道なき道をゆく! オルタナコンサルがめざす 強度行動障害の標準的支援 第8回 児童期の予防的支援の大切さ――プロローグ:虐待防止の観点から
2025/06/12

この記事を監修した人

竹矢 恒(たけや・わたる)
一般社団法人あんぷ 代表 社会福祉法人で長年、障害のある方(主に自閉スペクトラム症)の支援に従事。厚生労働省「強度行動障害支援者養成研修」のプログラム作成にも携わる。2024年3月に一般社団法人あんぷを設立し、支援に困っている事業所へのコンサルテーションや、強度行動障害・虐待防止などの研修を主な活動領域とする。強度行動障害のある人々を取り巻く業界に、新たな価値や仕事を創出するべく、新しい道を切り拓いている。
前回まで、強度行動障害のとらえ方や特性アセスメントの重要性について整理してきましたが、今回は少し視点を変えて、「虐待防止」という観点から、強度行動障害支援を見つめ直してみたいと思います。
強度行動障害支援者養成研修の始まった経緯とは?
最近では、強度行動障害のある方への支援について、研修の実施や制度の改正を通じて注目が高まり、支援の現場でも話題にのぼる機会が増えてきました。この連載でも、強度行動障害支援者養成研修が各地で開催されていることは、お伝えしてきたところです。
強度行動障害支援者養成研修が始まった背景には、実はある重大な虐待事件の発生があるのをご存じでしょうか?
2013(平成25)年、千葉県内の知的障害者入所施設で、当時19歳の利用者の男性が職員から暴行を受けて亡くなる、という痛ましい事件が起き、社会に大きな衝撃を与えました。この事件を契機として、支援者に対する専門的な知識と技術の習得が急務であるとの認識が高まり、強度行動障害支援者養成研修の制度化が進められたのです。
つまり、この研修は、虐待防止のための仕組みとして誕生した側面をもっているのです。
強度行動障害支援者養成研修は、虐待防止の役割も担っている
支援に関する知識や技術を高めることは、単に専門性を育てるという枠を超えて、虐待の予防そのものにつながっています。支援者が「なぜその行動が起きているのか」を理解し、「環境やかかわりを通じて、どうすれば対象者の不安や混乱を和らげることができるのか」という視点を持てるようになることで、衝突や抑制的な対応を回避できる可能性が格段に高まります。
強度行動障害の状態にある方の行動は、しばしば「難解なもの」「改善すべきもの」と誤解されています。しかし、専門的なアセスメントと支援技術を学ぶことで、それらの行動の多くが、「伝えたいことが伝わらない」「見通しがもてない」といった環境とのミスマッチから生じていることが明らかになっています。
図:強度行動障害が現れている人への支援スキル修得のためのステップで見る研修の位置づけ
適切な支援の理解がないままに現場に立つことは、支援者にとっては、地図やコンパスなしで未開の森に踏み込むようなものであり、利用者にとっては、地図を持たない案内人に導かれて道なき道を進むようなものであり、お互いに不安と混乱を招きやすい状況です。そのようなことからも、地図やコンパスを手に入れるための強度行動障害支援者養成研修は、虐待防止研修と同じく、あるいはそれ以上に「虐待防止」としての役割を担っていることを強調しておきたいです。
正しさの主張は、虐待の芽になり得るかもしれない
私たち支援者は、しばしば、「正しさ」を拠りどころに支援を語ってしまうことがあります。制度に沿った手続き、マニュアルに則った対応、集団生活のルール。こうした「正しさ」は、一般的に考えれば、社会における一定の秩序や安全を保つうえで重要なものです。しかし、強度行動障害の状態にある方への支援においては、この「正しさ」がかえって本人を追い詰め、抑圧を生み出してしまうことがあります。
一般的に「問題」とされる行動を、そのまま「問題行動」としてとらえてしまうと、対象者の背景や理由を理解しようとする視点が失われ、支援はいとも簡単に「抑制」へと傾いていきます。
「本人のため」という名のもとに「正しさ」が行使されると、そこには自然と力の非対称性が生じ、その関係のなかで、知らず知らずのうちに虐待の芽が育ってしまうことがあります。正しさを主張すること自体に悪意があるわけではありませんが、現場に存在する正しさへの圧力が、支援者の無自覚のままに抑制的な支援を正当化してしまう。そんな構造があるのかもしれません。
とりわけ、強度行動障害の状態にある方の多くは、自身の困りごとや不安を、言葉でうまく伝えることが難しいという特性があります。そのため、環境とのズレや日々のストレスが、行動となって表れることが少なくありません。
しかし、そうした行動が「ルールを守れない」「集団に適応できない」といった視点でとらえられると、それは「矯正すべきもの」として変換され、関係性の中に力の非対称が生まれやすくなります。
本人の視点や背景への理解が欠けたかかわりは、たとえ支援者に善意があったとしても、結果として“支援”ではなく“抑制”へと傾き、やがては虐待と評価される行為に変質してしまう危険性があるのです。
強度行動障害支援と虐待防止は、まさに車の両輪のような関係
だからこそ、強度行動障害支援と虐待防止は切り離せません。前者は「理解し、かかわる技術」を磨くものであり、後者は、「これは本当に本人のためになっているのか?」と、自分のかかわりを立ち止まって見直すための学びの場です。この二つは、支援者を支える車の両輪であり、一方が欠ければ、支援の名のもとに行われる虐待に気づくことができなくなってしまいます。
このように、強度行動障害のある方への支援を考えるとき、私たちが相当意識して学びを深めていかなければ、どうしても「問題行動が起きたときにどう対応するか」という対処的な視点に傾いてしまいます。
それは、長年この業界で支援に携わってきた私自身にも当てはまることです。意識し続けなければ、知らず知らずのうちに「落ち着かせること」や「行動を止めること」が目的になってしまい、本来の支援の意味を見失っている瞬間があります。そうしたとき、私は「そうした状態に至らないように、日頃からどのようにかかわるかが大切」という予防的な視点に立ち返るようにしています。
強度行動障害支援における究極の虐待防止は、強度行動障害の“予防”
強度行動障害における“究極の虐待防止”とは、まさにこの予防的支援だと思っています。本人の不安や混乱が大きくなる前に、適切な環境を整えたり、特性に合ったかかわり方を工夫したりすること。それこそが、支援の質を高め、関係性の破綻や不適切対応を未然に防ぐ最大の手立てとなります。
行動が激しくなってから対応を考えるのではなく、事前に“起こらないようにする”ための工夫や気づきを積み重ねていくことが、結果的に本人の安心にもつながり、支援者自身を守る手立てになるのです。
「いつやるの?」「今でしょ!」の今は、いつでしょう?
コンサルでさまざまな現場を訪問させていただいていると、ある意味で強度行動障害が慢性化・重篤化した状態にある利用者の姿を目にすることがあります。そのたびに私は、「“こうなる前”に、本当に予防できなかったのか」と問いかけずにはいられません。
支援について語るとき、「いつやるのか?」と聞かれたら、もちろん「今でしょ!」と答えます。でも、ここで言う「今」は、成人期の「今」ではありません。やるべき「今」とは、“こうなる前”――つまり児童期やそれ以前――の、まだ環境が柔軟に調整できる時期の「今」のことを指します。
強度行動障害は、生まれつき備わっている障害などではありません。障害特性と環境とのミスマッチによって生じるといわれていますので、本人のおかれる環境が複雑になる前の適切な介入が極めて重要なのです。
つまり、強度行動障害の予防という観点から見たとき、最も大切なのは成人期の支援ではなく、児童期における予防的なかかわりなのです。ここが、支援の質を大きく分ける分岐点になります。
次回は、この児童期の予防について、話を深めてみたいと思います。