【vol.17】十九歳のケアラーに会いたい | 私はミューズとゼウスのケアラーです

2025/12/03

韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学

 激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
  • そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』こんなにいてれたでしょう』『東京因縁)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。 


こんな応援メッセージをもらったことがある。
 

「こんにちは。私は十九歳で、現在ケアラーの資格を取るために塾に通っていて、もうすぐ実習に行くんです。試験まであと二ヶ月だし、学ぶ立場として本当にボランティアに行きたいんですが、どうしても19歳という理由でたくさん断られました! 本当に一生懸命できるのに、誰も私の話は信じてくれないし、家族さえも反対して大変なのに、ケアラー日誌を読んで、ああ、私も必ず良いケアラーになれるように努力しなければならないと思いました。 必ず頑張ります!  私が幼いのでまだ分からないことがとても多いですが、これからも助言をお願いします。 本当に文章が全部いいです。 (2018.8.16.)」
 

19歳のケアラーに会ってみたいですね! 試験の合格を心から願っています。介護施設のボランティアは、区役所の福祉担当者に「ボランティアをしたいので、近くの介護施設を紹介してください」と相談してみてはいかがでしょうか。合格後は「福祉ネットサイト」で求人情報を調べ、近くのデイケアセンターに直接訪問して、「ボランティアをさせてください」とお願いしてみると、きっと良い経験になるでしょう。どうか、直接足を運んでみてください。
 

 私が送った返事は、誰にでも書けるようなありきたりな内容で、今でも胸に引っかかっている。ケアラーとして3年目。私はいまだに、これといったケアラーとしての覚悟や、介護に対する信念も持ち合わせていない。
 

 宮沢賢治の童話『オツベルと象』に、こんな話がある。

 初めは労働の喜びを歌いながら働いていた象が、耐えがたいほどの労働に次第に笑顔を失っていく。象の涙を無視し続けたオツベルは、ついに象たちの反撃に遭うが、白い象は森へと帰っていく。もし、象がオツベルに「疲れたのでここまででやめます」と告げていたなら、オツベルはどうしただろうか。

 サンタマリアを歌いながら喜んで働いていた象が心変わりしたと思ったのか、それとも以前より甘い条件を提示して自分の目的を果たそうとしたのか。

 宮沢賢治はなぜ、子どもが読む童話にこんな問いを投げかけたのだろう。

 ケアラーとして過ごしてきた日々を振り返ると、私はこの白い象のようだ。

 最初はミューズとゼウスの日常に役立つことが、何よりも嬉しかった。一瞬一瞬が、子どもが世界を初めて眺めるまなざしのように新しく、驚きに満ち、温もりを感じた。三交代制の勤務にも耐えられ、ゼウスのおむつを替えることも、お風呂で洗ってあげることも、最初は下手だったが、次第に慣れていった。近づくとつねったり叩いたりする方もいたが、うまくかわし、つねられないように気をつけることも覚えた。

 生死の境を彷徨うミューズの面倒を見るために徹夜したある日、家に帰って翌日までベッドに横たわっていた。そのとき、私はもう笑っていなかった。

 ここまでが、私にとっての『オツベルと象』の物語だ。では、もう一度笑顔を取り戻すために、白い象のようにかつて暮らしていた森へ戻らなければならないのだろうか。この問いへの答えを見いだせないまま、私は新年を迎えた。

 ふと、十九歳でケアラーを志す人のことが気にかかった。

 私は十九歳のケアラーに会いたい。彼女か彼と同僚となって、病気の体で生きる方々を助けるために、自分に何ができるのか、何をすべきなのか、そしてどのような心構えでいるべきなのかを語り合いたい。

 「どんな人生にも、尊くない人生などない。在宅訪問では、布団を縫ってあげたり、ボタンを付けてあげたり、裾も直したりする。人に親切にすることが、自分自身への親切でもあるのだ」――先輩ケアラーが語ったその言葉に、感動を受け、襟を正した経験も聞かせてあげたい。そして、私が疲れ果て、苦しいときに慰めになった、あの詩を聞かせてあげたい。


 雨にも負けず

風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ

丈夫なからだを持ち

欲は無く

決して瞋からず

何時も静かに笑っている


 一日に玄米四合と

味噌と少しの野菜を食べ

あらゆる事を自分を勘定に入れずに

良く見聞きし判り

そして忘れず

 
 
野原の松の林の影の

小さな萱葺きの小屋に居て

東に病気の子供あれば 行って看病してやり

西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い

南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い

北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い



 日照りのときは涙を流し

寒さの夏はオロオロ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

誉められもせず苦にもされず

そういう者に

私はなりたい

――宮沢賢治


 たしかに私たちの人生は、始まってもいないうちに終わってしまうかもしれない。あるいは、終わったと思ったのに、まだ生き続けねばならない日々が残っているのかもしれない。

 すべてに答えようとし、すべてを克服しようとし、すべてを解決しようとしてはいけない。

 そして、私に与えられたこの道を、静かに歩んでいこう。



著者紹介
 イ・ウンジュ 이은주



 1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、認知症で苦しんでいる母親の世話をしながら、翻訳、執筆活動と共にメディア出演、講演活動を続けている。