【vol.16】リズムに乗るんだ | 私はミューズとゼウスのケアラーです
2025/11/19
韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学
激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
-
そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』『こんなに泣いて疲れたでしょう』『東京因縁』)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア三部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。
午後のおやつの時間が終わると、療養保護士がタオルを回すように合図を送る。ソファの後ろに立ち、ゼウスとミューズたちの肩に軽く手を乗せると、彼らは次々と杖をつき、立ち上がってトイレへ向かう。
リズムに乗るんだ、川が流れるように。
昼食後は、ベッドやソファに横になって軽く昼寝ができる場所を整え、薄い毛布をかけてあげる。
息子と暮らすゼウスは、息子が出勤するとき一緒に家を出て、朝8時頃にデイケアに到着する。夕食を済ませてから家に帰るのだ。
12時間近くも家を離れて生活するのは疲れるはずなのに、ゼウスはいつも笑顔を絶やさない。指定席のソファで一日中眠そうに座っているのは、朝4時に起きて家の前の聖堂で朝のミサに参加してきたからだという。朝4時に起きていれば、午後1時の昼寝はまさに熟睡、夢の世界へと沈んでいく。
彼の一日にもリズムがある。
彼の洗礼名は「マテオ」。マテオの愛唱曲は〈ハゲの独身男〉だ。午後の音楽が流れ始めると、耳を澄ませ、やがて大声で歌い出す。
「8時の通勤でハゲの独身男。 今日も会えるか待ち遠しいな」
マテオの禿げ頭と2本だけ残った前歯が光る瞬間だ。幸せそうな微笑み。いたずらっ子のような笑みを浮かべて、毎日〈ハゲの独身男〉を一緒に歌うその様は、言葉にできないほど楽しげだ。
まぶたが垂れ下がって、その素敵な瞳に出会うことはできないが、そばに座って挨拶すると、「ありがとう」と言ってくれる。私までとても愉快な気分になる。
次に登場するのは物語の名手、もう一人のゼウスだ。 彼が挨拶するときは、いつも子供のように駆けつけて抱きしめたくなる。彼の一日のリズムはこうだ。朝早くデイケアに来ると、寝そびれた朝寝を補うように、ベッドのある部屋で10時までぐっすりと眠る。そして出てきたとき、私と目が合えば、十年ぶりに友と道で出会ったかのように、両腕を広げて迎えてくれる。ああ、もうその時点で、彼が恋しくなってしまう。
その瞬間だけは、不自由な足に引きずられることもなく、杖は宙に浮いている。彼が話の包みを解くとき、決まってこう言う。紳士らしく尋ねてくるのだ。
「面白い話をしましょうか?」
そして永遠に続くのではないかと思われるような話が繰り広げられる。
「私が学校に通っていたのは日本統治時代。入学試験を受けて入ったんだ。先生は日本人でね」
もっと聞きたいと唾を飲み込む頃には、残念ながら用事ができて席を立たねばならない。
ゼウスは専門的な知識も伝授したがる。
「茶色1、赤2、オレンジ2、黄4、緑5、青6、紫7、灰色8、白9」
今は必要ないけれど、昔研究室では必要だったカラーコードを呟く彼の横顔に、窓辺から夕日が沈んでいくとき、彼は言葉にできないほど寂しげな表情を浮かべる。私はそんなゼウスの暗い表情が好きなのだと思う。
ゼウスの不自由な足に手を置きながら、こう提案する。「パティ・キムの歌を流しましょうか?」ゼウスが好きなパティ・キムの〈チョウ(秋雨)〉が流れている間、彼の目に感動の苔がふんわりと生えるのを見届けたい。美しい瞳が揺れるそのとき、彼は人生で最も華やかな瞬間を生きているのだ。
そろそろ家に帰る時間になり、会話を終えて立ち上がろうとしたとき、彼が私を見上げてこう言う。「釜山に避難していた頃、映画館に行ったことがあって……」
立ち上がろうとした私は、再び腰を下ろした。
「避難時代に映画をご覧になったんですか?」
話を促すように首を傾げると、彼は言う。「ああ、もちろん。人間は苦しいときほど、何か新しいものを探すものさ。あの映画のタイトルが何だったか……。映画館で初めて覚えた言葉があったんだ」
あれこれ白黒映画を思い浮かべながら、私は尋ねた。「『あなたの瞳に乾杯』、『カサブランカ』ですか?」
「いや、あの俳優。『風と共に去りぬ』に出ていた俳優が出てたんだ」
「『風と共に去りぬ』ならクラーク・ゲーブル? ヴィヴィアン・リー?」
「そうだ、ヴィヴィアン・リーが出てた映画だ」
孫を保育園に迎えに行く時間が近づいた。席を立とうとすると、私の仕草を読んだ洗練されたゼウスが、片手を上げて挨拶をした。
「その映画で私が初めて学んだ英語があります。 ノー・サンキュー!」
ゼウスと交わす別れの挨拶が「ノー・サンキュー」だなんて。ぎこちなくも、私も「ノー・サンキュー」と呟く。 ふむ、いいね。 なんだか素敵でもあるし。
拒絶の理由を一つひとつ説明しなくてもいい。 避難時代に覚えたというゼウスの「拒絶の言語」を受け入れた私は、もう時間がないかのように、クローゼットのある部屋へ小走りに向かった。
著者紹介
イ・ウンジュ 이은주

1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、
