【vol.13】単語カードに込められた思い出 | 私はミューズとゼウスのケアラーです

2025/09/24

韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学

 激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
  • そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』こんなにいてれたでしょう』『東京因縁)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。 


キャリアが断絶した女性のためのプログラム「ビューティフルライフ」事業の一環として、私は週2回、デイケアセンターでの勤務と在宅訪問の介護実習の受講ができるように、支援を受けた。ケアラーとして得られる良い機会であった。

 

 老人ホームで働いている間、私は孤独だった。 9人のミューズとゼウスの生と死を見守りながら、3交代制のシフト勤務の限界を感じた。夜になると死の淵を彷徨うゼウスを、どうすれば苦痛から解放できるか、そわそわしながら悩んだ。悩みを共有できる人はいなかった。昼の勤務も同じだった。業務予定に従って仕事をしていると、いつのまにか勤務時間を終えた同僚は、服を着替えてエレベーターの中へと消えていった。一人で悩んで一人で決断し、一人で解決しなければならないことによる心理的な圧迫感が自分に大きくのしかかった。



 そんな私にも、再びミューズとゼウスの日常生活を情緒的に支えられると感じられた機会が、デイケアセンターでの勤務と在宅訪問の介護実習を通じて訪れた。



 午前10時、デイケアセンターでの初日が始まる。


 デイケアセンターに着くとすぐに、理学療法室のベッドでしばらく横になり、朝の眠りにつくゼウスがいた。療養保護士は単語カードを持ってプログラムを進めた。私は携帯電話をしばらくオフにした。今までやったどんなゲームよりも緊張感が漂っていたからだ。ソファに座っているミューズとゼウスの、膝の上に置いた手がぴくぴく動く。競争でもしているかのように、療養保護士が口にする単語を聞き逃さぬよう必死に耳を澄ませていた。消えゆく記憶を摑もうとするかのような、切実な身振りであった。



 私は手帳に、ミューズとゼウスが摑み取った記憶の一片を書き留めた。



 単語カードには「ボ()」という文字があった。療養保護士が「ボ」から始まる単語を先に言う。



 「『ボ』という字で始まる単語には、満月(ボルムタル)がありますよね?」と話すと、あちこちで単語が叫ばれる。



 「ボリッゴゲ(春の端境期:はぜかいき)」


 わぁ~。私が感嘆する。



 「ボゾゲ(えくぼ)」「ボスルビ(小雨)」「ボサル(菩薩)」「ボヤンシク(保養食)」「ボソク(宝石)」「ボサル(菩薩)」……



 「ボサルは少し前に出ました」と、療養保護士が言う。しばらく沈黙が流れる。 あるミューズが叫ぶ。



 「ボミワッネ(春が来た)」


 「ボミワッネは『ミ』というパッチム*がありますよね?」療養保護士がもう一度ヒントを与える。



 「宝物が隠されている島を何と言いますか。」



 「ボムル(宝島)!」



 再び、競争が起きそうだ。



 「ボラメ公園」に「ボルネオ」まで出てきた。 次のカードには、「ジョ()」の字が書かれている。



 「ジョヤク(条約)!」と、再び目を閉じていたゼウスが叫ぶと、隣のゼウスが杖で居間の床を一度叩きながら「ジョソンチョンドクフ(朝鮮総督府)」と叫ぶ。 小さな手提げかばんを膝に乗せていたミューズが小さな声で「ジョゲ(貝殻)」とおっしゃるのを療養保護士は逃さず、手を叩きながら励ます。 再び目を閉じていたゼウスが叫ぶ。 「ジョムレギ(小僧)!」
 


 ジョムレギを皮切りに、「ジョスゥ(助手)」「ジョミョン(照明)」「ジョリ(調理)」「ジョダルチョン(調達庁)」「ジョゾンサ(操縦士)」といった単語が出てくる。



 私たちがこのように午前のプログラム活動をしている間、療養保護士たちが時々ゼウスとミューズを一人ずつ連れて行っていたようだ。あとでわかったことだが、時間別にトイレを手伝ったり、順番に理学療法室で足のマッサージを受けるように案内していた。

 

 
お昼のメニューは、かき菜の若芽味噌汁に、キュウリとクラゲの和え物、肉の煮付けにキムチが出てきた。昼食後、昼寝の時間に昼寝をしないミューズの数人を、天気が良いので、療養保護士が車に連れてドライブに出かけた。 私の最初の任務は、ドライブに行かなかった数人のミューズを連れて、庭のベンチで時間を過ごすことだった。

 

 
90歳に近いミューズに歌をリクエストした。ハンカチを握った手で遠慮する。 一緒にいた療養保護士が「天気が良いから一曲お願いします」と言うと、声を整える。 ランチどきの歌のレパートリーがあるようだった。



 「えへん、えへん、整えなきゃ……。♪青春よ~、私の青春よ、どこへ行くのか~」



 木陰の下で時間がゆっくり流れていた。風が吹いてどこからか鳥たちがさえずり、ミューズたちの拍手が青空の上に風船のようにどんどん上がっていた。



 パッチム:ハングルで音節の下部に位置する子音のこと。終声とも言う。
 



著者紹介
 イ・ウンジュ 이은주



 1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、認知症で苦しんでいる母親の世話をしながら、翻訳、執筆活動と共にメディア出演、講演活動を続けている。