【vol.10】イ・クックジョン教授の講義を涙ながらにみる | 私はミューズとゼウスのケアラーです
2025/07/31

韓国の介護現場で働く作家が送るケア文学
激しいスピードで高齢化が進む隣国で、 ケアの最前線に立つ作家による、初の日本語エッセイ連載スタート!! 昼は介護の仕事をして夜は文章を書く、作家イ・ウンジュの連載が始まります。日本の介護福祉士にあたる、「療養保護士」という韓国の介護の国家資格を持つイ・ウンジュさんは、自身もケアの現場に立ちながら、ケアに関する文章を韓国語で発表する数少ない作家です。
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そんなイ・ウンジュさんは韓国で、ケアについてのエッセイ三部作(『私は神々の療養保護士です』『こんなに泣いて疲れたでしょう』『東京因縁』)を出版して話題を集め、2023年には母親の在宅療養保護の経験を盛り込んだ『ケアの温度』を刊行しました。ケア三部作の『私は神々の療養保護士です』では、療養保護士として歩んだ療養院での日々から訪問介護に至るまでの道のりについて、『ケアの温度』では、誰かをケアする時の適切な距離感・温度感とレジリエンスについて、やさしい筆致で綴っています。この連載では、イさんの目に映った韓国の介護現場から、「ミューズとゼウス」のためのケアについて考えます。
亜洲(アジュ)大学病院圏域外傷センターで働いているイ・クックジョン*教授が、自身が働く重症外傷センターが持つシステムの問題について話す講演をYouTubeでみた。
その問題は、私が働く老人ホームのなかでも発見することがある。
私は、寝たきりで生活しているミューズとゼウスのケアラーだ。他の人の助けがないと生活ができない彼らは、経鼻経管で栄養を摂っている。栄養剤や水が鼻を通して入る。それが終わったら、すぐに管に栓をしなければならない。異物が肺に入ると命に関わるので、緊張して“食事を差し上げている”。
片麻痺の患者さんが床ずれにならないように2時間おきに体位変換をするときやおむつ交換の際に、一日中おむつに閉じ込められていたお尻にローションを塗るときが一番気持ちがいい。彼らがどれほどすっきりした表情でリラックスしているかがわかるからだ。
しかし、質の高いおむつケアをするには、トイレに行く暇もないほど走り回るのだ。退勤時間を過ぎてしまうこともある。清潔でない手で自分の目をこすったり触ったりしてしまうので、目薬を差したいと思うことも多々ある。
ミューズとゼウスは誰かがしてあげないと水も飲めないので、口元はいつもそぼろパンのように裂けている。その唇に毎日ワセリンを塗るのも、私の仕事だ。
一日中、狭いベッドに横たわっているとどれほど孤独なのだろうか。リビングからテレビの音、人々の会話や笑い声が聞こえてきたらどんな気持ちになるだろうか。ただ濡れたおむつを交換するだけでなく、一人ひとりと目を合わせ、声をかけ、どこか痛いところはないか、隅々まで確認する――それが私の仕事だと、私は思う。
しかし、そんなささやかな願いを、たった8時間の勤務時間内で、私一人で“こなさなければならない”。もちろん午前中に早番の人は来るが、同僚と2人体制で勤務する時間は実質、3時間ほど。だからといって不満があり、この仕事が嫌だというわけではない。
下痢をして無意識のうちにそれを片付けようと、慌ててシーツや壁に汚れを付け、さらには自分の爪先まで汚れてしまって意気消沈している方に、「大丈夫ですよ」「こういうときのために私がいるんだよ」と声をかけ、安心させてあげたい。
日々心のこもった質の高いケアが必要だが、それが実現できるかできないかは、結局のところシステムの問題だと感じる。何度も声を大にして言いたいが、人手が圧倒的に足りない。
*李国鍾(イ・クックジョン)氏:韓国各地での圏域外傷センター(重症外傷センター)の設置に貢献した人物として韓国で知られている。
著者紹介
イ・ウンジュ 이은주
1969 年生、作家、翻訳家。日本に留学し、1998 年に日本大学芸術学部文芸学科を卒業。20 代から翻訳家になることを夢見て、家庭教師として働きながら翻訳した『ウラ読みドストエフスキー』(清水正)で夢をかなえる。その後も仁川国際空港の免税店で働きながら、休憩時 間は搭乗口 31 番ゲートで訳し、仁川への通勤電車でも訳し続け、『船に乗れ!』(藤谷治)、 『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』(山極寿一)をはじめ、十数冊もの日本書籍を韓国に広める。おばあちゃんっ子だったイさんは祖母の逝去をきっかけに、高齢者施設でボランティア活動を始め、その後療養保護士の資格を取得。昨年からは認知症になった実母の介護を行う。「ケア」と「分かち合い」について、文学の一形態として追及してみたいという気持ちから、高齢者のケア現場についてのエッセイを三部作で発表し、韓国で共感を呼ぶ。現在、