と身体を探り、自身の本当の気持ちを受け入れる大切さを知ろう。


【著者】

川村 隆彦(かわむら たかひこ)

エスティーム教育研究所代表

「エンパワメント」や「ナラティブ」等、対人支援に関わる専門職を強めるテーマで、約30年、全国で講演、研修を行ってきた。
人生の困難さに対処する方法を YouTube インスタグラム で発信中。

 

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未解決の葛藤を感じたことがあるか?

 もしあなたのなかに未解決の葛藤がある場合、どこかの時点で身体に痛みが現れる。そのとき「傷んだ身体が本当のあなた」であり、そのサインを無視してはならない。それは、心のどこかに存在する「やり過ごしてきた問題」「今も修復できずにいる心の傷」「ふれることのできない否定感情」だ。無意識の領域に取り残された痛みが、あなたの身体に訴えているなら、今がその声に耳を傾けるときかもしれない。

 

ゲシュタルト—心と身体の全体性

 ゲシュタルトセラピーをつくったパールズ夫妻は「心」「身体」「思考」「感情」は分割できないもの、つまり意味のある一つのまとまり(全体性)であると語った。心が痛めば、身体も痛む。両者は切り離せない関係なのだ。

 未解決の葛藤からくる痛みは、あなたの身体に現れる。その身体に声を与え、「今ここ」で何を感じているのか、耳を傾け対話してみる。そうすれば自分の本当の気持ちへの「気づき」が得られる。これがゲシュタルトセラピーの考え方だ
 このような気づきを受け入れるとき、分離していた心身は再び統合され、葛藤がやわらぐ。このときの気づきは、知識ではなく、身体感覚による体験レベル、禅の「悟り」に近い。英語では「Ah-ha(そうだったのか)体験」と呼ぶ。
 ゲシュタルトでは、過去に戻って原因を探らない。むしろ過去から引きずってきた未解決の問題を永遠に手放すために「今ここ」に存在し、答えを探し、どのような選択ができるか気づけるように促す。


図と地—反転

 「ルビンの壺」を見たことがあるだろう。あなたには黒い「盃」と「人の顔」どちらが見えるだろうか? ゲシュタルトでは、見える方を「図」見えない方を「地」ととらえる。

 

 

 人が「図」に意識を向けるとき、ほかのことは「地」であり、見えていない。しかし「地」に意識を向け直すなら、これらは反転する。人は習慣的に、自分が意識を向けている「図」だけが、真実の世界だと思うものだ。しかし、新たに意識を向けさえすれば、「地」の存在に気づく。これは「気づきの選択」であり、あなたはこの選択に責任をもつ必要がある。
 人は「地」にたくさんのものを置き忘れている。あなたが長い間、抑圧してきた無意識の葛藤や感情もそこにあるかもしれない。


身体の声を聴く

 友人は、朝、まったく動けなくなった。全身が痛みを訴えているようだった。しばらく天井を見つめながら、遠い昔、心の奥底に沈めた「何か」が存在しているように感じた。そのとき「ちゃんと身体の声を聴くべきだ。それが私自身なのだ」と思った。そこで彼は、身体に静かに語りかけた。「どうした? 何が起きている? 言いたいことがあるのか?」
 彼の胸の奥から「孤独だ」という声が聴こえた。それはずっと前からそこにあった感情だ。「でも、なぜ?」という考えがすぐに浮かんできた。「ずっと幸せに暮らしてきたし、好きなことは何でもさせてもらった。仲間だってたくさんいたし、どんなことにも挑戦してきた。何が問題なんだ?」と尋ねたとき、テーブルの向かいのいすに、誰かが座ったような気がした。その姿がおぼろげに見えたとき、心の底の凍りついた炎が少しだけ揺らいだ。
 彼はそのいすに何年も会っていない父親の姿を見た。父親は、幼い頃、彼を養護施設に連れてきて、そのまま二度と会いに来なかったという。それが彼のなかで「未解決の葛藤」だったのかもしれない。


エンプティチェア

 実在の人物、あるいは、身体の痛む部分などを、葛藤の対象として、架空のいすに座らせ、対話する手法を「エンプティチェア」と呼ぶ。いすに座った相手に感情をぶつけたり、相手が座っているいすに自分が座ったりすることで、何かに気づく。
 父親を、いすに座らせたなら、友人は何を言うのだろうと想像してみた。それは過去に言いたくても、言えなかった言葉だろうか。もしあなたに未解決の葛藤があり、そのことが目の前のいすに座ったならば、あなたは何を語りかけるのだろう?

 


ゲシュタルトの祈り

 ゲシュタルトセラピーのワークショップに参加している気持ちになって、「ゲシュタルトの祈り」を声に出して読んでみよう。

 

 I do my thing and you do your thing. I am not in this world to live up to your expectations, And you are not in this world to live up to mine. You are you, and I am I, And if by chance we find each other, it's beautiful. If not, it can't be helped.
「私は私の人生を生き、あなたはあなたの人生を生きる。私はあなたの期待に応えるために生きているのではないし、あなたも私の期待に応えるために生きているのではない。あなたはあなた。私は私。もし縁があって、私たちが互いに出会えるなら、それは素晴らしいことだ。しかし、出会えないのであれば、それも仕方のないことだ」

 

 こうした古典的なアプローチを使う人は少なくなるだろう。しかし、未解決の葛藤を抱える人が今も存在し、苦しんでいることは事実だ。いつかこのようなアプローチのエッセンスが役立つことを願っている。
 次回は日本でも認知度のある「アドラー心理学」を取り上げたい。