死をことほぐ社会へ向けて 第20回
2025/10/07
忘れること、ギフトとしての認知症 ……できないことのメリットに目を向ける

名郷 直樹(なごう なおき)
武蔵国分寺公園クリニック名誉院長
1961年、名古屋市生まれ。自治医科大学卒業。へき地医療に従事した後、2011年に西国分寺で「武蔵国分寺公園クリニック」を開業。2021年に院長を退き、現在は特別養護老人ホームの配置医として週休5日の生活。
著書に『いずれくる死にそなえない』(生活の医療社)、『これからの「お看取り」を考える本』(丸善出版)など。
人生の困難さに対処する方法を、YouTube(名郷直樹の診察室では言いにくいこと)で発信中。
2025年7月に『名郷先生、臨床に役立つ論文の読み方を教えてください!』(共著、日本医事新報社)が発売!
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できることに対する支援の限界
認知症患者のできることに対する支援はいずれ限界に達する。認知症の進行に伴い、基本的な生活への支援が中心になっていき、好きとか嫌いとかいうものではなく、生きていくために必要なものの重要性が増してくる。本人が一人ではできなくなることに対するものに移行していく。食事の介助、着替えの手伝い、外出や買い物、排泄の介助、入浴の提供などである。ここは介護・ケアの専門職に任せてというところだが、なかなか難しい。介護職の専門性が意外に利用者に伝わっていない。患者本人が支援を求めないのと同様、家族も生活面の支援を求めていないことも多い。生活面の介護・ケアは家族ができるし、むしろ本人のことをよく知った家族の方が好ましいと考えている場合もよくある。しかし、認知症の周辺症状は、患者のことをよく知っている家族だからこそ起こることがよくあるし、悪化させるリスクも高い面がある。家族が認知症になる前の本人に戻ってほしいと思うばかりに、無理な医療機関受診や介護・ケアサービスの導入でその後の診断や介護・ケア提供が困難になったりとか、家族にお金を取られたという妄想とか、外出を制限されたがために徘徊してしまうとか、多くの問題行動か家族関係の中でしばしば起こる。
そうは言っても、やはり家族の存在は大きい。家族がいるからこそできる支援も多い。しかし、家族と同居する認知症患者と、一人暮らしの認知症患者を比較すると、後者の方が落ち着いて生活できている場合も多い。よく認知症患者にとって社会とのつながりが重要と言われるが、それも先送りの話である。つながりによって進行が多少遅くなるかもしれない。しかしつながりが進行を遅らせるという明確な研究はない。さらに、つながりが多い認知症患者もいずれは進行する。その進行の先で、周囲とのつながりの意味合いは全く変わってくる。
進行に伴うできなくなることのメリット
進行した認知症患者は独自の世界を作っていて、現実の世界と自分の世界を分断することによって、安定を得ている部分がある。その患者の世界と現実の世界との矛盾が起きたり、そこから連れ出されたりすると問題行動が起きやすい。例えば自分の年齢を15歳という認知症患者がいたとしよう。その患者に対し、「そうじゃなくて、もう80歳過ぎてるよ」という対応をすると問題を起こしやすいが、「どこの中学に通ってるんですか?」などと、その世界に合わせたほうが問題を起こしにくいということだ。あるいは、老夫婦のどちらかが亡くなって認知症の妻か夫が残されたときに、その死を忘れてしまい、「じいさんは、今日は何時頃帰ってくる?」という問いかけに、「じいさんはもう死んだんですよ」と対応するよりは、「6時過ぎには帰ってくるんじゃない」と対応したほうがよい場合が多いということもある。現実世界とは異なる独自の世界を作るという認知症の症状自体が、日々の生活を維持し、安定させることに役立っている。認知症がない患者のように、「あぁ、80歳を過ぎてしまって弱るばかりだ」ということを悪く思わないですむ、よい面があると言ってもよい。
上記のような状況では、一人暮らしの方がその独自の世界を維持しやすく、家族がいるとかえって患者の独自の世界と家族が生活する現実世界とのはざまで問題を起こしやすい。進行した認知症患者においては、現在の世界を認識できず、最近の記憶を無くしていることが、問題を起こさないという意味では大きなメリットになっている。もちろんそこには、認知症患者の独自の世界を邪魔せず、介護・ケアを提供する、専門職員の存在があってこそなのだが、つながりが薄く、本人のことをよくわかっていない介護・ケアの職員がなかなか信頼されにくい現実がある。「つながりがない私たちの方が患者さんにとってもいいことが多いんですよ」という説明が、多くの患者家族にすんなり届くのはいまのところ困難だ。しかし、それを根気よく伝えていくのも、我々の大きな仕事の一つだろう。
ギフトとしての認知症
老いる過程において、認知症はある種のギフトと感じられることがよくある。今回取り上げた「現実世界を忘れ、独自の世界を作る」ということもその一つだ。さらにその忘れるということは、死の恐怖を和らげることにもつながっているかもしれない。自分が80歳であることを忘れることができない人より、自分が15歳という人の方が死の恐怖は小さいだろう。
忘れることのメリット、それは老いる過程以外にも実はよく我々が経験していることでもある。認知症に限らず、忘れることのメリットについて、しばし考えてみてはどうだろうか。
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