精神疾患のある本人もその家族も生きやすい社会をつくるために 第9回:CoCoTELI設立。今思うと危険だった
2025/06/02

みなさん、こんにちは。2001年生まれの大学生で、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を行うNPO法人CoCoTELIの代表をしている平井登威(ひらい・とおい)です。
「精神疾患の親をもつ子ども」をテーマに連載を担当させていただいています。この連載では、n=1である僕自身の経験から、社会の課題としての精神疾患の親をもつ子ども・若者を取り巻く困難、当事者の声や支援の現状、そしてこれからの課題についてお話ししていきます。
前回は、大学入学から離家後に経験したさまざまな葛藤や人生を大きく変えた出会いについてまでを振り返ってきました。今回は、その出会いからCoCoTELIの立ち上げについてまで書いていけたらと思います。
著者

平井登威(ひらい・とおい)
2001年静岡県浜松市生まれ。幼稚園の年長時に父親がうつ病になり、虐待や情緒的ケアを経験。その経験から、精神疾患の親をもつ子ども・若者のサポートを行う学生団体CoCoTELI(ココテリ)を、仲間とともに2020年に立ち上げた。2023年5月、より本格的な活動を進めるため、NPO法人化。現在は代表を務めている。2024年、Forbes JAPANが選ぶ「世界を変える30歳未満」30人に選ばれる。
出会いで変わった人生。CoCoTELIの始まり
第8回で書いた「出会い」は、自分にとって人生を大きく変える出来事になりました。
「同じ立場で、似た経験をしている」
それだけのことかもしれません。けれど、当時の自分にとってはとても大きな意味を持っていました。
学校で配られる悩み相談のプリントなんて、一度も信用したことがなかった。
どれだけ仲の良い友達にも話せなかった。
そんな自分が、初対面の、しかもオンラインの相手に対して、家族の悩みを、時に言葉に詰まりながらも4時間も話していたのです。
家族が暴れた話。
家では家族を最優先にしていて、全然気が休まらなかった話。
親が突然出ていって、不安でたまらなかった話。
そんな「墓場までもっていく」と思っていたような、当時の自分にとっては“恥ずかしい悩み”を、初めて人に話すことができました。
家族のことに関してずっと孤独だった僕にとって、「ひとりじゃない」と知れたことは、大きなパワーとなり、生まれた環境から勝手に閉ざしていた世界が開け、広がったのは見える世界でした。
そんな僕が初めて家族のことを話した友人は、当時ビジネスコンテストに出場していて、CoCoTELI(現・NPO法人CoCoTELI)のアイデアを考えていました。
具体的には、精神疾患の親をもつ子どもたちが集えるコミュニティづくりやwebメディアなど。
そんなことを聞き、当時「ひとりじゃない」ということにエンパワメントされていた自分は、「自分も似たような立場の誰かの役に立ちたい!」と思い、彼女に「プロジェクトを手伝いたい!」と申し出ました。
CoCoTELIをスタートし、代表に
そんな出会いや決断から1か月弱がたった頃、僕が初めて家族のことを話した友人は、CoCoTELIのアイデアでビジネスコンテストで優勝。そこからは、実際のアイデアから団体の立ち上げということになり、そのタイミングで当時何もわからなかった僕は運営メンバーの1人としてCoCoTELIの活動に参加をしました。
名前を決め、ロゴを決め、コンセプトを設計し、団体立ち上げから運営まで、何もわからないなりにとにかく色々話して、色々と動いていました。
そんなこんなで、学生団体として立ち上がったCoCoTELI。早速動き出そうというタイミングで、CoCoTELIの想起者である友人が離れることとなりました。
今思うと危険だった
友人が離れることになった背景にはさまざまな理由がありましたが、今、こうして1つのNPO法人として支援を行っているなかで当時のことを振り返ると、僕も彼女もこの領域について何もわからない。周囲に支えてくれる専門職がいない。そんななかで当事者が想いだけで立ち上がろうとしていたことは、出会っていく子ども・若者にとっても、自分たち自身にとっても危険なことだったと思います。
だからこそ、今、過去の自分のような若者と出会ったら僕は別の選択肢をお伝えすると思いますし、実際に伝えています。
僕はたまたまタフだった。たまたま周囲の人に恵まれ、支えてくださる方と出会えた。たまたま当事者性を発信したりこのような活動をしたりしているなかで後悔するような出来事が起きることが少なかった。本当に運が良かったのだと思います。
でも、やっぱり社会って良い側面ばかりではなくて、当事者が自身の経験を発信したり、当事者性を有するテーマで活動したりすることには、大きなリスクが伴います。
今の社会、一回発信したら情報はどこかに残る。消したいと思った時にはもう遅い。そんな状況が待っています。今、発信したいと気持ちが昂っていても5年後はそうとは限りません。
もしかしたら将来、進学や就職、結婚、その他の場面でも足枷になるかもしれません。もちろんそれは社会が悪いのですが、今の社会という現実を見ると決してないとは言えません。そして僕は、そんな不可逆性の高い選択をして、今このように大きな影響もなく生きているのは、改めて運が良かったのだろうと思います。
リスクも伝える人でありたい
周囲の大人が「本人が望むから」「社会にとって大切だから」という理由だけで後押しするのではなく、リスクも同時に伝えることもとても大切と思います。でも、それってすごく勇気のいることで難しい。だからこそ、僕自身はリスクを必要以上に伝える存在でありたいなと改めて思います。
改めて振り返って
今思うと当時の選択は、とても浅はかでリスクも大きかったと思います。ただ、今こうしてそのときの想いからブレずに、精神疾患の親をもつ子ども・若者支援を仕事にしているということを考えると、結果論としては、当時その判断をして良かったのだと思います。そんなことを思いながら、当時の自分のような若者に出会ったとき、自分は何ができるのだろうと考えた第9回でした。
次回は、学生団体としてスタートしたCoCoTELIの活動や変遷について書いていけたらと思います。
